左派とのディベート――集団的自衛権
文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩
◆左派の「集団的自衛権」反対の動き
安倍政権が、集団的自衛権行使容認の閣議決定を決めようとしていた6月末、渋谷駅を歩いていると、左派団体が「あなたは集団的自衛権に賛成ですか?反対ですか?」というアンケートを行っていた。
私の方が「アンケート取ってくれ」という念を発していたのか、たくさんの大衆が歩いているにもかかわらず、迷わず私の前に50代の女性と男性、それに20代の女性が寄ってきて私に質問をしてきました。
「ボードに集団的自衛権に賛成なら『Yes』、反対なら『No』にシールを貼ってください。」
私は、もちろん「Yes」にシールを貼りました。ボードは「Yes」と「No」が半々でほとんどもう貼るスペースもない程でした。つまり日本国民の半分は「集団的自衛権を認めている」のです。
ちなみに、某新聞社の国会を取りかこむ集団的自衛権反対集会の記事に同じ「集団的自衛権Yes・Noボード」が写っていました。その集会の中で取ったアンケートだったのか、すべてシールは、「No」でした。
こうしてあたかもすべての国民が「集団的自衛権反対」であるかのように世論操作が行われているのです。
◆集団的自衛権は戦争に日本を導く?
さて私がシールを「Yes」に貼ると、50代の女性は私に「なぜ集団的自衛権に賛成するんですか?」と質問してきました。
「私は集団的自衛権に賛成です!なぜなら集団的自衛権を行使できるということは、軍事的台頭がすさまじい中国の軍事的野心を抑止することができるからです。」
すると「日本が戦争の道に進むことに賛成なんですか」と、いつも左派が主張する反論が返ってきました。
「戦争を考えているのは日本ではなく中国ですよ。習近平は、昨年2月、軍隊を視察した際に戦争準備しろと指示していることを知ってますか。知らないでしょう!?」
【注】習近平は、昨年2013年2月、甘粛省・蘭州軍区を視察の際に、「部隊は『招集されれば直ちに駆け付け、駆け付ければ戦争できる状態にし、戦えば必ず勝利する』よう確保しろ」と指示した。 (2013年2月7日『解放軍報』)
「中国はベトナムの近海で勝手に資源を採掘しておきながら、ベトナムが抗議すると自国の領有だと主張し、ベトナムが抗議船を出すと船をぶつけてくるような国ですよ。」
さらに私は続けて言いました。「中国はベトナムでぶつかる前、4月に日本の久米島で海洋資源の調査を行ったのを知ってますか?」
「日本は中国に抗議の声明は出しましたが、中国の海洋調査を止めさせることは出来なかったんです。もし海保がそれを止めに入ったらベトナムの事件より先に日本で中国との衝突事件が起きてもおかしくなかったんです。」
そばにいた20代の女性は、そんな話は初めて聞いたというように目を丸くして聞いていました。しかし続けて50代女性は、私に反論してきました。
「そんな人が住んでいない島、どうでもいいじゃないですか?」(おそらく久米島を尖閣諸島と勘違いしている)
「え!、何を言ってるんですか!久米島は人が住んでいますよ。漁民の皆さんは、中国の船が大量に出てきて怖くで漁にも出られないことを、知らないでしょう。」
◆個別的自衛権と集団的自衛権
それまで黙って横で聞いていた50代の男性が私に言いました。
「それは、個別自衛権ですよね。」
「個別自衛権も集団的自衛権も分けて考える問題ではなく、本来はつながっている問題じゃないですか。」と私。
「中国側の側から考えてみてください。日本に手を出したらそのあとに米軍が出てくるかもしれない。そう思ったら、中国は日本に簡単に手は出せなくなるんです。」
「これが集団的自衛権のもたらす抑止力です。集団的自衛権は、戦争をやるためのものではなく、逆に中国の軍事的野心を止める効果があるんです。」
「集団的自衛権がなければ、日本は個別的自衛権で対処しなければなりません。つまり日本のみで中国と対峙しなければなりませんよね。一国で弱ければ、中国は手を出してきます。」
「これが今回のベトナムへ中国がとった船をぶつける横暴な対応ですよ。だから中国は個別的自衛権しかない国で自分より弱ければ手を出します。しかし日本が集団的自衛権を認めれば、日本に手を出せば米国も相手にしなければなりません。つまり簡単に中国を手は出せなくなります。」
私もずいぶん勢い余って話してしまったが、ここで3人は、「わかりました。集団的自衛権には賛成、ありがとうございました。」と、引き下がりました。
◆行動する保守を目指せ!
私に反論した50代の女性と男性は、もう思想的に変わらないと思いましたが、20代の女性の目は、何か心の中で「科学変化」が起きているようにも見えました。
どちらにしても、左派はこうして啓蒙活動を展開し国会を取り囲むほどの感化力と行動力があるのです。
ところが、左派とは反対で保守の行動は、全く足りない、これが現実です。私たちはこうした左派の行動量に負けるわけにはいきません。
もっと圧倒的な「言論による啓蒙」を行う「行動する保守」にならなければ、真に世の中を変革することはでないのです。