Home/ 歴史認識 歴史認識 自虐史観を一掃する「戦後70年談話」署名へのご協力を! 2015.04.24 文/HS政経塾1期卒塾生・逗子市政を考える会代表彦川だいし 日々、幸福実現党の活動への多大なるご支援とご理解を頂き、心より感謝申し上げます。 新たに幸福実現党は、今夏に安倍首相より発表される談話について、東京裁判史観に基づく自虐史観を一掃した「戦後70年談話」の発表を求める運動を4月17日より行っています。 (参考)『「河野・村山談話」の無効を宣言し、自虐史観を一掃する「戦後70年談話」を求める署名』http://info.hr-party.jp/2015/4162/ ◆署名運動の趣旨について 本署名運動の趣旨は大きく二つあります。 一つは、いわゆる「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などの虚構の歴史を「事実」として受け入れてしまった「河野・村山談話」の無効を宣言し、英霊や先人の皆様に着せられた無実の汚名を晴らすこと。 二つ目は、「大東亜戦争は、欧米列強の植民地政策や、当時横行していた人種差別を地上から追放し、アジア・アフリカの人々の人権を守るための、大義ある防衛戦争であった。」という正当な歴史観を打ち立てることです。 「河野・村山談話」に基づく歴史認識の誤りを正し、20世紀の初頭に日本が果たした世界史的偉業を再評価する「戦後70年談話」を安倍首相に発表頂くための署名運動です。 ◆自虐史観を一掃する「戦後70年談話」を発表する意義について この署名運動の理念が盛り込まれた談話が発表される意義も、二つあります。 一つ目は、「中国の侵略的行為を抑止する力になる」ということです。 いわゆる「南京事件・従軍慰安婦」を政府見解で認め続ける限り、中国の軍拡を止めることはできません。「河野・村山談話」が反論の口実に使われ、日本側から腰の入った軍拡批判を行うことができないのです。 しかし、これは裏を返せば「河野・村山談話」、引いてはGHQが刷り込んだ「東京裁判史観」の弊害さえ断ち切れば、中国は日本に反論できなくなってしまう。ということの表れでもあります。 4月初旬には「中国による『南京大虐殺』『従軍慰安婦』のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、日本政府に万全の措置を求める署名」を内閣総理大臣に提出させていただきました。 中国がいわゆる「南京・慰安婦」の記憶遺産登録にやっきになっているのも、「南京・慰安婦」が捏造だったと世界に“バレる”ことを恐れているからに他なりません。日本からの軍拡批判に対して、ウソをついて言い逃れをしていることが分かってしまえば、中国にとって大変な事態です。 日本が中国の軍拡に対して腰の入った批判を行い、侵略を未然に防ぐ力となるためにも、河野・村山談話は撤回されなければならないのです。 二つ目は、「世界平和の実現に貢献できる」ということです。 4月22日~23日までジャカルタで開催されたバンドン会議において、安倍首相は先の大戦に関する「反省」よりも、アジア・アフリカ諸国とのパートナーシップについて多くの言辞を盛り込みました。 一部の国からは後ろ向きの批判もありましたが、1955年のバンドン会議十原則をもとに、多様性と結束を両立した、徳ある発展の追求を訴えた演説について、各国の首脳から大きな期待が寄せられました。 アジア・アフリカの国々は、未来ある言葉、希望あるヴィジョン、責任あるパートナーとしての日本を求めているのです。 「日本は戦前から一貫して、繁栄と調和の中に世界平和を実現するため、努力してきた」という歴史認識を打ち立てることに、大東亜戦争の大義を再評価する談話の意義があります。 ◆「太陽の昇る国」を取り戻す 日本が世界を照らす太陽のように、世界の平和と繁栄に貢献するためには、大東亜戦争の大義に殉じた英霊の皆様に恥じない歴史認識を取り戻さなければなりません。 この『「河野・村山談話」の無効を宣言し、自虐史観を一掃する「戦後70年談話」を求める署名』は、「太陽の昇る国、日本を取り戻す。」そんな意義ある署名運動といっても過言ではありません。 本署名運動に関して、各界の皆様のご賛同を心よりお願い申し上げます。 ■『「河野・村山談話」の無効を宣言し、自虐史観を一掃する「戦後70年談話」を求める署名』 【署名活動期間】 2015年4月17日(金)~2015年7月23日(木) ・第一次締切:5月末日 ・第二次締切:6月末日 ・最終締切 :7月23日〔党本部必着〕 【署名送付先】 〒107-0052 東京都港区赤坂2-10-8-6F 幸福実現党本部 TEL:03-6441-0754 現地報告!――アメリカ人の歴史認識と戦後70年談話に必要なこと【その2】 2015.04.19 幸福実現党・兵庫第12選挙区支部長 和田みな ◆フラトン市民の意識調査 ロサンゼルスの中心部から南東に約40kmのところに位置するフラトン市は、グレンデール市よりも素朴で緑豊かな美しい学術都市です。 フラトン駅から歩いて5分ほどの学校と住宅に囲まれた小さな市立博物館の敷地に従軍慰安婦像が建てられる可能性が出てきたのは昨夏で、その後、在米邦人の方々の反対運動と韓国側の対立が続いています。 このフラトンでも住民の方に駅前で意識調査を行いました。日本でもこれだけ話題に上っているフラトン市の問題なので、多くの方からご意見が聞けるかと思いましたが、私が聞いた方々の中で、まともに「従軍慰安婦」を知っている方は「ゼロ」でした。 また、数人の方は「私はアジア系移民ではないので、その問題には答えない。」と言われました。