Home/ 教育 教育 「いじめ問題」に終止符を打つべく、「いじめ禁止法」の制定を! 2013.08.18 ◆奈良県橿原市でのいじめ自殺事件 今年3月、奈良県橿原市で中1の女子生徒(13)が飛び降り自殺をしました。 彼女は生前に親友グループに仲間はずれにされたとして「これはいじめ。死にたい」と友人に泣きながら相談したり、未送信メールに「みんな呪ってやる」と書いていたことが分かっています。(6/6 産経「『みんな呪ってやる』中1女子自殺で橿原市教委が第三者委検討」) 学校側はいじめと自殺の因果関係を否定していましたが、最近開示されたアンケートによれば、いじめを見聞きしたとする証言が40件以上あったということです。 中には「無視されたりさけられたりしていた」「ひざでおなかをなぐられていた」といった記述や、本人が自殺の前日に部活動中のテニスコートの砂でお墓を作り、「『私が死んだらここに入れて』と言っていた」「『次きらわれたら手切るかもー。』といってた」といった記述など、女子生徒がいじめに悩んでいたことを、強くうかがわせる回答がありました。(8/16 FNN「奈良・橿原市中1女子 自殺いじめうかがわせるアンケート結果」) ◆いじめ隠ぺいを行う学校・市教委の不誠実な対応 このアンケートは、遺族が再三にわたって実施するよう要請していたものですが、行われたのは自殺から2か月後の5月になってからです。 しかし、その開示をめぐっての学校側の対応もひどいものでした。 はじめは集約したものを開示するとしていたのを、「口頭での開示」になり、最終的には、市教育委員会が「二次被害の恐れがある」としてアンケートの開示を拒み、多数の証言がありながら「自殺との関係は低い」と表明しました。 その後の対応について、校長が代理人を通すように求めたため、遺族側が代理人の連絡先を尋ねると「代理人に依頼した事実はなく、苦し紛れに言った」と嘘を謝罪しました。(8/16 産経「『学校と教委不誠実』遺族憤り」) ◆教員は憲法・法律を遵守すべき 憲法15条第2項は公務員について、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と定めています。 いじめは犯罪です。公務員は「法律を守る義務」が課せられており、学校内の犯罪を黙認・隠蔽することは、刑事訴訟法で定める「公務員は職務執行にあたり犯罪の事実を知った時は告発しなければならない」という告発義務に違反しています。 今の日本の公立学校では、公務員は「法令遵守義務」を果たさず、学校には法と正義が存在しない状態になっていると言わざるを得ません。 そのような教員は、いわんや教育基本法第9条に定める「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努め」ることもできていないでしょう。 ◆変わらない学校現場に対し、「いじめ禁止法」の制定を! 橿原で自殺した生徒の母親は学校の対応に関して、「私たちは娘の死の理由を知りたいだけ。学校と教委の対応は不誠実」と憤っています。 大津市のいじめ事件で息子を失った父親は「市教委と学校の対応は、大津市の初期対応と同じ。学校現場では何も教訓は生かされていない。」と指摘しています。(同上) 平成23年度、いじめで自殺した生徒は、25年ぶりに200人を超えました。(2012/9/11 産経「児童生徒の自殺、25年ぶりに200人超える」) 「いじめ」がはびこるのみならず、自己保身のために、いじめを隠ぺいする教師や学校が存在するような状況は、国家が日本国憲法26条に基づく「安全かつ適切な教育の提供義務」を果たしていないと言えます。 かつて、他の法律で規制すればよいとされたストーカー行為も、ストーカー防止条例が制定され、その後ストーカー規制法となったことで、抑止効果が生まれました。 いじめに関しては、6月21日、「いじめ防止対策推進法」が制定され、いじめの加害児童・生徒に対する懲戒や出席停止は盛り込まれましたが、学校や教師の側の「いじめ隠蔽」に対する罰則は盛り込まれておらず、閉鎖空間の中で、いじめが続いています。 幸福実現党が提言をして来た、教師や学校、教育委員会の責任と罰則を明確に定める「いじめ禁止法」を一刻も早く制定すべきです。(文責・政務本部チーフ 兵庫県本部 湊 侑子) 幸福実現党が「宗教政党」を名乗る理由 2013.08.04 ◆戦後の日本は本当に平和なのか? 日本は戦後、戦争の無い「平和な国」になりました。しかし本当に、日本は「平和」になったと言えるのでしょうか? 学校では「いじめ事件」が続き、今年に入ってからも、奈良、長崎、山口、名古屋等で「いじめ」を苦にした自殺(未遂)が立て続けに起こっています。 戦争の無い日本で、子供達が次々と自ら命を絶つことは異常と言うほかありません。 自殺者については日本全体の推移で見ると 昨年2012年が2万7766人で15年ぶりに3万人を下回ったものの、1998年から14年連続で3万人を超えていました。(3/14 時事) 年間に平均3万人としてそれが14年続いていれば、この間、自殺者の人数だけで複数の地方都市が消滅した計算になります。 こうした日本の現状は、戦争がない「平和な国」とは言いがたい現状です。 ◆信じられない事件 もっと遡って戦後を見てみるならば、1980年以降、信じられない事件が起こるようになりました。 例えば、母親がドラム缶で幼児を殺した事件がありましたが、当時の社会党は加害者の母親を「育児の被害者だ」として擁護しました。 また、親を殴り殺した「金属バット事件」等、子が親を殺す事件も起き続けています。 最近では、広島で少女ら数人が少女に暴行を加え殺害、遺体を遺棄した事件が起きました。その後の報道では事件を起こした加害者の少女たちは、被害者の財布まで奪ったことが明らかになっています。 