Home/ 小川 佳世子 小川 佳世子 執筆者:小川 佳世子 幸福実現党政務調査会長代理 ワクチンパスポートは全体主義への道 それより治療の選択肢を増やすべき【前編】 2021.08.27 http://hrp-newsfile.jp/2021/4124/ 幸福実現党政調会長代理 小川佳世子 ◆ワクチンパスポート導入の議論 新型コロナの感染拡大が続くなか、ワクチンパスポート導入の議論がされています。 現在は、海外渡航者のために発行されていますが、ワクチンを接種した人に証明書を発行し、所持者が公共や民間の施設を活用できるようにするものです。 8月25日の記者会見で、菅義偉首相は「ワクチン接種証明書の積極的な活用の方法を含め、飲食店の利用、旅行、イベントなど日常生活や社会経済活動の回復もしっかり検討する」と述べ、ワクチンパスポート導入に意欲を示しました。 政府分科会の尾身茂会長も「ワクチン接種や検査の陰性を証明できた人が経済活動を再開できるようにするなど新たなルールを議論する時期が迫っている」と述べています。 フランスでは、8月9日より、飲食店や長距離移動の交通機関、病院などでのワクチンパスポートの提示が義務付けられ、不携帯の場合は罰金も科されます。しかし、反対する人も多く、5週連続でデモが起きています。 厚生労働省HPには「予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています」「接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします」とあります。 ワクチンパスポート導入検討は、この方針と矛盾し、事実上の接種強要に繋がりかねません。 ◆ワクチンでは感染は完全に防げない ワクチンには感染や重症化予防というメリットもありますが、副反応のリスクもあります。 幸福実現党は、各自がメリットとリスクを検証した上で、接種は自由選択に任せるべきだと考えます。 ゆえに、事実上の接種義務化につながるワクチンパスポートには反対です。接種を希望する人の自由も、接種を希望しない人たちの自由も守られるべきだと考えるからです。 先日、コロナで亡くなられた俳優の千葉真一さんが「ワクチンを打っていなかった」と報じられましたが、摂取についての個人情報が当たり前のように報じられることに違和感を覚えました。こうした報道が自由の侵害につながらないか注視が必要です。 感染抑止という「公共の福祉」の観点から、ワクチン接種を進めるべきだとの声もあります。 しかし、ワクチンを打っても、完全に感染から守られるわけでもなく、他人に感染させなくなるわけでもないため、義務化の正当性は低いといえます。 大阪府からは、3月以降に確認された新規感染者計約8万5千人のうち、2回のワクチン接種をして発症した人は0・4%で、重症者や死亡者はいないとのデータが公表されました。 三重県は2回接種後に感染したのは5・2%で、重症者と死者はいないとしています。 このように一定レベルの有効性はあるといえますが、感染は100%防ぐことはできません。 イスラエルはワクチン接種を進めることで一度は感染者を大幅に減らしましたが、再び感染拡大に苦しんでいます。 アメリカやイギリスなどでも、接種者が増えても広がっています。そもそもワクチンの効果が何か月続くかは明らかではなく、特に新たな変異株が出てきたときには、効果が低下すると言われます。 すでに日本でも、2回目接種を終えた人の感染や死亡も報告されています。 厚労省のHPにも、ワクチンを2回接種しても感染を完全に予防できる訳ではなく、ワクチン接種にかかわらず、適切な感染防止策を行う必要があると書かれています。 重症化を防ぐことができるというだけなら、そのことにメリットを感じる人だけが接種すればいいのであり、「公共の福祉」を旗印に事実上の強制をすることは許されません。 ◆長期的な治験が終わっていない もう一つは、今回のワクチンはわずか数か月の治験(臨床試験)だけで特例承認されたものであり、長期的かつ十分な治験が終わっていないということです。 長期的な副反応については不明で、現在進行形で情報収集が行われています。 国民はそのことについて十分知らされておらず、承諾のない治験に参加させられていると言っても過言ではありません。 短期的な副反応だけを見ても、ワクチン接種が始まって約半年の間に5100万人以上が接種した段階で、死亡報告や重篤な副反応が少なからず報告されています 厚生労働省のワクチン分科会副反応検討部会によれば、8月25日時点の発表で、死亡報告数は1088人、8月8日時点の重篤な副反応報告は3098人(死亡報告除く)です。 いずれも因果関係は「評価できない」とされていますが、かといって無関係とも言えない副反応がこれだけ生じています。 なお、令和元年シーズンに、5600万回接種されたという季節性インフルエンザワクチンの死亡報告数は5人です。これと比べてもやはり多いといえます。 このように考えると、ワクチンパスポートの推進は、健康リスクのある治験への参加を国民に強要することになりかねないと言えます。 ◆自由は何よりも大事な価値 一方、経済界は、ワクチンパスポートを経済回復のために使いたいと考えているようです。 経団連は6月24日付で「ワクチンパスポートの早期活用を求める」という提言を公表しました。ワクチン接種を条件に、経済活動を再開していこうというのです。 しかし、このような「条件付き自由」は、長期的にはかえって経済活動の自由を失わせることになります。 例えば、ワクチンを接種したのに再び感染が拡大しているイスラエルなどを中心に、ブースター接種が進んでいます。これは、ワクチンの効果をブースト(強化)するという、三回目のワクチン接種のことです。 「ワクチンパスポートがあれば、飲食店やコンサート会場に入れる」という条件を付けて経済活動を再開すれば、ワクチンの効果が落ちてきたらその自由は奪われ、ブースター接種の義務化など、また新たな条件が付けられることになりかねないのです。 それよりも、コロナに感染した人に対する治療の選択肢を広げることが急務です。 (後編へつづく) 副作用が大きすぎるロックダウン 医療体制を通常モードにして患者を救うべき【後編】 2021.08.20 http://hrp-newsfile.jp/2021/4120/ 幸福実現党政務調査会長代理 小川佳世子 前編では、厳しい罰則を伴う行動制限(ロックダウン)は効果が薄いうえ、「副作用」が甚大であると述べました。 とはいえ、何か手を打たなければ、多くの人の健康や生命が危険にさらされてしまいます。 現在、都市部では連日のように「コロナ病床が逼迫し、肺炎の症状があっても入院できない」「自宅療養中に亡くなった」というニュースが流れ、多くの人が不安のなかにあります。 ◆ロックダウンの前にやるべきこと 人口当たり病床数世界一を誇る日本で、なぜそのようなことが起きるのか。 その理由の一つは、コロナを「2類相当」の感染症として対応しているためです。 2類相当の対応は、感染者の2~3割以上が亡くなる危険性の高い感染症を想定しています。そのため、医療機関は非常に厳しい感染防止策を取らねばならず、特別な対応ができる一部医療機関しか患者を受け入れていません。 