Home/ 歴史認識 歴史認識 日本統治時代の功績を知れば、正しい歴史が見えてくる 2015.04.07 文/幸福実現党・兵庫県本部副代表 みなと 侑子 ◆天皇皇后両陛下、ペリリュー島にご訪問 天皇皇后両陛下は、本日からパラオ共和国に1泊2日でご訪問されます。 ペリリュー島では、日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」と、米陸軍の慰霊碑にそれぞれ献花されるご予定があり、先の大戦で散っていった兵士たちの魂の慰霊を行われます。 両陛下のご訪問に先立ち、幸福実現党党首 釈量子もペリリュー島を訪問いたしました。 戦車がそのまま放置されており、砲弾の跡がまだ残っている現地を見、現地の方の声を聞いた釈党首。「先の大戦で亡くなられた日本兵は、無駄死ではなかった」と確信できる内容になっています。 THE FACT 天皇陛下のパラオ慰霊に寄せて 大東亜戦争「ペリリューの戦い」を知る 天皇陛下のパラオ慰霊に寄せて 大東亜戦争「ペリリューの戦い」を知る ◆ひどかった白人統治時代 1919年、パラオは国際連盟の委託によりドイツの植民地から日本の委任統治領となりました。 日本の委任統治前、パラオ諸島はスペイン、次いでドイツの植民地でありました。 1885年から1899年までの14年間のスペイン統治の時代、パラオの先住民の人口は、元の1割に減ってしまいました。短い期間に、先住民の9割の命が奪われたのです。 植民地政策がどのようなものであったか、想像に難くありません。 スペインはもちろんドイツ時代においても、植民地からは搾取を行うのみで、教育やインフラ整備、産業育成などは行いませんでした。 ◆能力が花開いた日本統治時代 しかし日本は違いました。 パラオに南洋庁を設置し、学校・病院・道路・橋の建設などのインフラ整備、稲作・野菜・果実の栽培を教えました。 すべてのパラオ住民に、無料で数種類の予防接種も受けさせました。 また教育にも大変力を入れました。 パラオの人々は優秀だったようで、教育を行った結果、小学校1年生で九九の暗誦ができたそうです。 また、日本が統治した国々の代表を集めての算数の学力大会を行ったときには、パラオの小学生が優勝したのです。日本人の教育熱心さに驚かされます。 当時、パラオには書くための文字がありませんでした。そのため、小学校では日本語で教育を行いました。 先ほど紹介しました映像の中で、インタビューに答えてくださる90代のお二人がたいへん流暢な日本語を話されております。その理由は、彼らが小学生時代に学んだパラオの教科書にあるようです。 パラオ南洋庁の国語教科書編集書記を務めたのは、文学者である中島敦氏でした。 東京帝国大学国文科を卒業し、数多い文学作品を残した中島氏が教科書作りに関わったことで、パラオの方々は美しい日本語を知ることができたのではないでしょうか。 日本はパラオにも優秀な人材を送り込み、その発展を助けました。 ◆日本人こそが自国の歴史を正しく学ばなければならない パラオ統治は、台湾・朝鮮の統治を倣って行われました。両国に対して日本が残した遺産は、精神的・物理的に書ききれないほどの多さです。 しかし、韓国だけでなく、台湾においてもその事実は国民に十分には知らされていません。そして日本人自身が事実を知らず、自国を恥じてきた状態でした。 しかし、時は流れ、真実は明らかとなりつつあります。 このたびの両陛下のパラオご訪問をきっかけに、両国の友好はもちろんのこと、正しい歴史と日本の功績を私たちも学ばせていただきたいと思います。 日米で語り継がれる「硫黄島の戦い」 2015.03.30 文/幸福実現党・政務調査会チーフ 小鮒将人 ◆硫黄島で今年も行われた日米合同慰霊祭 平成27年3月21日、硫黄島で日米合同の戦没者慰霊祭が開催されました。 今年は、日本政府から塩崎厚労大臣、中谷防衛大臣が出席し、戦後70周年という節目の年にあたり、初めて現役閣僚が出席しました。 硫黄島の戦いは、大東亜戦争でも最も激しい戦いの一つとして有名です。 しかし現在、この慰霊祭がきっかけとなり、日米双方の元兵士が、お互いの友情を確かめる光景が展開されています。命を懸けて戦い抜いたものだけに分かる、何らかの絆が生まれたものだと思わずにはいられません。 ◆栗林忠道中将の英断 昭和19年7月、太平洋の要衝、サイパン島が米軍の占領下に入り、B29による東京への空襲が可能となりました。 サイパンと東京の中間点に所在する硫黄島は、米爆撃機の動きを東京に逐一報告することができ、しかも島内には飛行場があり迎撃を行う事も可能で、首都を防衛する意味でも重要な軍事拠点となりました。 そこで、硫黄島が次の戦いの場所になる事が予想され、日本側でも準備が進められました。この時に硫黄島の司令官に任命されたのが、栗林忠道(くりばやし ただみち)陸軍中将です。 栗林中将は、サイパン島での失敗の原因、そしてパラオ諸島ペリリュー島で米軍に大打撃を与えた戦法を研究し、日本軍として徹底的な持久戦・ゲリラ戦を戦い抜くことを決意しました。そして、早速島内の洞窟を掘り進み、島全体を地下要塞化する事に着手しました。 ところが、当時は、海岸への上陸の際に相手を食い止める作戦(水際作戦)が有効だと信じられており、部下の参謀長・大隊長が大反対。さらに、海軍も飛行場を取られることになり大反対となりました。 しかし栗林中将は、自らの信念に基づき、持久戦を行う決意を変えませんでした。 最終的に、東京の大本営も栗林中将の意見を取り入れることになりましたが、四面楚歌のごとき場面においても、決してその信念を崩さなかったという意味で、栗林中将は、後に大いに賞賛される事となりました。 ◆「硫黄島の戦い」に全世界が注目した理由 さて、攻撃側である米軍の予想では、5日間程度で硫黄島占領が可能との予想を立てておりました。しかし、栗林中将の作戦と、日本軍兵士たちの忍耐力によって、その予想は、覆される事になりました。 米軍の総力を挙げての75日間にわたる爆撃のあと、満を持して上陸を行った米軍海兵隊は、日本軍の徹底したゲリラ戦に大打撃を受けます。 上陸作戦の初日(昭和20年2月19日)、日本軍が米軍に対して与えた損害は、戦死501名、戦傷死47名、負傷1,755名となり、大きな衝撃を与えました。 この硫黄島の戦いは、米国民にとってもよく知られる戦いとなり、昭和20年に入ると、欧州戦線での連合国側の勝利がほぼ確定、マスコミ各社が硫黄島に集まり、各紙の一面には、連日この戦いの帰趨が掲載される事となったのです。 この戦いを通じて、日本軍の指揮官である「Kuribayashi」の名前は、全米に知れ渡たる事になりました。 ◆米国人魂の象徴となった「硫黄島の星条旗」 しかし米国民の間では、歩みを進め続ける米軍の青年たちの姿に大きな賞賛を博すことになります。その象徴となった写真が「硫黄島の星条旗」です。 上陸作戦4日後の昭和20年2月23日、米海兵隊は、硫黄島の拠点である「すり鉢山」の占領に成功し、標高の最も高い地点を確保した事で、星条旗を掲げる時に撮影したものです。 この写真は、激戦を戦う米国兵の勇気を象徴したものとして、現代にまで語り継がれており、映画「父親たちの星条旗」も有名です。 この画像は「米国人の勇気」「愛国心」を示す象徴的な写真として残り続け、さらに現在は記念碑として、米国アーリントン墓地に設置されています。 アーリントン墓地は、国立の戦没者慰霊の施設であり、いわば日本の靖国神社にあたる施設です。米国大統領はここへ定期的に参拝を行い、慰霊を行っています。 私は、この記念碑について、大統領が定期的に参拝することで、米国人の誇りを高め、使命感を持って国益を追求し、国家の繁栄を形成する要因になった事と確信するものです。 ◆首相の靖国参拝を実現し「日本の誇り」を取り戻そう 栗林中将を中心に、海兵隊を相手に大健闘をした日本軍も物量作戦の前に徐々に包囲網が狭められ、日本軍司令部は3月26日、最後の大規模な突入を行い、その組織的な抵抗が終了しました。栗林中将自身もこの突入の際、戦没したと言われています。 硫黄島の戦いに関して、日米双方で犠牲になった将兵に対し、米国では賞賛の声が止むことがありません。 しかし、日本国内で「硫黄島の戦い」と言っても、国家のために命を投げ出して戦った当時の若者たちに対して、その行為に対して、敬意が払われる事も少ないようです。 我が国は、「植民地の解放」の大義の下、多くの若者たちが命を捨てて、祖国のために戦いました。 日本では、国家のために戦った兵士の魂は靖国神社に還ると言われています。硫黄島で戦った兵士たちも、自分の死が無駄ではない、と信じてその命を投げ出したのです。 少なくとも、現代の日本において、総理大臣が靖国に参拝し、英霊に対して敬意を表し、慰霊を行うことは当たりまえなのではないでしょうか。 今年は、戦後70年という節目の年になります。政府においては、ぜひ、安倍総理の靖国参拝を実現し、日本の誇りを取り戻す大切な一年となる事を強く願うものです。 日本が果たすべき「ワールド・ジャスティス」への使命―「イスラム圏」編(1) 2015.03.27 文/幸福実現党・茨城県本部副代表 中村幸樹(なかむら・こうき) ◆世界的正義 日本が使命として担うべき「ワールド・ジャスティス(世界的正義)」として、以下の3点があります。 (1)白人優位主義による帝国主義的植民地支配に対する歴史の修正。 (2)共産主義運動という名の唯物論思想による「神仏の封じ込め作戦」への戦い。 (3)イスラム圏の改革。 (1)~(3)は連動しています。 白人の植民地支配への反省を促し、大東亜戦争の日本の正義を国際常識とすれば、巨大共産主義先軍国家である中国の野望を阻止する力(三戦「世論戦、心理戦、法律戦」への対処力)となり、イスラム圏と対するユダヤ・キリスト教圏への説得力、調停力につながるからです。 今回は、最近注目度の高い「イスラム圏」に焦点を当てて、論じたいと思います。テロ行為や卑劣な殺人は、許しがたい暴挙であり、再発防止の措置は大切です。 しかし、日本と世界の政治家やマスコミ、知識人の大半は、イスラム圏の問題に対し、「ワールド・ジャスティス」を冷静に分析、判断できない状態にあります。 歴史的、民族・人種的、宗教的視野からの智慧が不足しているからです。 根本的な解決には、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教間の確執を超克しなければならず、「寛容」と「許し」を伴う3つの精神的叡智を、政治的叡智として取り入れる必要があると考えます。 ◆武士道精神、騎士道精神 日本の武士道精神は、大義の下、己を律し、敵に対しても慈悲の心、礼の心を貫くため、日露戦争の名将、東郷平八郎や乃木希典などが諸外国で絶賛されました。 大東亜戦争においても、迫害されたユダヤ人を真っ先に保護したり、本気でアジアの同胞を解放する等、世界一人道的で規律正しくあったというのが事実です。 西洋でも騎士道精神が生まれました。 しかし、カトリック・プロテスタント間の宗教対立でその伝統が見失われ、1618年からドイツを中心に繰り広げられた30年戦争では、お互いに相手を悪魔と捉えて徹底的に戦い、甚大な被害と荒廃をもたらしました。 その反省から、1648年に締結された「ウエストファリア条約」では、かつて封建時代の中で発達していた騎士道精神が見直され、相手を辱めるようなことはせず、お互いの宗教を認め、相手の国の宗教には口を挟まないという国際的な取り決めがなされました。 