親が子を虐待したり、子が親を殺したり、友人を暴行死させたりする事件が普通に起こっている現代の日本を、本当に「平和」と言うことが出来るのでしょうか? ◆戦後の日本が失ったもの 戦後日本は、何か「大切なもの」を失ってしまったのです。 その淵源は「戦後教育」にあります。 先の大戦で、世界を相手に戦った日本を、再び世界の脅威とならないよう米国占領軍は、日本の精神を骨抜きにしようとしました。 その中の一つが「墨塗り教科書」です。「墨塗り教科書」で「神仏を敬う心」「親孝行」などを「軍国主義」の原因と決め付け、その内容が書いてある部分を墨で塗りつぶし、否定させたのです。 教師は子供たちに教える「価値観」を失い、子供たちは教科書を墨で塗りつぶす度に、大切な精神性が消えていきました。 占領軍は、日本の教育の主導権を、唯物主義を信奉する「日教組」に渡しました。 日教組教育の「人間観」は「偶然にこの世に産み落とされた存在である」ということを根底にしています。 ここからは「自己の生命の尊さ」も、「神仏を敬う心」も、「他者を愛する宗教的情操」も、「祖先から受け継がれてきた歴史に対する尊敬」も生まれては来ません。 その結果、戦後の国民は、拠り所のない「根無し草」のように流れていく存在に成り果てました。 まさに、このような価値観こそが、昨今のいじめ事件や青少年犯罪の淵源にあるのです。 ◆自己の尊さと日本の誇り しかし、人間とは神仏が創った尊い存在であり、永遠の生命を持ちこの世とあの世を転生しながら魂の修行をしている存在です。 その中で、親との深い縁があって生まれてきたのであり、そこから神仏を敬い、親孝行の心も生まれて来たのです。 そして、自分が生を受けたこの日本の歴史を愛し、過去の先人を尊敬するからこそ、誇りを持って先人に恥じない生き方をしようという心が芽生えてくるのです。 大川隆法総裁は『政治革命家 大川隆法』の中で下記のように説かれています。 「『神仏を信じない』ということが、結局、『国としての誇り、国民としての誇り』を失うことにつながっていくのです。要するに『誇りを失った国民、誇りを失った国民は滅亡に至る』というのは歴史の必然だからです。 『誇り』を支えるのが、じつは『信仰心』であり、『自分は神仏の子である』という尊さの自覚なのです。」 ◆「宗教政党」の意味 釈量子新党首となり、幸福実現党は「宗教政党」としての打ち出しを強めています。 幸福実現党が「宗教政党」を堂々と名乗る理由は、ここにあります。それは、決して一宗一派の利益のために「宗教政党」を名乗っているわけではありません。 国民が「神仏の子」としての尊厳、「日本の誇り」を取り戻し、日本に生まれた使命を果たすことこそ、「幸福」の基盤となるからです。 古より日本人が当たり前に大切にしてきた「神仏を尊ぶ心」を日本の柱に据える事は、日本を復活させる最も根本的な課題なのです。(文責・政務調査会・佐々木勝浩) 連続する「いじめ自殺」――いじめを止める唯一の方法とは? 2013.07.19 ◆今月に入って連続するいじめ自殺 7月に入って、連続していじめ自殺事件が起き、いずれも学校側の対応の問題が指摘されています。 ・7月7日、いじめを受けていた長崎市立小学校6年生の女子児童(11)が自宅で首をつって自殺を図り、意識不明に陥る。 ・7月9日、山口県宇部市の市立中3年の男子生徒(14)が自宅で自殺。いじめが原因と見られている。 ・7月10日、名古屋市で中2の男子生徒(13)が「いろんな人から死ねと言われた」と書いた遺書を遺し、飛び降り自殺。 ・7月12日、東京都品川区で昨年9月、区立中学1年の男子生徒(12)が自殺した問題で、男子生徒に対して殴ったりするなどの暴行を加えた同級生の少年(13)を児童相談所に書類送致。 また、7月6日には、奈良県橿原市で公立中一年の女子生徒(13)が同級生の無視などに「これはいじめ。死にたい」と漏らした後の3月に自殺した問題で、校長が「調査の中でいじめの情報はなかった」と虚偽の説明していた疑いが報道されています。 ◆遅きに失した「いじめ対策推進法」 いじめ対策については、6月21日、「いじめ対策推進法」が参院を通過し、6月28日に公布されました。 私、いざわ一明が代表を務めております「いじめから子供を守ろうネットワーク」は、多くの賛同者の皆様と共に、首長や議会、教育委員会に、要望書あるいは陳情書を提出するなどして、7年近くも「いじめ防止法」の制定を訴えかけて参りました。 法律制定には、私達と共に、「いじめ防止法」の必要性を訴えてきた明星大学教授の高橋史郎氏や教育評論家の森口朗氏、そして衆議院議員義家弘介氏等の発言も大きく影響したことも確かです。 拙著『いじめは犯罪!絶対にゆるさない!いじめに悩むこどもたち、お母さんたちへ』(青林堂)も議論の場に参考資料として上がったとお伺いしました。 「一つの山」を超えたことは確かですが、この7年という時間の中で、どれ程の数の子供たちが「いじめ」によって、その若い命を投げ捨てたのかと考えると、遅きに失したと言わざるを得ません。 ◆「いじめ防止対策推進法」でいじめは減るか? 今般成立した「いじめ防止対策推進法」で、本当にいじめは減るのでしょうか? 7年間に渡って「いじめ防止法」制定を訴え続けた日本で唯一の団体の責任者として、同法の実効性を申し上げる義務があるかと思います。 結論から申し上げます。 早くも公布後の7月10日には、いじめによって名古屋市において中学2年の男子生徒が自殺していますが、「いじめ対策推進法」では、いじめは減りません。ましてや「いじめ自殺」を止めることなどできません。 ◆「いじめ防止対策推進法」で評価できる点 改めて、「いじめ防止対策推進法」を検証したいと思います。いくつか評価できる点もあります。 まず、同法第23条の4で「学校は、加害児童生徒を別室で指導することができる」と明記した点は高く評価できます。 