現在、発熱や咳などのコロナ感染が疑われる症状が出た場合、まずは電話でかかりつけ医に相談し、必要に応じてPCR検査を受けることになっています。 PCRで陽性が出たら、その後は保健所の管轄に入り、指示を待つことになります。保健所は陽性者の経過観察や中等症以上の入院調整、パルスオキシメーターの手配、場合によっては食糧の配達なども行わねばならず、パンク状態です。 感染者が増え続け、既に地域によっては「保健所から全く連絡がこない」「医師の診察も受けられない」という状況にあります。 開業医として500人以上のコロナ患者を診察してきたという、長尾和宏医師は、自身のブログ等で「PCR検査の結果を待たずに、肺炎の兆候が現れたら早めに投薬などを開始すれば、重症化は防げる」「早期発見、早期治療が大切」と訴えています。 また、血中酸素飽和度が96%未満以下だと中等症と判断されますが、数値が正常値でも胸部CTを取るとひどい肺炎の症状がみられるというケースもあるようです。こうした症例は現在のように保健所が電話で経過観察をし、数値が悪くなったら入院調整するという方法では救えないため、医師が診察して入院が必要かどうかを判断し、保健所を介さず入院の手配を行う方がよいと指摘します。 とはいえ、現在では開業医に出来ることは限られています。例えば、先月特例承認された「抗体カクテル療法」は、現時点では入院患者が対象で、自宅療養や高齢者施設、外来では使えません。 これを普通のクリニックや医療機関で使えるようにするだけでも、打ち手は増えます。 新型コロナを「2類相当」から季節性インフルエンザ並みの「5類相当」とし、検査だけでなく治療も普通のクリニックや医療機関で行えるようにすれば、コロナ患者を受け入れたいという心ある開業医が仕事をしやすい環境が整います。 他にも、軽症のうちにウィルス抑制効果が期待される薬剤の投与を進めるなど、やれることはあるはずです。 陽性が分かったら自宅に閉じ込め、軽症の段階では何も手を打たず、中等症以上になったらはじめて入院調整が行われるというのは、あまりにも無策でしょう。 家から出るな、営業をするなという施策を強化する前に、「万が一、コロナにかかっても医師の診察や治療が受けられる」という体制づくりを急ぐべきです。 ◆コロナへの恐怖を取り除く そうはいっても、マスコミ等によってコロナへの恐怖心が刷り込まれた状況では、「コロナ患者は受け入れたくない」という医師も多いでしょう。患者の側も、コロナ患者を受け入れているクリニックには行かなくなり、たちまち病院経営が危機に陥ります。医療従事者への差別も生じるかもしれません。 ゆえに、大事なのは、コロナへの恐怖を取り除いていくことです。 現在は毎日、陽性者数と重症者数が報じられ、自宅療養で苦しんだり、亡くなったりする人の話がテレビで繰り返し流されています。 それだけでなく、インフルエンザや他の感染症と比べてどのくらい感染や死亡リスクが高いのかという冷静なデータ、「こうしたら回復した」という臨床データなど、人々が冷静に考え、行動できるようなことも報じるべきです。 そして何よりも求められることが、心の力、信仰の力です。 奈良の大仏は、天変地異が続き、天然痘がはやった時に御仏への信仰を立て、国家の安寧を願って建立されました。 日本人は、国家的な困難に対しても信仰を立てて克服してきたのです。 個人においても、明るく積極的なマインドを持ち、「自分にはまだ使命がある」と考え、充実した毎日を送っている人は、コロナへの恐怖心でいっぱいの人より免疫力は高く、ウィルスを跳ね返す力は大きいといえます。 恐怖心から、国民の自由を侵害し、間違っても日本を中国のような「全体主義国家」にしてはなりません。 平静な心を取り戻し、政府も国民一人ひとりも智慧と強靭な精神力でサバイバルしていくことが求められているのです。 副作用が大きすぎるロックダウン 医療体制を通常モードにして患者を救うべき【前編】 2021.08.19 http://hrp-newsfile.jp/2021/4118/ 幸福実現党政務調査会長代理 小川佳世子 新型コロナの感染者が増え続けています。 政府は8月17日、緊急事態宣言対象地域13都府県に広げ、蔓延防止等重点措置の適用地域を13道県に増やすことを決めました。 しかしながら、東京五輪前から緊急事態宣言を出した東京や沖縄の感染者数は減少の兆しが見えず、「要請ベースの緊急事態宣言では効果が低下しつつある」という指摘がされています。 そのため、強制力を伴う外出禁止や出勤停止を想定した「ロックダウン(都市封鎖)」に向けて、法整備を進めるべきだという声が出ています。 17日の記者会見において、政府分科会の尾身茂会長は、「個人に感染リスクの高い行動を避けてもらうことを可能にするような法的な新たな仕組みの構築や現行の法制度の活用について、まずは検討だけでも早急に行ってもらいたいという意見が分科会で上がった」と述べました。 ◆緊急事態宣言でも「副作用」が甚大 どのような検討がされるか、現時点では不明ですが、海外で行われたロックダウンは、外出や営業を禁止し、違反者には罰則を科すというもの。憲法に定められた国民の自由や人権を大きく侵害することになります。 ただ、昨年以来、東京では既に4回の緊急事態宣言が出され、飲食店や小売店の営業の自由は奪われています。去年2月から今年8月初旬までの累計で、コロナの影響ですでに1860社が倒産しており、統計には現れない廃業も増えています。今後借金の返済が始まると、さらに倒産や失業が増加するでしょう。 人と人との接触も否定され、鬱に苦しむ人も多く報告されています。昨年は10年ぶりに自殺者も増え、特に子供や女性の自殺が増えました。 このように、人々の自由を奪うことの「副作用」は非常に大きいと言えます。 ◆緊急事態宣言の効果の検証が不十分 ただ、人々の行動制限によって感染拡大を十分に抑えられるなら、一時的に自由を奪うことも「公共の福祉」の観点からやむをえないと言えます。 しかし、緊急事態宣言やロックダウンによって感染が抑止できるという保証はありません。 例えば今年1月、東京に2回目の緊急事態宣言が出された時は、その直後からPCR検査の陽性者数は減少しました。しかし、新型コロナの潜伏期間や検査結果が出るまでの期間を考慮すれば、陽性者数の減少と宣言の因果関係は明確とは言えません。 また、東京の繁華街の人出は、昨年夏ごろからほぼ変化していません。むしろ今年に入ってからはさらに減っています。一方、感染者数は人出とほぼ関係なく推移しており、外出する人の数と感染者数とは無関係と言えます。 「要請」を「強制」にしても、十分な効果が出るかの検証はされていないのです。 少なくとも、大きな「副作用」を許容してもいいと言えるほどのハッキリとした効果はないと言うべきでしょう。 厳しい外出制限を1回だけ行えばコロナがなくなるならよいですが、残念ながらそれは非現実的です。感染拡大の度に繰り返されるならば、政府や知事の権限は巨大化し、日本が中国のような「監視社会」に移行する可能性も否めません。 (後編に続く) ワクチンパスポートは国家による国民管理を助長し、自由を奪う 2021.05.08 ワクチンパスポートは国家による国民管理を助長し、自由を奪う 幸福実現党政務調査会長代理 小川佳世子 ◆ワクチンパスポート導入に向けた議論 新型コロナウィルスのワクチン接種が世界で進むなか、ワクチン接種を済ませたことを公的に証明する「ワクチンパスポート」の議論が進んでいます。 