Home/ 教育 教育 地域貢献・国際貢献から考える新たな大学像 2014.10.10 文/幸福実現党秋田県本部副代表 三國佑貴 ◆国際観光文化都市の創造へ 10月4日、国内最大の文化の祭典「第29回国民文化祭あきた2014」が、皇太子殿下ご臨席のもと、秋田県立武道館で開幕しました。 皇太子殿下は「東日本大震災以降、初めて東北で開催される国民文化祭。多くの困難に立ち向かっている方々に夢と希望を与えるものとして、大きな役割を果たすことを期待しています」とお言葉を述べられました。 約1ヶ月間に渡って、秋田県内全市町村が舞台となり、美術、文芸、音楽、舞踊、伝統芸能、アートプロジェクト等、多彩な事業が展開され、日本、そして世界から、多くの観光客が訪れます。 秋田県は6年連続で、小、中学校の学力テストにおいて、全国上位を占めている教育立県です。その理由として、質の高い文化、美術、芸術を愛し、理解する心が、秋田全土に根付いていること、これが要因のひとつではないかと考えます。 ◆国際教養大学(AIU ※Akita International University)の躍進 秋田の新しい文化創造、国際化を強力に推進しているのが、開学10周年を迎えた、AIU(公立)の存在です。 2010年4月、国際基督教大学、立命館アジア太平洋大学、早稲田大学国際教養学部と、AIUがグローバル4大学交流協定を結び、2012年には上智大学が加わりました。 そして先月、文部科学省より、世界レベルの研究を行う大学を支援するための「スーパーグローバル大学」として、AIUが選定され、総額15億円の助成を受けることが決まりました。 世界に拡がる160を越える大学と提携、世界26ヶ国、全国47都道府県から学生が集まり、約9割の学生が、キャンパス内で24時間生活しています。秋田市の郊外に「世界の縮図」とも言えるような多文化共生の空間ができあがっています。 Pharrell Williams – Happy (We are from AIU) #AIUHAPPYDAYS #国際教養大学 #HAPPYDAY https://www.youtube.com/watch?v=8klvHb1N-V8 24時間365日開館している図書館は「学習意欲を喚起する本のコロッセウム」をテーマとした、半円のユニークなデザイン。多くの学生達が、寸暇を惜しんで知的格闘に励んでいる姿は、緊迫感に満ちており、決闘前のグラディエーターの姿を彷彿とさせられます。 ◆国際教養大学の知られざる地域貢献力 AIUは、県内の6市町村と国際交流に関する交流協定を結び、留学生や、大学訪問の受け入れを実施。2013年実施回数は215回、参加留学生は1100人以上にのぼります。(国際シンポジウム、県職員と合同の国民文化祭委託事業、地元小中高生たちとの交流 ※由利本荘市、留学生による着物姿秋の観光キャンペーン、等々) 学生が県内の小、中学生に英語を教え、教員が小中高の先生に英語指導をするという取り組みも始まっています。 また、卒業生による秋田発のプロバスケットボールチーム(秋田ノーザンハピネッツ)の立ち上げ、東アジア調査研究センター(AIU内)主導の、日露関係強化に向けたロシア沿岸部産業育成、海外展開に意欲のある企業に向けた「攻める秋田企業応援プロジェクト」などが進んでいます。 AIUは年間で約40億円の経済効果(消費や県内生産の誘発)をもたらしており、県内のグローバル化と産業活性化に大きな貢献を果たしています。 国際性に加えて「大和の心」を学んだ多数の海外留学生が、県内企業や、日本有数の大手企業で活躍しており、全国の大学関係者、国内メディアから注目を集めています。 ◆大学の教育改革から世界の担うリーダーの輩出を 以上のように国際教養大学のような、これまでの既存の概念にとらわれない理念を持った大学から、国際性とチャレンジ精神があふれる学生がどんどん輩出されることは、大学がある地域ばかりではなく、日本の発展を促し世界への貢献にも繋がっていきます。 東京オリンピックも2020年に開幕致しますが、これを契機にこれまでの既存の大学にはない新しい発想に基づく大学を創設し、政治や経済、芸術をはじめ、宇宙開発や海洋開発などにも国際貢献する世界のリーダーを日本から輩出していくことが求められます。 ≪参考≫ ・国際教養大学(AIU)学校案内 ・産経2014.9.27 10.5 ・月刊「事業構想」2014年9月号 ・第29回国民文化祭・あきた2014プレガイドブック ・秋田県大型観光キャンペーンガイドブック 「特別の教科 道徳」設置と次なる課題 2014.09.22 文/HS政経塾 第3期生 和田みな ◆「特別の教科 道徳」 文部科学省の中央教育審議会の道徳教育専門部会は今月19日、10回目の審議を開き、最終答申案をまとめました。 今回の答申でまとめられた内容は、以下のようなものです。 道徳の時間を「特別の教科 道徳」(仮称)として格上げし、学校教育全体を通じて行なう道徳教育の要として位置づけ、理解と実践のための内容の充実を図ること。 それに伴い、目標・内容を明確にし、指導方法を改善すること、検定教科書と評価の導入、教員の指導力及び免許や教員養成課程の改善を行なうことなどです。 ◆現状の「道徳の時間」の問題点 「道徳の時間」は昭和33年に創設され、週に1時間確保されてきましたが、「教科」ではありませんでした。 平成18年、教育基本法が60年ぶりに改正され、その内容を反映するために道徳の学習指導要領も改訂されました。 その中で、道徳教育の充実を図るため「学校における道徳教育は、道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うもの」であると明記され「道徳教育推進教師」が位置付けられます。 しかし、効果には地域差があり、現場の教師に理念が浸透せず、結果として他教科に比べ軽んじられてきたことが問題視されていました。 ◆「特別の教科」への格上げの意味 このような現状から、今回の答申では、道徳教育は「道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うもの」という理念の浸透と、具体的な取り組みを推進するために、道徳の時間を単なる「教科」とするだけではなく、「特別の教科」に格上げすることがまとめられたのです。 「道徳教育」は学校教育全体で行う根源的なものです。「特別の教科 道徳」はその道徳教育の要を担う時間であり、他の教科や特別活動は道徳教育の実践の場であるという位置づけになります。これが「特別」の意味です。 この重要な意識改革を現場の先生方はもちろん、国民にも促すことができるかどうかが、今回の大きなポイントです。 ◆教育の目標「人格の完成」と道徳教育 道徳教育を「根源的なもの」と強く述べた理由は、教育とは何を目指しているものなのかという「教育の目標」に関係しています。 教育基本法では、第一章第一条に「教育の目標」は「人格の完成」にあることが述べられています。 そして今回の答申の冒頭ではこの目標を示した上で、「人格の基盤となるのが道徳性であり、その道徳性を育てることが道徳教育の使命である」と明記されました。 この点から、教育の目標を達成するための基盤が道徳教育にあるということは明らかです。 ◆道徳教育と宗教教育 「道徳」は、私立学校においては「宗教」と置き換えることが許されてきました(学校教育法施行規則の第50条「宗教をもって前項の道徳に変えることができる」)。つまり道徳教育と宗教教育は、同じく人格の完成の基礎を成すものであるということです。 また、昭和22年、文部省に設置された教育法令研究会がまとめた『教育基本法の解説』では、次のように記載されています。 「宗教的信仰が将来の国民の道徳的向上のために必要なこと、ことにそれが人格の完成及び民主主義的、平和主義社会の建設に貢献するところが大であることが認められなければならない」 この解説からは、教育の目標である「人格の完成」には、道徳教育、さらにその根源には宗教教育が必要であると読み取れます。 ◆教育界が抱える「宗教=タブー」というジレンマ 今後の道徳教育の深化には、道徳の根源にある「宗教性」を教えられるかが鍵となるでしょう。 今回の道徳部会で主査を務めた押谷由夫教授も、道徳教育の再検討を研究していく中で次のように道徳教育における宗教の重要性を述べています。 「宗教の道徳教育が果たす役割について考えざるを得なくなり」、「最も深く人間としての在り方や生き方を、自らに問いかけ実践しつつ追い求めた人々は、世間でいわれる宗教者です」、「人間として生きることの探求には、人間の力を超えたものとの対話が不可欠」(「学校における『宗教にかかわる教育』の研究1」) 一方で、今回も宗教教育は「重要な課題」であると認識され、何度か意見が出たにも関わらず、最後まで踏み込んで話し合われることはありませんでした。 教育界は、「宗教性」が重要だとは認識しつつも、「宗教教育」触れられないという「宗教=タブー」というジレンマから抜け出せずにいるのです。 ◆課題は「宗教=タブー」の払拭 ある調査では、日本人の約70%が「無宗教」であると答えていますが、一方で70~80%が「宗教心は大切だ」述べています( 橘木俊詔著『宗教と学校』)。 80年代、政教分離の米国においてレーガン大統領が、教育の荒廃と道徳の乱れを改善するため「教室に聖書と祈りを復活させる」と言ったことは有名です。 このように、「教育の中で宗教性を教えることは大切だ」と多く人が認めています。 子供たちの人格の完成、人生にとって本当に大切なものを教えられる道徳教育にするために、日本の教育界は「宗教=タブー」という凝り固まった意識を払拭し、議論すべきです。 学問の領域に潜む黒い影――中国孔子学院の実態 2014.09.03 文/HS政経塾2期卒塾生 服部まさみ ◆中国「孔子学院」の実態 日本の学問の領域に静かに忍びよる黒い影があります。中国の文化教育・宣伝機関である「孔子学院」の存在です。 中国政府が03年から「中国語を世界語に」とのスローガンのもと、中国語・中国文化を世界に広げる国家プロジェクトが推進されました。 この国家プロジェクトの趣旨は、「世界に中国語を広め、世界各国の中国に対する理解と有効を深め、世界における中国の影響力を拡大すること」とし、その目標を達成するための中心政策が孔子学院なのです。 04年にソウルで一校目が設置された後、14年7月までに、全世界で約400、米国では90数カ所に開設され、日本でも立命館大学、早稲田大学、桜美林大学など約20大学に開かれています。 世界各国に設立されている孔子学院は、中国の政府機関と海外の教育機関との共同設置・運営を行っています。 限られた予算の中で授業を行わなければならない多くの教育機関にとって、中国側が初期投資の費用を提供してくれる孔子学院は魅力的であり、中国側にとっても提携機関のインフラを利用することで設備投資を軽減出来るメリットがあります。こうしたフランチャイズ方式が急速な拡大を可能にしたのです。 また、中国当局の訓練を受けた教師が中国から派遣され、教科書やプログラムなども中国当局が作成したものが使われています。しかし、相手国の教育機関のニーズをもとに作られているため中国のプロパガンダとは一見分からないようになっているのです。 大学などの教育機関の内部に設置され、教師の給料などの費用も中国政府が支給し、採算を度外視していることが特徴的です。 政府主導で自国の言葉や文化を広める英国のブリティッシュ・カウンシルや、ドイツのゲーテ・インスティテュートなど他国の組織は独立した語学学校という形を取っています。 孔子学院は、一般国民からは、中国語と中国文化を教える学校にしか見えませんが、中国教育省の高官は、「我が国の外交と対外宣伝工作の重要な一部だ」と強調しているほど、その実態は中国共産党のプロパガンダ的要素が強いのです。 ◆米国の教育機関を侵食する孔子学院 中国政府は、米国における中国語教育・中国文化の普及を大変重要視しているため、米国内の100近い大学に孔子学院が設置され、世界最多となっています。 しかし、今年の6月に、米国大学教授会は、「孔子学院は中国国家の一機関として機能し、学問の自由を無視する行動を取ることが多い。一方、米国の大学は学問の誠実性を犠牲にするようなパートナーシップを外部機関と結ぶことがしばしばある。孔子学院の開設を学内に許してきた米国の大学は、孔子学院との関係を再検討する必要がある」との公式声明を発表しています。 この公式声明が発表された背景には、米国の大学内にダライ・ラマの肖像画を飾ることを禁止したり、法輪功に加わったカナダ人教員に脱退を求めたり、中国政府に弾圧された民主化運動家の陳氏に対して圧力をかけ大学からの退去を求めたり、事実上、中国政府のコントロール下にあることに対して、市民の反対の声が大きくなってきたことにあります。 6月14日付のワシントンポスト紙の社説でも米国の大学が中国に管理されつつあることに警告を発しています。 果たして、米国のこの声明が中国の宣伝工作に対して歯止めをかけることができるでしょうか。 ◆中国の戦略的な手法 中国は、2020年までに世界の500の都市に孔子学院を設置することを目標にしています。今後は、さらに、初等教育や中等教育における中国語の普及により一層、重点を置くと考えられています。 米国の小・中・高等学校の教育課程において中国語教育の普及を広めるために、中国政府は毎年、米国から小・中・高等学校の校長、教育委員会から約2000名を中国に招聘して、豪華な中国旅行でもてなしています。その結果、中国語科目を提供する学校が以前より4倍に増加しています。 また、孔子学院を設置する州も中国との貿易が活発な州や、政府機関が多いワシントンD.C.近郊の州にターゲットを絞り、他の国の孔子学院の3倍の資金を投入するなど極めて戦略的です。 ◆日本は新たな「占領」を許すな 孔子学院の問題は、米国だけではなく、日本の教育機関に関わる大きな問題です。 大学設置審議会においては、孔子学院に代表される学問の領域への中国の宣伝工作の是非がしっかりと審議されるべきではないでしょうか。 未だ、GHQの占領政策による深い闇から抜け出せない日本において、新たな「占領」を許すわけにはいきません。幸福実現党は、日本と世界の平和のために自由の革命を起こして参ります。 公教育改革を進めよう――恐れるものへの挑戦を 2014.08.30 文/兵庫県本部 副代表 湊 侑子 ◆学力の底上げが実現 文科省が今月25日に全国学力テストの結果を公表しました。 国公私立計35000校、約215万人が参加した今回の結果を見て驚いたことは、毎年最下位もしくはそれに近かった沖縄県の学力が小学校で大幅に改善されていたことです。 小6算数Aが昨年の最下位から今年は全国6位に。国語A・Bや算数Bも例年の40位以下から30台前半へと上昇しました。 成績上昇は沖縄だけではありません。 今回のテストでは全国平均と下位3県の平均との差が、中3国語Bを除く7科目において昨年度よりも0.3~1.2ポイント縮まりました。(2014.8.26 産経「学力底上げ進む」) 下位層が全国平均値に近づいてきたことにより、全体的に学力が上がったことが分かります。都道府県別の結果の公開をした結果、わずかながらも学力が底上げされました。 現に沖縄県内でも学力が最下位であった八重山地区、特に石垣市では低学力の犯人捜しを辞め、学校・家庭・地域が責任をもって子どもたちの教育にあたったところ、正答率が上昇し、沖縄県の学力底上げにつながったと言います。(同上 産経) 公開テストの結果開示は、子供たちの学力増進につながると言えます。 ◆公教育にかかる教育費、実は高い! さて、皆さまは公教育にどのくらいの費用がかかっているか、ご存知でしょうか。 少し古いデータですが、平成21年度教育費の総額は16,4兆円、そのうち公教育にかかるコストは、13,7兆円でした。これらには、すべて私たちの税金が使われています。 公教育に対して国民すべてが一人当たり、年間約10万円を負担していることになるのです。 生徒一人あたりの学校教育費は、小学校で91万円、中学校で106万円、高校で115万円、高等専門学校で211万円、定時制高等学校で164万円で、これらの多くは人件費(教員・事務員の給料)に使われています。学校の施設維持費などを加えると、これがおよそ1.5~2倍になると思われます。 公教育はただ、というのは単なる思い込みであり、間違った認識です。 国民の尊い血税を使っている以上、公教育は成果を出さなければなりません。その成果とは、国益にかなう日本人を育てることであり、世界に貢献する日本人を輩出することです。 そう考えるならば、現在問題とされている多く事柄、自殺までつながる陰湿ないじめ、学習内容の薄さと低学力、一部の教師の怠慢、日教組などによる過度な平等・平和教育、教育委員会の機能不全、などの解決に向けてもっと真剣に取り組むべきです。国民は、公教育に無関心であってはならないと思います。 ◆公教育に競争と情報公開を 都道府県別の成績は公開されても、市区町村別・学校別の学力テストの公開は、まだまだ程遠いのが現実です。 この度、一定の条件付きではありますが、市区町村別・学校別テストの結果を公開できるようになりました。 しかし「過度の競争おそれ」を抱く教育委員会は、各学校の責任に任されている自校の成績公開に関して、「公開しないように」と要請する大阪・堺市教育委員会さえ存在しており、公教育の成果はなかなか明らかにされません。 公教育に本当の競争を導入し、各学校が切磋琢磨しながら努力と改善を行うための最も良い方法は、学区制を廃止もしくは広範囲に設定し、生徒が自分の行きたい学校を選ぶことができ、生徒数に合わせて各学校に予算を配分する「生徒・保護者の足による投票」、欧州型の教育バウチャー制度導入であると私は考えます。 