「いじめから子供を守ろうネットワーク」が扱ったいじめ相談で、加害者を別室指導した学校の事例は1件のみです。 「別室指導」が条文化されたことで、学校に「加害者を別室にして欲しい」と申し入れる根拠ができました。 次に、第16条の1において、「定期的な調査を講ずるもの」としている点も評価できます。子供たちへのアンケート調査は、いじめの早期発見に大きな効果があります。 もう一点、第18条で、「教員の養成および研修の充実」が挙げられている点も評価できます。 ◆「いじめ防止対策推進法」に足りないもの しかし、同法には重大な欠陥があります。「教員への懲戒」について一言も条文化されていないのです。 この一点が、この「いじめ対策推進法」を単なる「いじめは許さない」という宣言にとどまらせています。 教師のいじめを防止したり、いじめられている子供を守る義務は謳っていますが、これは「いじめ防止対策推進法」があってもなくても当然の義務であり、実効性はほとんどありません。 そのため、同法は「教師は今まで通りで問題ない」というメッセージを発信しているのです。 この一点が、同法を「ザル法」におとしめているのです。誠に残念です。 ◆いじめを止める教師の下では、いじめは一日で解決できる! 子供たちだけに責任を押しつけてはなりません。そのように育ててしまった大人の責任、もっと言えば、教師の責任を問わずしては意味がありません。 日本全国でいじめが蔓延する直接の原因は「教師がいじめを止めない」、ただそれだけです。 《いじめを止める教師の下では、いじめは一日で解決できる》――これが「できる教師」の常識です。信じられない方も多いかと存じますが、事実です。 そもそも、このようなできる教師のクラスでは、大きな事件にはなりません。一日で解決するから当たり前です。 「いじめを止めない教師」とは、いじめを放置する教師であり、「いじめを見て見ぬふりする教師」とは、いじめに加担する教師であり、いじめを隠蔽する教師や教育委員会のことです。 こんな教師がはびこるから、いじめは無くならないのです。 大津のいじめ自殺事件では、担任の教師が被害生徒に「お前が我慢したら丸く収まるんだ」と言ったという生徒の証言もあります。 さらに、先日の名古屋いじめ自殺事件でも、亡くなった当日、自殺した生徒は、帰りの会でクラスメートから「死んでみろ」「死ね」と言われ、「死ねと言うから死ぬ」と言い返していました。その会話を聞いていた担任教諭は「死ぬ気もないのに、そんなことを言うもんじゃない」と話していたとのことです。これは、間接的な自殺幇助です。(7/12 東京) ◆「いじめ処罰法」の制定を! ひどい教師がいじめを広げ、いじめの被害者を自殺に追い込んでいるのは事実です。 教師がすべきことは、被害者の生徒を黙らせることでは断じてありません。加害者を指導することです。 この「いじめを止めない教師」を「いじめを止める教師」に変えるのが「法的処罰」です。 いじめを放置したり、いじめに加担したり、さらにいじめ首謀者となった教師、教育委員会は処罰すると明記することで、「いじめを止める教師」が全国に溢れ、いじめは確実に減ると断言致します。 残念ではありますが、「いじめを止めないとクビになる」と言われなければ動かないのが多くの教師なのです。 例えば、車のシートベルトも、かつては義務ではありませんでした。しかし、犯則金をとられるようになってシートベルトの着用率は上がり、それに伴って死亡事故も減りました。 それと同様、罰則がなくては動かない教師も多いのです。ゆえに、今こそ、「いじめ防止法」ではなく、「いじめ処罰法」を制定すべきです。 「いじめ処罰法」は、言葉としてきつく感じられますが、現実、ここまでやらなければ、いじめ自殺を止めることができないのです。 いじめは学校で起きています。したがって、実際にいじめを止められるのは「教師だけ」です。 いじめを止めない教師を「いじめを止める教師」に変える魔法が「いじめ処罰法」なのです。 ※【参考】7/13 The Liberty Web「相次ぐいじめ自殺 幸福実現党・井澤候補が『いじめ処罰法』制定を求める」⇒http://the-liberty.com/article.php?item_id=6319 私、いざわ一明は、子供たちが安心して通える学校をつくり、子供たちの未来を光輝かせるために、幸福実現党の参院選比例代表候補者として立候補させて頂きました。ご指導支援の程、何卒よろしくお願い申し上げます。 (一般財団法人いじめから子供を守ろうネットワーク代表 いざわ一明) 政治が変わらなければ、いじめは無くならない! 2013.07.07 ◆既に崩壊している日本の教育 この国の教育方針は「自虐史観」「ゆとり教育」をはじめ、完全に間違った方向性を歩んで来ました。 例えば、教育の現場では、九九ができない子供達が山のようにいます。ひらがなを手書きすることがおぼつかない高校生もいます。 また、カタカナなんて書けないのは当たり前で、「刀狩り」や「楽市楽座」なんて言葉を聞いたこともない高校生もいます。 しかし、これが現実なのです。「国際的に学力が下がった」などと言っている場合ではありません。危機的状況にあります。 小学校の科目ですら履修できない学生が堂々と「大学生」を名乗っている――日本の教育は、既に崩壊しかけていると言えます。 ◆いじめは“学校”で起きている いじめ対策についても、「いじめの現場は学校である」という現実に対して、もっと注目すべきです。 私、いざわ一明は、2007年から「いじめから子供を守ろう!ネットワーク」に携わり、数千件のいじめ相談に乗って参りました。 塾やスポーツ少年団などでいじめられているという相談もありましたが、99%は「学校でいじめられている」という相談でした。 最近では「ネットいじめが問題だ」という声も上がっていますが、それも調べてみると、学校の人間関係から発生していることが大半です。 