国民の約半数が2回の接種を終えたというイスラエルは、ワクチンパスポートを持っている人に、レストランの店内利用、スポーツジム、イベントなどへの参加を認めています。 EUではパスポートを持っている人は加盟国内を自由に移動できるようにする方針を固め、夏までの導入を進めています。 アメリカ政府は連邦レベルでは導入しないと発表しましたが、州によっては発行を進めています。 こうした流れを受け、日本でも導入するべきではないかという意見が出てきています。 今のところ政府は否定的ですが、3月15日の参院予算委員会では、河野太郎ワクチン接種担当大臣が「国際的にワクチンパスポートの議論が進んでいくということになれば、日本も検討せざるを得ない」と述べました。 海外渡航の際、相手国から求められる場合にはやむを得ないケースもあるでしょう。しかし、このワクチンパスポートを国内で導入することには反対します。 ◆安全性の検証が不十分 反対の理由の一つ目は、ワクチンの安全性の検証が十分になされていないという点です。 優れたワクチンの開発は感染症抑制の有効な手段であり、研究者たちの努力によって、感染症で亡くなる人を減らしてきたことは確かです。 通常、ワクチン開発には感染症が発見されてから、5年以上かかるとされます。麻疹のワクチンも10年かかっています。しかし、今回のワクチンは1年あまりのスピードで接種が開始されました。 しかも今回、各国で承認されているコロナワクチンの多くは「遺伝子ワクチン」と呼ばれ、今まで実用化されたことのないタイプのものです。 基礎研究は重ねてきたものですが、長期的に人体にどのような影響が出るかの検証はまだ不十分です。 また4月末時点で、日本でワクチンを接種した228万人のうち、接種後に19人の方が亡くなりました。 厚生労働省は、いずれのケースもワクチンとの因果関係は「評価できない」としていますが、うち15人は接種後一週間以内に亡くなっていますので、何らかの関係を疑ってしまいます。 もちろん100%安全なワクチンはありませんので、ワクチンを推進すべきか否かは、感染抑止効果とワクチンによる副反応リスクを冷静に比較して判断する必要はあります。 ただ、現在の日本の感染状況を考えれば、ワクチン接種はリスクが高いと感じる人も少なからずいるでしょう。 こうした観点から見ても、ワクチン接種はあくまでも自由意志に任せるべきです。 ワクチンパスポートを導入し、これによって利用できる施設や行動範囲が限られるとすれば、事実上、ワクチンの強制になります。 ワクチンを打たないと決めた人の自由を制限することはあってはなりません。 ◆ワクチンは万能ではない 二つ目の理由は、ワクチンは万能ではなく、接種すれば感染が防げる保証はないということです。 実際、ワクチン接種後に感染が確認された方が出ています。 韓国では、1回目のワクチン接種を受けた約230万人のうち、278人がコロナに感染したとのことです。 また、一定以上の効果が認められるワクチンができても、変異したウィルスには効果が薄いということは以前から指摘されていました。 ゆえに、ワクチンを打った人だけが自由に行動してもよいというのは、合理的な施策とは言えません。 ワクチン接種をしたからといって基本的な感染対策を怠れば、かえって他の人に感染を広げてしまう可能性も高まるといえます。 ◆国家による国民管理につながる ワクチンパスポートに反対する三つ目の理由は、国家による国民の健康管理につながりかねないということです。 ワクチンパスポートの発行により、国家が、国民の誰がワクチンを接種していて、誰がしていないかという健康にかかわる情報を把握することになります。 かつて、ナチス・ドイツは国民の健康診断を実施して、一人ひとりの健康状態を把握し、健康な国民だけを残そうとしました。 自由主義国である日本で、政府が健康情報を悪用することは考えたくありませんが、「感染症予防のためなら、私権の制限は仕方がない」という空気が高まる今、ワクチン接種をしていない人への風当たりが強くなり、差別を助長することは十分に考えられます。 その意味でも、個人の情報を国家が把握・管理する道を開くべきではありません。 ◆自由の確保と感染抑止の両立のために ワクチンパスポートの導入が経済活動再開につながると期待する向きもありますが、ワクチンに期待していたほどの効果がないことが分かったら、また活動にブレーキがかかることになりかねません。 「ワクチンを打ったら自由に行動してよい」といった条件付きの自由は、条件が変われば、簡単に奪われてしまうからです。 では、各自の自由を守りながら感染抑止をしていくために何が大事かといえば、一人ひとりの免疫力を高めることしかありません。 恐怖心から自由になり、明るく積極的な心を忘れず、健康生活を送ることが、免疫力アップの一番の近道といえます。 各自が免疫力を高め、感染対策をすることは、自由を守る道でもあるのです。 ~・~・~・~・~・~・~ 幸福実現党の最新情報が届く「機関紙愛読者(党友)」にも、ぜひお申込み下さい!! https://hr-party.jp/newspaper/application/ ※配信頻度:毎月2回程度 過剰なコロナ対策は、自由を圧迫する「緊急事態」 2021.04.30 http://hrp-newsfile.jp/2021/4075/ 幸福実現党政務調査会長代理 小川佳世子 ◆都市部に3度目の緊急事態宣言が発出 4月25日に、4都府県に3度目となる緊急事態宣言が発出されました。 これを受け、酒類を提供しない飲食店は時短営業を、酒類を出す飲食店には基本的に休業が要請されます。 さらに、一日の売上が億単位に上る百貨店にも雀の涙ほどの補償金で休業要請が出ました。百貨店は中小企業のことも考慮して、「休業自粛の対象にしないでほしい」と声を上げましたが、悲痛な声は行政には届きませんでした。 「休業要請などに協力して感染者が減れば、またお客が戻ってくる」と信じていた経営者たちも、度重なる宣言発出に、経済的にも精神的にも限界が来ています。 ◆私権を制限することの抵抗感が薄れている 都府県によって事情は違いますが、東京都が緊急事態宣言の発出を要請した段階では、感染者数、重症者数共に、2回目の緊急事態宣言の際の3分の1以下です。 従来より感染力が強いとされる変異株が懸念されるとのことですが、国の基準に照らすと病床使用率は「ステージ3」に当たります。 「医療の提供に支障が生じている」ことが要件である、緊急事態宣言発出の基準に合致しないのではないかという指摘もされています。 そもそも、世界一の病床数を誇り、欧米諸国よりも人口当たり感染者数が少ない日本において、医療体制を整えるための対策を十分に行わず、国民の自由を奪う緊急事態宣言を何度も出すこと自体が問題だといえます。 さらに東京都の小池知事は、夜のネオンや街頭の消灯を要請し、「戦時中の灯火管制のようだ」とネット上で騒がれました。 