そのためには、各学校の様々なる情報の公開が欠かせません。競争が質を向上させること、競争がないとことには腐敗が生まれる、ということは明らかです。 公教育は誰のためのものなのか? それは、教育を受ける生徒たちのものです。彼らはこれからの日本を担う、主役であり主力なのです。文科省・各教育委員会・学校・教員たちは、生徒たちのための公教育改革をはじめなければなりません。 それは多分に痛みと反対を伴うものでしょうが、恐れるものへの挑戦こそが、未来を切り開く鍵なのです。 「学問の自由」と「大学の自治」の重要性 2014.08.20 文/徳島県本部副代表 小松由佳 ◆開学を目指す幸福の科学大学 学校法人幸福の科学学園は、来年度の「幸福の科学大学」開学を目指し、設立趣旨やカリキュラム概要を文部科学省の大学設置室に提出し、その諮問機関である大学設置・学校法人審議会との間で、意見交換を続けてきました。 しかし、同審議会側が、いくつかの科目について、「内容がわからない」、「担当教官の能力判定ができない」などとして、「保留」の通知を出す一方で、そうした内容を述べた書籍の受け取りは拒否する、といったことがありました。(参照:大川隆法著『幸福の科学大学創立者の精神を学ぶⅠ(概論)』幸福の科学出版2014年) よってここで、「学問の自由」と「大学の自治」の大切さを再確認したいと思います。 ◆「学問の自由」と「大学の自治」 「学問の自由」は、「信教の自由」や「思想・良心の自由」などと共に、精神的自由権に属します。そして、「学問研究の自由」、「研究成果の発表の自由」、「教授の自由」から成り、これらが外的権力の干渉・制限・圧迫によって脅かされないこと、とされています。 歴史上、学問の自由は、時の権力に批判的である場合、抑圧の対象となりやすく、国家がこうした自由権を認め、現実に制度面でも保障したのは、近代以降のことです。 日本でも、戦前の憲法には、学問の自由の保障についての規定はなく、旧大学令において、大学は「国家二須要ナル学術」を研究・教授するところと定められ、それにそぐわないと考えられた学問研究に対しては、公権力による弾圧も行われました。 よって、こうした過去への反省から、戦後の現行憲法では、23条に「学問の自由は、これを保障する」と明記されました。同憲法では、19条で「思想・良心の自由」、21条で「表現の自由」が定められていますが、これらと重複する内容を持つ「学問の自由」も、その重要性に鑑み、改めて特記されたと言えます。 そして、広義の「学問の自由」は、制度的保障としての「大学の自治」も含むとされています。「大学の自治」とは、大学の内部行政・事務を自主性に任せ、国家からの干渉を排除するもので、「人事」の自治、「施設」管理の自治、「学生」管理の自治から成ります。 この「大学の自治」は、それ自体が個別的自由権ではないものの、学問の自由にとって当然の帰結であり、密接不可分なものとして重視されています。 歴史的にも、19世紀のベルリン大学の創設により、学問の自由を基礎原理とする大学自治の原型が作られ、次第に他大学でもこの原理が承認され、1849年のプロイセンのフランクフルト憲法において、「学問の自由」が初めて明文化された、という経緯があります。 「教授の自由」についての最高裁判例でも、小・中・高等学校においては一定の範囲で制約を受けるが、大学などの高等教育においてはこうした制約を受けないとされています。 また、1952年に起きた「東大ポポロ事件」の最高裁判決でも、「学問の自由は、学問的研究の自由とその研究成果の発表の自由とを含むものであって、一面において、広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、他面において、大学が学術の中心として深く真理を探究することを本質とすることにかんがみて、とくに大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨としたもの」であり、「大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている」とされました。 このように、「学問の自由」、特に「大学の自治」を守り、国民の精神的自由を拡大することは、文明国における教育行政の義務だと言えるでしょう。 ◆国民の自由を守る行政を さらに、こうした精神的自由の中でも、最も根源的なものが「信教の自由」であることも、繰り返し述べておく必要があります。 戦前の宗教団体法は、宗教の管理・統制に主眼が置かれ、宗教法人を設立する際は、行政官庁が宗教の内容をも審査し、「認可」を与える必要がありましたが、戦後の宗教法人法は、あくまで宗教団体が活動しやすいよう、法律上の能力を与える「認証」制となりました。 95年の地下鉄サリン事件後、宗教法人への規制が強化され、様々な義務や罰則が定められましたが、本来、自由を濫用した犯罪などは刑法で対処すべきであり、「信教の自由」を守ることが目的の宗教行政においては、政府の介入・規制を極力少なくすべきです。 教育行政も同様で、大学設置についても、学校教育法や私立学校法の規定により、文部科学大臣の「認可」が必要となっていますが、「学問の自由」の重要性を考えれば、やはり行政による監理・統制は、できるだけ控えることが望ましいでしょう。 ましてや、宗教的精神をバックボーンとした大学の設置については、「信教の自由」と「学問の自由」、特に「大学の自治」といった重要な自由権に関わるものです。よって、最大限の自由が保障されるべきものであると、広く理解されなくてはならないのです。 「子ども・子育て支援新制度」のゆくえ 2014.08.17 文/愛知県本部副代表(兼)青年局長 中根 ひろみ ◆子ども・子育て支援新制度 平成24年8月、自公民3党合意を踏まえ、子ども・子育て関連3法(【1】子ども・子育て支援法 【2】認定子ども園法の一部改正法 【3】児童福祉法の一部改正等関係法律の整備法)が成立しました。 