メールや成りすまし、誹謗中傷などの書き込み、これらも全て、学校のいじめの一種でしかないのです。 ◆教師の指導力といじめの発生 いじめの現場は、やはり“学校”にあるのです。したがって、いじめ対策のためには、学校の改革を避けて通ることはできません。 なぜ、学校でいじめが起きるのでしょうか?――それは、教師の指導力が低下しているからに他なりません。 「子供が言う事を聞かない」「今の子供は自分勝手だ」――これらの言葉は、教師の言い訳に過ぎません。 学校には、いじめを許してしまう空間があり、そこでいじめが起こっています。 教師の指導態度によって、いじめ空間を無くすこともできれば、広げていくこともあることを知らなくてはなりません。 ◆文部科学省方針といじめの発生 また、いじめの根本には、文部科学省の方針があります。 例えば、文部科学省の「新しい教育観」では、「指導から支援への転換」という「子ども中心主義」が打ち出されました。 これは、教師の役割は、子どもに強制的に勉強させる「指導」ではなく、子どもが自ら学ぶことを「支援」することが大事だという方針です。 「子供たちの個性を大事にした教育をしよう」というスローガンであり、一見、良さそうに見えます。 しかし、実際に「自主的に」勉学に取り組むことができる子供はごく少数で、「指導から支援へ」という名の下に、教師が「指導」を放棄し、学力低下、規範意識の低下、自己中心主義(いわゆる「自己チュー」)の強化をもたらしました。 これは「子供たちをわがままにする教育」だと言えます。こうした間違った教育方針の下では、いじめが増えることはあっても、減ることはありません! ◆今こそ、教育の再建を! いじめを無くすためにも、今こそ、教育行政、文部科学省の「お建て直し」に取り組むべきです。 私が今回の参院選において、幸福実現党の比例候補者として立候補を決意したのも、「政治や教育行政から変えなければ、いじめを無くすことができない」と思い至ったからです。 私は、子供たちを守るために、子供たちの未来を光輝かせるために、日本を明るく照らすために、国の大本にある教育を変えて参ります。 そして、必ずや、国政の立場から、子供たちの未来を明るくし、希望の持てる教育を創ってまいります! ご指導ご支援の程、何卒よろしくお願い申し上げます。(文責・一般財団法人「いじめから子供を守ろうネットワーク」代表 いざわ一明) 無策であった政府のいじめ対策――教育システムそのものにメスを! 2013.07.06 ◆無策であった政府のいじめ対策 2006年、福岡県や北海道で起きた子供の自殺事件を契機に「第三次いじめ多発期」という言葉が口にされるようになり、それから間もなく七年が経過しようとしています。 果たして、その年月は「有効に使われた」と言えるでしょうか? 7月6日の新聞には「奈良県で3月に飛び降り自殺した子供が、実はいじめられていた」と報道されています。 学校側は、自殺との因果関係は「低い」と否定していた事件であり、昨年の大津いじめ自殺事件と同じく、教育現場の実態が全く変わっていないことを示す事件であり、実に残念です。(7/6 産経「中1自殺 いじめ原因か 『死にたい』友人に相談 奈良」) 私、いざわ一明は、2007年から「いじめから子供を守ろう!ネットワーク」に携わり、これまで3,000件以上のいじめ相談を受け、「いじめ自殺をなくす」という強い決意のもと、日々、「いじめ」と戦って参りました。 「いじめは犯罪!」というポスターは、全国の三分の一の学校に貼られ、その結果、「いじめは犯罪」という言葉が普及したことは、学校に明確な「善悪の価値観」が浸透したという点で前進です。 しかしながら、私たちの活動が、まだまだ政治や教育の現場を変えることができていないことを悲しく思います。 ◆いじめの実態を把握していない文科省 文部科学省は「いじめ認知件数」を毎年発表していますが、これは、実態とはかけ離れた数字です。 大津のいじめ自殺事件が大きく報道され、社会問題化したことを受けて、緊急に実施された調査では、全国の小中高校などが認知したいじめは半年間で約14万4千件となりました。(2012/11/22 日経「いじめ認知14万4千件 4~9月で昨年度の2倍 」) この数値は、前年度に実施した調査(約7万)の約2倍にのぼっています。 とりわけ鹿児島県においては、半年間で3万件を超えるいじめが報告され、その数は全国の5分の1を占めるほどになっています。 この結果を見ると、鹿児島が特別に深刻な印象を与えますが、実は鹿児島の報告件数こそが「実態」であり、子供たちの認識に極めて近いのです。 鹿児島県3万件を単純に47倍すると、おおよそ150万件、年間で300万件のいじめが日本の学校で起きていると考えるべきです。 それは、全国1400万人を超える児童生徒の5分の1以上を占める数字になります。はっきり言うと、5人に1人がいじめを受けていると推定されます。 ◆教育システムそのものにメスを! その意味で、この6年間の政府の「いじめ対策」は無策であったと言うほかはありません。 政府は、私たちの活動にいじめ問題の解決を委ねるだけで、本当に有効な対策を打てていなかったと言えます。 私たち「いじめから子供を守ろうネットワーク」は、この七年間で、5千件以上ものいじめ問題に取り組み、その大半を解決して参りました。 しかし、私たちが解決していくには、あまりにもいじめの件数が多すぎるのです。残念ではありますが、私たちはある意味でまだまだ無力です。 なぜなら、民間の立場では、教育現場で、いじめを解決するだけの権限がないからです。 この七年間の活動で痛烈に感じることは、「教育システムそのものにメスを入れなければならない」ということです。 今国会では「いじめ防止対策推進法」が成立しましたが、同法には、私たちが提言して来た学校による「いじめの隠蔽」に対する処罰規定がないため、ますます「いじめの隠蔽」が進む可能性すらあります。 