他にも、大阪の吉村知事が「個人の自由を大きく制限するような法令が必要だ」と発言したり、秋田県の佐竹知事が、飲食店が早く閉まってしまうために、若者たちが路上で集まってお酒を飲む「路上飲み」について、「力ずくで排除するくらいやらないとダメ」と発言したりして物議をかもしています。 こうした発言に象徴されるのは、「コロナ対策という名目ならば、国民の自由を奪うことは許される」という発想です。政府や自治体のリーダーが、国民の自由を奪うことについて、抵抗感が薄くなっていること自体「緊急事態」と言えます。 ◆緊急事態宣言で感染者が減る確たる証拠はあるのか もちろん、緊急事態宣言によって一時的に自由を奪うことが、感染を抑制し、多くの人の命を救うことになるならばやむを得ない面もあるでしょう。 しかし、緊急事態宣言が感染抑止につながるという確たる根拠は示せていません。 例えば、昨年4月に出された1回目の緊急事態宣言について、政府の専門家会議は「感染の抑止に貢献したが、感染のピークは宣言前だった」と述べています。 つまり、緊急事態宣言が感染抑止に直結したとは言い切れないわけです。 しかも、飲食店や商業施設に対し、時短営業や休業を要請することが感染抑止につながるということも、科学的根拠が薄いと言えます。 東京都では、判明している感染経路としては「家庭内」が最も多く、続いて「職場内」介護施設などの「施設内」と続きます。 多くの「感染経路不明」には、マスクを外して食事をする飲食店や、多くの人が行きかう商業施設やイベント会場が含まれるのではないか、という仮説に基づいて、飲食店などを狙い撃ちしているにすぎません。 しかし、一人で静かに食事をすることで感染リスクが高まるとは思えませんし、感染抑止と夜8時以降の営業自粛との因果関係も明確とは言えません。 ワタミを経営する渡辺美樹氏は、日経新聞のインタビューに対し、アメリカ人から「なぜ日本は時短なんだ」と驚かれたというエピソードを語っています。アメリカは店内の人口密度が問題視され、時間帯は関係ないというのです。 実際、飲食店や商業施設は、顧客に安心して利用してもらうため、感染対策に投資してきました。席と席の間を開けたり、売り場を広くしたりして、密にならない工夫を重ねてきたのです。 一律の時短、休業要請は、こうした民間の努力と知恵を無にする行為といえます。 さらに、開いている飲食店が少ないと、限られた時間に人が殺到してしまいます。百貨店も休業前日の土曜日には、「閉店前に必要なものを買っておこう」ということで、大混雑するという事態を引き起こしました。 行政が「計画的」に人を動かそうとすると、かえって人が密集するという皮肉な結果になります。それよりは、民間企業や国民の知恵を信じた方がいいでしょう。 ◆過剰なコロナ対策で犠牲にされる命と自由 今、テレビや新聞では毎日のようにコロナ感染者や死者が報じられています。これはあまりにも過剰反応ではないでしょうか。 これだけ毎日報じられていては、人々は冷静さを失い、恐怖に支配されます。毎年、インフルエンザで1万人、肺炎で10万人亡くなっていますが、これは大問題になっていません。 昨年は肺炎やインフルエンザによる死者が減りましたが、トータルの死者数も減っています。徹底した感染対策に加え、例年なら「肺炎」と判定された方が、「コロナ死」と判定されているケースも考えられます。 さらに、昨年11月~今年1月下旬にかけ、深刻な医療危機に直面した札幌市に派遣された、厚生労働省災害派遣医療チーム事務局次長の近藤久禎氏によれば、病院・施設にいた人は、コロナの「患者数」でみると札幌市内全体の1割程度だが、「死者数」だと市内全体の76%を占めていたというのです。 さらに、クラスター発生病院で感染した死亡者のうち72%は「寝た切り状態」だったとのことです。これは期間中の札幌市内の全死亡者の45%に当たるとのこと。(東洋経済オンライン記事より引用) 全国的に見ても、高齢者の致死率が高いことは指摘されていますが、かなり免疫力が落ちている寝たきりの患者の死者が多かったというデータは注目すべきものがあります。 もちろん、お一人おひとりの命は尊いものです。ただ、ゼロリスクを求める過剰なコロナ対策は、別の命を犠牲にしてしまう可能性があることも知っておかなくてはいけません。 経済活動を抑制すれば、倒産、失業が増えます。失業は生活の糧を奪うだけでなく、人々の生きがいも奪います。 昨年の第二波の際(7月~ 10月)には自殺者数が過去3年間と比べて約16%増加しました。特に女性の自殺率は37%、20歳未満の自殺は49%上昇しています。そして、昨年の自殺者は11年ぶりに増えたのです。 地方在住の党員からは、「経営者や従業員にコロナ感染が出たと噂されたお店が、次々とつぶれている」「家族にコロナ感染が出た近所のお宅が、いつの間にか引っ越ししていた」などという話を聞きました。 自殺の原因はさまざまでしょうが、コロナを「特別扱い」することで、人々が必要以上に恐怖心を持ち、感染以外の原因で精神を病み、命を落としていることがうかがえます。 何よりも、自由は人間の尊厳にとって極めて大事なことです。私たちは、この世でただ命を長らえるためではなく、自由のなかで何かを為すためにこの世に生まれてきているからです。 行政のリーダーたちは、その厳粛な真実に思いを馳せ、行動の自由を制限することの重みを知っていただきたいと思います。 ~・~・~・~・~・~・~ 幸福実現党の最新情報が届く「機関紙愛読者(党友)」にも、ぜひお申込み下さい!! https://hr-party.jp/newspaper/application/ ※配信頻度:毎月2回程度 約1800億円増えた年金予算 年金制度維持のため国民の生活は破綻? 2021.04.08 http://hrp-newsfile.jp/2021/4058/ 幸福実現党政務調査会長代理 小川佳世子 ◆過去最大の社会保障費を盛り込んだ令和3年度予算 一般会計の総額が106兆円を超える、令和3年度予算が成立しました。 これは当初予算(補正予算を含まない予算)としては過去最大の規模です。 昨年度はコロナ対策のため、補正予算を含んだ予算総額が175兆以上と過去最大に膨らみました。 今年度の予算には、すでに5兆円のコロナ対策予備費が含まれていますが、今後さらに補正予算が組まれると見込まれます。 補正予算の内容や是非については、また改めて意見を発信していきたいと考えていますが、今回は、令和3年度予算で最も大きな割合を占める社会保障関係費に注目します。 令和3年度予算の社会保障関係費は35兆8421億円。昨年度比1507億円増となり、過去最大です。 内訳を見てみると、「年金」が昨年度比1773億円増の12.7兆円。「介護」が824億円増の3.5兆円。少子化対策や雇用保険、生活保護等が含まれる「福祉」の項目が784億円増の7.6兆円となっています。 「医療」は、コロナ感染を恐れた人々が病院に行かなくなる「受診控え」が起き、医療費が減ると見込まれた結果、1875億円減の12.1兆円となりました。 ◆「ステルス値上げ」される保険料 社会保障に多額の税金がつぎ込まれれば、将来の増税につながってしまいます。 政府は「少子高齢化による自然増加分に納めました」として、必要な社会保障を行いつつも国民負担を増やさないようにすることをアピールしています。 しかし、社会保障は35.8兆円の一般会計予算だけで賄われているわけではありません。 