外交問題にまで発展した産業革命遺産問題の本質
文/幸福実現党・岡山県本部副代表 たなべ雄治
◆明治日本の産業革命遺産
「軍艦島」の通称で知られる端島(はしま)炭鉱などの23施設が、「明治日本の産業革命遺産製鉄、鉄鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産になる見込みです。
来週からドイツのボンで開催される世界遺産会議にて、正式に決定されると見られています。
大河ドラマ「花燃ゆ」でもおなじみの明治維新を経て、欧米列強による植民地支配の危機を乗り越え、日本は世界の五大国と言われるまでに急成長しました。
その日本の富国強兵を支えた製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業の遺跡が、形を持つ世界文化遺産として登録されることになります。
しかし形以上に、もっと大きな意味があるように思えてなりません。
欧米の技術力・生産力に追い付き追い越した明治日本の産業革命遺産とは、アジアにおける人種差別からの解放の象徴となるべきものではないでしょうか。
◆いつも通りの韓国の妨害
明治日本の産業革命遺産の登録に反発したのが、韓国です。登録に反対する理由が、「戦時中に朝鮮人労働者が強制徴用された」というものです。
当初は盛んにロビー活動を展開した韓国でしたが、ここにきて妥協しています。数日前の日韓の外相会談では、ついにユン外相が世界文化遺産の登録に反対しない旨を表明しました。
しかし、日本も妥協的です。岸田外相はユン外相に対し、「韓国の主張を踏まえて、一部の施設で戦時中、朝鮮半島出身者が働いていたことなどを明示する」と説明しています。
この説明の文言がどのようなものになるのか、後世に残す影響としては大きなものがあります。
真実の歴史に沿った文言にすることが必須であり、韓国によるねつ造の歴史が混入することを許してはなりません。私たち国民が、しっかりと注視していかなければならない点です。
◆韓国が主張する強制徴用の正体
その韓国が主張する強制徴用ですが、その実態はどのようなものだったのでしょうか。
内務省統計などから人口を見てみると、戦時動員開始以前、1938年末の在日朝鮮人の方は80万人でした。
それが、1945年の終戦時には、200万人に膨らんでいます。(なお、終戦後は全員に帰国の機会が与えられたが、50万人は自分の意志で日本に残り、在日朝鮮人となった。)
この内訳をみてみると、「徴用」によって連れてこられたのは43万人で、全体の22%です。大多数は、自由な出稼ぎ労働者とその家族でした。
順を追って見ていきましょう。開戦後の1939年に「国民徴用令」が発動されましたが、朝鮮半島には強制徴用は発動されず、「募集」がかけられていただけでした。(朝鮮では徴兵もありませんでした。)
内地には仕事が多く、人手不足で賃金も高騰しており、内地への渡航希望が急増します。この時、徴用の「募集」による戦時動員は15万人で、それ以外の渡航が44万人でした。
戦局の悪化で、1944年9月にはついに朝鮮でも強制的な徴用令が発令されることになります。ただしこれが、軍属に限られていたということに注目しなければなりません。
(日本軍の中には、同じ国民として、朝鮮半島出身の将官の方も多数おられました。そして、欧米の植民地支配からアジアを解放するという高邁な思想の下、ともに戦ったのでした。)
しかも、この徴用は非常に好待遇でした。内地の警察官の初任給が45円だった時代に、月給が140円もあったのです。朝鮮半島での徴用の募集に、15万人もの応募があったことがこれを裏付けています。
◆真実の歴史を伝えるために
強制徴用を強調する韓国の主張に対し、日本政府は「産業革命遺産は1910年までが対象だから、戦時の強制徴用とは時代が違う」と反論しています。
確かにその通りではあるのですが、肝心の強制徴用の実態が、実際はどうだったのかについては触れられていません。
事実としては、軍艦島などに来られた朝鮮半島出身者は、軍属以外はご自身の意志で働いておられました。さらに高い給料が支払われていました。これが現実です。
そういう実態を忘れて、「強制徴用」という言葉が独り歩きすることのないように、政府には十分な説明を望みます。
産業革命遺産に説明書きを加えるとすれば、「軍属以外の大多数は、自由意志でやって来た朝鮮半島出身の労働者であり、大変な高給で働かれていた。」と書かれるべきでしょう。
日本を貶めるようなイメージ戦略に対して妥協してはなりません。真実の歴史を汚すごとき行為を、許すわけにはいかないのです。
形ある世界文化遺産よりも大切な、後世への精神的遺産を守り伝えていくべく、幸福実現党は歴史問題に正面から挑みます。どうか、国民の皆様のご理解とご支持を賜りたく存じます。
参考:西岡力『日韓「歴史問題」の真実』