そして、いよいよ来年4月から、「子ども・子育て支援新制度」が本格的にスタートするということで、今年は全国各地で説明会が行なわれ、私も参加しました。 説明会に参加している理事長や園長は、まず何が変わるのかを理解することから始まりますが、正直なところ最たる関心事項は「公定価格はどうなるのか」ということです。 保育業界は、国からの予算なしには成り立たない業界になっていると、私自身、認可外保育施設の立ち上げに携わった後に、社会福祉法人の保育園園長を務める中で実感しているところです。 ◆公定価格と保育業界 「公定価格」とは、政府が経済統制を目的として決定する価格です。自園もこれにより決まった予算をもとに保育運営を行っています。 保育業界における公定価格の骨格に関しては、内容が複雑なためここでは触れませんが、公定価格は、社会主義国家の計画経済の下で行われるものが代表的です。 今の保育業界は、規制緩和により株式の参入が行われるなど「自由経済」の兆しが見えつつありますが、根本的には経済統制のもとに存在し、民間の自由な経済活動が制限されています。 ◆保育所の成り立ち 初めて児童福祉法が制定されたのは、戦後、昭和22年で、保育に欠ける児童を保育することを目的とした児童福祉施設である「保育所」が国の制度として誕生しました。 その後、ベビーブームによる出生数の増加に対応し、保育所の量的拡充が課題となったことに加え、高度経済成長の時代には、既婚女性の就業者数が増加したことから、保育所の整備促進が必要とされました。 しかし、現在はその逆で、不景気の影響で、子育てに専念したくても働かざるをえない既婚女性が増加したことから、保育にかける児童が増えている状況です。 待機児童の問題は、園を増やしたり、認定こども園など制度を複雑にしなくても、景気を悪化させる「消費税の増税」をやめ、経済を成長させることで、多くの保護者の悩みが解決します。 ◆新制度のための予算 ところで、「子ども・子育て支援制度」は、幼児期の学校教育、保育、地域の子ども・子育て支援の「質の向上」と「量の拡充」を図ることが目的ではありますが、この新制度を実施するための予算がどこからくるのか、ご存知でしょうか。 「社会全体による費用負担」つまり「消費税引き上げによる増収分から、毎年7,000億円程度が充てられる」ということになっています(実際には、0.7兆円程度を含めて、1兆円超程度の追加財源が必要)。 しかし、消費税率8%への引き上げの影響を受けた4~6月期の実質GDP(国内総生産)は、年率換算で6.8%のマイナスとなりました。 ◆子どもたちの未来のために 幸福実現党は、「社会保障と税の一体改革」の先にあるのは、国民の富を「税金」として大量に吸い上げ、「富の再配分」を行う「社会主義国家」であると、警鐘を鳴らし続けてきました。 「社会保障と税の一体改革」と称し、それが財政を圧迫し、更なる増税が要求され、経済が徐々に疲弊し、働かざるを得ない保護者で溢れ、家計も心もゆとりがなく、虐待にも繋がりかねません・・・これは国民にとっても、子ども達の未来にとっても幸福なこととはいえません。 「量の拡充」のためにできることは、前述の通り「消費税の増税」をやめ、待機児童を減らすことです。「質の向上」に関しては、規制を緩和し民間に委ねてゆけば、競争原理の中でより質の高い保育サービスを受けることができます。 「子ども・子育て支援新制度」は、「消費税の10%への増税」と共に、今後、見直しが必要であると考えます。 大義に命を捧げることのできる人材の育成を 2014.07.23 文/徳島県本部副代表 小松由佳 ◆いまだ不十分な教育行政 21日、大分県教職員組合が旅行業法に反し、新聞広告で韓国旅行の参加者を募集していたことが明らかになりました。違法性はもとより、反日の象徴である「日本軍『慰安婦』歴史館」を見学するなど、旅行内容に大きな問題がありました。 しかし、旅行内容について、県教組は「問題ない」とし、22日、公明党の太田昭宏国土交通相も、「答える立場にない」と述べました。教職員組合が間違った価値観を教え、それを政府が放置している実態が伺えます。 一方で22日、文部科学省は、平成28年度の全面改訂を目指す小・中・高校の学習指導要領について、今秋にも中央教育審議会に諮問する方針を決めました。高校では、新科目「公共」を導入し、規範意識などを実践的に教えると共に、日本史を必修化し、日本人としての主体性を育むとしています。 安倍首相が第一次内閣以来、教育改革にも熱心であることは評価できますが、やはり国防の議論と同じく、これも憲法を改正することなくして、根本的な改革はできません。 なぜなら、究極的な意味での公共心や主体性を確立するには、正しい歴史認識に基づく愛国心と共に、「自ら個人の肉体生命よりも大事なものがある」という、動物的本能を超越した精神的価値に目覚めなければならないからです。 ◆宗教的情操教育の必要性 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされた7月1日、北海道新聞には、「正直、戦争に行って死ぬのは嫌だ」という自衛隊員の声や、「戦地に行ってほしくないと言い出せないのがつらい」という自衛隊員の妻の声が紹介されていました。 こうした懸念に呼応するかのように、19・20日に産経新聞社とFNNが実施した合同世論調査において、第二次安倍内閣の支持率は45.6%と、発足後の最低水準となりました。 しかし、本来、日本国国民として、また自衛隊員として、祖国の人々を守るために命をも捧げようとする姿勢にこそ、日本の美徳であった武士道にも通ずる潔さを感じます。 元航空幕僚長の田母神俊雄氏も、共著書『田母神戦争大学』(産経新聞社2014年)で、「自衛隊員や海上保安官は、まさに命をかけて国を守っています。