日韓の歴史観、どこが対立点?あと10日で日韓基本条約50周年
文/HS政経塾スタッフ遠藤明成
◆6月22日で日韓基本条約署名からちょうど50年
6月11日の午前中に、日本と韓国の外務省局長会議が都内で開催され、いわゆる従軍慰安婦を巡る歴史認識や韓国外相の来日などを巡って協議が行われました。
「日韓両政府は国交正常化50年の記念式典に、両首脳が相互に出席する検討に入っている」(日経電子版2015/6/11)とも報じられていますが、日韓基本条約が署名された6月22日を見込んで、日韓関係の緊張緩和が模索されているのです。
◆日韓の歴史認識の主な対立点とは
今後の日韓協議でも、歴史認識を巡る韓国側の強硬路線が障害となりそうですが、日本は安易に妥協すべきではありません。
歴史認識を巡るいわれなき批判に対しては、正確な史実をもって反論すべきでしょう。
慰安婦に関しては、今までのHRPニュースで盛んに取り上げられてきたので、本日は、日韓の歴史観が対立する他の代表的な論点を三つほど取り上げてみます。
【1:日韓併合】
韓国の主流の歴史観では、日本の強制に基づく第二次日韓協約(1905)や日韓併合条約(1910)は国際法的に無効だと主張します。
しかし、ロシアが日露戦争の講和で日本の韓国統治を認めたように、第二次日韓協約は諸外国に承認されています。そして、伊藤博文暗殺などを経て韓国は併合(1910)されることになったのです。
これらの条約は当時の基準では何ら不法性を問われるものではなく、韓国の学者が01年の国際会議で「強制ゆえに無効」と主張した際にも、英国の国際法学者に否定されました(産経01.11.27)。
「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」(J・クロフォード英ケンブリッジ大教授)
【2:伊藤博文暗殺】
そして、韓国側は伊藤博文を暗殺した安重根を英雄として讃えていますが、実際は、韓国併合に反対していた伊藤を暗殺したことで、日韓併合が決定づけられたのです。
(伊藤は保護国化論で、将来的に韓国の自治を促そうとしていた)
【3:日本の朝鮮半島統治】
韓国側は「日帝の略奪」を批判しますが、日本が日露戦争に敗れた場合は、朝鮮半島全土がロシア領となり、ロシア革命後には朝鮮全土が社会主義化したことでしょう。
そして、日本の朝鮮統治が非人道的なものだったというのも事実に反しています。
例えば、評論家の黄文雄氏は「日帝の略奪」論に以下のように反論しています(WiLL2010年10月号)。
・殖産興業によって生活レベルが上がり、医療衛生が普及した。米の生産高や人口が倍増した。アイルランドがイングランドと合邦後、人口が3分の1になったのとは対照的。
・朝鮮総督府は初めて半島国土調査と国土開発計画を行い、治山治水、地下資源の開発、インフラへの投資を行なった。
・日本は42円(市場価格)の朝鮮米を64.5円で買うなど、逆ザヤで朝鮮を資金援助している。
黄文雄氏は「併合以来、年に千数百万円から2000万円の一般経費補助金が、朝鮮総督府会計に補填され続け、財政運営を支えてきた」(『朝鮮半島を救った日韓併合』)とも述べています。当時は大量のお金が日本から韓国へと流れていたのです。
日本は朝鮮人の名前を奪い、差別したと批判されますが、そもそも日本統治以前の李氏朝鮮では下層階級や女性の多くには氏が与えられていませんでした。
明治維新以降、百姓が公式に苗字を名乗ることを認めたように、日本は身分制社会を平等に苗字を持てる社会に変えようとしたわけです。
そして、日本軍には洪思翊(こうしよく/ホンサイク)中将を始めとした多数の朝鮮人の軍高官がいました。欧米軍に比べれば非常に公平だったのです。
◆怨恨に対して、歴史の真実をもって答えるべき
韓国側の反日史観は怨恨に彩られており、その史観には、日本を敵とすることで自国内の問題から国民の目をそらせようとする政治的意図も伺えます。
日本側としては、怨恨に対して歴史の真実を示し、いわれなき批判から自国の誇りを守ることが大事だと言えるでしょう。