今こそ、いじめ問題の実態と、その根底にある「学校の閉鎖性」の問題点を知り尽くした政治家の輩出が必要であると考えます。(明日に続く) (文責・一般財団法人「いじめから子供を守ろうネットワーク」代表 いざわ一明) 宗教教育はなぜ必要なのか? 2013.07.05 ◆日本社会から失われた「道徳心」 近年、無差別殺人やストーカー殺人など、あまりにも自分勝手な殺人事件が多く発生しています。 「自分が死ぬ前に他の人も殺してから」とか、「好きな相手が冷たい」とか、「好きな相手の家族が邪魔をしている」とか、ちょっと信じられないような自己中心的な理由によって残虐な事件が起きています。 特徴的なことは、事件を起こした人達は普通に育って来た人が多く、他の人と同じような家庭で育ち、教育を受けて来た人達が、驚くような事件を起こしているのです。 原因はいろいろとあると思いますが、「罪の意識」なく、犯罪を起こしてしまっている背景には、日本社会に「道徳心」が失われるモラルハザード現象が起こっているのではないかと感じます。 ◆戦後教育から消えた「善悪の価値観」 子ども達は「国の宝」です。私は参院選に立候補し、鳥取県で「教育再生」を掲げて選挙活動をしている中で、「教育は大事だけん、しっかりがんばんないよ!」と言われることも少なくありません。 鳥取県は、教育に対しての関心は高いですし、尊敬に値する素晴らしい先生方が数多くいらっしゃいます。 しかし、個人の力量によって子どもに与える影響に大きな違いがあることも事実です。 私、吉岡ゆりこは公立学校の教員として12年間(講師を含めると14年間)務め、たくさんの子ども達と関わらせていただきました。 授業では「道徳の時間」が週に一度あったのですが、「価値観の押しつけはいけない」ということで、子ども達の考え方を聞いて、「いろいろな考え方がある」ということが結論になるような時間でした。 私自身、自分の考えに強く確信を持てないままに教壇に立っていたこともあり、子ども達には正しい価値観を教えることもできずにいたと反省するばかりです。 もちろん、「価値の多様性」を認め合うということは大事ですが、それだけで授業が終わると、子供たちは「正しい善悪の基準は無い」と思ってしまう「価値相対主義」「ニヒリズム」に陥ってしまいます。. 例えば、「いじめた方も、いじめられた方も、それぞれ理由や背景があるのだ。お互いに理解し合おう。」ということで授業が終われば、「いじめは悪だ」という善悪の価値基準が育つはずもありません。 これは、戦後、GHQが日本の国力を弱体化させるために、「教育勅語」などを排除し、「特定の価値観を押しつける教育は全体主義社会をもたらす」という教育指針を押し付けたためです。 ◆今こそ、道徳教育、宗教教育の復活を! 私自身、改めて自分の受けて来た教育を振り返ると、「自虐史観」「ゆとり」「価値相対主義」教育の影響を受け、いまだに、その後遺症に苦しんでいる部分があります。 そして、そのような私たちの世代が今、親となって子ども達を育てているのです。 戦後、教育から宗教的側面が一切排除されましたが、宗教的信条に基づく「正しい善悪の判断基準」を持っていなければ、教師は「正しい価値観」を自信を持って教えることができないでしょう。 私自身、宗教的信条を学んだことによって、教員退職後に始めた家庭教師の場でも、子ども達に「善悪の価値基準」をしっかり教えらることができるようになりました。 昔は「表面だけのきれいごと」だと思っていた道徳についても、子供たちの心に届く情操教育ができるようになりました。 改正教育基本法第十五条には「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」という条文が新たに付け加えられましたが、実際には、教育現場では何も変わっていません。 私は「道徳教育」「宗教教育」を復活し、子ども達の心が「正義」と「自信」と「誇り」に満ちることを目指して、教育に励み続けることのできる教員養成に力を注いで参りたいと思います。 また、日本という国を愛し、ご先祖さま、日本の先人の方々に「誇り」を持てる正しい歴史教育、偉人教育を公立学校に実現したいと思います。 そして、幸福実現党の掲げる「教育再生」を実現し、「生まれ育った地域や日本のため、世界のためにがんばろう」と思う人材を育てて参りたいと思います。(幸福実現党鳥取県参議院選挙区代表 吉岡ゆりこ) 形だけの「指導力不足」教員対策――規制緩和で、私学・私塾の活性化を! 2013.05.06 「指導力不足」教員の実態 先日、東京の公立小学校に子供を通わせている保護者の方から悩みをお伺いする機会がありました。 今年度、子供のクラス担任になった教員があまりに指導力が無いというのです。 担任は、授業初日から、前任校との比較についてや、「モンスターペアレント」で困ったことなどを生徒に話したそうです。 そして、授業は復習にもかかわらず、進み方が遅く、説明も的を射ていない、等々。 「自分の子供は幸い、良い塾に行っているから良いものの、そうでない子はかわいそうだ」とおっしゃっていました。 形だけの「指導力不足」教員対策 このような教員の指導不足については、公立学校に改善を訴えても、きちんと対処してもらえないことがほとんどです。 校長に対応を求めても、よほどでない限り、注意程度で終わってしまい、降格・懲戒処分や教員交代、人事異動等の対応は取られません。 学校という「閉じられた空間」の中で、最近ようやく、「いじめ」や「体罰」隠蔽問題については、社会の耳目を集め始めましたが、「教員の指導力不足」問題については、依然、深い闇の中にあります。 文科省では、こうした問題解決に向け、2000年以降、指導力不足教員対策として、教育委員会に指導力不足教員の認定と研修を進めてきました。 