慰安婦像が建ってしまったグレンデールと、まだ建っていないフラトンの違いを目の当たりにし、改めて慰安婦像が建つことの影響力の大きさを実感しました。 ◆戦後70年談話に必要な「未来志向」の内容 今回の調査中、意見を下さったフラトン市のある男性が次のように教えてくださいました。 「アメリカは多くの民族が暮らす社会。お互いの祖国の批判や意見の違いを超えて、未来の事に対して考え、まとまっていく国だ。」 この話を聞き、アメリカで見た従軍慰安婦像に対する何とも言えない違和感の謎が解けるようでした。 アメリカの方々は決して過去に対して知識がないわけではないと思いますが、思考的に過去にこだわるのではなく、「これからどうするのか」に興味がある方が多いのです。 日本人は、単に相手を批判するのではなく、歴史的問題に対しても自分たちの立場で意見をはっきり述べた上で、未来に対して「どのようなビジョンを持ち、どのように責任を持ち、どのように実行していくのか」という具体的な未来ビジョンを世界に示し、実行していくことが必要であると感じました。 幸福実現党の大川隆法総裁が昨年発表した「大川談話―私案―」は正に、自らの国の見解、未来への強い決意、具体的内容が込められている談話です。安倍首相は今夏、「未来志向の戦後70年の談話をだす」と言っています。 その内容が、聞こえのいいお題目で終わることなく、上記のようなことをしっかりと踏まえて、日本の立場を明確に示し、世界に対して、日本の進むべき具体的な道を示せるだけの決意と内容が込められたものになることを切に願います。 次回、アメリカ現地報告【その3】では、現地に暮らされている日本人の皆さんの生の声をお伝えします。 ■参考「大川談話―私案―」 村山談話・河野談話は遡って無効である http://special.hr-party.jp/policy2013/okawa-danwa/ わが国は、かつて「河野談話」(一九九三年)「村山談話」(一九九五年)を日本国政府の見解として発表したが、これは歴史的事実として証拠のない風評を公式見解としたものである。 その結果、先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、由々しき罪悪感と戦後に生きたわが国、国民に対して、いわれなき自虐史観を押しつけ、この国の歴史認識を大きく誤らせたことを、政府としてここに公式に反省する。 先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたものである。 政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を解放するための聖戦として、日本の神々の熱き思いの一部を実現せしものと考える。 日本は今後、いかなる国であれ、不当な侵略主義により、他国を侵略・植民地化させないための平和と正義の守護神となることをここに誓う。 国防軍を創設して、ひとり自国の平和のみならず、世界の恒久平和のために尽くすことを希望する。なお、本談話により、先の「河野談話」「村山談話」は、遡って無効であることを宣言する。 平成二十五年 八月十五日 現地報告!――アメリカ人の歴史認識と戦後70年談話に必要なこと【その1】 2015.04.18 現地報告!――アメリカ人の歴史認識と戦後70年談話に必要なこと【その1】 幸福実現党・兵庫第12選挙区支部長 和田みな ◆ロサンゼルスでの現地調査 アメリカに暮らす日本人が、「従軍慰安婦」の影響で深刻ないじめに合っているということが最近明らかになりました。(『正論3月号』髙橋史朗氏の報告参照) その調査報告を受けて、私もカリフォルニア州のロサンゼルス近郊へ現地調査に行かせていただきました。 アメリカ第2位の大都市であるロサンゼルス近郊には、全米で最も多い9.7万人以上の日本人が暮らし、600以上の日系企業の拠点もあります。 今回の調査目的は主に以下の2つです。 (1) 従軍慰安婦の像が建っている町(もしくは建つ可能性のある町)の住民の方々がどのような認識を持っているのか。(本稿 調査報告・その1、その2) (2) 現地で暮らす日本人の方々が、どのような「いじめ」や「差別」に受け、この問題をどのように感じているのか。(調査報告・その3にて) 本稿では、現地住民の皆さんの認識と、そこから見えてきたこれからの日本に必要なものをまとめました。 ◆グレンデール市の少女の慰安婦像 グレンデール市はロサンゼルスのダウンタウンから北へ約15kmに位置する郊外の静かで美しい街です。ここに少女の慰安婦像が建立されたのは2013年7月で、アメリカ西海岸では最初の建立でした。 慰安婦像が建っている公園は、市の中心部や商業施設、図書館、高齢者施設などに隣接する場所で、朝はヨガや体操、お昼にはランチ、夕方には散歩をする方々で賑わう美しい公園になっています。 この少女の慰安婦像は、悲しい顔をしてイスに座る少女として有名です。 その横の碑文には、歴史的事実とは異なる「アジア各国の20万人以上の女性を、旧日本軍が強制連行をし、性奴隷にしたこと」が切々と書かれ、最後には、「日本政府にこの犯罪を受け入れ責任を取ること」を促す内容となっています。 ◆グレンデール市民の意識調査 私はこの慰安婦像の建つ公園に隣接している市立図書館の前で慰安婦に対する意識調査アンケートを試みました。アンケートに答えていただいた方の半数以上が「従軍慰安婦」のことをご存じで、何らかの意見をお持ちでした。 その内容は、「20万人以上の女性か日本政府によって強制連行された。」「日本政府は反省と謝罪をすべきだ。」「とにかく日本政府が悪い。」「女性の人権問題だ。」