そういう人たちがいるということを、政治家がよく理解して、対応してくれればいいのです」と述べています。 こうした覚悟を持つには、やはり「肉体は死んでも精神は遺る」といった宗教的価値観が不可欠と考えられ、そのためには、宗教的情操教育を含む宗教教育の復活が必要なのです。 ◆肉体生命偏重の道徳教育 戦後、GHQにより日本の公教育における宗教教育は否定され、代替的な科目として、1958年に小・中学校で「道徳」が特設されましたが、初めは宗教的色彩が強く残っていました。 宗教教育には、宗教的知識教育、宗教的情操教育、宗派教育があり、現在は公教育において宗教的知識教育のみが認められていますが、1966年に文科省の中央教育審議会が文部大臣に答申した「期待される人間像」では、道徳には宗教的情操教育が必要とされています。 そして、「すべての宗教的情操は、生命の根源に対する畏敬の念に由来する。(中略)単に肉体的生命だけをさすのではない。われわれには精神的な生命がある。このような生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操であり、人間の尊厳もそれに基づき、深い感謝の念もそこからわき、真の幸福もそれに基づく」と述べられていました。 しかし、1989年の中学校学習指導要領では、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念」や「生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する」ことが強調されています。何も変わっていないようにも思えますが、「畏敬の念」の対象が、「精神的な生命」や「生命の根源」、「聖なるもの」から、「人間」や「生命」そのものへと、微妙に変質しています。 ◆宗教教育の充実に向けて 06年には、教育基本法が全面的に改正され、「宗教に関する一般的な教養」の尊重が追加されましたが、宗派教育の禁止は継承されました。 宗教的情操教育についても、中央教育審議会が「人格の形成を図る上で、宗教的情操を育むことは大変重要である」と提案しましたが、「何を意味するのか不明確である」「現行憲法の政教分離下では不可能である」などの意見が多く、導入は見送られました。 道徳教育は、2015年にも「特別の教科」へ格上げされる見通しですが、宗教的情操を欠いたままでは、効果に疑問が残ります。やはり、神仏や霊魂の存在を信じてこそ、大いなるもののために高貴なる義務を果たすことができ、人間の尊厳が守られるのです。 よって、新憲法を制定し、公教育においても宗教教育を可能とすべきです。具体的な教授法は、公教育で宗教が必修科目であるイギリスをはじめ、他国で様々な方法が研究されているため、それらも参考にしつつ、日本独自のものを開発していく必要があります。 幸福実現党の母体である幸福の科学グループも、教育事業に力を入れています。中高一貫校である幸福の科学学園が開校し(http://happy-science.ac.jp/)、来年には幸福の科学大学を開学予定(http://university.happy-science.jp/)です。 政府には、こうした私学の宗教教育をも奨励し、参考にしつつ、公教育の理想を見出していくことが望まれているのです。 日本はもう敗戦国のままではいない――国民世論の力で「南京大虐殺」の嘘を打ち砕こう 2014.07.04 文/幸福実現党外務局長 及川幸久 ◆「南京大虐殺」に対する日本政府の考え 今年6月、中国政府は「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」に関する資料をユネスコ世界記憶遺産に登録申請したことを公表しました。 同じ6月に、安倍内閣は、野党議員の南京事件に関する質問主意書に対して、答弁書を閣議決定しました。その内容とは、「旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」。(6月24日朝日新聞) 日本政府は以前から南京事件の罪を認める公式見解を出しています。その内容は、外務省のホームページに掲載されています。(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html) ◆なぜ中国は歴史問題にこだわるのか? ここで不思議なのは、なぜ中国は歴史問題にこだわるのか? 韓国のように慰安婦問題で日本から賠償金を取りたいのかというと、それだけではありません。中国は、日本を「戦争犯罪国家」のまま歴史に封印しておきたい、憲法9条改正を阻止し、永久に非武装国家にしておきたい。これが中国の根本戦略なのです。 そして、「日本は敗戦国である」という認識に基づいた国際秩序が、「戦後体制」「戦後レジーム」です。この戦後体制が戦後70年を目の前にして、存続するかどうかの歴史的転換点にきています。 たとえば、戦後体制の象徴である「憲法9条」は、国民の間で改正の機運が上がっています。 また、戦後体制を支えてきた“自虐史観”、「戦前の日本は軍国主義の暗黒時代であり、戦後アメリカによって初めて民主主義が実現した」という思想が堂々と学校教育で教えられてきましたが、慰安婦問題に端を発し、国民世論は「自虐史観」批判に向かっています。 その中で、「戦後体制」存続に危機感を持つ中国は、もう一つの戦後体制の柱である「南京大虐殺」を改めて再利用しようとしているのです。 ◆なぜ“30万人虐殺”なのか? 習近平主席は、今年3月ドイツ・ベルリンで講演し、「ドイツ人のジョン・ラーベの日記が南京大虐殺を書き残した」と述べて、30万人以上の虐殺を主張しました。 ところが、ジョン・ラーベは中国国民党を支援していたナチスの南京支部長であり、この日記のどこにも30万人という数字は書かれていません。杜撰な内容のスピーチでした。 