Home/ 教育 教育 戦後70年・取り戻すべき宗教的価値観――「建国記念の日」に考える 2015.02.09 文/HS政経塾 第3期生 和田みな ◆今年の建国記念の日は皇紀2675年 2月11日は建国記念の日です。この2月11日は、『日本書紀』に記された初代天皇の神武天皇即位の日にあたるとされており、本年は2675年目にあたります。 2月11日は、明治5年に「紀元節」として制定され、明治22年には大日本帝国憲法の発布がこの日に合わせられたことから、憲法発布の記念日にもなりました。 戦前世代の方々は、紀元節の日は校長先生が「教育勅語」を奉読され、みんなで「紀元節唱歌」を歌いお祝いしたことを思い出されるようです。 この紀元節は敗戦後、教育勅語などと同様にGHQによる占領政策によって廃止させられてしまいました。 ◆「建国をしのび、国を愛する心を養う」建国記念の日 戦後日本が独立を回復したのは、サンフランシスコ講和条約が発効された昭和27年のことです。国内では、その年から紀元節の復活運動が起こりました。 昭和33年に、国会に紀元節復活に関する議案が提出され、その後の様々な議論を経て、廃案、再提出を繰り返し、昭和41年に「建国記念の日」として、政令で国民の祝日に定められました。 その趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」ためです。また、ちょうど同じ時期には、教育勅語や修身科の廃止によって失われた道徳心を養うために、「道徳の時間」の創設もなされています。 日本が独立を回復した後の昭和30年代は、GHQによって奪われた日本の誇りを取り戻すために、積極的に試行錯誤が繰り返されていた時期でした。 ◆戦後教育現場から抹殺された「宗教教育」 GHQが日本を精神的に武装解除させるため日本人から奪ったものは、紀元節や教育勅語、修身だけではありません。「宗教教育」もその一つです。 昭和22年に公布・施行された「教育基本法」では、第9条に「宗教教育」という項目が設けられ、その第1項では「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」と記されました。 それを受けて、昭和22年に初めて作成された学習指導要領においても、宗教的情操を育むために、宗教に関する多様な学習内容が盛り込まれていたのです。 ◆日本人が大切にしていた宗教教育 終戦直後の日本人は、宗教教育を大切だと考えていました。終戦からちょうど1年後の昭和21年8月15日「宗教的情操教育に関する決議」が帝国議会で可決されます。 その最後の一文には「教育の根底に宗教的情操の陶冶を尊重せしめ、もって道義の昂揚と文化の向上を期さなければならない」と記されました。 当時、日本国憲法の審議中であった国会では、新憲法第20条の政教分離規定によって、国民が「新憲法は宗教教育を一切禁止している」と誤解するのではないか、との心配の声が上がっていました。 そこで、後世の人々のためにも、「新憲法下においても、宗教教育は教育の根底におかれるべき大切なものである」ことを明記したこの決議を採択したのです。 ◆宗教こそは、道徳に生命を、人類に希望を、政治に理想を、世界に平和を与へるもの この決議の可決時、当時の文部大臣であった田中耕太郎文部大臣は国会で次のような演説を行いました。 「終戦第一周年の今日、宗教的情操教育に関する決議が成立致しましたことはまことに意義深いことでありまして、これについて我々は深く感銘致します次第であります。(中略)」 「実に宗教こそは、道徳に生命を、人類に希望を、政治に理想を、世界に平和を与へるものであります。(中略)御決議の精神を教育の各方面に活かしまして、以て我が教育に於て民主主義的、平和主義的精神を具体化することに万全の努力を致します覚悟であります。」 現在の「宗教=タブー」という教育現場、文部科学省の態度からは想像できないこの演説は、当時の日本、国会議員、そして日本人の価値観を表している名演説であると思います。 宗教教育は、民主主義的、平和主義的な精神を養うものとして考えられていたのです。宗教教育は、まさに日本国憲法の精神を支える根源にあるべきものといえます。 ◆終戦70年の節目の年に、宗教教育の復活を 安倍総理は「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」を合言葉に、戦後体制の見直しを行っています。 また文部科学大臣も「教育勅語の再評価」を提唱しており、自民党が行っている「戦前=全て悪」という偏ったものの見方を改め、日本人の誇りや素晴らしい歴史、文化を正しく評価し、再構築しようとする姿勢は評価します。 その一方で、「宗教」は一貫してタブー視され続け、現在改革が進む道徳の教科化の議論においても、宗教教育の重要性や必要性は公には話し合えないという現状があります。 先人の遺志を知り、真の意味で独立を取り戻すためにも、終戦70年目の節目の本年こそは、日本の教育の根底に宗教的価値観を取り戻すべきです。 「建国をしのび、国を愛する心を養う」建国記念の日に、宗教教育を日本の教育に取戻し、これによって日本が精神的建国を果たすことを切望します。 少子化対策の特効薬 2015.01.02 文/幸福実現党・富山県本部副代表 吉田かをる ◆子育てママの悩み 子育て中のママさんたちに「今、困っていること。どうしたら子供をたくさん産み育てる気になるか?」の話を聞きました。 