武士道精神も騎士道精神も、関係国が全てその認識を持っていれば有効ですが、ヒトラーのような独裁者が出現した場合や、騎士道の文化を継承しなかった国(米ソ中等)には効果がない、という教訓もあります。 しかし、日本軍が武士道精神で、民間人へのテロや虐殺を決してしなかった事実や、イスラムの英雄サラディンが騎士道精神を貫き、キリスト教圏からも評価された等の教訓は、テロ撲滅や相互の融和に、プラスに作用するはずです。 ◆日本の「和」の精神 聖徳太子「十七条憲法」の第一条には、「和を以って貴(とうと)しと為し、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。」とあります。 大きく和する、大調和の精神は、仏教伝来の折にも発揮され、仏教の優れた教えは採り入れつつ、古来からの神道も引き継ぐという、共存共栄や融合の伝統を生み出しました。 そして、儒教やキリスト教、その他の思想や文化に対しても、寛容に取り込んでいく歴史を培ってきました。 「和」の精神は、異なる宗教や文化を調和させ、争いを緩和し、抑止する力がありますので、世界の紛争解決にも効果を期待できます。 以上、日本の「和」の精神について述べましたが、次回、もっと踏み込んで、世界の紛争を解決するために必要な「ワールド・ジャスティス」について述べて参ります。 サクラ、サクラ、咲く――ぺリリュー島 2015.03.23 文/HS政経塾3期卒塾生 幸福実現党・新潟県本部副代表 横井もとゆき ◆沈没船に結びつけられた中国国旗 21日にショッキングなニュースが配信されました。 天皇、皇后両陛下が来月、慰霊のため訪れるパラオで、海中に沈む旧日本海軍の給油艦「石廊」の船尾付近に中国国旗が結び付けられているのを、21日に取材で潜った共同通信記者が見つけたというものです。(2015/03/21 共同通信) パラオには戦跡を保存する法律があり、その場から戦跡を持ち去ったり、手を加えたりすることは禁止されているはずです。 中国国旗は幅約1メートル。船尾の砲座を囲む柵の支柱だったとみられる場所に、針金と白い結束バンドで取り付けられていたことから、計画的かつ悪質な行為とみて取れます。 ◆旧日本軍艦から海中の中国国旗消える パラオ政府の対応は迅速なものでした。23日の共同通信社の報道によれば、現場から旗がなくなっているのを共同通信記者が確認したとのことでした。 パラオ政府によると、報道に接したレメンゲサウ大統領は「非常に失望していた」といい、法相を兼務するベルズ副大統領が23日午前、司法省に撤去を命じたとのことです。 パラオ当局が撤去したのか、それ以前に旗がなくなっていたのかは不明。誰が旗を結び付けたのかも分かっていないとのことですが、ひとまず胸をなでおろすことができました。 来月の天皇、皇后両陛下が慰霊に訪れらえる際には、パラオが大切にしてきた歴史の、ありのままの姿を慰めていただけるよう、再発防止に尽くしていただきたいと思います。 ◆現地人と協和しつくりあげた大東亜共栄圏 パラオの植民地の歴史は、1885年にスペイン、続いて1899年にはドイツの植民地となり、第一次世界大戦で1914年日本軍がドイツ軍を降伏させ、1920年戦後処理をするパリ講和会議で国際連盟から日本の委任統治が認められました。 ペリリュー島は、日本にとって、フィリピン防衛の要のとされ、東洋最大といわれる飛行場を建設しているところでもありました。 日本軍は統治した国の人々を決して奴隷のように扱ったりはしませんでした。学校、病院の建設や、インフラ整備、マグロ缶詰工場や農場をつくり、現地の人に技術を教え、雇用を創出しました。 同時に日本語による教育も開始されましたが、現地の児童や教師の負担を考え、実習科目を減らす配慮もするほど、現地の人々を家族のように大切にしました。 ◆誤解され伝わる「八紘一宇」の思想 当時の日本は、天皇陛下という徳ある為政者の下に、さらに天照大御神の下に、四海同胞は平和でなければならないという、平和繁栄思想に基づいて東アジアの周辺国を統治してゆく環太平洋思想がありました。 その思想の中には、当時の植民地支配を是としていた欧米的な略奪や、相当な負担を現地に負わせることを永遠に肯定するような思想は入っていませんでした。 島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているので、大人も子供も、日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。 しかし日本軍としては、住民を巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間に、住民全員をパラオ本島に避難させました。 本島までは約50km。日本軍人らは「貴様らとは一緒には戦えない」と言い捨てて島民を送り出してはいますが、相当の神経を使い住民を安全に本島まで運んだことがうかがえます。きつい言葉での別れの真意は、島民にしっかり伝わっていました。 「八紘一宇」は侵略の大義名分として伝えられていますが、この言葉の下に当時の日本人が外国で何を行ったのかを知り、現代に生きる日本人として、この言葉の真意をもう一度考え直す必要があります。 ◆愛するがゆえ戦い、散る ニミッツ提督は、ぺリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40パーセント)を甘受しなければならなかった。(「ニミッツの太平洋海戦史」チェスター・W・ニミッツ著)と伝えています。 