といったステレオタイプの意見ばかりで、これらの意見は全て碑文に記されているそのままの内容でした。 私はある方に「では、日本政府は何をしたらよいですか?安倍さんは何をすべきでしょうか?」と質問しました。するとその方は「安倍って誰だ?」と言われたのです。 その後も、何人かご意見をお持ちの方に同じ質問をしてみました。すると誰も安倍首相の事を知る方はおられませんでした。それでもみなさん「日本政府が悪い。謝罪しろ。」と口を揃えて言われていました。 このことは、住民の皆さんは、もともと日本政府や従軍慰安婦に詳しいわけではなく、碑文の文言のままに「洗脳」されてしまっていることを物語っています。 私が出会った全ての方が「従軍慰安婦は事実として『あった』と思いますか?」という質問に対して、「Yes」と答えられました。残念ながら、多くの日本人が行っている「誤解」を解く活動はまだまだ伝わっていません。 慰安婦像ができて、まだ2年も経っていないこの町で、このような認識が広がっていること、これが10年、20年、70年と経ったときのことを考え、全米に慰安婦像が建てられることの恐ろしさを改めて感じるとともに、日本政府による対応が早急に必要であると感じました。 次回、ロサンゼルスの中心部から南東に約40kmのところに位置するフラトン市でも意識調査を行いましので、その様子については次回紹介致します。 日本人としての誇りを取り戻し、世界を牽引する使命を果たせ! 2015.04.16 文/幸福実現党岩手県本部副代表 石川幹子 ◆天皇皇后両陛下、パラオ慰霊のご訪問 戦後70年の節目に天皇皇后両陛下は、去る4月8日から9日にかけて、戦争により亡くなられた人々を慰霊し、平和を祈念されるため,パラオ共和国を御訪問になられました。 両殿下は、パラオ政府主催の晩餐会に出席し答辞を以下のように述べられています。 「私ども先の戦争で亡くなった全ての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。」 9日には、天皇陛下と日本全国から遺族関係者がパラオ諸島に集まり日本兵、そして敵国であったアメリカ軍人の慰霊祭が開催されました。 ペリリュー島の戦いは、日本人でも最近まで知られていませんでしたが、この度の天皇皇后両陛下のパラオご訪問でにわかに話題となりました。 それ先立ってぺリリュー島での「日米最強決戦の真実」を探るべく「パラオ諸島ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐の霊言」が発刊されています。 【参考】 『パラオ諸島ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐の霊言』 大川隆法著/幸福の科学出版 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435 中川州男大佐は、「サクラ・サクラ・サクラ」の通信を最後に、総突撃をしたと伝えられていますが、当時どんな思いで戦われていたのか、もし聞くことが可能なら聞いてみたいと思うでしょう。 その霊言によれば、中川大佐は大変立派な方であり、軍神として我々にこれからの日本の進むべき方向性まで指し示されています。 ◆今、日本が抱えている歴史問題 南京大虐殺事件と従軍慰安婦問題がありますが、世界大戦がどういう志のもと戦ったかを検証してみる必要があると思います。中川大佐の霊言の言葉として「人は愛のために戦うのであって憎しみで戦えない」と言われています。 日本の軍隊は、家族、日本国そして、アジアの植民地解放のために命を懸けて戦いました。パラオは欧米列強の植民地となり、1885年以降スペインから過酷な搾取を受けた後、ドイツへ売却されました。 しかし1920年に国際連盟から委託され、日本が統治してからは、インフラが整備され教育も充実、経済も発展しパラオの人々には、日本人が慕われるようになりました。 大戦の時には、日本兵と共に戦いたいと中川州男大佐に申し入れましたが、「我々日本軍人はお前ら土人と戦えないからこの島を出ていけと怒鳴り島民を非難させました。 島民全員が沖に出た時、日本の兵隊が手を振り日本の歌を歌い見送りました。 それで、パラオの人々は日本軍の心を知り涙を流しました。日本軍は島民を避難せたことで一人も死なせることはありませんでした。日本軍を悪くいう歴史観が、いかにウソで塗り固められたつくり話であるか判ると思います。 私たちは、過去から現在をよく学び日本の自虐史観を払拭して行かなければなりません。むしろ唯物論の国に勝利するには、己を知り敵を知ることが大切です。 ◆日本の誇りを取り戻す 我々の存在の原点を知り、ここから新しい明治維新が世界規模で展開されて行くのです。 まず戦いに勝つためには世界の最高の国防技術の確立、現在「心神」ステルス戦闘機が開発されています。 それに加え国防の範囲内でレーザー銃やプラズマ砲などの開発や、原子力を再開させ何時でも核兵器を製造する体制をつくり、中国を牽制するため抑止力を高めておかなければなりません。 それから唯物論や無神論を打ち砕くために、正しい情報を世界に発信していく事が必要です。 ◆神の軍隊としての使命 祖国防衛、アジア諸国の植民地解放、そして天皇陛下のため、日本神道の神々の意志を引き継いでいたからこそ命を掛けて戦えたのです。このことにより、西欧による植民地からアジアの諸国は戦後独立することができ現在の平和があります。 日本の戦前戦後の正しい歴史を学び、いかに日本の先祖の方が正しかったかを認識し子孫である我々は、意志を受け継ぎ日本、アジア、世界を牽引する使命を果たさなければなりません。 幸福実現党は、「国粋主義」か?