しかし、明確に「指導力不足」と認定された人数は2010年度で208人しかいません。一番ピークと発表された2004年度でも566人と、驚くほど少ない数字しか発表されていません。 その背景には、指導力不足教員の認定基準が各教育委員会の裁量に委ねられていること、並びに「いじめ」や「体罰」と同様、学校側に隠蔽したいという思惑が見え隠れします。 しかし、実際に、どうしようもない授業しか行わない教員が多数いるのは事実であり、運悪く「指導力不足」教員に当たった生徒や保護者は「とにかくすぐに替えてほしい」というのが本音です。 生徒や保護者にとっては、そうした教員の授業時間が無駄であるのみならず、間違った教育内容を教えられてしまうのではないかという恐怖さえあります。 現在、「指導力不足」教員が、大きな国家的損失を生んでいる可能性すらあります。 都市部に多い「指導力不足」教員 また、このような「指導力不足」教員の発生は、特に都市部で起こりやすいと考えられます。 それは、毎年行われる教員採用試験の倍率が大都市圏ほど低く、質の低下が起こりやすいからです。 例えば、2013年度の小学校教員の採用試験の倍率は、青森県16.3倍、岩手9.3倍、鹿児島県11.1倍であるのに対し、埼玉県3.2倍、千葉県2.6倍、東京都4.1倍と、地方に比べて都市部ほど低倍率傾向が続いています。 見方はいろいろありますが、こうした公立学校教員の質の低下が、大都市圏において、塾や私学人気をさらに後押ししているのは事実でしょう。 規制緩和で「私学・私塾」の活性化を図れ! 自民党の公立学校教改革案では、まずは教員希望者に「准免許」を与えて学校に配属し、数年の試用期間を経た上で「本免許」を与えることとし、指導力不足が判明した場合は、受け入れた教委が研修などを実施するとしています。(4/14 毎日「教員制度改革:『試用』3〜5年 新卒は准免許 自民検討」) 自動車運転免許のように、「仮免」から「本免許」へと段階を踏むことで、不適格教員をふるい落とすことがねらいですが、採用後、3~5年間の「仮免」教員が増えれば、教員の人件費はますます増大します。 むしろ、大都市圏では、塾を学校として認可する「規制緩和」を行ったり、私学に入りやすいように「バウチャー」(クーポン)を保護者に支給するほうが、問題ある公立学校の再建に大量の税金を投入するよりも遥かに効率的、効果的と考えます。 また、私学や私塾のほうがバリエーションある教育内容に意欲的に取り組める土台があるため、本当の意味で、生徒一人ひとりに合わせた多様な選択肢が保障されることにもなります。 私見ですが、現在の子供たちや20代の若者を見ていて、一定の割合で飛び抜けて優秀な人材が多くいると感じます。 明治維新期には「松下村塾」をはじめ、「私学・私塾」が突出した人材を輩出するインキュベーター(孵卵器)となりました。 日本から「世界のリーダー」を輩出していくためにも、政治家は勇気を持って学校制度の在り方を大胆に見直し、私学・私塾の活性化を図るべきです。 (文責・宮城県第4区選挙区支部長 村上善昭) 待機児童解消と「保育の質」向上に向けた保育制度改革を! 2013.04.27 「待機児童ゼロ」を目指した改革 わが国の現行の保育制度は、需要量に対して供給量が圧倒的に不足しているという構造的問題があり、少子化対策や女性の社会進出の妨げとなっています。 現在、都市部を中心に保育所に入りたくても入れない待機児童の問題が深刻化しており、平成24年10月時点での待機児童は46,127人となっています。(厚生労働省「保育所待機児童数(平成24年10月)」) 政府試算によれば、潜在的には全国で100万人規模の供給不足が存在していると推定されています。(内閣府「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議(2007)) こうした実態を受けて、待機児童増加を「社会問題」と捉え、「新たな保育の仕組み」を導入する作業が進められています。 4月26日、政府は、子育て支援制度の具体策を検討する「子ども・子育て会議」の初会合を開き、待機児童の解消に向けた取り組みをスタートさせました。(4/26 NHK「待機児童解消 施設基準検討へ」) 5年前、自民党政権は「待機児童ゼロ作戦」を打ち上げ、認可保育園で保育を受ける0~2歳児の割合を、当時の約20%から5年後に29%、10年後に38%まで引き上げる目標を設定。10年間で保育園への入園児を約2倍近く増やす目標を打ち出しました。 以来、保育園と学童保育の量的拡大を目指したプランが続々と出されて来ました。 待機児童増加の背景 確かに、保育園の定員枠を増やすことは現代社会のニーズではありますが、待機児童の増加については、その背景にある、いくつかの大切な視点が見落とされています。 例えば、待機児童増加の背景には、長引く不況があります。景気回復や経済成長こそが、家庭の経済事情を改善し、子育てしやすい環境をつくるのです。 私、中根裕美は、かつて地元自治体が設置する子育て支援センターで相談補助員をしていたことがあります。その際、忘れられない経験をしました。 一歳児の子どもを育てておられるお母様が、「自分で子育てをしたいけれど、自分も働きに出なければ生活が厳しくてやっていけなくなった」と、涙ながらに話されました。 子どもを保育園に預ける家庭の中には、望んで共働きをしている家庭もあれば、ダブルワークを余儀なくされている家庭もあります。 子どもを保育園に預け、昼間は仕事、夜はパチンコ店の清掃をしている、お母様の声も聞いたことがあります。 最近、私は民間託児施設の立ち上げに参画し、保護者のニーズに応えることができる事業計画を練っていますが、料金設定では頭を抱えてしまいます。 働きに出ている母親の給料が、保育料金だけで飛んでしまうのではないかと。 