年金、医療、介護については、各自の収入に合わせて「社会保険料」が徴収されています。 さらに、医療や介護には各地方自治体の公費(地方税など)も使われています。 年金の負担について見てみると、サラリーマンや公務員などが加入する「厚生年金保険」の場合、給与に応じて決まる「標準報酬月額」に18.3%を掛けた額を毎月払います。 半分は会社など雇用主が払ってくれますが、たいていの人は給与の1割弱を天引きされることになるわけで、かなりの負担です。 この保険料率は2004年は13.93%でしたが年々上昇し、2017年には18.3%まで上がりました。 今のところ18.3%で固定し、足りない分は国家予算(税金)で補うルールになっているのですが、少子高齢化によって保険料を負担する人は減り、年金関連の予算は増える一方です。 そこで、目立たないような形で負担を増やしています。 昨年9月には、年収約800万円台以上の人の厚生年金保険料負担が増えました。 さらに昨年成立した「年金改革法」によって、パート・アルバイトなどの短時間労働者が、より多く厚生年金加入の対象になることが決まりました。 現在、短時間労働者は従業員501人以上の企業に勤めている場合のみ厚生年金加入の対象となっていますが、2022年10月から従業員101以上の企業、2024年10月からは従業員が51人以上の企業に勤めている短時間労働者も厚生年金の対象となります。 「将来もらえる年金が増える」とアピールしていますが、これは小さな企業にとっては非常に大きな負担増になります。短時間労働者にとっても目先の手取りが減ることになります。 要は、保険料が足りないので「ステルス値上げ」をしているのです。 このように年金制度を維持するという名目で負担を増やしていけば、現役世代の生活が破綻してしまうでしょう。 ◆支給される年金は減っていく このように、国税や地方税や社会保険料等などのかたちで負担は増える一方、もらえる年金は減っていきます。 小泉内閣のもとで行われた2004年の年金改革では、約20年間で2割程度、支給される年金をカットする方針が決まりました。 ただ、これは高齢の有権者の反発を恐れて、さまざまなカットの条件を付けた結果、当初の想定通りに進んではいません。 そこで、昨年成立した「年金改革法」では、年金受け取り開始の年齢を少しでも遅らせるようにしました。 2022年4月から、受け取り開始年齢を遅らせると年金月額が増えるようにして、受け取り開始の年齢を60歳から75歳の範囲で選べるようにしたのです(現在は60歳~70歳の範囲)。 75歳から受け取る場合の年金月額は、65歳から受け取り始める人と比べて最大84%増えることになります。 例えば毎月15万円の年金をもらえる人が、75歳から受け取り始めた場合、毎月27万6千円の年金を受け取れます。 ただし、87歳まで生きなければ、受け取る年金の総額は65歳から受け取り開始した場合と比べて減ります。 日本人の平均寿命は84.21歳なので、受け取り開始年齢を遅らせることで年金支給額を少しでも減らそうという意図が垣間見える施策といえます。 ◆大増税の前に方向転換を こうしてみると、負担は増える一方、もらえる年金額は徐々に減らされていく未来がやってくることは明らかでしょう。 「年金制度」を維持するために、増税や年金保険料のアップが繰り返されれば、生活破綻がやってきます。「国民滅びて年金制度あり」となれば、何のための社会保障なのか分かりません。 社会保障の財源は、誰かが負担しているということを忘れてはならないのです。 こうした未来を避けるためには、自助と共助が基本です。すなわち、75歳前後まで元気に働ける社会を目指しつつ、働けなくなった場合は家族で助け合うという社会保障の原点に返ることです。 もちろん、万が一の場合のセーフティネットとして、最低限の公的社会保障は整備する必要があると考えます。 そうでなければ、老後に最低限度の生活を送るために、現役世代から重税や社会保障負担に苦しむ社会になるしかありません。 どちらの社会もあり得ますが、既成政党は、年金維持のため、若い時から大増税に苦しむ社会という選択肢しか示していません。 働いて得た収入はなるべく個人が自由に使えるようにし、人生の最後まで生きがいを持って働き、家族の絆を大事にする社会を目指しているのは、幸福実現党ただ一つなのです。 ~・~・~・~・~・~・~ 幸福実現党の最新情報が届く「機関紙愛読者(党友)」にも、ぜひお申込み下さい!! https://hr-party.jp/newspaper/application/ ※配信頻度:毎月2回程度 出生前診断の実施に国が関与 旧優生保護法の過ちを繰り返してはならない 2021.03.25 出生前診断の実施に国が関与 旧優生保護法の過ちを繰り返してはならない 幸福実現党政務調査会長代理 小川佳世子 ◆22年ぶりの方針転換 妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」について、すべての妊婦に情報提供をするとともに、国が施設の認証にかかわる方針を明らかにしました。 具体的には、妊婦検診の際に、すべての妊婦にリーフレットを配布し、関心を持った人には保健師などがより詳しく説明するという方法が検討されています。 出生前診断については、日本産婦人科学会が、「原則35歳以上の高齢出産を対象とし、遺伝の専門家や小児科医がいる施設において、講義やカウンセリングを実施した上で行う」などの条件を定めていました。 障害を負って生まれる可能性が高い胎児を中絶するなど「命の選別」につながりかねないため、検査のハードルを高くしていたのです。 ただ、その結果、産婦人科学会のガイドラインに従わない認可外施設で検査を受ける人が急増してしまいました。 検査を受けた妊婦を対象にした調査によれば、51%が無認定施設で検査を受けたと回答。産婦人科学会が原則として検査を認めていない34歳以下では、70%に達しています。 厚生労働省は1999年に「(出生前診断は)胎児に疾患がある可能性を確率で示すものに過ぎないことから、医師は妊婦に対し本検査の情報を知らせる必要はなく、本検査を勧めるべきでもない」という見解を出しています。(厚生省児童家庭局長名による通知) 今回の国の方針は、22年ぶりの方針転換であり、異例のことといえます。 ◆国が「お墨付き」を与えないか 安易に検査が受けられる認可外施設が増えることも問題ですが、国が「出生前診断」の情報提供をすることも、この検査に「お墨付き」を与えかねず、問題があるといえます。 現在、日本で出生前診断を受けているのは、全妊婦の3%程度といわれています。 国はあくまで正確な情報を提供するという趣旨とのことですが、検査の情報を提供されれば、検査を受ける人や「命の選別」が行われる機会も増えてしまうでしょう。 出生前診断に賛成する人の中には「障害を持つ可能性があると知ることができれば、準備ができる」と主張する人もいます。 しかし、たいていの人は子供が障害を背負って生まれてくるかもしれないと思えば、中絶を考えるでしょう。 実際、2013年4月から2017年9月までの約4年半の間に、5万人を超える妊婦が出生前診断を受けました。 