(前編) 2015.04.11 文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩 ◆幸福実現党にかかってきた電話 幸福実現党は、戦後70年を迎え、戦後の「歴史観」を問う大々的な啓蒙活動を展開しています。 先日、ポストに投函された下記の幸福実現ニュース(レギュラー版) を見た方から政党に電話がかかってきました。 【幸福実現ニュース(レギュラー版) 第67号】 日本の誇りを取り戻せ「ぺリリュー島の戦い」の真実 http://info.hr-party.jp/newspaper/2015/4090/ 電話を掛けてこられた方は、次ように私に言いました。 「幸福実現党は、国粋主義的な危険な思想をもっていますね。」 辞書(三省堂)を引くと「国粋主義(こくすいしゅぎ)」とは、「自国民および自国の文化・伝統を他国より優れたものとして,排外的にそれを守り広げようとする考え方」だそうです。 「国粋主義」は、「軍国主義」にも共通するイメージがあるかもしれません。電話を掛けてきた方の考えは、戦後の日本人の一般的な意識ではないでしょうか。 「戦争を美化することは、軍国主義、戦争につながる怖い洗脳だ」という思いは、戦後生まれの者にとっては、少なからず心のどこかに持っています。 ◆洗脳された戦後の日本人 実は占領政策によって「戦争を美化したら軍国主義が復活する」と思いこまされています。占領軍は、二度と日本が立ち上がれないようにするために「日本軍=悪」の洗脳を行ったのです。 ですから、日本人は「戦前が軍国主義で、その洗脳から米国が解いてくれた」と思っていますが、実は逆で「米国から日本は軍国主義で悪い国」という洗脳を掛けられたのです。 歴史観の問題は、自分が納得いかなければ、他人も説得できないものです。私は、その方の占領政策の洗脳をどれだけ解けるか挑戦してみることにしました。 「日本の上層部には、ミッドウエーで敗けた時など戦争を止める機会は何度かあったのに、戦争をやめずにペリリュー島もそうだけれども、みんな犬死させられたんです。」 「戦争をやめる機会は確かにありましたね。それは、現代に生きていている我々は過去の歴史の結末を知っているから簡単に言えることです!でも当時生きている人は必死でしたし、どんな思いで戦っていたかが大事ではないですか!」 と、強い口調で私は言ってしまいました。私は続けました。 「日本が戦争をしたくなくても戦争を仕掛けてくる国があったらどうするんですか?自分の家族が強姦に襲われそうになったら守ろうと思いませんか?」 「よくそういう言い方で、戦争を美化する人がいますね。それが怖いんですよ。人殺しは絶対にやってはいけないことです。」 意見は平行線で、相手に「意識のバリア」のようなものを感じました。 「幸福実現党は、戦争は反対です。しかし中国が戦争をすでに考えており習近平は軍に戦争の準備をしろと言っているのは、知っていますか?」 「知っていますよ。でも中国人は仕事でも付き合いがありますが、いい人たちですよ。」 「個人はいい人であることは分かっています。しかし中国の国家の意思は違うんです。習近平は戦争を考えているんです。」 (注) 習近平は、甘粛省・蘭州軍区を視察の際に、「部隊は『招集されれば直ちに駆け付け、駆け付ければ戦争できる状態にし、戦えば必ず勝利する』よう確保しろ」と指示。 (2013年2月7日『解放軍報』) 「昨年、中国船が小笠原諸島まできてサンゴを取りに来ましたが、小笠原の漁民の方は、恐くて漁にも出られず被害も受けているんです。困っている漁民の皆さんをどうやって守りますか?」 「小笠原だけではなく、数年ほど前から五島列島でも200隻もの中国船が、台風を避けるという名目で漁港に避難しています。中国漁船はただの漁船ではなく、軍隊の訓練を受けた海上民兵です。島民は不安を感じていますが、ある日突然、宣戦布告もなし五島列島が占領されていたということだってあり得る話です。それにどう対応するんすか?」 「その時は、自衛隊を出せばいいじゃないですか。」 「いまは自衛隊ではなく海上保安庁が対応しています。自衛隊をすぐに出したら中国の思うツボです。中国は、こう言うでしょう。…日本は中国の漁民に対して自衛隊(軍隊)を出してきた。だから中国は漁民を守るため海軍で対抗すると。そこから戦争になります。」 「そうしたグレーゾーンの部分の法的整備が日本はまったく進んでいません。集団的自衛権の議論で出てきてはいますが、グレーゾーンの部分の法的整備がしっかりできていれば、中国は簡単に日本に手を出せなくなります。これが抑止力であり戦争を避ける道です。」 ここまで話してきて、やっと「国を守ること、国民を守ること」の意味が少し伝わった気がします。 相手の方が「そうした準備が日本政府は全く出来ていませんね」と言い始め、このあと「歴史観」の話でも思わぬ展開になりました。 最後は、「政党の名前のように幸福実現のため頑張ってください」との言葉を頂いて受話器を置いたのですが、この続きは、また明日に致します。 日本統治時代の功績を知れば、正しい歴史が見えてくる 2015.04.07 文/幸福実現党・兵庫県本部副代表 みなと 侑子 ◆天皇皇后両陛下、ペリリュー島にご訪問 天皇皇后両陛下は、本日からパラオ共和国に1泊2日でご訪問されます。 ペリリュー島では、日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」と、米陸軍の慰霊碑にそれぞれ献花されるご予定があり、先の大戦で散っていった兵士たちの魂の慰霊を行われます。 両陛下のご訪問に先立ち、幸福実現党党首 釈量子もペリリュー島を訪問いたしました。 