実際、保育現場で感じることは、保育園に子どもを預けることを「積極的な選択」として選んだわけではない家庭があります。その背景には、必ずと言って良いほど、経済的問題があるのです。 消費増税による景気悪化は不幸な家庭を増やすことになり、絶対に消費増税はストップすべきです。 規制緩和で保育制度の改革を! 現在、待機児童解決の方法として、認可保育園を建設・増改築(公的資金を投入)し、定員を増やすことが議論されていますが、現在の自治体の財政悪化を鑑みると厳しい現実があります。 そこで、保育制度の規制緩和を提案したいと思います。 保育業界では、依然として「官業の民業圧迫」が続き、競争原理も働いておらず、著しい非効率が見られます。 今こそ、保育の公的仕組みを抜本から見直し、「利用者が保育園を選択する仕組み」「市場原理」「民間企業の活力」を取り込み、保育分野の規制緩和、準市場化を推し進めるべきです。 財源不足下でも待機児童解消と弱者救済が両立する保育制度改革の一つの案として、保護者と園が直接契約をする「保育バウチャー制」が挙げられます。 「バウチャー」とは、保育目的に利用できるクーポンのことで、例えば、市町村が保育園利用者に「バウチャー券」を年に12枚支給。保護者は好きな園を選択して、保育料の支払いに利用します。自分で努力して育てる人には保育費が還付される仕組みです。 バウチャー制によって、園児獲得のために保育園間の競争が促進され、「保育の質」の向上を図ることができます。 これにより、小さな規模の保育施設であっても質の良い保育を提供している園であれば、利用者が増え、更に事業を拡大することも可能となります。 子どもにとって良い園が増えていくことは、保護者にとっても嬉しいことです。 乳幼児期に必要な保育・教育の「あるべき姿」 また、保育園における「保育の質」については、商業ベースでの「学校教育の先取り」のような形のものではなく、「生きていく力」「徳育」など、この時期にこそ体得すべきものを尊重していくべきです。 保育制度改革においては、待機児童問題のみならず、乳幼児期に必要な保育・教育について、「教育のあるべき姿」とは何かという、根本的な課題にも目を向けるべきです。(文責・愛知県参議院選挙区支部長:中根裕美) 教育現場に成果主義を導入せよ! 2013.04.22 「学校週6日制」で教員増員が必要? 安倍政権下で様々な教育改革の具体案が提示され始めています。 文科省が公立校に導入を検討し、拙文でも以前論じた「学校週6日制」については、既に一部自治体では前倒しで実施されています。 しかし、本格実施にあたっては、教員の勤務時間の調整が困難で、「導入するなら教員増するべき」との議論が起きることが予想されます。(4/9 毎日「土曜授業:月2回が上限『導入なら教員増を』」) このように、教育改革にあたって、すぐに教員像・コスト増を求める体質は、教育現場に「コスト意識」が欠落している証拠です。 もし、教員増・コスト増が伴う可能性があるならば、そうした投資に見合った質の向上や、成績向上等の投資対効果を文科省や政府が検証すべきです。 教育改革は質の向上に焦点をあてよ! 同様に、改革が単なるコスト増だけになる可能性は他の案にもあります。 自民党は、通常の教員免許取得した教員志望者に、まず「准免許」を与えて学校に配属。3~5年の試用期間後に本免許を与える案を検討しています。(4/14 毎日「<教員制度改革>「試用」3~5年 新卒は准免許 自民検討」) これは指導力不足教員の見極めや選別に現場での時間をかけることで、教員の質の向上が図られるとされていますが、試用期間中の見習い教員を置くということは、その分、担任を任せられない教員が増え、コスト増となる一方、教員の資質の測定手段は決まっていません。 改革にはコストがつきものですが、ただでさえ、公立学校の問題・課題が指摘されている中では、やはり成果に焦点をあてた改革でなければ、税金の追加投入の根拠たり得ません。 教育に成果主義を導入したイギリス その点、参考になるのはイギリスの教育改革です。 昨日のHRPニュースファイルでも論じられましたが、イギリスのサッチャー氏に始まるかつての教育改革が素晴らしいもう一つの点は、教育現場に成果主義を導入し、予算を効果的に使ったことです。 サッチャー首相とそれを引き継いだブレア首相によって、全国学力テストの結果公表と、学校選択の自由の推進、そして学校ごとの成績や生徒数、外部機関による査察結果に応じたメリハリある予算配分を各学校に実行しました。 この結果、校長や教員による学校運営・授業の創意工夫・自助努力の質向上が促進され、それまで学力が振るわなかった地域の学校が劇的に成績向上する例も出ました。 中でも有名なのは、2002年にNHKが「授業崩壊からの脱出―シャロン校長の学校改革」で紹介したロンドンの小学校の例です。 イギリスでは教育に成果主義を導入し、改善に成功した学校には予算を多く配分するようにしました。 そして、学校長とそれを任免する理事会の権限を強化し、予算の執行や教職員の人事権などを任せたのです。 結果、校長は教育者でもあると同時に、学校経営者としてマネジメントの手法を使うことができるようになりました。 シャロン校長は学力最下位層の学校に赴任して改革を進め、国語・算数・理科の平均点が300点満点で44点だったところを、4年間で282点にし、その栄誉にエリザベス女王から勲章が授けられたそうです。 実際に、こうした成果を出した過程では、シャロン校長は優秀な教員を養成・獲得するため努力し、4年間ですべての教員を入れ替えたといいます。 教育改革は生徒・保護者の視点で判断せよ こうした「痛みを伴う改革」は、終身雇用がいまだ当然の我が国の公立学校の現場ではかなり抵抗されるかもしれませんが、良い先生に担当してほしいというのは生徒・保護者の共通の願いです。 