「経済的にもっとゆとりがほしい」「家が広ければ」「塾にお金がかかりすぎる」「子育ては楽しくなく負担に感じる時がある」「専業主婦と言われるのが恥ずかしい」「もう年だから産めない」・・・ 気になるのは「子育ては楽しくない」「専業主婦と言われるのは恥かしい」という答えですが、そのほかは予想された答えが並びます。 これらの答えは、もうわかっていることです。しかしながら少子化に対しては有効な手立てはできていません。 たぶん、政治の方で「女性の労働力も欲しいし、出産の数も増やしたい」と、相反することを複雑に考えているからでしょう。 ◆2つの面からの解決 まとめれば2つに集約されます。一つは「ほんとの経済再生、景気回復で解決できること」、二つ目は「主婦をないがしろにしない風潮を作る」ことです。 ◆まずは景気回復を! 経済的には、消費税を8%から5%に戻し、景気を回復させ、企業の収益を上げ、賃金を増やすことです。 また、原発の安全性を高め再稼動を促進し、安価で安定したエネルギー供給をはかります。 そうして、収入がどんどん増え将来にも明るい安定した成長展望が開け、安心して子供を産もうかと考える余裕が出来ます。 子育てママが働きに出なくても十分な広さと機能を持つ家に住む事ができます。 十分な収入の中で良質の教育を自由に選ぶことができ、いじめのない質の高い学校教育で、進学についても心配することがなくなります。 子供が自分の興味と才能に応じて、放課後の時間は塾などでの理系文系体育系など多種の特別教育の中から自由に選ぶことができることです。 ◆教育で出来ること 社会的風潮に関しては、マイナーに見えがちな「主婦業・母親業・妻業」がどんなにやりがいのある大切な仕事かを教えることです。 家事育児を全て妻任せにしていた夫が、妻が病気になったりしたとたんに困るはずです。子供も一人暮らしを始めたり結婚すると、それまでお母さんがどんなに家族を支えていてくれたか実感できます。 家事育児介護を引き受ける主婦の仕事はGDPには反映されません。「国家は人なり。国家の最小単位は家庭」というのであるならば、「人のお役に立つことが人間の使命」だと実践する優秀な「人」を守り育てる「家庭」を創ることはとても創造性の高い仕事です。 ◆専業主婦もないがしろにしない社会的風潮を! 少子化対策というと、保育所の拡充などの「環境」を改善することなどが浮かびますが、それと同時に家族や結婚は素敵なもので、「主婦」「母」という仕事は醍醐味のあるものという風潮を創ることも重要です。 人間は、その一人一人が無限の可能性を持つかけがいのない存在であり、「輝く女性」とは「女性の男性化」ではないと考えます。男女の役割は違いますが、それぞれが補い合い高めあっていく存在だと知ることです。 男女を問わず、男性も、社会に出て働く女性も専業主婦も、自由に選べる選択肢がたくさんあり、一人の人間としてあらゆる段階でやりがいと生きがい、幸せを感じることが出来る社会を目指すことが大切です。 少子化の解決策は、とてもシンプルで当たり前なことのように思えます。 「はだしのゲン」騒動を振り返る(前篇) 2014.12.15 文/幸福実現党・島根県本部副代表 池田健一郎 少々古い話題で恐縮なのですが、私の地元の島根県松江市の話題でもあるという点、および、ある程度時間が経過した方が冷静な考察に役立つ、という2点の理由から、今回はこの話題について私の思うところを述べさせていただきたいと思います。 ◆「はだしのゲン」閲覧制限問題 この「はだしのゲン」閲覧制限問題は、松江市教育委員会(以下、市教委と表記)が、同書籍の 利用制限を市立小中学校に求め、それに対して日本図書館協会(以下、協会と表記)が2013年8月に「自主的な読書活動」を尊重する観点から、利用制限の再考する内容の要望書を市教委に送付し、結局、同書籍の利用制限が撤回されるに至った、というものです。 この問題について、当時の反応は大きく分けて二つありました。一つは「反日的な漫画なのだから、利用制限は当然だ」という意見、もう一つは「表現の自由や知る権利の侵害となるので、利用制限は不当だ」という意見です。 結局、利用制限は撤回されたので、市教委は後者の意見を採用した、ということになります。 ◆日本図書館協会の要望書の疑問点 私も、協会の要望書を読んでみました。すると、疑問点が複数出てきたのです。 まず、同要望書は(1)「図書館の自由に関する宣言」から「ある種の資料を特別扱いしたり、書架から撤去したりはしない」と明記されている点を挙げていました。 また、(2)国際図書館連盟の取り決めであるとして「 図書館はすべて利用者に資料と施設の平等なアクセスを保障しなければならず、年齢等の理由による差別があってはならない 」という点を挙げています。 さらに(3)アメリカ合衆国の図書館協会の基準を例として挙げ、今回の「はだしのゲン」利用制限を「目立たない形の検閲」とまで言い、市教委の利用制限を厳しく批判しています。 要望書の内容はまだ続きますが、ひとまず、以上の(1)~(3)について論じようと思います。この時点ですでに、協会と市教委の間の認識のずれが生じてしまっているからです。 ◆公立学校の図書館が本の選定に慎重になるのは当然 その「ずれ」とは、協会が「公立の小中学校の図書館の特殊性を無視している」という点です。 例えば、学校の図書館ではない、県立図書館とか、市立、町立の図書館の場合、利用者はすべての住民となり、子供からお年寄りまで、色々な方が本を読む場所となります。 それに対して、小中学校の図書館の場合、利用者のほぼ100%が、その学校に通っている児童になります。 小学生や中学生は、一般に成長の途上にあり、受け取る情報に対する批判能力が十分育っているとは言えない面があります。 