当時の日本軍人の勇気の源は、「南方を攻め取られたら、日本は空襲に遭い、家族たちは火の海の中で焼かれ、死んでいく。何とかして、われわれが食い止めねばならん」という決死の覚悟と家族への愛でした。 日本軍は米軍の前に玉砕しましたが、帰島した島民は、日本人の遺体を見て泣き、遺体を葬り、墓を維持しました。 1982年には、地元の協力を得て、ペリリュー神社が建立されています。そこにある石碑にはニミッツ提督の詩が刻まれています。 「諸国から訪ねる旅人たちよ、この島を守るために日本人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」 そして1981年パラオ共和国が誕生したとき、日本軍人ペリリュー島守備隊を讃える歌が島民によってつくられました。8番まであるこの歌の6番と8番をお伝えします。 六 平和と自由の尊さを 身を鴻(こな)にしてこの島に 教えて散りし桜花 今では平和が甦る 八 戦友遺族の皆さまに 永遠(いついつ)までもかわりなく 必ず我等は待ち望む 桜とともに皆様を 【参考】 パラオ諸島ペリリュー島 守備隊長 中川州男大佐の霊言―― 隠された“日米最強決戦”の真実 大川隆法 著/幸福の科学出版 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435 「パラオ共和国に今でも残る『大和魂』2014.10.12」 http://hrp-newsfile.jp/2014/1761/ 今、あらためて『八紘一宇』を問う 2015.03.22 文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝 彦 ◆三原じゅん子氏の「八紘一宇」発言 3月16日の参院予算委員会にて、自民党三原じゅん子参議院議員が多国籍企業の租税回避問題に関する質問で、「八紘一宇(はっこういちう)」の言葉の意味を紹介した事に関し、その後賛否両論、大きな反響がありました。朝日新聞は、即日以下のように報じました。 自民党の三原じゅん子参議院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。(朝日デジタル3/16) 八紘一宇とは「先の大戦で、日本の侵略を正当化するための標語」だったと説明しています。その後のマスコミ報道、言論人の論評を見ても、「侵略の正当化」が標準的解釈(ステレオタイプ)となっています。 大反響に対して、三原議員は、自身のブログで真意はこうであったと説明しています。 「この言葉が、戦前の日本で、他国への侵略を正当化する原理やスローガンとして使われたという歴史は理解しています。」と前置きし、日本書紀の神武天皇即位の際の「橿原建都の詔」を引用し、八紘一宇の語源を紹介しています。 「八紘(あめのした)を掩(おお)いて 宇(いえ)と為(せ)んこと 亦可(またよ)からずや」 「人類は みな同胞であり、天下を一つの家のようにする」簡単に言えば、みんなで仲良くし、ともに発展していくことが神武天皇建国の理想であった、この和の精神を知ってほしかったと三原議員は述べています。 しかし、三原議員も八紘一宇が、日本の侵略を正当化するための言葉であったと理解しているとステレオタイプを披露しています。 幸福実現党は、八紘一宇という言葉は、太平洋戦争すなわち大東亜戦争においても神武天皇建国の理想を体現する言葉として使われていたと考えます。 ◆「八紘一宇」の意味は「人類愛」「アジアの安全保障」だった 幸福実現党大川隆法総裁が私案として平成25年8月15日に発表した「大川談話」(安倍総理参考)により、八紘一宇は具体的にはアジア植民地の解放を意味していると考えます。 『先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたもので ある。政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を解放するための聖戦として、日本の神々の熱き思いの一部を実現せしものと考える。』(大川談話より一部抜粋) 八紘一宇は戦時中、近衛文麿内閣の下で掲げられましたが、その背景には、欧米の人種差別や植民地主義により、アジア諸国が大きな苦痛を受けていた歴史的背景がありました。 日本はアジアの共存・共栄を目指す「大東亜共栄圏」を形成し、欧米の植民地支配を終わらせようとしていたのです。 日本が1919年の国際連盟のパリ会議で、世界で初めて、国際会議の場で人種差別の撤廃を掲げたことも忘れてはならない歴史的事実です。(三原じゅん子議員の発言は問題? 「八紘一宇」は正真正銘の人類愛 The Liberty web 3/18参照 http://the-liberty.com/article.php?item_id=9338) 三原議員が、ある意味でタブーであった「八紘一宇の肯定」を国会の場で行ったことには敬意を表したいと思います。 幸福実現党も、日本がアジアの植民地を解放したという戦後一貫して封印されてきた歴史観に光を当て、日本の誇りを取り戻す運動をさらに展開してまいりたいと思います。 ◆大きな政府を志向する自民党への警鐘 ただ、大きな政府を志向する自民党が、そして福祉に対して特別思い入れのある三原議員が、「八紘一宇」を語る時、「国民は皆家族。消費税30%にしてでも国民は耐え忍んで、支えあっていこう!」というスローガンに変わるとすれば、幸福実現党は異を唱えることになると思います。 3月16日の同じ質問で、三原議員は、東日本大震災クラスの1000年前におきた貞観地震に話が及び、当時の清和天皇の業績を讃えました。国民の父として慈悲心溢れる対応をしたというのです。 