正しい政治を行う新政府の樹立を目指して
文/幸福実現党徳島県本部副代表 小松由佳
◆増税延期と衆院解散の可能性
マスコミ各社は連日、年内の衆院解散の可能性を報じています。安倍首相が、17日発表の7~9月期のGDP速報値を受け、景気回復が十分でないと判断すれば、10%への消費増税を先送りした上で、アベノミクスの是非を問うべく衆院選を行う、というシナリオです。
12日付日経新聞によれば、民間調査機関12社の予測平均値では、実質GDP成長率は1.9%(年率換算)に留まり、8月時点での平均4%との予想を大きく下回っています。再増税によるさらなる景気悪化は目に見えており、当然ながら再増税は延期すべきです。
◆国民の自由を軽んじた政府の失敗
安倍政権の不安定化の原因は、やはり国家社会主義的な統制政治の要素を払拭できず、旧態依然とした自民党政治から脱却し切れなかったことにあると言えます。
まず、明らかに8%への消費増税は間違いでした。増税そのものは民主党政権下で決められたことですが、関連法を改正せず実行に移したことは、安倍政権の失策です。
昨年度の実質GDP成長率2.3%のうち、0.77%が駆け込み需要によるものであり、今年4月の増税後、この駆け込み需要の反動減と、実質可処分所得の低下が起きました。
そのため、14 年4~6月期の実質GDP成長率は、1~3月期比でマイナス7.1%(年率換算)という、リーマン・ショック以来の大幅な落ち込みでした。
主因は、深刻な国内需要の減少であり、それだけ見るとマイナス15%に達するとも言われています。
中でも民間消費の落ち込みが大きく、国民の消費マインドが冷え込んだことは明らかです。現在、駆け込み需要の反動減は緩やかに回復基調にありますが、ほとんどの経済指標が予想を下回り、様々な景気動向指数は低迷しています。
外交・安全保障の面では、やはり中国に対する弱腰が目につきます。10日、約3年ぶりの日中首脳会談が行われましたが、その前提として7日に両政府が発表した合意事項では、尖閣問題で両国が「異なる見解を有する」とされています。
これは「尖閣諸島について領有問題が存在する」と解釈され得るものであり、中国に対する大きな譲歩です。
さらに、安倍首相は首脳会談で、小笠原・伊豆両諸島の周辺海域での中国漁船団によるサンゴ密漁への抗議も行わず、歴史認識についても、習主席が村山談話に言及した際、「歴代内閣の歴史認識の立場を引き継いでいる」と述べ、自虐史観を国際社会に曝け出しました。
こうした弱腰の日本政府と、レームダック化したオバマ政権の下、中国包囲網であるTPP交渉も進まず、越年が確実となりました。
その裏で中国は、韓国との自由貿易協定(FTA)を妥結し、日本が最大出資国であるアジア開発銀行(ADB)に対抗するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立計画を進め、TPPに対抗するアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想を主導するなど、アジアでの存在感を増しています。
そして何より、政府が犯した致命的な過ちがあります。10月31日、あらゆる自由の根源である「信教の自由」を侵し、「霊言」をはじめとする教義内容や宗教行為そのものを理由に、幸福の科学大学の設立を「不認可」としたのです。
憲法違反である下村文部科学大臣の判断に、当然ながら大学側は異議申し立てを行いました。首相の任命責任も重く、根源的な自由権を侵害した閣僚を抱えたままでは、政権存続が難しいのは明らかでしょう。
参照:
幸福の科学公式HP⇒http://info.happy-science.jp/2014/12003/
ザ・リバティweb⇒https://the-liberty.com/article.php?item_id=8698
自己保身や党利党略、世論調査に振り回されることをもって、“自由”や“民主主義”を謳歌していると勘違いしてはなりません。真の「自由」とは、普遍的な「正しさ」、人智を超えた「神仏の声」を、虚心坦懐に求めるところから始まります。
そして、真の「民主主義」とは、神仏の子としての人間の尊厳を守るものです。このことに深く思いを致さなければ、「自由」や「民主」を党名に掲げる既存政党が、その名を実とする日は来ないでしょう。
◆神仏の下での「自由からの繁栄」を
幸福実現党は立党以来、後にアベノミクスと称される経済政策に加え、徹底した減税による景気回復を提案してきました。また、中国による軍事的脅威や人権弾圧への明確な批判を続け、自虐史観を払拭した新談話の発表、新憲法の制定などを一貫して訴えてきました。
これらは全て、国民の自由と尊厳を守り、国を発展・繁栄させ、世界中の幸福を実現したいという志によるものです。
与野党共に、衆院選の準備に追われているでしょうが、自らはあくまで「公僕」であり、国民の「自由からの繁栄」を支えるべきこと、そして何より神仏の「僕」であることを忘れず、正しい「まつりごと」を行わなくてはならないのです。