そういう理由から、過度に政治的な書籍であるとか、過酷な描写がなされている書籍であるとか、危険な化学薬品の製法であるとか、そういった書籍を置くべきではない、という考慮が、普通の図書館よりも大きく働く、という特殊性があります。 普通の図書館と違って、(私立ではなく)公立の小中学校の図書館に本を置くということは「小中学校に通う児童生徒がその本を読むことを行政が推奨する」いう意味合いが含まれるのです。 だから、公立学校の図書館が置くべき本の選定に慎重になるのは当然です。この点、上で述べた(1)や(2)とは事情が異なります。 大人が読んで大丈夫な本でも、それをそのまま児童生徒に読ませるわけにはいかない場合もあるわけです。 また、最高裁判所の判例においても「義務教育においては、国は必要かつ相当な範囲で教育内容を決定する権利を有する(旭川学テ事件判決)」とあり、このことからも、教育委員会が公立の小中学校に置くべき本をある程度決定できるということが根拠付けられます。 市教委は「過激な描写が子どもの発達上悪影響である」という理由により利用制限を行っています。この理由付けも妥当だと私は思います。 後編では、さらに別の角度から検証を加えて参ります。 (つづく) 「自由からの繁栄」――幸福実現党が考える国家ビジョン(2) 2014.11.26 文/幸福実現党・政務調査会長 江夏正敏 ◆宗教をバックボーンにした政策 近年では、深刻化するいじめに凄惨な殺傷事件が起こっています。教育現場が荒れているのは、宗教的な情操教育が欠けているからです。 宗教的バックボーンがなければ、神仏に創られた存在としての人間の尊さを説明することはできません。また、日本が発展するには天才が必要です。 能力のある人が一人出ることによって、国の経済を発展させ、多くの人々の暮らしを支えることができます。日本は、世界をリードする人材の輩出に向け、教育再生に取り組まねばなりません。 社会保障に関しては、国民の皆さんに補助金漬けの人生を送っていただきたくありません。私たちは生涯現役社会を主張していますが、財政面から提唱しているわけではありません。 人間は本来、「社会に貢献したい」という気持ちを持っているのですから、「働きたい方はいくつになっても働けるようにしましょう」ということです。働いたほうが健康でもあるし、結果として医療費抑制にもつながります。 ◆宗教立国と自由の大国 自由の行使には責任が伴います。法律さえ犯さなかったら何やってもいいのかといえば、そうではありません。 自由であることの担保として、宗教が必要だと考えています。経済面でもそうです。資本主義の根底に精神的基盤がなかったら、単なる金もうけ主義になってしまいます。 私たちは、「宗教政党だから票が取れない」と言われます。 しかし、「宗教政党」の看板を下ろすつもりはありません。経済においても、教育においても、社会保障においても、宗教的価値観なくして、山積する問題は解決できないと考えるからです。 宗教政党にこそ可能性があり、未来があると私たちは考えています。さまざまなこと述べましたが、「幸福実現党が何をしたいのか」という輪郭だけでも分かっていただけたとしたら、それは私の喜びです。 ◇「江夏正敏の闘魂メルマガ」配信中! 登録(購読無料)はこちらから https://m.blayn.jp/bm/p/f/tf.php?id=enatsu 自由を抑圧する「許認可行政」と「カネ」の怪しい関係 2014.11.20 文/HS政経塾部長 兼 党事務局部長 吉井としみつ ◆政局の引き金 政治とカネの問題は、今の政局の引き金の一つだと言えるでしょう。 今秋の安倍改造内閣でも、この問題により経済産業大臣が辞任に追い込まれました。 また、今年2月には、東京都知事選挙がありましたが、猪瀬前東京都知事が辞任するきっかけになったのも、選挙資金として受け取った5,000万円を選挙運動費用収支報告書に記載しなかったことでした。 ◆許認可行政とカネの怪しい関係 今回、許認可行政とカネの怪しい関係が明らかになりました。 東京都選挙管理委員会が、2013年分の政治資金収支報告書が20日公表されました。 ポイントは、その公表前の動きです。補助金を支給していた学校法人からの寄付を「代表者個人から」と訂正する動きがいくつか見られ、その中に現役の下村文部科学大臣が代表を務める団体でも、同様の動きがあったそうです(11/20朝日夕刊13面)。 「自由民主党第11選挙区支部」の、2013年分の政治資金収支報告書で、学校法人7団体から受けた献金を個人献金として修正しており、国から補助金を受けた団体による政治献金は禁じられているが、7団体中少なくとも2団体が文科省の補助金を受けていた (11/20読売夕刊13面)ことが明らかになりました。 政治資金規正法では、文部省から補助金を受けた法人は、原則1年以内の政治献金が原則的に禁じられています。ただ、その法人の役員などの個人についての規定はありません。 問題は何かというと、政治資金収支報告書の公表前に修正されているとはいえ、政治献金を禁止されている法人からの寄付だと分かっていながら、献金を受け取っていたのではないかという点です。 神戸学院大の神脇博之教授の見解を紹介します。(11/20朝日夕刊13面) ・補助金を受けた法人の政治献金を禁じた法の主旨は、こうした法人から政治家への税の還流を防ぐことであり、補助金を受けた学校法人が一時的にでも献金を負担すること自体、違法性が高く、「個人献金の誤り」との言い分が通れば法律が空文化しかねない。 ・献金を受ける側も学校法人の多くが補助金を受けていることが想像できるはずだ。双方とも法令順守の認識が甘い。 ◆2件の学校法人への補助金と献金への背景 今回の2件の学校法人への補助金の内容は、2012年11月、東京国際大に対して図書館の研究設備を整備するために330万円、12月中旬には岡山市の朝日学園に、校舎の空調設備で1,330万円が交付されたというものです。 その後の流れとして、2012年12月下旬に、下村議員は文部科学大臣に就任し、2013年3月に政党支部は朝日学園から4万8千円、東京国際大から6万円の寄付を受けており、寄付は口座振り込みで、法人名と代表名が記載されており、今月17日以降、政党支部は個人献金と確認し、18日に訂正を届け出ました。(11/20朝日夕刊13面) 現役の文部科学大臣が関係しているというのは衝撃的です。補助金が入っている以上、その後の学校法人の運営を考えると、補助金の許認可を管轄する行政部門の大臣から、政治献金を求められては断ることは難しいでしょう。 しかし、これをこのまま放っておいてしまえば、不必要に管轄行政の言うことを聞くあまり、補助金を通じた許認可権の濫用により、学問の自由が侵害されることも起こりえます。 このような補助金行政のあり方は、国民のためになるのでしょうか? ◆スリムな行政への見直しの契機に 12月の衆議院選挙では、700億円の国費が投入されるにもかかわらず、大義なき選挙とも言われています。しかし、今回の「許認可行政」と「カネ」の問題を契機として、スリムな行政を真剣に考えるべきではないでしょうか。 増税を延期して、財政再建を心配するなら、もっと徹底的に血税の使い方のムダをなくすべきです。 ノーモアタックス。ノーモア規制。この国には、もっと自由が必要です。 正しい政治を行う新政府の樹立を目指して 2014.11.12 文/幸福実現党徳島県本部副代表 小松由佳 ◆増税延期と衆院解散の可能性 マスコミ各社は連日、年内の衆院解散の可能性を報じています。安倍首相が、17日発表の7~9月期のGDP速報値を受け、景気回復が十分でないと判断すれば、10%への消費増税を先送りした上で、アベノミクスの是非を問うべく衆院選を行う、というシナリオです。 12日付日経新聞によれば、民間調査機関12社の予測平均値では、実質GDP成長率は1.9%(年率換算)に留まり、8月時点での平均4%との予想を大きく下回っています。再増税によるさらなる景気悪化は目に見えており、当然ながら再増税は延期すべきです。 ◆国民の自由を軽んじた政府の失敗 安倍政権の不安定化の原因は、やはり国家社会主義的な統制政治の要素を払拭できず、旧態依然とした自民党政治から脱却し切れなかったことにあると言えます。 まず、明らかに8%への消費増税は間違いでした。増税そのものは民主党政権下で決められたことですが、関連法を改正せず実行に移したことは、安倍政権の失策です。 昨年度の実質GDP成長率2.3%のうち、0.77%が駆け込み需要によるものであり、今年4月の増税後、この駆け込み需要の反動減と、実質可処分所得の低下が起きました。 そのため、14 年4~6月期の実質GDP成長率は、1~3月期比でマイナス7.1%(年率換算)という、リーマン・ショック以来の大幅な落ち込みでした。 主因は、深刻な国内需要の減少であり、それだけ見るとマイナス15%に達するとも言われています。 中でも民間消費の落ち込みが大きく、国民の消費マインドが冷え込んだことは明らかです。現在、駆け込み需要の反動減は緩やかに回復基調にありますが、ほとんどの経済指標が予想を下回り、様々な景気動向指数は低迷しています。 外交・安全保障の面では、やはり中国に対する弱腰が目につきます。10日、約3年ぶりの日中首脳会談が行われましたが、その前提として7日に両政府が発表した合意事項では、尖閣問題で両国が「異なる見解を有する」とされています。 これは「尖閣諸島について領有問題が存在する」と解釈され得るものであり、中国に対する大きな譲歩です。 さらに、安倍首相は首脳会談で、小笠原・伊豆両諸島の周辺海域での中国漁船団によるサンゴ密漁への抗議も行わず、歴史認識についても、習主席が村山談話に言及した際、「歴代内閣の歴史認識の立場を引き継いでいる」と述べ、自虐史観を国際社会に曝け出しました。 こうした弱腰の日本政府と、レームダック化したオバマ政権の下、中国包囲網であるTPP交渉も進まず、越年が確実となりました。 その裏で中国は、韓国との自由貿易協定(FTA)を妥結し、日本が最大出資国であるアジア開発銀行(ADB)に対抗するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立計画を進め、TPPに対抗するアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想を主導するなど、アジアでの存在感を増しています。 そして何より、政府が犯した致命的な過ちがあります。10月31日、あらゆる自由の根源である「信教の自由」を侵し、「霊言」をはじめとする教義内容や宗教行為そのものを理由に、幸福の科学大学の設立を「不認可」としたのです。 憲法違反である下村文部科学大臣の判断に、当然ながら大学側は異議申し立てを行いました。首相の任命責任も重く、根源的な自由権を侵害した閣僚を抱えたままでは、政権存続が難しいのは明らかでしょう。 