ただ、虐殺というなら、4万でも10万でも十分であったはずですが、なぜ30万なのでしょうか? 南京大虐殺を世界に広めた、アイリス・チャン著作の『ザ・レイプ・オブ・南京』には、なぜか広島、長崎の名前が繰り返し出てきます。あたかもこの本は南京大虐殺の事実を証明することよりも、原爆投下の犠牲者数を上回る“大虐殺”をした日本軍の残虐さを印象づけることが目的のように見えます。 結局、広島、長崎での原爆投下の犯罪を隠すためにでっち上げたのが、“南京大虐殺“ではないでしょうか。 そして、原爆投下こそ非戦闘員の一般市民を大量殺害した戦争犯罪だと認識されてしまうと、「戦後体制」が一気に崩壊してしまいます。 ◆戦後体制とは「日本人を不幸にするシステム」 戦後体制によって実際に日本でどういうことが起きてきたでしょうか。 北朝鮮によって日本人数百人が拉致されても、日本政府は救出するどころか、長年その事実を隠してきました。その理由は、憲法9条があるからでした。 一方、最も多くの高校で採用されている高校歴史教科書には、南京事件について次のように書かれています。「南京陥落の前後、日本軍は市内外で略奪・暴行を繰り返したうえ、多数の中国人一般住民(婦女子を含む)および捕虜を殺害した」(『詳説日本史』山川出版社) 他に正しい歴史観を示した教科書も出ているのですが、大学受験では上記の自虐史観型教科書から出題されるので、現場の先生たちにはなかなか使われません。 また、国連分担金を世界で二番目に多く出している日本は、今頃、安保理の常任理事国になっていて当然ですが、そうなっていません。 中国、韓国の歴史問題による反対もありますが、日本の常任理事国入りを阻んできたのは、自国を「犯罪国家」と見る、日本人自身の自虐史観でした。 つまり、戦後体制とは、「日本人を不幸にするシステム」であり、一日も早く終わらせなければなりません。 ◆国民世論を結集して、戦後体制を終わらせる そこで、幸福実現党は、中国による南京事件資料のユネスコ記憶遺産登録に対して反対の声を集める署名活動を開始しました。 全国で30万人の反対署名を11月末までに集め、終戦70周年の来年を前に、12月内閣府に提出します。 南京大虐殺に反対する署名運動は様々な団体によって過去何度か行われましたが、30万規模のものはありません。 狙いは、ユネスコ記憶遺産阻止だけではなく、「戦後体制」自体の終焉です。本当に強いのは、結集された国民世論です。 皆様の署名運動へのご協力をお願いいたします。 ■中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、 日本政府に万全の措置を求める署名 http://info.hr-party.jp/2014/3159/ 「署名用紙」はこちらから http://info.hr-party.jp/files/2014/06/MpiuQvKg.pdf 教育の原点――国は人を以て盛(さかん)なり 2014.06.29 文/幸福実現党岐阜県本部政調会長 加納有輝彦 ◆国家有為の人材を育てた明治人の心意気 郷里の偉人今井金三郎氏とその子孫の「手記」をこの度、読む機会がございました。 今井氏は、山深い郷里(岐阜県加茂郡白川町・旧佐見村)から苦学の末、大日本帝国海軍の軍医となり、大正10年から、第二次世界大戦前まで、日本海軍の象徴として国民に最も親しまれた連合艦隊戦艦「長門」の初代軍医長に任官され、大正14年には、海軍兵学校軍医長に就任、その後要職を歴任され永く活躍されました。 今井氏がご活躍されたのは大正・昭和時代ですが、教育を受けたのは明治時代です。明治18年地元の寺小屋式小学校に入学。4年の義務教育を修了した後は、進学する資金がなく家業の農業を6年手伝いました。 その後、祖父母の支援で隣村の小学校の高等部に入学、さらに高山市の斐太中学、岐阜市の岐阜中学、金沢の第四高等学校を経て東京帝国医科大学(現東大医学部)に進学、明治39年、同大学を卒業され、海軍軍医中尉となり、昭和4年海軍軍医少将に昇進し、退役するまで23年間奉職されました。 地方の山里の農家の子供が、当時最高の教育を受けることが出来た背景には親御さま始め一族の教育への熱意がございました。 今井氏のご尊父は昭和9年にお亡くなりになられましたが、「俺はなあ、今井家へ養子に来て、大切な山林田畑の大方を売ってしまった。先祖様に申し訳ないが、しかし国のため人のためになった『将軍様医者』をつくった。許してもらえるだろうな」と言ってこの世を去られたそうです。 このように明治人には、国家有為と思われる人材には、先祖が守ってきた山林田畑を全て失ってでも教育をつけ、国のため、国民のため捧げるという覚悟があったのだと思います。 今井氏は、中学、高等学校を一着の木綿袴で着通し、学費の節約を図り、その木綿袴は今井家の家宝として永く保管されていたといいます。 親御さまを始め一族が厳しい生活の中、教育費を捻出してくれた恩に応えるべく、今井氏は刻苦勉励し、国家国民のため使命を果たされました。 ◆現代の篤志家の心意気 現在、幸福の科学グループでは、来年春の幸福の科学大学開学に向けて設立準備を進めております。また既に幸福の科学学園中学校・高等学校が関東と関西に一校ずつ開校しております。 これら開学、開校に当たっては、多くの人々が尊い寄付をされておられます。すでに運営されている中学校、高等学校には一定の寄付をした篤志家のお名前が銘板に刻まれ、子供達がその名前を日々見て勉学に励んでいます。 ご自分の子供や孫が通学していなくとも、多くの方が寄付を行っておられます。 学園の生徒たちは、常にそれらの人々への感謝を口にします。その感謝の思いは、ちょうど明治時代の今井氏と同じように、いや、今井氏の場合は、親御さん、親族が対象者でしたが、学園生の場合は、血縁関係を超えた多くの人々への恩に報いたいという感謝の心がエネルギーとなり、刻苦勉励し、多くの実績を出しています。 