戦車がそのまま放置されており、砲弾の跡がまだ残っている現地を見、現地の方の声を聞いた釈党首。「先の大戦で亡くなられた日本兵は、無駄死ではなかった」と確信できる内容になっています。 THE FACT 天皇陛下のパラオ慰霊に寄せて 大東亜戦争「ペリリューの戦い」を知る 天皇陛下のパラオ慰霊に寄せて 大東亜戦争「ペリリューの戦い」を知る ◆ひどかった白人統治時代 1919年、パラオは国際連盟の委託によりドイツの植民地から日本の委任統治領となりました。 日本の委任統治前、パラオ諸島はスペイン、次いでドイツの植民地でありました。 1885年から1899年までの14年間のスペイン統治の時代、パラオの先住民の人口は、元の1割に減ってしまいました。短い期間に、先住民の9割の命が奪われたのです。 植民地政策がどのようなものであったか、想像に難くありません。 スペインはもちろんドイツ時代においても、植民地からは搾取を行うのみで、教育やインフラ整備、産業育成などは行いませんでした。 ◆能力が花開いた日本統治時代 しかし日本は違いました。 パラオに南洋庁を設置し、学校・病院・道路・橋の建設などのインフラ整備、稲作・野菜・果実の栽培を教えました。 すべてのパラオ住民に、無料で数種類の予防接種も受けさせました。 また教育にも大変力を入れました。 パラオの人々は優秀だったようで、教育を行った結果、小学校1年生で九九の暗誦ができたそうです。 また、日本が統治した国々の代表を集めての算数の学力大会を行ったときには、パラオの小学生が優勝したのです。日本人の教育熱心さに驚かされます。 当時、パラオには書くための文字がありませんでした。そのため、小学校では日本語で教育を行いました。 先ほど紹介しました映像の中で、インタビューに答えてくださる90代のお二人がたいへん流暢な日本語を話されております。その理由は、彼らが小学生時代に学んだパラオの教科書にあるようです。 パラオ南洋庁の国語教科書編集書記を務めたのは、文学者である中島敦氏でした。 東京帝国大学国文科を卒業し、数多い文学作品を残した中島氏が教科書作りに関わったことで、パラオの方々は美しい日本語を知ることができたのではないでしょうか。 日本はパラオにも優秀な人材を送り込み、その発展を助けました。 ◆日本人こそが自国の歴史を正しく学ばなければならない パラオ統治は、台湾・朝鮮の統治を倣って行われました。両国に対して日本が残した遺産は、精神的・物理的に書ききれないほどの多さです。 しかし、韓国だけでなく、台湾においてもその事実は国民に十分には知らされていません。そして日本人自身が事実を知らず、自国を恥じてきた状態でした。 しかし、時は流れ、真実は明らかとなりつつあります。 このたびの両陛下のパラオご訪問をきっかけに、両国の友好はもちろんのこと、正しい歴史と日本の功績を私たちも学ばせていただきたいと思います。 日米で語り継がれる「硫黄島の戦い」 2015.03.30 文/幸福実現党・政務調査会チーフ 小鮒将人 ◆硫黄島で今年も行われた日米合同慰霊祭 平成27年3月21日、硫黄島で日米合同の戦没者慰霊祭が開催されました。 今年は、日本政府から塩崎厚労大臣、中谷防衛大臣が出席し、戦後70周年という節目の年にあたり、初めて現役閣僚が出席しました。 硫黄島の戦いは、大東亜戦争でも最も激しい戦いの一つとして有名です。 しかし現在、この慰霊祭がきっかけとなり、日米双方の元兵士が、お互いの友情を確かめる光景が展開されています。命を懸けて戦い抜いたものだけに分かる、何らかの絆が生まれたものだと思わずにはいられません。 ◆栗林忠道中将の英断 昭和19年7月、太平洋の要衝、サイパン島が米軍の占領下に入り、B29による東京への空襲が可能となりました。 サイパンと東京の中間点に所在する硫黄島は、米爆撃機の動きを東京に逐一報告することができ、しかも島内には飛行場があり迎撃を行う事も可能で、首都を防衛する意味でも重要な軍事拠点となりました。 そこで、硫黄島が次の戦いの場所になる事が予想され、日本側でも準備が進められました。この時に硫黄島の司令官に任命されたのが、栗林忠道(くりばやし ただみち)陸軍中将です。 栗林中将は、サイパン島での失敗の原因、そしてパラオ諸島ペリリュー島で米軍に大打撃を与えた戦法を研究し、日本軍として徹底的な持久戦・ゲリラ戦を戦い抜くことを決意しました。そして、早速島内の洞窟を掘り進み、島全体を地下要塞化する事に着手しました。 ところが、当時は、海岸への上陸の際に相手を食い止める作戦(水際作戦)が有効だと信じられており、部下の参謀長・大隊長が大反対。さらに、海軍も飛行場を取られることになり大反対となりました。 しかし栗林中将は、自らの信念に基づき、持久戦を行う決意を変えませんでした。 最終的に、東京の大本営も栗林中将の意見を取り入れることになりましたが、四面楚歌のごとき場面においても、決してその信念を崩さなかったという意味で、栗林中将は、後に大いに賞賛される事となりました。 ◆「硫黄島の戦い」に全世界が注目した理由 さて、攻撃側である米軍の予想では、5日間程度で硫黄島占領が可能との予想を立てておりました。しかし、栗林中将の作戦と、日本軍兵士たちの忍耐力によって、その予想は、覆される事になりました。 米軍の総力を挙げての75日間にわたる爆撃のあと、満を持して上陸を行った米軍海兵隊は、日本軍の徹底したゲリラ戦に大打撃を受けます。 上陸作戦の初日(昭和20年2月19日)、日本軍が米軍に対して与えた損害は、戦死501名、戦傷死47名、負傷1,755名となり、大きな衝撃を与えました。 