参照: 幸福の科学公式HP⇒http://info.happy-science.jp/2014/12003/ ザ・リバティweb⇒https://the-liberty.com/article.php?item_id=8698 自己保身や党利党略、世論調査に振り回されることをもって、“自由”や“民主主義”を謳歌していると勘違いしてはなりません。真の「自由」とは、普遍的な「正しさ」、人智を超えた「神仏の声」を、虚心坦懐に求めるところから始まります。 そして、真の「民主主義」とは、神仏の子としての人間の尊厳を守るものです。このことに深く思いを致さなければ、「自由」や「民主」を党名に掲げる既存政党が、その名を実とする日は来ないでしょう。 ◆神仏の下での「自由からの繁栄」を 幸福実現党は立党以来、後にアベノミクスと称される経済政策に加え、徹底した減税による景気回復を提案してきました。また、中国による軍事的脅威や人権弾圧への明確な批判を続け、自虐史観を払拭した新談話の発表、新憲法の制定などを一貫して訴えてきました。 これらは全て、国民の自由と尊厳を守り、国を発展・繁栄させ、世界中の幸福を実現したいという志によるものです。 与野党共に、衆院選の準備に追われているでしょうが、自らはあくまで「公僕」であり、国民の「自由からの繁栄」を支えるべきこと、そして何より神仏の「僕」であることを忘れず、正しい「まつりごと」を行わなくてはならないのです。 道徳の「特別な教科化」に寄せて――学校教育の現場の声 2014.11.06 文/HS政経塾1期卒塾生・逗子市政を考える会代表 彦川太志 10月21日、中央教育審議会が公立小中学校の道徳の時間を「特別な教科」に格上げするよう、答申を出しました。 この答申を受け、道徳の授業における検定教科書の使用や、数値式でない評価方式の導入などが2018年度より新たな学習指導要領の下で実施される予定です。 本日は、この道徳の「特別な教科化」をめぐる議論について、現場の声も交えながら検証を加え、あるべき道徳教育の姿について提言していきたいと思います。 ◆道徳の「教科化」が求められた経緯-年少者による凶悪犯罪の多発 道徳を正式な教科として格上げする動きは、第一次安倍政権が設置した「教育再生会議」の提言から始まりました。しかし、当時は「子供達の『心の成長』について、点数をつける『教科』化はふさわしくない」という見解から、正式な「教科」への格上げは見送りとなりました。 今回の答申はそうした経緯を踏まえ、点数式ではない評価方式を実施する「特別な教科」として、学校教育法施行規則上の「道徳」の位置づけを変更することになったのです。 そもそも、なぜ道徳を「特別な教科」と位置づける必要があったのでしょうか? その理由として、(1)「他の授業の時間に当てられてしまうことが多い」ことや、(2)「学校や教員によって指導内容や指導方法ばらつきがある」ことが挙げられていますが、本質的には1997年の神戸連続児童殺傷事件や1999年の栃木女性教師刺殺事件、2011年の大津小におけるいじめ自殺事件など、年少者が関わる凶悪犯罪が多発していることに対して、対策が求められたという経緯があります。 いかにして子供達の「善なる心」を開花させるか―。道徳の教科化を考える際、このような本質的な論点を忘れてはならないのです。 ◆いわゆる「平和教育」の押し付けが行われている「道徳」の時間の現状 このような道徳の「特別な教科化」の動きに対して、一部メディアから「思想統制、価値観の押し付けになるのでは」という慎重意見がありますが、すでに教育の現場では、いわゆる「平和教育」の押し付けが行われているという現状があります。たとえば、幸福実現党鎌倉後援会には、次のような市民の声が寄せられています。 ・市内の公立小学校では、中学年の道徳の授業で「サダコの折り鶴の物語」から「平和憲法」へと話の内容を飛躍させ、「修学旅行は広島市に行きたい」という子供達の「声」を引き出す授業が行われています。先生の口調も熱狂的で、憲法に話が移ると「その憲法を今、変えようとしている!」と叫ぶ子供もいます。これは道徳の授業といえるのでしょうか。(鎌倉市内在住、主婦Aさん) こうした授業内容について、相談を受けた教員経験者の方は「どこかで似たような授業を見たことがある。授業というより『主張』であり、おそらく用意された台本があると思う。」とコメントをしています。 つまり、一部のメディアが危惧するような“押し付け”の道徳教育は、すでにいわゆる「平和教育」として行われているというのが現状なのです。マスメディアには、こうした現状もしっかり報道していただきたいと思います。 ◆「検定教科書」の導入だけでは不十分。学校教育の透明性を高めよ しかし、だからと言って「検定教科書」を導入すれば済むという話でもありません。後援会に寄せられた別の声を紹介いたします。 ・「検定教科書」を導入しさえすればいいというわけではないと思います。教科書をまったく使わず、先生が自分が作ったプリントで、まったく反対のことを教えているケースもあります。本当に授業の中身を改善したかったら、プリントまでチェックしないとだめだと思います。(お子様が横浜市内の県立高校に通学中、主婦Bさん) ・政治家や識者の方に、「学校の現場」で何が起こっているか真剣に見て頂きたい。学校が責任を取らないで親に負担を押し付けるようなことが横行している。学校教育が適正に行われているかを社会がチェックする意味でも、もっと開放度を高めないといけない。(逗子市在住、元教員Cさん) 多くの新聞報道でも指摘されているとおり、道徳のような「心」に関する指導力は「国の方針」で上下するようなものではありません。