現在進行中の安倍政権による教育改革案も、今後も様々に議論されると思いますが、それらの良し悪しの判断の根拠は、最後は単純に「生徒がより通いたいと思う学校になるか」「保護者が通わせたいと思う学校になるか」という、顧客の立場での判断に基づくべきです。 幸福実現党の教育改革は、生徒や保護者の味方になる改革です。そのために、「いじめ対策」「歴史教育の充実」をはじめ、学校運営の規制緩和、民営化・自由化等を次々と実現していく所存です。(文責・宮城県本部第4選挙区支部長 村上善昭) 日本はサッチャー教育改革から学べ! 2013.04.21 サッチャー元首相の葬儀が17日、女王はじめ世界から2000人が参列しロンドンのセントポール大聖堂で営まれました。 改めましてサッチャー元首相の功績を称えるとともに、心よりご冥福をお祈り致します。 「英国病」を克服したサッチャーの教育改革 これまでHRPニュースファイルでも、民営化や規制緩和等による新自由主義的な経済改革によって、国家衰退をもたらしていた「英国病」を救った故サッチャー元首相の功績を述べて参りました。 サッチャー元首相が「英国病」を克服した原動力には、「経済改革」に加え、「教育改革」を断行したことがよく知られています。 安倍首相も「誇りを回復させたサッチャーの教育改革」として「サッチャー首相は、イギリス人の精神、とりわけ若者の精神を鍛え直すという、びっくりするような意識改革をおこなっているのである。それは壮大な教育改革であった」と絶賛しています。(安倍晋三著『美しい国へ』文春新書) サッチャー氏は1988年、「教育改革法」で、「教育水準の向上」と「自虐的偏向教育の是正」の2つの政策を断行しました。 「教育水準の向上」については、当時、国際教育到達度評価学会(IEA)による国際数学・理科教育調査でトップクラスであった日本をサッチャー首相自身が視察、教育改革の手本にしています。 自虐史観教育が生み出した「英国病」 イギリスでは先の大戦後半から自虐的偏向教育が行われるようになりました。 チャーチル率いる保守党が戦争遂行の緊急課題に専心する中、教育改変が連立政権内の労働党(左派政党)主導で行われたことがきっかけです。 1944年に改変された「教育法の三本柱」には、「児童の権利を尊重する人権教育の推進」「イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進」「教師の自主性を尊重する教育行政の確立」が掲げられました。 ここで「イギリスの帝国主義批判」を「日本軍国主義」に置き換えれば、日本の「日教組」の方針と酷似していることが分かります。 イギリスの日教組とも言える「教師労働者連盟」は、自国の歴史や伝統を否定する教育を推し進めましたが、これは労働党が政権を取るための選挙戦略でした。 1960年代以降、インドなどの旧植民地諸国が相継いで独立した際、イギリス側に加担していた人々が移民として流入し、学校でも英語が話せず、キリスト教以外の宗教を信ずる生徒が急増しました。 労働党は、これらの移民を支持基盤に取り込もうとして、組合教師が大英帝国を「侵略国家」として教え、インドなどの植民地支配における残忍性をイラストで解説。キリスト教は「人種差別を正当化する宗教」と非難しました。 サッチャー元首相の教育改革 こうした自虐史観教育が「英国病」を深刻化させる中、1979年、サッチャー保守党政権が成立。「教育改革」を旗印に自虐的偏向教育の改革と宗教教育によるイギリスの復活を目指しました。 1988年の「教育改革法」では、基礎教育科目を定め、歴史教育では、ナポレオン戦争におけるネルソンが果たした功績や、世界に先駆けて行った奴隷貿易廃止など、「英国史の光」に焦点をあて、自国に誇りが持てるようにしました。 宗教教育ではイスラム教やヒンドゥー教の信仰は自由とした上で、イギリスの宗教的伝統であるキリスト教を「必修科目」としました。これらの改革で、イギリスの教育は劇的に変わっていったのです。 日本は自虐史観の克服をサッチャー教育改革から学べ! 戦後、日本では、GHQが「日本弱体化政策」の重要な柱として、日本を侵略国家として子供たちに洗脳する「自虐史観教育」を学校教育に導入し、日教組が中心的役割を担いました。 昭和57年(1982年)には、誤報であったにもかかわらず。教科書検定において「『侵略』を『進出』と書き直した」という大手新聞の報道をきっかけに、中国や韓国が日本の教育に対して激しい内政干渉を行って来ました。 中韓の干渉に屈した時の自民党の鈴木内閣が教科書検定基準に「近隣諸国条項」を設けました。 そして、これ以降、中韓を刺激にないよう配慮せざるを得なくなり、「南京虐殺」「従軍慰安婦」など、教科書に記述しなければ教科書検定を通ることができなったのです。 「反日」を国策とする中国や韓国の歴史観に基づいて、日本の子供の教育が行われているのが日本の教育の現状です。 「日本は他国侵略した悪い国」と教えられていては、子供たちが自国の歴史に誇りを持てるわけがありません。 国家の教育とは、その国を支える立派な国民を育むことが基本です。 そのためには、自国民が誇りを持てるよう、自国の歴史の光の部分を教える必要があります。 自国への誇りが立派な国民を育て国の活力になっていくのです。 今こそ、日本はサッチャー氏の教育改革に学び、日本の教科書を歪めている「近隣諸国条項」を廃止し、中韓の内政干渉に左右されない、誇りある日本の歴史を取り戻すべきです(文責・政務調査会 佐々木勝浩) 【参考文献】 大川隆法著『サッチャーのスピリチュアル・メッセージ』幸福の科学出版 椛島有三編著『教育荒廃と闘うイギリス』日本会議ブックレット 八木秀次著『国家再生の哲学』モラロジー研究所 すべてを表示する « Previous 1 … 12 13 14 15 16 … 18 Next »