原子力規制委員会の暴挙を批判する
12月11日に、原子力規制委員会は、敦賀原発の2号機の真下を走る断層(破砕帯)を「活断層」と断定しました。
この断層(D-1破砕帯)が活断層として認められたため、今後、敦賀原発は廃炉にされる可能性が高いと各紙は報道しています。
今回の決定は、従来は活断層とは見なされなかった断層が、敦賀原発の敷地内を走る浦底断層と連動して動く可能性を認めたものですが、この基準が今後、大飯原発、美浜原発、志賀原発に当てはめられれば、これらの原発も廃炉とされる恐れがあります。
その意味で、今回の原子力規制委員会の決定は、大飯原発の後に他の原発の再稼働が始まる流れを逆流させ、「脱原発」路線へと加速する危険な動きだと言えます。
現在の日本では、なぜか、「原子力規制委員会」という、一委員会に日本のエネルギー政策全体を左右しかねない大きな影響力が与えられてしまっているわけですが、そもそも、この組織は、いったい何なのでしょうか?
原子力規制員会は5人の委員で構成され、その下に事務局・執行機関としての原子力規制庁を持っています。
そして、原発と核燃料関連施設の規制や監督、調査などの権限を担い、公正取引委員会と同じように、国家行政組織法3条に基づくため、極めて独立性の高い組織になっています。
しかし、この規制委の独立性は、極めて危険です。
野田首相は、9月の時点で、今後の原発再稼働の判断について、「規制委が主導的な役割を果たす。政治が介入して何か言うことは規制委の独立性を損なう」と述べていたからです。
それに対して、規制委の田中俊一委員長は、「規制委は科学的・技術的見地から安全基準を満たしているか確認する。稼働の判断とか地元への説得は事業者や省庁に担当していただく」(10月3日)と応酬していたので、結局、「責任の投げ合い」が行われてしまっていました。
判断を規制委に丸投げしようとした野田政権には、尖閣諸島沖の中国船衝突事件の判断を沖縄地検に丸投げした菅政権と同じ体質がありますし、「責任」からは回避しつつも、独裁的に原発の安全基準を決めたがる規制委には、「独立性」を理由に一切の責任を回避する日銀と極めてよく似た体質があると言えるでしょう。
これは「誰が責任者なのかが分からない」という最悪の管理体制であり、その体制下で、規制委の“暴走”が進んでいるのです。
今回の決定は、本日の産経新聞も報道しているように、「わずか5人の調査団が2日間の現地調査だけでエネルギー政策の根幹を揺るがしかねない判断をする」という、極めて性急な結論でした。
「活断層の調査は、何カ月もかけて結論を出すのが一般的」であり、「技術の進歩によって判断が覆ることも少なくない」からです。(12/10 産経)
国民全体の幸福に関わり、国家の未来の繁栄にも直結するエネルギー政策の判断基準が、その理由も十分に明かされないまま、わずか5人の2日間の調査だけで決められてよいはずがありません。
当然ながら、この決定に関しては、日本原子力発電等を中心に強い抗議の声が上がっています。
今回の規制委の暴走には、国家戦略不在の民主党のエネルギー政策の問題点が端的に現われているからです。
原子力政策に関しては、まず、「日本で原発をなくせるかどうか」という大きな判断が必要でしたし、その上で、「地震と津波のリスクを可能な限り減らしつつも、原発から得られる利益を最大化していく」という現実的な意思決定(原発推進)が必要でした。
しかし、民主党政権が今までに目指してきたものは、達成不可能な「ゼロリスク」の実現(放射能ゼロを目指す土壌の除染事業や不必要な福島県民の強制避難など)であり、実現性のない脱原発論の提唱でした。
菅政権退陣後は、党内の原発容認論者を配慮して、一部の原発(大飯原発)を再稼働するなど、「足して二で割る政治」が行なわれていたのですが、結局は、根本的な意思決定はできなかったのです。
そして、中国船の処罰を沖縄地検に委ねたのと同じように、原発の安全性の判断を規制委に委ねてしまいました。
規制委は、活断層の定義を「12、13万年以降に活動したもの」から「約40万年前に活動したもの」に変え、認定基準を広げていますが、日本は基本的に地震国家なのですから、完全に安全な立地条件を求めるならば、原発の維持自体が不可能になっていくでしょう。
規制委は今、「立地の安全性の追求」を極端なまでに拡大解釈することで、リスクとメリットのバランス感覚を失っているのです。
原子力規制委は環境庁の外局組織となったために、経産省とのつながりが切れ、原発が日本経済に与えるメリットが見えなくなっています。
こうした機関が政策全体の方向性を決めると、「リスクとメリットのバランスの中で意思決定を行なう」という、国家の機能が崩壊してしまいます。
断層が10万年~40万年前に活動していたか否かは、現代科学の進歩を考慮しても、「推測」の域を超えられない話なのに、今、それが「事実」として扱われる異常事態が始まっているのです。
また、地震予知ができない地震学で、エネルギー安全保障政策の根幹に関わる基準を決めるのもおかしな話です。
実際の地震は、地震学が想定した所だけで起きないので、結局、地震の起きない立地条件を完全に追求すると、結局、原発はゼロにするしかなくなるからです。
例を挙げれば、04年の新潟県中越地震や05年の福岡県西方沖地震は「30年間で震度6弱に見舞われる確率が3%以下とされた地域で発生」していました。(坂篤郎著『巨大地震』P38)
最終的には、こうした規制委のゼロリスクを目指す路線は破綻し、リスクとメリットのバランスの中で「原発再稼働」を決断せざるをえないことは明らかなのです。
今回の事件で脱原発派が勢いづくとは思いますが、結局は、規制委の視野が狭すぎるため、この路線は破綻します。
また、民主党は脱原発論ですし、自民党も、結局は、「規制委の判断次第で原発の再稼働を決める」という方針なので、どちらでも日本の電力政策は成り立ちません。
最終的には、日本は、幸福実現党の声を聞かざるをえなくなります。幸福実現党こそが、未来を拓く責任政党だからです。
(文責:HS政経塾 遠藤明成)