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「はだしのゲン」騒動を振り返る(前篇)

文/幸福実現党・島根県本部副代表 池田健一郎

少々古い話題で恐縮なのですが、私の地元の島根県松江市の話題でもあるという点、および、ある程度時間が経過した方が冷静な考察に役立つ、という2点の理由から、今回はこの話題について私の思うところを述べさせていただきたいと思います。

◆「はだしのゲン」閲覧制限問題

この「はだしのゲン」閲覧制限問題は、松江市教育委員会(以下、市教委と表記)が、同書籍の 利用制限を市立小中学校に求め、それに対して日本図書館協会(以下、協会と表記)が2013年8月に「自主的な読書活動」を尊重する観点から、利用制限の再考する内容の要望書を市教委に送付し、結局、同書籍の利用制限が撤回されるに至った、というものです。

この問題について、当時の反応は大きく分けて二つありました。一つは「反日的な漫画なのだから、利用制限は当然だ」という意見、もう一つは「表現の自由や知る権利の侵害となるので、利用制限は不当だ」という意見です。

結局、利用制限は撤回されたので、市教委は後者の意見を採用した、ということになります。

◆日本図書館協会の要望書の疑問点

私も、協会の要望書を読んでみました。すると、疑問点が複数出てきたのです。

まず、同要望書は(1)「図書館の自由に関する宣言」から「ある種の資料を特別扱いしたり、書架から撤去したりはしない」と明記されている点を挙げていました。

また、(2)国際図書館連盟の取り決めであるとして「 図書館はすべて利用者に資料と施設の平等なアクセスを保障しなければならず、年齢等の理由による差別があってはならない 」という点を挙げています。

さらに(3)アメリカ合衆国の図書館協会の基準を例として挙げ、今回の「はだしのゲン」利用制限を「目立たない形の検閲」とまで言い、市教委の利用制限を厳しく批判しています。

要望書の内容はまだ続きますが、ひとまず、以上の(1)~(3)について論じようと思います。この時点ですでに、協会と市教委の間の認識のずれが生じてしまっているからです。

◆公立学校の図書館が本の選定に慎重になるのは当然

その「ずれ」とは、協会が「公立の小中学校の図書館の特殊性を無視している」という点です。

例えば、学校の図書館ではない、県立図書館とか、市立、町立の図書館の場合、利用者はすべての住民となり、子供からお年寄りまで、色々な方が本を読む場所となります。

それに対して、小中学校の図書館の場合、利用者のほぼ100%が、その学校に通っている児童になります。

小学生や中学生は、一般に成長の途上にあり、受け取る情報に対する批判能力が十分育っているとは言えない面があります。

そういう理由から、過度に政治的な書籍であるとか、過酷な描写がなされている書籍であるとか、危険な化学薬品の製法であるとか、そういった書籍を置くべきではない、という考慮が、普通の図書館よりも大きく働く、という特殊性があります。

普通の図書館と違って、(私立ではなく)公立の小中学校の図書館に本を置くということは「小中学校に通う児童生徒がその本を読むことを行政が推奨する」いう意味合いが含まれるのです。

だから、公立学校の図書館が置くべき本の選定に慎重になるのは当然です。この点、上で述べた(1)や(2)とは事情が異なります。

大人が読んで大丈夫な本でも、それをそのまま児童生徒に読ませるわけにはいかない場合もあるわけです。

また、最高裁判所の判例においても「義務教育においては、国は必要かつ相当な範囲で教育内容を決定する権利を有する(旭川学テ事件判決)」とあり、このことからも、教育委員会が公立の小中学校に置くべき本をある程度決定できるということが根拠付けられます。

市教委は「過激な描写が子どもの発達上悪影響である」という理由により利用制限を行っています。この理由付けも妥当だと私は思います。

後編では、さらに別の角度から検証を加えて参ります。

(つづく)

池田健一郎

執筆者:池田健一郎

島根県本部副代表

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