ダウン症などの障害を負って生まれてくる可能性の高い染色体異常と判定された人は933人で、その内907人が中絶を選択したと報告されています。約97%の人が人工妊娠中絶を選択したわけです。 各家庭にはさまざまに事情はあるでしょう。ただ、実際にこれから生まれようとする命を人の手で奪うということには変わりはありません。 ◆旧優生保護法と思想は同じでは? 戦後まもなく制定され1996年まで続いた「優生保護法」という法律があります。 遺伝病を持つ人や障害者に不妊手術を強制し、子供を産めないようにすることを認めた法律です。 第一条には「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と書かれています。 この根底には、肉体的、精神的に優れた子孫を残し、劣った遺伝子を持つ子孫を生まないようにしようという「優生思想」があります。 障害者やユダヤ人を収容所に送り込んで虐殺した、ナチス・ドイツも、これと同様の思想を持っていました。 出生前診断の検査結果に基づく中絶を行うことは、こうした思想と通じるものがあります。 障害を持つ人に望まない不妊手術を行うことと、生まれる前に中絶することを同列に論じることに抵抗を持つ人もいらっしゃるでしょう。 ただ、両者の違いは技術の進歩による違いであり、「障害を持つことは不幸」という思想は共通しているように思われます。 もちろん現行法は、こうした思想を肯定してはいません。 「母体保護法」では「障害を持って生まれる可能性が高いから」といった理由での中絶は認められず、「母体の健康に影響がある」「経済的な理由がある」などの条件がある場合のみ中絶が許されています。 とはいえ、政府が検査情報を広く提供することで、検査結果によって中絶が選択されるケースが増えれば、「優生思想」の後押しになりかねません。 ◆「信仰」の観点を外した「自由」はない 幸福実現党は、「自由」「民主」「信仰」を政治の基本原則としています。 「どんな子供を産むかどうか、中絶するかどうかは、親の自由ではないか」という考え方もあるかもしれませんが、そこには神仏の心に基づく「善悪の価値基準」が欠けています。 この問題を考える上では「人間はなぜこの世に生まれてくるのか」という霊的人生観を知る必要があります。 人間は、自らの魂を磨く修行をするために、人生計画を立ててこの世に生まれてきます。 さまざまな苦境や困難も「人生の問題集」というべきもので、障害も、あえて厳しい環境で魂を鍛えようと計画してきたことが多いのです。 また、障害を持つ人は「五体満足な体に生まれたこと自体、どれだけありがたいことか」と、他の人に気づきを与える「魂の教師」の役割も果たしているのです。 こうした観点で見れば、障害を負って生まれようとしている命を中絶で殺めることは間違っています。 政治の役割は、そうしたチャレンジ精神あふれる魂たちを応援し「チャンスの平等」を与え、この世の「魂修行」の環境を守るような施策を打つことです。 「信仰」の観点がない政治は、人間の尊厳を大きく誤らせてしまうのです。 「政治参加の自由」を奪う公選法は最大の参入障壁 2013.07.24 この度の選挙戦においては、炎天下の中、皆様方の多大なるご指導ご支援に心より感謝申し上げます。 私たち幸福実現党は国難突破のため今後も活動を続けてまいります。 今回は、公職選挙法(以下、「公選法」)について考えます。 選挙戦のルールを定めた公選法は複雑で規制が多く、選挙のお手伝いをされた方は、不自由さを感じられたことと思います。 実際、公選法は、憲法によって保障された国民の「政治参加の自由」を奪い、新たに政界に進出しようとする政党や政治家志望者の「参入障壁」となっています。 ◆新規参入を阻む「選挙運動期間」 まず問題なのは「決められた期間しか、立候補を表明し、投票依頼ができない」ことです。 現在の公選法では、公示日(補選や地方選の場合は告示日)までは「私は◯◯の選挙に立候補するので、一票お願いします」と言うことができません。 立候補予定者は、自分の名前をしながら街頭演説等をすると「事前運動」とみなされるため、自分だけの写真と政策を書いたビラを配ることはできません。そのため二連ビラや二連ポスターが発明され、そして公選法を知らない一般国民にとっては「本人」とかかれた謎のタスキまで登場しました。 欧米諸国では、「選挙運動期間」という概念がないので、いつでも自分が立候補したい選挙を明言し、投票をお願いできます。当然、事前運動の禁止もありません。 「選挙運動期間」が限られていることは、新しく立候補をしようとする知名度の無い新人には圧倒的に不利です。 日頃からテレビや新聞に登場し、自分の仕事や政策をPRできる現職に比べ、新人は自ら選挙区を回り、支持をお願いする他ないからです。 ◆新規参入を阻む「供託金」 他に新規参入を阻むものとして「供託金」制度があります。 日本では、先進国に比べて供託金の金額が高く、国政選挙においては選挙区で300万円、比例では600万円の供託金を納めねばなりません。 さらには、没収ラインも高く、衆院の小選挙区では、有効投票数の1割以上の得票がなければ全額没収されます。 この制度は、現職議員や知名度の高い人でなければ立候補をためらわせる方向に働きます。 アメリカ、ドイツ、イタリアには選挙の供託金制度がありません。フランスでは上院200フラン(約4千円)、下院1,000フラン(約2万円)の供託金すら批判の対象となり、1995年に廃止されました。 このように、志ある政治家志望者が出てきにくい制度となっています。 これは、現職の「既得権益」を守る制度と言われても仕方がないでしょう。 ◆「政治活動の自由」を制限する、煩雑な規制の数々 もう一つ指摘すべきは、公選法の細かい規制の数々です。 渡部昇一氏は、『自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す』の中で、「ハイエクは自由主義の法律は“Doではなく、Don’tであるべきだ”と述べています」と指摘しています。 法律で「◯◯してはならない」と定められたこと以外は自由に行ってもいいというのが自由主義国の法律です。これは「法の下の自由」という考え方です。 公選法ほど、この考えから外れた法律はないと言ってよいでしょう。 選挙期間中は、届け出たチラシ、ポスターしか使えず、選挙カーや運動員の数、選挙公報の写真のサイズまで決められています。まさに「箸の上げ下ろし」レベルです。 他の欧米諸国では当然のように認められている戸別訪問も禁止され、標旗がなければ街頭演説すらできません。 すなわち、公選法は「原則禁止だが、これは行ってもいい」という「ポジティブリスト」的な規定になっています。 「◯◯をせよ」と命令しているわけではありませんが、あまりにも複雑で煩雑なため、実質的に「Doの法律」になっているのです。 車の台数やチラシの枚数が細かく定められているのも、「お金や組織を持っていない人に不利に働かないように」という立法趣旨のようですが、実態は逆です。 複雑な規制は、初めて政治にかかわる国民には「何が法律に反するかわからなくて怖い」と感じさせ、慣れたスタッフや運動員がいる現職、もしくはそうした組織を引き継げる世襲議員に有利であると言わざるを得ません。 