この硫黄島の戦いは、米国民にとってもよく知られる戦いとなり、昭和20年に入ると、欧州戦線での連合国側の勝利がほぼ確定、マスコミ各社が硫黄島に集まり、各紙の一面には、連日この戦いの帰趨が掲載される事となったのです。 この戦いを通じて、日本軍の指揮官である「Kuribayashi」の名前は、全米に知れ渡たる事になりました。 ◆米国人魂の象徴となった「硫黄島の星条旗」 しかし米国民の間では、歩みを進め続ける米軍の青年たちの姿に大きな賞賛を博すことになります。その象徴となった写真が「硫黄島の星条旗」です。 上陸作戦4日後の昭和20年2月23日、米海兵隊は、硫黄島の拠点である「すり鉢山」の占領に成功し、標高の最も高い地点を確保した事で、星条旗を掲げる時に撮影したものです。 この写真は、激戦を戦う米国兵の勇気を象徴したものとして、現代にまで語り継がれており、映画「父親たちの星条旗」も有名です。 この画像は「米国人の勇気」「愛国心」を示す象徴的な写真として残り続け、さらに現在は記念碑として、米国アーリントン墓地に設置されています。 アーリントン墓地は、国立の戦没者慰霊の施設であり、いわば日本の靖国神社にあたる施設です。米国大統領はここへ定期的に参拝を行い、慰霊を行っています。 私は、この記念碑について、大統領が定期的に参拝することで、米国人の誇りを高め、使命感を持って国益を追求し、国家の繁栄を形成する要因になった事と確信するものです。 ◆首相の靖国参拝を実現し「日本の誇り」を取り戻そう 栗林中将を中心に、海兵隊を相手に大健闘をした日本軍も物量作戦の前に徐々に包囲網が狭められ、日本軍司令部は3月26日、最後の大規模な突入を行い、その組織的な抵抗が終了しました。栗林中将自身もこの突入の際、戦没したと言われています。 硫黄島の戦いに関して、日米双方で犠牲になった将兵に対し、米国では賞賛の声が止むことがありません。 しかし、日本国内で「硫黄島の戦い」と言っても、国家のために命を投げ出して戦った当時の若者たちに対して、その行為に対して、敬意が払われる事も少ないようです。 我が国は、「植民地の解放」の大義の下、多くの若者たちが命を捨てて、祖国のために戦いました。 日本では、国家のために戦った兵士の魂は靖国神社に還ると言われています。硫黄島で戦った兵士たちも、自分の死が無駄ではない、と信じてその命を投げ出したのです。 少なくとも、現代の日本において、総理大臣が靖国に参拝し、英霊に対して敬意を表し、慰霊を行うことは当たりまえなのではないでしょうか。 今年は、戦後70年という節目の年になります。政府においては、ぜひ、安倍総理の靖国参拝を実現し、日本の誇りを取り戻す大切な一年となる事を強く願うものです。 日本が果たすべき「ワールド・ジャスティス」への使命―「イスラム圏」編(1) 2015.03.27 文/幸福実現党・茨城県本部副代表 中村幸樹(なかむら・こうき) ◆世界的正義 日本が使命として担うべき「ワールド・ジャスティス(世界的正義)」として、以下の3点があります。 (1)白人優位主義による帝国主義的植民地支配に対する歴史の修正。 (2)共産主義運動という名の唯物論思想による「神仏の封じ込め作戦」への戦い。 (3)イスラム圏の改革。 (1)~(3)は連動しています。 白人の植民地支配への反省を促し、大東亜戦争の日本の正義を国際常識とすれば、巨大共産主義先軍国家である中国の野望を阻止する力(三戦「世論戦、心理戦、法律戦」への対処力)となり、イスラム圏と対するユダヤ・キリスト教圏への説得力、調停力につながるからです。 今回は、最近注目度の高い「イスラム圏」に焦点を当てて、論じたいと思います。テロ行為や卑劣な殺人は、許しがたい暴挙であり、再発防止の措置は大切です。 しかし、日本と世界の政治家やマスコミ、知識人の大半は、イスラム圏の問題に対し、「ワールド・ジャスティス」を冷静に分析、判断できない状態にあります。 歴史的、民族・人種的、宗教的視野からの智慧が不足しているからです。 根本的な解決には、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教間の確執を超克しなければならず、「寛容」と「許し」を伴う3つの精神的叡智を、政治的叡智として取り入れる必要があると考えます。 ◆武士道精神、騎士道精神 日本の武士道精神は、大義の下、己を律し、敵に対しても慈悲の心、礼の心を貫くため、日露戦争の名将、東郷平八郎や乃木希典などが諸外国で絶賛されました。 大東亜戦争においても、迫害されたユダヤ人を真っ先に保護したり、本気でアジアの同胞を解放する等、世界一人道的で規律正しくあったというのが事実です。 西洋でも騎士道精神が生まれました。 しかし、カトリック・プロテスタント間の宗教対立でその伝統が見失われ、1618年からドイツを中心に繰り広げられた30年戦争では、お互いに相手を悪魔と捉えて徹底的に戦い、甚大な被害と荒廃をもたらしました。 その反省から、1648年に締結された「ウエストファリア条約」では、かつて封建時代の中で発達していた騎士道精神が見直され、相手を辱めるようなことはせず、お互いの宗教を認め、相手の国の宗教には口を挟まないという国際的な取り決めがなされました。 武士道精神も騎士道精神も、関係国が全てその認識を持っていれば有効ですが、ヒトラーのような独裁者が出現した場合や、騎士道の文化を継承しなかった国(米ソ中等)には効果がない、という教訓もあります。 しかし、日本軍が武士道精神で、民間人へのテロや虐殺を決してしなかった事実や、イスラムの英雄サラディンが騎士道精神を貫き、キリスト教圏からも評価された等の教訓は、テロ撲滅や相互の融和に、プラスに作用するはずです。 ◆日本の「和」の精神 聖徳太子「十七条憲法」の第一条には、「和を以って貴(とうと)しと為し、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。」とあります。 大きく和する、大調和の精神は、仏教伝来の折にも発揮され、仏教の優れた教えは採り入れつつ、古来からの神道も引き継ぐという、共存共栄や融合の伝統を生み出しました。 そして、儒教やキリスト教、その他の思想や文化に対しても、寛容に取り込んでいく歴史を培ってきました。 「和」の精神は、異なる宗教や文化を調和させ、争いを緩和し、抑止する力がありますので、世界の紛争解決にも効果を期待できます。 以上、日本の「和」の精神について述べましたが、次回、もっと踏み込んで、世界の紛争を解決するために必要な「ワールド・ジャスティス」について述べて参ります。 サクラ、サクラ、咲く――ぺリリュー島 2015.03.23 文/HS政経塾3期卒塾生 幸福実現党・新潟県本部副代表 横井もとゆき ◆沈没船に結びつけられた中国国旗 21日にショッキングなニュースが配信されました。 天皇、皇后両陛下が来月、慰霊のため訪れるパラオで、海中に沈む旧日本海軍の給油艦「石廊」の船尾付近に中国国旗が結び付けられているのを、21日に取材で潜った共同通信記者が見つけたというものです。(2015/03/21 共同通信) パラオには戦跡を保存する法律があり、その場から戦跡を持ち去ったり、手を加えたりすることは禁止されているはずです。 中国国旗は幅約1メートル。船尾の砲座を囲む柵の支柱だったとみられる場所に、針金と白い結束バンドで取り付けられていたことから、計画的かつ悪質な行為とみて取れます。 ◆旧日本軍艦から海中の中国国旗消える パラオ政府の対応は迅速なものでした。23日の共同通信社の報道によれば、現場から旗がなくなっているのを共同通信記者が確認したとのことでした。 パラオ政府によると、報道に接したレメンゲサウ大統領は「非常に失望していた」といい、法相を兼務するベルズ副大統領が23日午前、司法省に撤去を命じたとのことです。 パラオ当局が撤去したのか、それ以前に旗がなくなっていたのかは不明。誰が旗を結び付けたのかも分かっていないとのことですが、ひとまず胸をなでおろすことができました。 来月の天皇、皇后両陛下が慰霊に訪れらえる際には、パラオが大切にしてきた歴史の、ありのままの姿を慰めていただけるよう、再発防止に尽くしていただきたいと思います。 ◆現地人と協和しつくりあげた大東亜共栄圏 パラオの植民地の歴史は、1885年にスペイン、続いて1899年にはドイツの植民地となり、第一次世界大戦で1914年日本軍がドイツ軍を降伏させ、1920年戦後処理をするパリ講和会議で国際連盟から日本の委任統治が認められました。 ペリリュー島は、日本にとって、フィリピン防衛の要のとされ、東洋最大といわれる飛行場を建設しているところでもありました。 日本軍は統治した国の人々を決して奴隷のように扱ったりはしませんでした。学校、病院の建設や、インフラ整備、マグロ缶詰工場や農場をつくり、現地の人に技術を教え、雇用を創出しました。 同時に日本語による教育も開始されましたが、現地の児童や教師の負担を考え、実習科目を減らす配慮もするほど、現地の人々を家族のように大切にしました。 ◆誤解され伝わる「八紘一宇」の思想 当時の日本は、天皇陛下という徳ある為政者の下に、さらに天照大御神の下に、四海同胞は平和でなければならないという、平和繁栄思想に基づいて東アジアの周辺国を統治してゆく環太平洋思想がありました。 その思想の中には、当時の植民地支配を是としていた欧米的な略奪や、相当な負担を現地に負わせることを永遠に肯定するような思想は入っていませんでした。 島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているので、大人も子供も、日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。 しかし日本軍としては、住民を巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間に、住民全員をパラオ本島に避難させました。 本島までは約50km。日本軍人らは「貴様らとは一緒には戦えない」と言い捨てて島民を送り出してはいますが、相当の神経を使い住民を安全に本島まで運んだことがうかがえます。きつい言葉での別れの真意は、島民にしっかり伝わっていました。 「八紘一宇」は侵略の大義名分として伝えられていますが、この言葉の下に当時の日本人が外国で何を行ったのかを知り、現代に生きる日本人として、この言葉の真意をもう一度考え直す必要があります。 ◆愛するがゆえ戦い、散る ニミッツ提督は、ぺリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40パーセント)を甘受しなければならなかった。(「ニミッツの太平洋海戦史」チェスター・W・ニミッツ著)と伝えています。 当時の日本軍人の勇気の源は、「南方を攻め取られたら、日本は空襲に遭い、家族たちは火の海の中で焼かれ、死んでいく。何とかして、われわれが食い止めねばならん」という決死の覚悟と家族への愛でした。 日本軍は米軍の前に玉砕しましたが、帰島した島民は、日本人の遺体を見て泣き、遺体を葬り、墓を維持しました。 1982年には、地元の協力を得て、ペリリュー神社が建立されています。そこにある石碑にはニミッツ提督の詩が刻まれています。 「諸国から訪ねる旅人たちよ、この島を守るために日本人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」 そして1981年パラオ共和国が誕生したとき、日本軍人ペリリュー島守備隊を讃える歌が島民によってつくられました。