本来、公立の小・中・高等学校も市町村民や、県民の税金で支えられているわけですから、子供達にこのような素直な感謝の心が生まれてしかるべきだと思います。しかし、税金という形では、一人一人の納税者の期待の思いは全く子供達に届かなくなってしまいます。 ましてや、現行の高校授業料無償体制の中では、ますます納税者一人一人の思いは消されてしまい、「親が苦労して授業料を工面してくれた」という親御さんへの感謝さえも忘れ去られてしまうのではないかと危惧します。 高額納税者公示制度も2006年から廃止され、個人名、法人名、そういった個々人の努力、地域への貢献というものが全く見えなくなってしまった事は残念であります。 昨今の「公共が、社会が子供を育てる」という理屈はよしとしても、全く具体的な顔が見えない制度は、血が通うことがないと考えます。 幸福実現党は、小さな政府を目指し、減税を進め民間企業人が自由に使えるお金を増やして、寄付文化を育て、個々人の思いが例えば子供達に伝わるような制度設計を進めることも重要視しています。 ちなみに、幸福の科学学園、大学に寄付をされている篤志家は、同時に国民として納税の義務をりっぱに果たしておられる人々であることを付記しておきます。 少子化への処方箋~晩婚化・晩産化を克服するために~ 2014.06.18 文/HS政経塾二期生 千葉県本部副代表 古川裕三 ◆少子化白書が閣議決定 政府は6月17日、2014年度版「少子化社会対策白書」を閣議決定しました。少子化白書とは、少子化対策基本法に基づき、毎年国会に提出されるもので、少子化の現況や対策などに関する概要の報告書のことです。 それによると、2012年の第1子を出産した女性の平均年齢が30.3歳(前年比、0.2歳上昇)となり、いっそう「晩産化」が進んでいる現状が明らかになりました。 さらに12年の平均初婚年齢は、男性が30.8歳(前年比0.1歳上昇)、女性が29.2歳(同0.2歳上昇)と、「晩婚化」も進行しています。 さらに特筆すべきは、内閣府が昨年秋に全国の20~79歳の男女1639人を対象に行った意識調査の結果です。 それによると、若年層の未婚、晩婚化の理由について、女性は「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」(55.3%)が最も多かった一方、男性は「経済的に余裕がないから」(52.0%)が最多となり、男女間の意識ギャップが鮮明になりました。 また、「子どもを持つ場合の条件」については、20~40代の女性は「働きながら子育てができる職場環境」という回答が最も多くなりました。 ◆イクボスとは何か 仕事と子育ての両立支援という点については、長らく待機児童解消や育児休業制度という側面にスポットが当たってきましたが、最近注目され始めているのが「イクボス」という存在です。俗にいう、「イクメン」が出世して管理職になると「イクボス」になる、と言われています。 イクボスとは、部下の私生活に関する事情を配慮しながら仕事を割り振ることのできる上司のことを言います。 先日の16日に放送された「クローズアップ現代」では、まさにそのイクボスが特集されていました。そのなかで、「イクボス養成塾」なるセミナーが紹介されており、部下から妊娠や介護などのプライベートな報告や相談があった場合に、上司としてどのように声をかけ、相談に乗るべきかをロールプレイングするなど、その実践的な内容が放送されていました。 ◆長時間労働という名の「常識」 今でも日本では、長時間労働が「常識」でその大勢を占め、育児に積極的に参加する男性など、単なる怠け者ととられる節がありますし、子供が生まれたなら、男は一家の大黒柱として長時間労働してでもバリバリ稼げ、というのが上司の常套句だったかもしれません。 しかし、本番組で紹介されていた元祖・イクボスである社長は、「業績を上げることと、部下の私生活を尊重するのは部分的に相反する。でも両立は絶対出来るというか、両立したほうが仕事の成果も高まる。実感です、私の経験値。」と語っています。 事実、この会社の業績は右肩上がりだというのです。かつてこの社長は長時間労働が当たり前の猛烈サラリーマンだったそうですが、子供が生まれたことがきっかけで、正社員として働く奥さんも応援したい気持ちもあって、自分の働き方を変えたといいます。 ◆今求められる男性の意識変革 冒頭に女性は「独身の自由を失いたくない」という回答が最多だったとお伝えしましたが、これは、裏を返せば、女性は、結婚後は、炊事・洗濯・家事・育児を一手に引き受けなれければならない現実がある、ということではないでしょうか。 つまり、男性は家事・育児に参加してくれない、という前提があるのです。事実、男性の家事、育児の参加時間は一日平均1時間未満であり、これは欧米に比べても低い水準です。ですから、今、男性にこそ、意識改革が求められているのかもしれません。 それは、育児休業の取得率何パーセントにする、などのマクロ的な話ではなく、まずできることから男性も家事や育児に参加する、というミクロのことです。パートナーである男性のサポートがあれば、どれだけ、女性の負荷が和らぐでしょうか。 また、経済的理由で結婚できないとする男性も、「これからの時代、大黒柱は夫と妻の両方だ」という、いい意味での開き直りも必要かもしれません。 いずれにせよ、これからの時代は、制度だけではなく、イクメン、イクボスの大量出現により、仕事と子育ての両立に対する女性にとっての安心感を与えることが、晩婚化と晩産化に対するひとつの処方箋となるでしょう。 ささやかながら、夕食後の家族の食器洗いを日課としている筆者は、これからも若者に対し、「結婚し、子供を育て、家庭を築くことは幸福の創造であり、幸福の実現なのだ」という価値観を広め、晩婚化・晩産化を克服し、人口増加をなんとしても実現してまいります。 すべてを表示する « Previous 1 … 8 9 10 11 12 … 18 Next »