「自分が作ったチラシを配ってはいけない」「来客に煮出したお茶はよいが、ペットボトル飲料は出してはいけない」「選挙後に投票のお礼を言ってはならない」等、一般常識とかけ離れた規定も、多くの国民を政治参加から遠ざける一因です。 もし、お金がない人が不利にならないようにするなら、選挙資金の上限を決めれば良いのです。 欧米諸国は選挙資金の総量的規制はありますが、選挙運動自体にはほとんど制限がありません。 国民の「政治参加の自由」を保障するなら、「買収をせず、お金を使い過ぎなければ、自由に政治活動や選挙活動を行ってもよい」とだけ決めればよいはずです。 ◆公選法を改正し、「政治参加の自由」を保障せよ! 2013年6月号の『WEDGE』には、「公選法は、政治活動の抑制を狙って制定された治安維持法と同じ思想が流れている」という元自治省選挙部長の声が紹介されています。 公選法自体に国民の政治参加を制限する思想が流れているとの指摘は重要です。 しかし、これは現職議員にとっては都合のよい法律だったので、骨組みは戦後も残りました。 戦後も改正を繰り返してきた公選法ですが、選挙活動について定めた129条以降は、ほとんどが議員立法とのことです。 議員定数削減の議論が国会でなかなか進展しないのと同様、自分たちの立場を守る方向で公選法を改正しようという力が働くのは、ある意味やむを得ないでしょう。 そのため、三権分立の観点から司法府によって公選法が検証される必要もあるでしょう。 戸別訪問の禁止については、「表現の自由を定めた憲法21条に違反するのではないか」との訴訟も起こされ、下級審では違憲判決も出されましたが、最高裁で「合憲である」と判断がなされました。 その判決理由には「戸別訪問を禁止するかどうかは、立法政策の問題であり、国会がその裁量の範囲内で決定した政策は尊重されなければならない」とあり、司法権の責務から逃避していると言わざるを得ません。 いずれにせよ、日本が自由と民主主義の国であるならば、参入障壁となっている時代遅れの選挙規制を早急に見直すべきです。(文責・小川佳世子) 日本の行為は「侵略」だったのか?――今こそ「自虐史観」を払拭しよう! 2013.06.13 「村山談話」踏襲から覇気を無くした安倍政権 安倍首相は5月15日の参院予算委員会で、過去の「植民地支配」と「侵略」を認めた「村山談話」を受け継ぐことを表明しました。(5/16 産経「村山談話『継承』安倍首相が軌道修正」) 「村山談話」とは、1995年、戦後50年の終戦記念日にあたって、時の内閣総理大臣の村山富市氏(旧・社会党委員長)が閣議決定に基づいて発表した声明です。 その内容は「日本は植民地支配と侵略によって、アジア諸国に損害と苦痛を与えたので、心から反省し、お詫びをする」という卑屈なものであり、その後の首相たちも、政府の公式の歴史見解として継承してきました。 「談話」は国会で正式な手続きを経て成立した「法律」ではないため、政治家や公務員はこの見解に従う法的義務は全くありません。 ところが、「村山談話」に反した歴史認識を示した公人には批判が集中する傾向があります。 最近では、自民党の高市早苗政調会長が、この「村山談話」に違和感があると述べたところ、党内から批判が起こりました。 また、2009年の出来事ではありますが、自衛隊の航空幕僚長であった田母神氏が「村山談話」で示された政府の歴史認識とは異なる見解を発表したために更迭されました。 政府見解と異なる思想・信条を持っていることで非難され、社会的制裁を加えられるのは、憲法違反の疑いさえあります。 安倍首相は、昨年8月段階の産経新聞インタビューでは「村山談話をはじめ、自虐史観に基づいたすべての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだ」と語っていたのに、先に述べたように「村山談話」を踏襲することを表明しました。 関連性は不明ですが、その3日後の18日から、北朝鮮は3日連続でミサイルを発射するなど、挑発的な行為に出ました。 その後の株価の大幅な下落も、安倍内閣の「国の誇りを守ろう」という気概が失われたことと無関係とは思えません。 日本の行為は「侵略」だったのか? そもそも、日本は周辺国に謝罪しなくてはいけないような行為を行ったのでしょうか? まず、日本の植民地支配の代表例として挙げられる「韓国併合」ですが、これは当時の国際法上合法な外交交渉によって、日本と韓国はお互いの了承のもと、正式に併合条約を結びました。 現在の中国は、一方的に周辺国に武力侵攻し、「自治区」と称する植民地を広げておりますが、これとは全く性格の異なるものです。 韓国陸軍参謀総長、軍司令官を務め、元在日韓国大使となった崔慶禄氏は「日本が統治時代に韓国に大きな投資を行い、韓国が一足飛びに近代化したことはどうしても否定できない事実である」と述べ、鉄道や用水路、堤防、港湾施設などのインフラ整備を行った日本に感謝の言葉を述べています。 日本の侵略戦争と非難されることの多い「日中戦争(支那事変)」についても、台湾出身の歴史学者の黄文雄氏は「日中戦争とは、毛沢東の中国共産党と蒋介石の国民政府との内戦への日本の人道的介入であった」と指摘しています。 当時も、日本の動機を見抜いていた心ある宗教者はいました。日中戦争がはじまった年、当時のローマ法王ピオ11世は「日本の行動は侵略ではない。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」と日本を擁護する発言をしています。 もちろん、歴史は片側の見方だけでは判定できませんが、日本政府がひたすらお詫びを繰り返すことは、日本の行為を正しく評価しようとする諸外国の方々、そして何より先人たちに申し訳ない行為といえます。 戦争行為自体は、国際法上「犯罪」ではない 日本が、先の戦争に対する「戦犯意識」を植えつけられたのは、中国や韓国のプロパガンダに加え、連合国によって行われた東京裁判によるところも大きいと言えます。 東京裁判では、当時の指導者層が「平和に対する罪」という、完全な事後法で処罰されました。 「平和に対する罪」とは、平たく言えば、連合国側から見た「侵略戦争」を計画し、遂行した罪ということです。 インドのパール判事は「処罰の根拠となる『平和に対する罪』の『法』自体が成立しない」「法治社会の鉄則である法の不遡及を犯している」と指摘し、被告には刑法上の責任がなく無罪であると主張しています。 そもそも侵略戦争は別として、戦時国際法に則った戦争行為は犯罪ではありません。 日本が「侵略戦争」でなかったことについては、戦後、連合国軍総司令官であったマッカーサー自身が、日本が大東亜戦争に突入していった原因は「主として自衛のために迫られてのことだった(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)」と証言しています。(1951/5/3 米上院軍事・外交合同委員会) アメリカの戦争犯罪をことさら取り上げることは外交上得策とは言えませんが、東京裁判がフェアな裁判であるならば、原爆投下や都市への大空襲など、軍人以外の一般市民を対象とした無差別殺戮(ホロコースト)を行ったアメリカの責任者も「人道に対する罪」で裁かれてしかるべきです。