指導力の源泉とは、教師自身の教育に対する使命感と、日々自己研鑽に励む姿勢にこそあるのではないでしょうか。 学校教育の実情を、家庭や社会がチェックするためには、「顧客第一」マインドのもと、学校教育の公開度を上げていく必要があります。 ◆宗教系私立学校にならい、公教育でも「宗教」を積極的に教えるべき 道徳の「特別な教科」化の出発点にあった問題とは、年少者による凶悪犯罪の多発という社会問題でした。 「子供達の「心」を悪事から遠ざからせ、善なる方向に開花させるにはどうすればよいか―。」それを教える真の「道徳」の授業が成立するには、あの世の存在や神仏の愛、天国・地獄の存在という「宗教的教養」をバックボーンとした教育体系が必要不可欠だといえますが、今回の「道徳の教科化」の答申では、宗教的教養の重要性についての検討が十分に行われた形跡は見られません。 しかし、文科省は私立の宗教系学校において、「宗教」の時間をもって「道徳」に変えることを容認しているのですから、思い切って世界の「宗教的教養」を「道徳」の授業で扱う。というぐらいのイノベーションをかけるべきだと考えます。 そうであってこそ、子どもたちを国際感覚に優れる真の「教養人」を育てることにつながるのではないでしょうか。 「いじめ防止対策推進法」で子どもたちを守る事ができるのか 2014.10.26 文/政務調査会チーフ 小鮒将人 ◆平成25年国会で「いじめ防止対策推進法」が成立 平成23年、滋賀県大津市でいじめを苦にした自殺事件が発生しました。当初、事件の当事者となった中学校及び、教育委員会は、この事件について「いじめ」が原因でない、と主張していました。 ところが、以下のような実態が明らかになり、国民に大きなショックを与えました。 ○ 「自殺の訓練」をさせていた ○ 実家のキャッシュカードで40万円を恐喝 ○ 万引きを強要された ○ 死んだハチを食べさせられていた ○ ズボンを下ろして笑いものに ○ 睡眠薬を飲ませて公園に放置された これらの事を知っていたにも関わらず、学校側、大津市教育委員会は「いじめはなかった」と、隠ぺいを行っており、大津市には連日、国民からの抗議が続きました。 このような実態を受けて、政府は昨年、「いじめ防止対策推進法」を成立させました。 ◆幸福実現党が進める「いじめ対策」とは 幸福実現党は、2009年の立党当初から「いじめ対策の必要性」を主張し、現時点は、主要政策の柱の一つとして「いじめ禁止法」の推進を入れています。 その中で、私たちは、二つの論点について訴えてきました。 一つには、現場の教師が「いじめは悪い」をはっきり言わず、曖昧な決着をつけようとしている事。 いじめの事例を調べてみると、解決のため、教師が加害者と被害者の間で「民主的に」話し合いを持たせて解決としている事が多いのですが、これは「いじめが悪い」という事が全く伝わっていないので、加害者も、悪いことをした、という意識が起きません。 もう一つは、教師、学校、教育委員会による「いじめ隠ぺい」に走るケースが非常に多い、という事です。 先般、文科省の統計で、「小学校のいじめ件数が過去最高」を記録した、という報道がありました。 一見、いじめが深刻化しているかのような印象を与えますが、私は、こうした報道に対して、逆に「隠ぺい」が減少し、表面化させることで、学校としても真剣にいじめ撲滅に取り組むことができるという意味で、評価するものです。 しかし、数年おきに「いじめによる自殺」の報道に接するにつけて、教師や学校がいじめ隠ぺいに走るケースはまだまだ存在している事が分かります。 残念ながら、子供たちが最後、自殺という手段を選択する過程で、現場の教師がいじめに隠ぺいし、ひどいケースになると、いじめに加担している事もあり、本来あってはならない現実に子供たちが絶望を感じている事が大きな原因と見られています。 幸福実現党は、子供たちの将来を守るためにも、いじめを決して許してはいけない、そのためには上記に掲げたような二つの論点を外すことができないと考えています。 ◆「いじめ防止対策推進法」に欠けているもの 「いじめ防止対策推進法」そのものについては、私としても、まずは国が「いじめ対策」を進めていく、という決意を表明したものとして評価すべきかと思います。 ところが、この法案には、先に掲げました大切な二つの論点について、ほとんど考慮されていないのです。 大津の事件に限らず、子供たちが最後、自らの生命を断つにいたるのは、現場の教師がいじめの事実を知っていながら、子供たちを守ろうとしていない事が大きな原因であったのです。 そのためには、法案に教師や教育委員会の隠ぺいに対する処罰を記載するべきでありましたが、残念ながら結果としては、実現されませんでした。 この事については、すでに昨年7月、当HPRニュースでもお伝えしたところです。 連続する「いじめ自殺」~いじめを止める唯一の方法とは?~ HRPニュースファイル 2013.7.19 連続する「いじめ自殺」――いじめを止める唯一の方法とは? ◆現在、自治体で議論されている「いじめ防止」に関する条例 国会での「いじめ防止対策推進法」の成立を受けて、各自治体で「いじめ防止」を目的とした条例の制定作業が行われています。 私の地元である東京都青梅市でも「いじめ防止に関する条例」の議論が進んでいます。私も、住民の一人として、このような取り組みが行われている事に対して、大きな評価をするものです。 しかし、内容を見る限り、「いじめ防止対策推進法」同様に 1、いじめ加害者に対しての処罰規定が非常にあいまい。 2、隠ぺいを行った教師、校長、教育委員会については、厳重な処分を行う事。 