8番まであるこの歌の6番と8番をお伝えします。 六 平和と自由の尊さを 身を鴻(こな)にしてこの島に 教えて散りし桜花 今では平和が甦る 八 戦友遺族の皆さまに 永遠(いついつ)までもかわりなく 必ず我等は待ち望む 桜とともに皆様を 【参考】 パラオ諸島ペリリュー島 守備隊長 中川州男大佐の霊言―― 隠された“日米最強決戦”の真実 大川隆法 著/幸福の科学出版 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435 「パラオ共和国に今でも残る『大和魂』2014.10.12」 http://hrp-newsfile.jp/2014/1761/ 今、あらためて『八紘一宇』を問う 2015.03.22 文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝 彦 ◆三原じゅん子氏の「八紘一宇」発言 3月16日の参院予算委員会にて、自民党三原じゅん子参議院議員が多国籍企業の租税回避問題に関する質問で、「八紘一宇(はっこういちう)」の言葉の意味を紹介した事に関し、その後賛否両論、大きな反響がありました。朝日新聞は、即日以下のように報じました。 自民党の三原じゅん子参議院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。(朝日デジタル3/16) 八紘一宇とは「先の大戦で、日本の侵略を正当化するための標語」だったと説明しています。その後のマスコミ報道、言論人の論評を見ても、「侵略の正当化」が標準的解釈(ステレオタイプ)となっています。 大反響に対して、三原議員は、自身のブログで真意はこうであったと説明しています。 「この言葉が、戦前の日本で、他国への侵略を正当化する原理やスローガンとして使われたという歴史は理解しています。」と前置きし、日本書紀の神武天皇即位の際の「橿原建都の詔」を引用し、八紘一宇の語源を紹介しています。 「八紘(あめのした)を掩(おお)いて 宇(いえ)と為(せ)んこと 亦可(またよ)からずや」 「人類は みな同胞であり、天下を一つの家のようにする」簡単に言えば、みんなで仲良くし、ともに発展していくことが神武天皇建国の理想であった、この和の精神を知ってほしかったと三原議員は述べています。 しかし、三原議員も八紘一宇が、日本の侵略を正当化するための言葉であったと理解しているとステレオタイプを披露しています。 幸福実現党は、八紘一宇という言葉は、太平洋戦争すなわち大東亜戦争においても神武天皇建国の理想を体現する言葉として使われていたと考えます。 ◆「八紘一宇」の意味は「人類愛」「アジアの安全保障」だった 幸福実現党大川隆法総裁が私案として平成25年8月15日に発表した「大川談話」(安倍総理参考)により、八紘一宇は具体的にはアジア植民地の解放を意味していると考えます。 『先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたもので ある。政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を解放するための聖戦として、日本の神々の熱き思いの一部を実現せしものと考える。』(大川談話より一部抜粋) 八紘一宇は戦時中、近衛文麿内閣の下で掲げられましたが、その背景には、欧米の人種差別や植民地主義により、アジア諸国が大きな苦痛を受けていた歴史的背景がありました。 日本はアジアの共存・共栄を目指す「大東亜共栄圏」を形成し、欧米の植民地支配を終わらせようとしていたのです。 日本が1919年の国際連盟のパリ会議で、世界で初めて、国際会議の場で人種差別の撤廃を掲げたことも忘れてはならない歴史的事実です。(三原じゅん子議員の発言は問題? 「八紘一宇」は正真正銘の人類愛 The Liberty web 3/18参照 http://the-liberty.com/article.php?item_id=9338) 三原議員が、ある意味でタブーであった「八紘一宇の肯定」を国会の場で行ったことには敬意を表したいと思います。 幸福実現党も、日本がアジアの植民地を解放したという戦後一貫して封印されてきた歴史観に光を当て、日本の誇りを取り戻す運動をさらに展開してまいりたいと思います。 ◆大きな政府を志向する自民党への警鐘 ただ、大きな政府を志向する自民党が、そして福祉に対して特別思い入れのある三原議員が、「八紘一宇」を語る時、「国民は皆家族。消費税30%にしてでも国民は耐え忍んで、支えあっていこう!」というスローガンに変わるとすれば、幸福実現党は異を唱えることになると思います。 3月16日の同じ質問で、三原議員は、東日本大震災クラスの1000年前におきた貞観地震に話が及び、当時の清和天皇の業績を讃えました。国民の父として慈悲心溢れる対応をしたというのです。 であるならば、税制に関しては、かまどの煙の故事で有名な仁徳天皇に習って、国民が苦しんでいるときは減税をする、減税による苦しみの軽減も慈悲であることを忘れないでほしいと思います。 大きな政府を志向する自民党は、基本的に増税に向かいます。人類皆兄弟「八紘一宇」が、増税の合理化に使われてはなりません。 「八紘一宇」は、国民負担の原理に使ってはなりません。為政者が、徳ある存在(国父)として精進する原理として使って頂きたいと思います。 すべてを表示する « Previous 1 … 9 10 11 12 13 … 30 Next »