であるならば、税制に関しては、かまどの煙の故事で有名な仁徳天皇に習って、国民が苦しんでいるときは減税をする、減税による苦しみの軽減も慈悲であることを忘れないでほしいと思います。 大きな政府を志向する自民党は、基本的に増税に向かいます。人類皆兄弟「八紘一宇」が、増税の合理化に使われてはなりません。 「八紘一宇」は、国民負担の原理に使ってはなりません。為政者が、徳ある存在(国父)として精進する原理として使って頂きたいと思います。 中国による「南京大虐殺」の「ユネスコ記憶遺産登録」阻止に向けて 2015.03.21 文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩 ◆日本政府はユネスコに対して何のアクションもしていない? 中国のよる「南京大虐殺」の「ユネスコ記憶遺産登録」の申請に対して、昨年6月菅官房長官は記者会見を開き、中国に対して「抗議の上、取り下げるように政府として申し上げたい」と述べました。 しかし幸福の科学の国際本部が、今年2月、第一陣として世界から集めた「南京大虐殺」のユネスコ記憶遺産登録反対の署名を直接ユネスコに届けた際、日本政府からユネスコに対して何のアクションも起こしていない可能生が高いことが明らかになりました。 この中国のユネスコ記憶遺産登録申請反対の署名活動に日本で取り組んでいる団体は、「幸福の科学」と、「幸福実現党」のみです。 政府がなにもアクションを起こしていな状況で、幸福の科学の国際本部が世界で集めた署名をユネスコへ直接届けることも意味あります。 それに対して幸福実現党が行っている署名活動は、安倍首相に対して日本政府側からユネスコに対して抗議することを要望するものです。 ◆日本政府側から中国のユネスコ記憶遺産登録へ抗議することの意味 ところで中国が申請したと同じ昨年2014年のユネスコ世界記憶遺産の登録申請の中には、パレスチナから約1,700枚のポスターがありました。 これは、パレスチナ文化を表したポスターで、人類の記憶に残すべきであると、パレスチナはユネスコに対して記憶遺産登録を申請したのです。 しかし、その中にパレスチナがイスラエルに占領されてきた歴史を表したものが数多く含まれていました。 とくに、テロ攻撃、自爆テロ等を推進するものも含まれており、また過去にイスラエル内で起きた大規模テロ事件を賞賛するものもありました。 これらのポスターは、ユネスコ記憶遺産の第一次審査を通過したのですが、この申請に対して、イスラエルは当然のごとく抗議したのです。 イスラエルのメディア、世界のユダヤ系のメディアの報道によると、イスラエルの抗議を受けて、ユネスコのイリナ・ボコヴァ事務局長は、パレスチナの申請を却下することを決めました。 UNESCO head nixes ‘offensive, unacceptable’ Palestine poster collection(The Times of Israel) http://www.timesofisrael.com/unesco-head-nixes-offensive-unacceptable-palestine-poster-collection/ もともとパレスチナが、ユネスコに加盟したのは数年前で、その際に、アメリカ、イスラエルがパレスチナの加盟に反対しました。しかし賛成多数で加盟が認可された経過があります。 後にアメリカはユネスコへの資金拠出を停止。アメリカはユネスコの予算の22%を提供していた最大の拠出国だったためユネスコは資金難に陥りました。 【参考】中国の暴挙!「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産申請を斬る http://thefact.jp/2015/330/ この隙に入り込んだのが中国です。中国は今回の「南京大虐殺」の記憶登録への申請と合わせてユネスコによるアフリカの活動支援をチラつかせています。 最大の活動予算を提供してくれていたアメリカを失ったユネスコとしては中国の支援は大変ありがたいことでしょう。 日本はユネスコに対してアメリカに次ぐ第二位の活動予算を拠出しており、日本政府は中国が申請しているユネスコ記憶遺産登録に対して異議申し立てする当然の権利を持っています。 ところが日本はユネスコに対して現在のところ全く何のアクションを起こしていません。このまま日本政府が何もしなければ、今回の「南京大虐殺」は、すんなりと記憶遺産に登録されてしまいます。 イスラエルは国家の立場からとしてユネスコに抗議し、パレスチナの記憶遺産の申請を却下しました。ですから同じように日本政府の立場から、中国のユネスコ記憶遺産申請に異議申し立てを行うことは大きな意味があります。 この署名活動を行っているのは、幸福実現党しかありません。 内閣府・ユネスコ本部に日本国民の声を届け記憶遺産登録の否決を実現し、歴史認識問題に終止符を打ちましょう! 締め切りは、3月24日です(必着)。皆様のご協力をお願い申し上げます。 ■中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、日本政府に万全の措置を求める署名 《署名用紙はこちらから》 http://info.hr-party.jp/2014/3159/ 【署名締切】3月24日(火)必着 幸福実現党党本部 〒107-0052 東京都港区赤坂2-10-8 6F TEL:03-6441-0754 建設的な未来を目指す「新談話」を! 2015.03.11 文/HS政経塾2期卒塾生 服部まさみ ◆日本とナチスを同一視するメルケル首相 3月11日の産経新聞によると、ドイツのメルケル首相は、10日民主党の岡田克也代表との会談で、ナチスによる犯罪行為の反省に触れつつ、日本に慰安婦問題の解決を促しました。 