の規定が全くない。 という事が明らかでした。 私自身、「地域の子供たちをいじめから守りたい」との思いから、パブリックコメントで青梅市あてにメール送信し、上記について明確に対応することを求めました。 残念ながら、青梅市からパブコメが届いたのかについて返事が全くなく、本気で「いじめ防止」に取り組もうとしているのか、大きな疑問が残りますが、私としては、今後ともこの条例についての議論の行方をしっかりと見守っていく所存です。 ◆「いじめは犯罪」だと言い切る勇気が必要 戦後の、左翼的な考え方によって、教師は生徒と同じ立場であり、「民主主義的な解決」という大義名分を隠れ蓑にして、善悪をはっきり伝えることを避けてきたツケが、この「いじめ」という問題に現れてきたものだと思います。 学校側として、先ず求められる事は、勇気をもってはっきりと「いじめは悪い事」「いじめは犯罪」と子供たちに伝えることです。 子供たちも善悪をはっきりさせることで、「悪い事」はしていけない、という気持ちが出てきます。 現在、行政で進められている「いじめ防止」の動きについては、大きな前進ではありますが、まだまだ善悪をはっきりとすることを拒否している印象を受けます。 未来を担う子供たちを悪から守るためにも、大切な論点が骨抜きにならないよう、お住まいの自治体での議論に注目して頂きたいと思います。 地域貢献・国際貢献から考える新たな大学像 2014.10.10 文/幸福実現党秋田県本部副代表 三國佑貴 ◆国際観光文化都市の創造へ 10月4日、国内最大の文化の祭典「第29回国民文化祭あきた2014」が、皇太子殿下ご臨席のもと、秋田県立武道館で開幕しました。 皇太子殿下は「東日本大震災以降、初めて東北で開催される国民文化祭。多くの困難に立ち向かっている方々に夢と希望を与えるものとして、大きな役割を果たすことを期待しています」とお言葉を述べられました。 約1ヶ月間に渡って、秋田県内全市町村が舞台となり、美術、文芸、音楽、舞踊、伝統芸能、アートプロジェクト等、多彩な事業が展開され、日本、そして世界から、多くの観光客が訪れます。 秋田県は6年連続で、小、中学校の学力テストにおいて、全国上位を占めている教育立県です。その理由として、質の高い文化、美術、芸術を愛し、理解する心が、秋田全土に根付いていること、これが要因のひとつではないかと考えます。 ◆国際教養大学(AIU ※Akita International University)の躍進 秋田の新しい文化創造、国際化を強力に推進しているのが、開学10周年を迎えた、AIU(公立)の存在です。 2010年4月、国際基督教大学、立命館アジア太平洋大学、早稲田大学国際教養学部と、AIUがグローバル4大学交流協定を結び、2012年には上智大学が加わりました。 そして先月、文部科学省より、世界レベルの研究を行う大学を支援するための「スーパーグローバル大学」として、AIUが選定され、総額15億円の助成を受けることが決まりました。 世界に拡がる160を越える大学と提携、世界26ヶ国、全国47都道府県から学生が集まり、約9割の学生が、キャンパス内で24時間生活しています。秋田市の郊外に「世界の縮図」とも言えるような多文化共生の空間ができあがっています。 Pharrell Williams – Happy (We are from AIU) #AIUHAPPYDAYS #国際教養大学 #HAPPYDAY https://www.youtube.com/watch?v=8klvHb1N-V8 24時間365日開館している図書館は「学習意欲を喚起する本のコロッセウム」をテーマとした、半円のユニークなデザイン。多くの学生達が、寸暇を惜しんで知的格闘に励んでいる姿は、緊迫感に満ちており、決闘前のグラディエーターの姿を彷彿とさせられます。 ◆国際教養大学の知られざる地域貢献力 AIUは、県内の6市町村と国際交流に関する交流協定を結び、留学生や、大学訪問の受け入れを実施。2013年実施回数は215回、参加留学生は1100人以上にのぼります。(国際シンポジウム、県職員と合同の国民文化祭委託事業、地元小中高生たちとの交流 ※由利本荘市、留学生による着物姿秋の観光キャンペーン、等々) 学生が県内の小、中学生に英語を教え、教員が小中高の先生に英語指導をするという取り組みも始まっています。 また、卒業生による秋田発のプロバスケットボールチーム(秋田ノーザンハピネッツ)の立ち上げ、東アジア調査研究センター(AIU内)主導の、日露関係強化に向けたロシア沿岸部産業育成、海外展開に意欲のある企業に向けた「攻める秋田企業応援プロジェクト」などが進んでいます。 AIUは年間で約40億円の経済効果(消費や県内生産の誘発)をもたらしており、県内のグローバル化と産業活性化に大きな貢献を果たしています。 国際性に加えて「大和の心」を学んだ多数の海外留学生が、県内企業や、日本有数の大手企業で活躍しており、全国の大学関係者、国内メディアから注目を集めています。 ◆大学の教育改革から世界の担うリーダーの輩出を 以上のように国際教養大学のような、これまでの既存の概念にとらわれない理念を持った大学から、国際性とチャレンジ精神があふれる学生がどんどん輩出されることは、大学がある地域ばかりではなく、日本の発展を促し世界への貢献にも繋がっていきます。 東京オリンピックも2020年に開幕致しますが、これを契機にこれまでの既存の大学にはない新しい発想に基づく大学を創設し、政治や経済、芸術をはじめ、宇宙開発や海洋開発などにも国際貢献する世界のリーダーを日本から輩出していくことが求められます。 ≪参考≫ ・国際教養大学(AIU)学校案内 ・産経2014.9.27 10.5 ・月刊「事業構想」2014年9月号 ・第29回国民文化祭・あきた2014プレガイドブック ・秋田県大型観光キャンペーンガイドブック 「特別の教科 道徳」設置と次なる課題 2014.09.22 文/HS政経塾 第3期生 和田みな ◆「特別の教科 道徳」 文部科学省の中央教育審議会の道徳教育専門部会は今月19日、10回目の審議を開き、最終答申案をまとめました。 今回の答申でまとめられた内容は、以下のようなものです。 道徳の時間を「特別の教科 道徳」(仮称)として格上げし、学校教育全体を通じて行なう道徳教育の要として位置づけ、理解と実践のための内容の充実を図ること。 それに伴い、目標・内容を明確にし、指導方法を改善すること、検定教科書と評価の導入、教員の指導力及び免許や教員養成課程の改善を行なうことなどです。 ◆現状の「道徳の時間」の問題点 「道徳の時間」は昭和33年に創設され、週に1時間確保されてきましたが、「教科」ではありませんでした。 平成18年、教育基本法が60年ぶりに改正され、その内容を反映するために道徳の学習指導要領も改訂されました。 その中で、道徳教育の充実を図るため「学校における道徳教育は、道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うもの」であると明記され「道徳教育推進教師」が位置付けられます。 しかし、効果には地域差があり、現場の教師に理念が浸透せず、結果として他教科に比べ軽んじられてきたことが問題視されていました。 ◆「特別の教科」への格上げの意味 このような現状から、今回の答申では、道徳教育は「道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うもの」という理念の浸透と、具体的な取り組みを推進するために、道徳の時間を単なる「教科」とするだけではなく、「特別の教科」に格上げすることがまとめられたのです。 「道徳教育」は学校教育全体で行う根源的なものです。「特別の教科 道徳」はその道徳教育の要を担う時間であり、他の教科や特別活動は道徳教育の実践の場であるという位置づけになります。これが「特別」の意味です。 この重要な意識改革を現場の先生方はもちろん、国民にも促すことができるかどうかが、今回の大きなポイントです。 ◆教育の目標「人格の完成」と道徳教育 道徳教育を「根源的なもの」と強く述べた理由は、教育とは何を目指しているものなのかという「教育の目標」に関係しています。 教育基本法では、第一章第一条に「教育の目標」は「人格の完成」にあることが述べられています。 そして今回の答申の冒頭ではこの目標を示した上で、「人格の基盤となるのが道徳性であり、その道徳性を育てることが道徳教育の使命である」と明記されました。 この点から、教育の目標を達成するための基盤が道徳教育にあるということは明らかです。 ◆道徳教育と宗教教育 「道徳」は、私立学校においては「宗教」と置き換えることが許されてきました(学校教育法施行規則の第50条「宗教をもって前項の道徳に変えることができる」)。つまり道徳教育と宗教教育は、同じく人格の完成の基礎を成すものであるということです。 また、昭和22年、文部省に設置された教育法令研究会がまとめた『教育基本法の解説』では、次のように記載されています。 「宗教的信仰が将来の国民の道徳的向上のために必要なこと、ことにそれが人格の完成及び民主主義的、平和主義社会の建設に貢献するところが大であることが認められなければならない」 この解説からは、教育の目標である「人格の完成」には、道徳教育、さらにその根源には宗教教育が必要であると読み取れます。 ◆教育界が抱える「宗教=タブー」というジレンマ 今後の道徳教育の深化には、道徳の根源にある「宗教性」を教えられるかが鍵となるでしょう。 今回の道徳部会で主査を務めた押谷由夫教授も、道徳教育の再検討を研究していく中で次のように道徳教育における宗教の重要性を述べています。 「宗教の道徳教育が果たす役割について考えざるを得なくなり」、「最も深く人間としての在り方や生き方を、自らに問いかけ実践しつつ追い求めた人々は、世間でいわれる宗教者です」、「人間として生きることの探求には、人間の力を超えたものとの対話が不可欠」(「学校における『宗教にかかわる教育』の研究1」) 一方で、今回も宗教教育は「重要な課題」であると認識され、何度か意見が出たにも関わらず、最後まで踏み込んで話し合われることはありませんでした。 教育界は、「宗教性」が重要だとは認識しつつも、「宗教教育」触れられないという「宗教=タブー」というジレンマから抜け出せずにいるのです。 ◆課題は「宗教=タブー」の払拭 ある調査では、日本人の約70%が「無宗教」であると答えていますが、一方で70~80%が「宗教心は大切だ」述べています( 橘木俊詔著『宗教と学校』)。 80年代、政教分離の米国においてレーガン大統領が、教育の荒廃と道徳の乱れを改善するため「教室に聖書と祈りを復活させる」と言ったことは有名です。 このように、「教育の中で宗教性を教えることは大切だ」と多く人が認めています。 子供たちの人格の完成、人生にとって本当に大切なものを教えられる道徳教育にするために、日本の教育界は「宗教=タブー」という凝り固まった意識を払拭し、議論すべきです。 すべてを表示する « Previous 1 … 7 8 9 10 11 … 18 Next »