「戦争の勝者だから裁かれない」という法理は通用しません。 この点については、大川隆法総裁の公開霊言『原爆投下は人類への罪か?』をぜひ、ご覧頂きたいと思います。⇒http://www.hr-party.jp/new/2013/38429.html 自虐史観は国をじわじわと衰退させる 自国への誇りを失った国民は、卑屈となり、退廃に流されます。 世界に誇るべき技術も金融資産もある日本が、世界経済をリードできないのも、国力が劣る国にミサイルで脅されたり、国民を拉致されたりしても何もできないのも、日本人の心に深く埋め込まれた罪悪感が原因の一つといえます。 日本への「無罪判決」を書いたパール判事は、1952年に来日した際、「日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。 自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する」と語りました。 今こそ日本人は、このパール判事の言葉を思い起こし、政界からも教育界からも自虐史観を追放し、世界を牽引するリーダーの自覚を持つべきです。 (文責・小川佳世子) ☆6月13日(木)21:00~の 幸福実現TVでは 「日本の誇りを取り戻せ!」 と題し、ゲストに評論家の黄文雄(こう・ぶんゆう)先生をお迎えし、やない筆勝・幸福実現党党首が自虐史観の払拭を訴えます。ぜひ、ご覧ください!!⇒http://www.hr-party.jp/new/2013/38644.html 96条改正論を通して考える「民主主義のあり方」 2013.05.30 憲法96条改正とは何か 夏の参院選に向け、憲法96条改正について議論が高まっています。 憲法96条とは、日本国憲法の改正手続を規定した条文で、「衆参両議員の3分の2以上の賛成」による発議と「国民投票による過半数の賛成」を憲法改正の要件としています。 現在、議論されているのは、発議要件を「衆参両院議員の2分の1」に下げるというものです。 政権発足時、憲法96条の先行改正を前面に出していた安倍首相ですが、中韓からの圧力や連立を組む公明党からの反対が強く、現在ではトーンダウンして、96条改正を政権公約(マニフェスト)に盛り込まない方針を固めつつあります。 一方、民主党は「96条改正に反対する」ことをマニフェストに明記しようとしています。 安倍首相のねらいは9条の改正にあると思われますので、そこをストレートに議論せず、改正手続きの問題から入ろうとすることは、現時点ではやむを得ないとはいえ、極めて「政治的」な動きだと言えます。 憲法改正は慎重にするべきか 憲法改正について定めた96条を改正することに慎重な議論があることは理解できます。 政権交代のたびに法律が大きく変われば、国防においても経済においても方針が一貫せず、国家の衰退を招くことはイギリスが証明しています。 法律ですらそうなのですから、国家の根幹にもかかわる憲法が大きく変わることへの危惧は当然です。 ただ、96条改正に反対している人たちは、9条のみならず憲法改正そのものに反対する人も多いようですが、日本国憲法は一度も改正されたことがありません。 これは世界でも非常にまれです。憲法改正は、アメリカでは6回、イタリアでは15回、フランスでは27回、ドイツでは58回も行われています。 時代に伴い、憲法も修正していく必要があります。その時々の情勢、時代の変化に合わせて、憲法を改正できる環境を整えることに慎重になり過ぎてはなりません。 現行の96条では、例えば、参議院ではわずか81人の議員が改憲反対に回れば、憲法改正の発議すらできません。極めて特殊な状況でなければ憲法改正できないのが現状です。 96条を改正しても、諸外国と比べて憲法改正要件が極端に緩くなるわけではない とはいえ、憲法改正にはある程度の厳格さは必要なことは事実です。 現在の96条改正案は、改正案を国民投票にかけるための発議の要件を、各議院の「総議員」の3分の2以上から、2分の1以上に緩和するものです。 通常の法律は、定足数(総数の3分の1)を満たした出席議員の2分の1以上で成立しますので、法律レベルに緩和されるわけではありません。 さらに改正案成立には、国民投票の過半数の賛成を必要とします。諸外国を見ても、「国民投票」まで必要としている国は多くはありません(オーストラリア、オーストリア、フランスなど)。 国会議員の「総数」の2分の1以上で発議しても、国民投票で過半数を取らなくては成立しないというのは、結構なハードルだといえます。 フランスも国会(二院制)の過半数の議決の後、国民投票による過半数の承認を要件としていますが、大統領が国会で改正案を審議すると決めた場合は、国民投票には付されず、国会の5分の3の賛成で成立します。 日本の改正案は、これよりも民意を尊重する方向であるといえます。 最近の世論調査では、憲法改正に賛成する国民は50%を超えています。しかし、改正の第一段階である発議さえされないのは疑問があります。 改正要件を緩めることは、憲法とは何かを国民が真剣に考える機会ともなるでしょう。 憲法改正の前提となる「健全な民主主義」 ただし、時の政治勢力によって国家の基盤たる憲法が左右される危険はゼロとは言えません。 幸福実現党の大川隆法総裁も、5月30日発刊の『憲法改正への異次元発想』(幸福実現党発刊)のあとがきで「憲法九十六条改正から入るのも一つの手ではあるが、政権交代のたびに憲法改正がなされて、左や右に極端にブレるのは望ましくないだろう。」と述べています。 2009年「政権交代」というフレーズのみで何の見識も持たない民主党を大勝させてしまったことは記憶に新しいことです。 また、ナチスの全権委任法は民主主義的な手続きを経て成立したことを忘れてはなりません。民主主義のもとでは、最後は国民一人一人の見識が問われます。 では、国民一人一人の見識を高め、民主主義に正しい方向性を与えるものは何か――それが宗教です。 過去の思想家たちは民主主義には宗教や哲学が必要であると述べてきました。 トクヴィルは『アメリカの民主主義』において、「宗教の必要は君主制以上に共和制においてはるかに大きく、民主的共和制においてもっとも大きい」 「平等は人間を互いに孤立させ、誰もが自分のことしか考えないようにさせる。それはまた人々の心を度外なほど物質的享楽に向かわせる。宗教の最大の利点はこれと正反対の本能を吹き込むところにある」と述べ、民主主義における宗教的価値観の必要性を強調しています。 「国に何をしてもらうか」ばかりを考え、公に奉仕する崇高な理想を心に抱く人がいなければ、「民主主義」は簡単に「衆愚制」に陥ってしまいます。 幸福実現党が発表した「新・日本国憲法試案」は、「憲法改正は総議員の過半数で国民投票にかける」ことを提言していますが、「神仏の心を心とする」宗教的価値観の大切さを同時にうたっています。 私たち幸福実現党は、国家の行くべき方向性を示すと共に、宗教的価値観のもとで「健全な民主主義」が根付くことを願っています。 自らが属する国の方向性を自らで選び取っていくことは、人間にとっての使命であり、大きな幸福でもあるからです。 (文責・政務調査会 部長代理 小川佳世子) すべてを表示する « Previous 1 2 3 Next »