また、メルケル首相は、9日の安倍首相との共同会見でも、旧日本軍とナチスを混同しているような発言をしていたことが報じられています。 これを受けて、インターネット上やSNSサイトではメルケル首相に対する誹謗中傷が多く見られました。 ◆「隙」を与えているのは日本 外務省幹部は「欧州各国は、韓国のロビー活動に相当影響されている」と警鐘を鳴らしています。 事実、韓国や中国は、安倍首相をヒトラーになぞらえ、南京事件をユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と同一視するなどの宣伝工作活動を展開しています。 しかし、韓国や中国が世界中で反日宣伝工作を活性化させている原因は、他ならぬ日本国側が「隙」を与えているからです。 旧日本軍とナチスを同一視しているのは、メルケル首相だけではなく、日本のリベラル派のドイツ研究者や政治家、言論人、マスコミも同じです。 メルケル首相や中国、韓国が悪いというより、日本政府が河野・村山談話によって「日本は悪いことをした」「侵略国家であった」と認めてしまっていることが、根本的に間違っています。 歴史問題は外交問題ではなく、本質な問題は日本国自身にあるのです。 ◆建設的な未来を目指す「新談話」の発表を 過去の談話を踏襲し、謝罪を続けることが和解ではありません。 歴史問題の裏には「日米同盟を破棄させ、アジアの覇権を握ろう」という侵略的意図を持って、宣伝工作を行っている国があることを忘れてはなりません。 日本が河野・村山談話を踏襲し続ける限り、捏造された歴史を政治利用され、国益と信用を失い続けることになります。 歴史問題に終止符を打ち、世界から信頼される真のリーダー国家になるためには、新しい談話の発表しかありません。 ここに日本と世界の未来がかかっているのです。 「〈大川談話―私案―〉(安倍総理参考)」 http://special.hr-party.jp/policy2013/okawa-danwa/ ◆広報外交やロビー活動の強化 歴史問題解決に向けて、日本が新しい談話を発表し、世界に受け入れられるためには、他国を説得する理論とメッセージ性を兼ね備えた外交力が問われます。 新しい談話を発表する場合、特に米国の説得が不可欠になるでしょう。米国を説得するために何が必要か。どんな論拠がいるのか。どこを攻略するべきなのか。どの国の誰を味方につけるべきなのか。 このような明確な目標と戦略を立てて、日本の考え方と態度を決めることが重要です。また、政治の中枢であるワシントンD.C.に情報収集や発信を行う拠点も必要です。 ◆説得力のある外交を支える学術的研究 また、歴史問題について議論し、相手国を説得することは、国益がぶつかり合う政府間だけでは限界があります。そのため、政府から距離を置いた研究機関である大学やシンクタンクの存在が必要不可欠です。 例えば、従軍慰安婦問題は国際社会では人権問題として捉えられていますが、これに対して、どのような理論で国際世論を説得できるか。国際世論に影響を与えている戦勝国史観に基づいた価値観をどのように変えていくことができるか。 敗戦国のドイツと日本の違いを明確化するなど、自由な立場から研究し、アイデアを提案することで、政府やメディアが発信する内容の論理的な裏打ちができるようになります。 そのような説得力を持った学術的研究を行う研究機関の存在は、日本外交を何倍も強くします。 さらに、研究者自らが世界に向けて、英語で研究内容を発信したり、学生などが欧米やアジアの親日国の大学との交流や共同研究を通じて、人脈やネットワークを作っていくことが日本外交の厚みになっていきます。 ◆戦後の歴史認識を見直す国内世論の喚起を そして、外交力と共に、歴史問題の解決には国内世論の喚起が何よりも重要です。 戦後70年を迎えるにあたり、「日本は近隣諸国の圧力に屈することなく、勇気を持って戦後の歴史認識を見直し、真実を明らかにしよう」という国内世論をもう一段高める必要があります。 自国の歴史について、自分たちできちんとした認識を持つことが「自信」につながり、外国と対等な関係を築く原動力にもなります。 幸福実現党は、日本の誇りを取り戻すべく、新談話の実現に向けて真実の歴史観を国内外に発信して参ります。 対談映像――我が党の署名にユネスコ本部が動いた!(拡散歓迎) 2015.03.09 HRPニュースファイル事務局より ◆ユネスコにも影響を与えている我が党の署名活動 昨年より我が党で取り組んでいる「中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、日本政府に万全の措置を求める署名」活動、誠にありがとうございます。 中国による「『南京大虐殺』『従軍慰安婦』の記憶遺産登録申請」に反対する署名活動は、幸福実現党が国内で行っていますが、ハッピーサイエンス国際本部でも全世界の支部で取り組んでいます。(現在も継続中) その第一弾として、先月2月10日、ハッピーサイエンス国際本部の武川一広国際広報局長がパリのユネスコ本部を訪問し、中国の記憶遺産登録申請に反対する「海外の支部で集めた署名の原本」や「南京大虐殺」「従軍慰安婦」はなかったことを裏付ける当時の具体的資料等を手渡しました。 ユネスコの記憶遺産の担当者の方も中国の「南京大虐殺」の記憶遺産登録申請について日本人はどう思っているのか気にしており、その際に、我が党が現在取り組んでいる「日本で集めた署名の束の写真」も事務局の方々にお見せしました。 「海外支部で集めた署名原本」と「日本の署名の束の写真」は、ユネスコ事務局の方々に大きな驚きを与え、「今回の申し入れを真摯に受け止め、事務局長に早急に報告します」と回答を得ました。 <面談時の主な内容> ・ボコバ事務局長(ユネスコのトップ)に必ず届ける ・資料を精査し、しっかり審議をする ・本件について異議申し立てをしているのはハッピーサイエンスしかない ・日本人はこの問題をどう認識しているのか?(日本国内の世論への関心も強かった) ◆対談映像――ユネスコ本部での面談はどのような内容だったのか ユネスコ本部での面談はどのような内容だったのか、及川外務局長・武川国際広報局長による対談映像は、党HPの動画サイト「幸福実現党チャンネル」からご覧いただけます。 「幸福実現党チャンネル」【対談映像】その時、ユネスコ本部が動いた! https://www.youtube.com/watch?v=_p855JxGqfc 内閣府・ユネスコ本部に日本国民の声を届けて記憶遺産登録の棄却を実現し、歴史認識問題に終止符を打ちましょう!引き続き、皆様のご協力をお願い申し上げます。 ■中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、日本政府に万全の措置を求める署名 《署名用紙はこちらから》 http://info.hr-party.jp/2014/3159/ 【署名締切】3月24日(火)必着 幸福実現党党本部 〒107-0052 東京都港区赤坂2-10-8 6F TEL:03-6441-0754 戦後70周年――戦後レジームからの脱却の秋(とき) 2015.03.08 文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝彦 ◆ホロコーストとしての「南京大虐殺」 昨年、12月13日、初の国家哀悼日の式典に参列した中国習近平国家主席は「南京大虐殺の事実を否定しようとしても、30万の犠牲者と13億の中国人民、平和と正義を愛する世界の人々が許さない」などと、事件の犠牲者が30万人に上るとの中国側の立場に改めて言及しました。(朝日12/13) また李克強首相は、今月5日開幕した全人代での政府活動報告で、今年が抗日戦争勝利から70年にあたることに触れ、「反ファシズム戦争と抗日戦争勝利の70周年を記念する関連行事を催す」と表明しました。 抗日戦勝記念日の9月3日頃に北京で軍事パレードを実施する見通しです。 この文脈によれば、日本はファシズム国家であり、「南京大虐殺」は、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と同じ歴史的事実であり、これを否定することは、ホロコーストを否定する「歴史修正主義」と同じであり、戦後秩序に対する挑戦、すなわち許されざる大罪であるということになります。 「南京大虐殺」をナチスのホロコースト並みの人道上の罪に仕立て上げ、日本を憲法9条の鎖でしばりあげておくことが、現在の中国の国家戦略であることは明らかであります。(幸福実現党は、南京大虐殺はなかったとする立場です。) これはひとり中国の立場でなく、英米にも見られる立場であると言えます。 ◆海外における皇太子殿下の記者会見報道 本年2月23日の皇太子様の55歳の誕生日に先立ち行われた記者会見において、皇太子さまが戦争の記憶が薄れつつあることに触れ、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べました。 この会見は、海外において以下のように報道されました。 英ガーディアン紙は、「皇太子、日本は第二次世界大戦の歴史を書き改めてはいけないと述べる」と見出しを付け、副題を「皇太子、戦争での日本の行為を正しく記憶することが重要だとの異例の発言。右翼たちが従軍慰安婦の問題を矮小化しようとする中で」としています。 Japanese crown prince says country must not rewrite history of WW2(The Guardian 2/23) http://www.theguardian.com/world/2015/feb/23/japanese-crown-prince-says-country-must-not-rewrite-history-of-ww2 同紙は、特別に反応しなかった日本の新聞を尻目に、ツイッター等ソーシャルメディアで飛び交った反応を紹介し、殿下の穏やかな口調ながら徹底した意思の表明は、従軍慰安婦問題などを重要視しない右翼主義者たちの中心にいる安倍晋三首相への批判とも受け取られた、と伝えているのです。 BBCも同様の文脈で報道し、最近の安倍政権の動きに加え、日本の歴史教科書は、日本の戦争時の残虐行為をごまかしていると長年批判を受けていると報じています。 Japan’s Crown Prince Naruhito urges ‘correct’ war history(BBC NEWS ASIA 2/23) http://www.bbc.com/news/world-asia-31585492 ◆歴史認識包囲網の中で 海外メディアが、特に反応しなかった日本の新聞報道ではなく、日本のネットユーザーによる「安倍首相への警告を含んでいるのではないか」などと反応した論議を積極的に紹介していることは、日本の保守勢力を歴史修正主義者と断罪するための意図が働いているとも思えます。 このように、戦後70年の本年、中国を先頭に、いわゆる連合国史観、つまり東京裁判史観による歴史認識包囲網が敷かれつつあります。 幸福実現党は、普遍的観点から先の大戦における日本の使命を正当に再評価する必要があると考えています。 