Home/ 小島 一郎 小島 一郎 執筆者:小島 一郎 幹事長代理 日本の実験棟「きぼう」ブラックホールに星が吸い込まれる瞬間を初めて観測 2011.08.29 国際宇宙ステーションに設置されている日本の実験棟「きぼう」の観測装置が、地球から39億光年離れたブラックホールに星が吸い込まれる瞬間を世界で初めて観測しました。快挙です! 国際宇宙ステーションの日本の実験棟「きぼう」には、様々な天体から出されるエックス線を観測する装置が搭載されていて、今年3月28日、地球から39億光年離れた銀河の中心にある、ふだんは暗い天体から強いエックス線が出ている画像の撮影に成功しました。 同じ現象はNASAの観測衛星でも捉えられ、双方の観測結果を日本とNASAの研究チームが共同で解析した結果、この強いエックス線の画像はブラックホールに星が吸い込まれた瞬間を捉えたものであることが分かりました。 ブラックホールは太陽の100万倍以上の重さがあるため、重力が大きく、近くに来た星を吸い込んでしまいます。(下の映像は、ブラックホールに太陽と同じくらいの恒星が吸い込まれる瞬間をシミュレーションしたもの) NASAと並んで世界の最先端を走る、日本の宇宙開発。宇宙時代を切り拓くためにも、宇宙開発にはより一層力を入れるべきでしょう。 (文責・小島一郎) 菅首相は日本に何をしたのか。菅首相退陣表明を受けて 2011.08.27 8月26日、ようやく、菅首相は正式に退陣を表明しました。 国民としては待ちに待った喜ばしいニュースです。 国民の目としては、菅氏の「人災」の一年でしたが、菅氏は全く反省の弁もありませんでした。 菅首相は「やるべきことはやった」と、自負しています。 国民の厳しい視線は感じられないようです。 菅首相は、日本のために何をしたのか。何をもって「やるべきことはやった」と自負しているのでしょうか。 菅氏が一貫していたことは、「思いつき」と「責任回避(逃げ菅)」でしょう。 ●総理になった途端、「消費税の増税」に言及。自民党への抱きつき作戦という「思いつき」でしたが、それによって参院選は民主党の大敗。 これについては、民主党の独裁政権を回避したということについて、菅氏の功績は大きいでしょう。 ねじれ国会となり、政治の混迷はより一層浮き彫りになりました。 ●選挙の敗北に対しては、「脱小沢路線」を鮮明に打ち出すことによって国民の目を反らしました。 ●一年前の民主党代表選の最中(9/7)に、尖閣諸島沖で、中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりするという事件が起きました。 この時は、沖縄地方検察に責任を押し付け、中国のワンサイドゲームの「弱腰外交」を展開。 全世界に「日本は強気に出れば何も言えない弱腰国家」という情けない民主党政権の実態をさらけ出しました。 ●「TPPによって平成の開国を」ーこれも「思いつき」で打ちあげましたが、東日本大震災を言い訳にして、何も進めませんでした。 ●菅直人首相の資金管理団体「草志会」(東京都武蔵野市)が、平成18年と21年に在日韓国人から計104万円の献金を受けていたことが、3月11日に発覚。「知らなかった」、「返金するからいいだろう」と続投。東日本大震災への対応の中で有耶無耶にしてしまいました。 これによって、外国人献金を受けても総理を続けられるという前例を作りました。 けじめも誠意も国民には示しませんでした。 前原さんが代表選に出てこれたのは、この功績かもしれません。 ●そして、東日本大震災…。未曾有の「天災」を、菅氏いよる未曾有の「人災」にして、混迷を拡大しました。 「政治主導」を履き違えて混乱ばかりを起こしました。そして、責任はすべて「東電」になすりつけました。 「強引な視察によるベントの遅れ」、「海水注入の支持を出した出さないのウソ」、「福島原発の周辺には今後20年は住めない発言」、等、 国民の誰から見ても、菅氏によって混乱が大きくなっていることは明白でした。「人災」=「菅災」と言われました。 ●その時(5月)に打ち出したのが、「脱原発」でした。 思いつきによって(用意周到な計算なのかもしれませんが)、中部電力の浜岡原発の運転を停止しました。 市民運動家としての直感は見事に当たり、日本全国で「脱原発」「反原発」運動が巻き起こり、国民の目は大震災から原発に反らされました。 当初は浜岡原発だけを止めると発言していましたが、さらには「ストレステスト」なるものを持ち出し、全原発が運転再開できなくなるような流れを作ってしまいました。 「放射能の科学的な分析」、「電力不足による節電を原因とした熱中症被害」、「電力不足による経済打撃」、「エネルギーの安全保障」等、戦略的な分析を行わず、 「脱原発」のみを発信して、強引に推し進めました。 結局、菅氏がこの一年間行ってきたことは、「脱小沢」、「脱官僚」、「脱原発」を打ち出しながら「責任追及の目」をそらして、自らは決して反省もせず責任を取らない「最低」「最悪」のリーダー像を国民に示したということでした。 成果は、市民運動家としての国家解体―。こればかりが前進した一年でした。 国民にとっては、「民主党政権」を選択したことへの「深い憤り」、「次は民主を支持しないという強い決意」が胸に刻まれた一年でした。 国民の怒りは爆発寸前です。 小島一郎(http://kojima-ichiro.net/) すべてを表示する « Previous 1 2