すなわち西欧列強の人種差別による植民地支配から、アジアの同胞を解放するため、そして自国民を帝国主義から、共産主義勢力から護るための聖戦、自衛戦争であったという戦後一貫して抹殺されてきた観点です。 ゆえに、日本の歴史の再評価は、ホロコーストを否定する歴史修正主義などでは断じてありません。いや、一般市民を殲滅した東京大空襲をはじめ、日本各地の大空襲、そして広島、長崎への原爆投下こそがホロコーストでなくてなんでありましょう。 米国に対しても自国の歴史に対し真摯に向き合い、反省をして頂く必要があると考えます。これは決して日米同盟を否定するものではありません。 真実の歴史認識こそ、世界平和、未来創造への第一歩と信じます。 歴史認識を糺す運動の一貫として、幸福実現党は現在、中国による「『南京大虐殺』『従軍慰安婦』のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し日本政府に万全の措置を求める署名」を行っております。 皆様のご協力をよろしくお願いいたします。(3月24必着) 署名用紙 http://info.hr-party.jp/files/2014/06/MpiuQvKg.pdf 【署名送付先】〒107-0052 東京都港区赤坂2-10-8-6F 幸福実現党本部 TEL:03-6441-0754 自分の国を誇れる健全な愛国心を育む、偉人教育の重要性 2015.03.07 文/幸福実現党 山口県本部副代表 かわい美和子 ◆地元・周南市の名士として慕われる児玉源太郎 私の生まれ育った山口県周南市の偉人に児玉源太郎がおります。市内には児玉神社も祀られており、多く人たちから尊敬を集めております。 今回は、児玉源太郎の偉業を紹介するとともに、偉人を教えることの大切さについてお話しいたします。 児玉源太郎は、嘉永5年(1852年)に、長州藩の支藩であった徳山藩(現:山口県周南市、当初の名称は下松藩)に生まれます。 父と義兄を亡くし、生家が一時断絶する厳しい幼少期を送りました。やがて藩の献功大使として戊辰戦争に参加した後、陸軍に入ります。そして、西南戦争などに従軍し、その頭角を現わしました。 陸軍大学校長の初代校長も務め、ドイツの軍制・戦術の移入を通じて陸軍軍政の近代化も進めました。日清戦争では大本営参謀としても活躍しました。1898年に台湾総督に就任し、後述する多大な功績を台湾に残しました。 1900年に第四次伊藤内閣の陸軍大臣を務め、第一次桂内閣でも、内務大臣や文部大臣を兼任し、政治家としても活躍しました。 1904年に陸軍大将として日露戦争へ出征し、熾烈を極めた旅順攻略を指揮し、当時最強と呼ばれたロシア太平洋艦隊を壊滅に追い込む功績を上げました。 戦争に勝利するだけでなく、これ以上のロシアとの戦争継続は困難と判断し、日露戦争の早期講和も促しました。 日露戦争後に陸軍参謀総長に就任。南満洲鉄道の創立委員長としても活躍しましたが、1906年に脳溢血により54歳の生涯を終えました。 児玉源太郎は、故郷の徳山に「児玉文庫」という私設図書館も設立するなど、若者の教育にも力を注ぎました。 日露戦争へ出征当時、児玉は内務大臣や台湾総督を兼務する重職にありましたが、作戦参謀次長の急逝を受けて、降格人事となることも承知で作戦参謀次長の重責を引き受けます。 その結果、内務大臣を免ぜられることになります。このような、名誉や大臣の地位よりも、軍人として日本の国を守らんとした児玉源太郎の気概、武士道精神は、政治家・軍人の鑑であると言っても過言ではないでしょう。 ◆台湾で、いまも慕われ愛され続けている日本の偉人 台湾に、台湾の自然や政治関係の様々な資料が展示されている国立台湾博物館があります。 かつてこの博物館は、台湾の第四代の総督であった児玉源太郎と民政長官の後藤新平の偉業を称える記念館として建てられたものです。この博物館の三階には二人の像が建っています。 児玉源太郎は、台湾で経済・鉄道・医療などで様々な改革を行い、「児玉神社」ができるほど、台湾の人たちからも慕われていました。日本と台湾の架け橋ともなった人物と言われております。 後藤新平も、鉄道や道路、港湾などのインフラ整備のほかに、アヘン漸禁策を行うなど、台湾のために尽力しました。 ほかにも、第七代台湾総督であった明石元二郎も、台湾電力や華南銀行の設立、教育法の改革などの台湾施策に尽力しました。 参考:日本人が台湾に残した功績 「台湾に残る日本を訪ねて」【ザ・ファクト REPORT#6】 http://www.youtube.com/watch?v=SdkvWRkgNYw ◆新学習指導要領で教えられるべき歴史上の偉人 文部科学省の新学習指導要領では、小学校6年の社会科として人物の働きを通して学習できるように指導することを定めています。 児玉源太郎は、新学習指導要領で教えられるべき歴史上の人物としてその名こそ出てこないものの、その偉業は多くの日本人が知るところです。 児玉源太郎だけでなく、私の生れ育った山口県には、明治維新の偉業を成し遂げた偉人が沢山おられます。このような偉人たちがいたことを、山口県人として、そして日本人として誇りに思っております。 ◆自分の国を誇れる健全な愛国心を育む、偉人教育の重要性 このように大きな歴史の転換点で活躍した偉人、特に日本の繁栄のみならず、周辺国や他国の発展にも貢献した偉人たちを子供たちに教えることは、自分の国を誇れる健全な愛国心を育むためにも重要です。 真の国際人を育むためにも、語学教育だけでなく、自分の国を誇れる健全なアイデンティティーをもった人材教育が重要です。 そのために、いまの歴史教育から自虐史観を廃し、同時に我が国の偉人をしっかりと教えることが重要です。 すべてを表示する « Previous 1 … 10 11 12 13 14 … 30 Next »