Home/ 教育 教育 日本を「戦争」に追い込んだのは誰か? 2013.12.29 ◆戦没者の慰霊は世界の常識 安倍首相は、政権発足から1年となる12月26日、靖国神社を参拝、中国と韓国は日本に対して反発を強めています。 日本のマスコミも「外交孤立の恐れ」(毎日)、「靖国参拝がもたらす無用なあつれき」(日経)など、そのほとんどは、まるで中韓を擁護するような立場から安倍首相を批判しています。 靖国神社は、幕末から明治維新にかけて功のあった志士をはじめとして、1853年のペリー来航以降の日本の国内外の戦争における将兵、軍属などの戦没者を「英霊」として祀っている神社です。 国際社会では、それぞれの国家において「信教の自由」が尊重され、日本の首相が外国から靖国参拝を干渉される筋合いはありません。 靖国神社にあたる施設がアメリカでは「アーリントン墓地」ですが、歴代大統領も訪問し、戦没者への慰霊を行なっています。それに対する批判は世界から何もありません。 米ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、「民主主義的な選挙で選ばれた政治指導者が、戦死者の霊を追悼することは、平和への脅威や軍国主義への前進になるはずがない」と述べています。(12/27産経) ◆日本を裁いた「東京裁判」 中韓が首相の靖国参拝を非難する理由は「東條英機をはじめとするアジアを侵略した軍国主義の象徴である『A級戦犯』を祀っている」というものです。 日経新聞「社説」でも、「日本を無謀な戦争に駆り立てた東條英機元首相ら政府や軍部の判断を是認することはできない」と論じています。(12/27日経) 戦後の教育でも、東條英機をはじめとする「A級戦犯」が一方的に「無謀な戦争」に導いたと教えてきました。その背景には、「東京裁判」がつくり上げた「歴史観」があります。 「勝てば官軍」で、勝った側は、負けた側にすべての汚名を着せて自己を正当化するのが歴史の常です。その勝った側のアメリカ側が日本を一方的に裁いたのが「東京裁判」で、裁判で日本は弁明すら許されませんでした。 先の大戦を日本は「アジアを西欧の植民地から解放する理想」を込めて「大東亜戦争」と名付けました。これを正しく検証するためには、「日本がやった行為のみを見るのではなく、アメリカはどのような動きをしていたのか」を合わせて見なければ「歴史の真実」は浮かび上がってきません。 ◆日本を開戦へ追い込んだアメリカ 「ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていた」との立場から日米開戦の舞台裏を描いた『OPERATION SNOW』(ジョン・コスター著) が全米で話題になりました。 戦争をしないことを公約に大統領になった当時のルーズベルトは、日本の方から戦争を始めさせようと考え、まず日本の在米資金を凍結し、次に鉄鉱石の輸出を止め、さらには石油供給を禁止しました。 石油供給を止められることは、日本にとって致命的です。それでも日本はなんとか戦争を避けるため、アメリカと外交交渉を続けました。外交評論家の加瀬英明氏は、こう述べています。 「当時、日本は石油をアメリカの輸出に頼っていたんです。今、ちょうどペルシャ湾に頼っているのと同じように。石油を売らないと言い始めたアメリカに対して、誠意を尽くして交渉を行うも、アメリカはどんどん日本を締め上げました」 しかしアメリカは、日本に「ハルノート」を突きつけ、「日本は満州から90日以内に撤退すること」を要求しました。 日露戦争の戦勝時、日本が満州の権益を得たことについては国際社会も認めており、日本は、「五族協和と王道楽土」の理想を掲げ「満州国」を建設しようとしていました。しかしアメリカの要求は「日本は満州を放棄し、戦争せずに降伏せよ」と言っているようなものです。 ルーズベルトは、日本が敵対する蒋介石政権に軍事援助もおこない、植民地の触手を中国大陸まで伸ばそうとしていたのです。 それまであらゆる外交努力で戦争を避けようとしてきた日本でしたが、ついに「座して死を待つ」ことが出来なくなった日本は、昭和16年12月8日に真珠湾を攻撃したのです。 ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃の12時間前に、日本の暗号文を読み終え、「暗号は戦争という意味だ」と知っていましたが、真珠湾には知らせなかったのです。 真珠湾攻撃をアメリカでは「スニークアタック(卑怯な騙し討ち)」と言われますが、ルーズベルトが日本を開戦せざるを得ない状況に追い込んだのが真実です。 以上のことからも解るように、日本が最初から「無謀な戦争」を企てていたわけではないのです。 このように「歴史の実像」は、当事国両方の動向を検証しなければ、浮かび上がってきません。戦勝国がつくり上げた歴史ではなく「日本としての歴史」を取り戻すこと、そこに「日本の誇り」を取り戻す鍵があるのです。 (文責・政務調査会 佐々木勝浩) 【参考】「ザ・ファクト」(第5回)「【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ! http://info.happy-science.jp/2013/9107/?utm_source=newsJpn&utm_medium=email 国家レベルでの許しを説く「国師」大川隆法総裁(1) 2013.12.18 ◆注目されたエル・カンターレ祭での大講演会 去る12月14日(土)、千葉県幕張メッセを本会場とする幸福の科学『エル・カンターレ祭』が開催され、大川隆法総裁より「智慧の挑戦」と題する講演会が開催されました。 今回の講演会には宗教的な見地から、様々な論点がありましたが、政治的な論点として一つあげるとすれば「韓国への許し」でした。今回は、この国家レベルでの許しを訴えることが、いかにすごいことかをお伝えさせていただきます。 この講演会は、生中継として、全国・全世界3,500ヵ所で衛星中継されましたが、今後は、その映像が全国のテレビ・ラジオで放送されるほか、幸福の科学の精舎、支部、拠点、布教所などでご覧いただくことが可能です。 ◆韓国に対して「正しい歴史認識」を促す衝撃の霊言 私たち幸福実現党は、昨年の李明博大統領(当時)による竹島上陸をきっかけとして、徹底した韓国政府の「歴史認識」に対する批判を繰り広げてまいりました。 最近では朴大統領が、習近平国家主席に対して安重根氏の銅像建設を依頼した際に、「安重根の霊言」(http://info.hr-party.jp/2013/1605/)を収録いたしました。 韓国だけでなく、この人物は立派な人物だと思われ、日本においても尊敬されてきた所もありましたが、霊言を聞く限り、深い思想があるわけでなく、単なるテロリストであることが分かりました。 しかし残念ながら、現時点での韓国側の反日の動きはとどまるところがなく、ハルビン駅頭に安重根の銅像の建設が推進されています。 一方、現在の朴大統領のお父さんにあたる「朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の霊言」(http://info.hr-party.jp/2013/2496/)が収録され、日本との同盟関係を強化してきたことが、韓国の国益にも関わってきたことが分かると同時に、朴槿恵(パク・ウネ)大統領の方針が危険な状態であるとの意見が表明されました。 さらに、従軍慰安婦問題では、金福童氏など、元従軍慰安婦を名乗る2人の守護霊インタビューを敢行し、その証言に嘘があったことや、「河野談話」を発表した河野洋平氏の守護霊より、実態はなくても謝ることが大切だ、と考えており、日本の国益を考えていなかったことが白日の下に晒されました。 ◆幸福実現党が繰り広げてきたのは「日本の誇りを取り戻す運動」 こうした「霊言」などの情報発信と同時に、幸福実現党では現在、「日本の誇りを取り戻す運動」として、韓国が主張する従軍慰安婦問題に関連して「河野談話」の白紙撤回を求めている署名活動も展開しています。 従軍慰安婦については、上記に掲げた数々の霊言だけでなく、多くの評論家の研究結果により、歴史的事実として証拠のない風評を公式見解としたものであることが明らかになっています。こうした事に関して、去る10月16日付産経新聞でもこのことが報道されています。(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n1.htm) 私たち幸福実現党は、河野談話を白紙撤回することが日本の誇りを取り戻し、世界へのリーダーになるために大切なことだと強く認識し、署名活動を展開しています。詳しくは下記ウェブサイトにてご覧いただけます。(http://info.hr-party.jp/2013/2524/) これらの動きを単純に見ると、「アンチ・韓国」にも見られるかもしれませんが、単に韓国を攻撃するための動きではなく、日本人自身が自虐史観を払拭し、日本が世界のリーダーとして繁栄の未来を創るための動きであったわけです。 こうした私たちの真意を踏まえた上で、次回では、今回の大川総裁の講演会での発言が、いかに韓国にとって救いとなったのかについてお伝えさせていただきます。 (文責・政務調査会チーフ 小鮒将人) 保育業界に市場原理を 2013.12.13 子どもがいれば必ず利用する保育園や幼稚園。しかし、保護者も保育士も、意外に知らないことが多いようです。 それもそのはず、保育業界の始まりは今から約140年前といわれていますが、時代の変化とともに子育てスタイルも様々になり、国として対策を講じるうちに複雑になってきました。 ◆保育園の種類 保育形態は大きく「施設保育(特定の場所に施設を設けて保育をする)」と「在宅保育(保護者や保育者の自宅で保育をする)」に分類できます。 [施設保育]の中には、国の認可制度に基づいて設置する「認可保育所」と、認可していない「認可外保育所」があります。 [認可保育所]の運営形式は、主に「公立(公設)」と「私立(民設)」に分類されます。(その他「21世紀事業団による事業所内託児施設」や、「都道府県による認定こども園」等もある)。 更に、[公立]は「公設公営」と「公設民営」に分類され、[私立]は「民設民営」で、その多くは「社会福祉法人」、その他(「宗教法人」「株式会社」「NPO法人」など)の運営があります。 国以外の制度としては、東京都の「認証保育所」や、横浜市の「横浜保育室」、「保育ママ」など自治体独自の制度があり、基準を満たし認証を受ければ補助金も受けられます。 ◆認可外保育所の現状 「認可外保育所」は、2001年までは設置届けの提出義務がなく「環境が悪い」というイメージが強かったと思いますが、現在は都道府県や市町村の監査を受け、認可外保育施設指導監督基準(※)に則った運営が行われています。 特徴としては、認可保育所に比べ自由度が高く、24時間型の託児所や、教育に特化した教育型、習い事機能を兼ね備えた保育園など様々な事業モデルがあります。 「ベビーホテル」「事業所内保育所」など、認可保育所に入所できなかったお子様や、認可保育所では対応できない時間帯・曜日に仕事をしている保護者のお子様を預かるなど、近年はその役割も増えていますが、多くの施設が経営的に厳しいのが実情です。 ◆保育市場の新規参入が難しい 厚生労働省が発表した「認可外保育施設の現状取りまとめ」によると、2012年の廃園件数は全国で523ケ所(全体の7%)、新設園は758ケ所です。 全体的には増加しているため需要が高まっているように感じますが、保育収入だけで売上が構成され、人件費が60~100%を占めている園が多く、人件費しか賄えない、人件費すらも賄えないという園も少なくありません。 私自身、認可外保育施設の立ち上げから携わっておりますが、認可保育所に比べ保育料を高額にせざるを得ない認可外保育所は、園児を集めるにも一苦労。 入園するお子様の多くは、認可保育所に入れなかった0~2歳児となり、「認可外保育施設指導監督基準」における人員配置基準が、認可保育所同様に1人の保育士につき「0歳で3人まで」「1~2歳児で6人まで」と決まっています。 ですから採算が合わず、3歳以上が集まらないと事業として成立しません。 更に、園庭がなく小規模の託児所では幼児になると転園し、4月になると園児が減少するため、「園児が安定的にいない」という状況になり、とてもリスクが高く、新規参入が難しいのが実情です。 もちろん「経営努力」や「マーケティング」が重要なのは当然のことです。 中には、保育料が10万円にも関わらず、「英語や運動教育」「施設規模」などの面で人気が高く、定員100名程の園に1,000人以上の希望者が集まるという認可外保育所もあるそうです。 しかし、認可を受ければ自治体から多額の補助金を受けられる認可保育所と比べると、経営状態に天と地ほどの差が出ています。 ◆市場原理を導入し、「質の高い」保育園へ 待機児童の問題を解決するためにも、規制緩和と共に、補助金で守られてきた保育業界への、「市場原理の導入」が必要だと考えます。補助金がなくてはやっていけない事業に、発展は期待できません。 今、子ども・子育て関連3法による新たな制度が始まろうとしており、消費税引き上げによる財源として認定こども園等への新たな給付も盛り込まれていますが、消費税増税により財源が増えるという保障はなく、消費増税により迎えるであろう不況の中、市場原理を導入せずに、国が責任を持ってサポートし続けるというのも、不可能だといえます。 「保育もまたサービスである」と考え、優れたサービスを提供し、納得できる料金設定がなされていれば、あとはすべて市場が決めてくれる、つまり、よい保育園は残り、そうでなければ淘汰される。それは必ず「保育の質」の向上にもつながります。 利権に振り回されることなく、子ども達の未来のために、保育業界における大きな変革が必要だと考えます。 (幸福実現党 愛知県本部副代表(兼)青年局長 中根ひろみ) ※認可外保育施設指導監督基準(一部抜粋) 1 保育に従事する者の数及び資格 (1) 保育に従事する者の数は、主たる開所時間である11時間(施設の開所時間が11時間を下回る場合にあっては、当該時間)については、概ね児童福祉施設最低基準(以下「最低基準」という。)第33条第2項に定める数以上であること。ただし、2人を下回ってはならないこと。また、11時間を超える時間帯については、現に保育されている児童が1人である場合を除き、常時2人以上配置すること。 親子の縁、家族の絆……少子化、中絶、特別養子縁組制度 2013.11.29 少子化社会となり、また、幼児虐待が後を絶たず、痛ましい事件も多数報告されています。家族の形態が多様化する中で、今のところ、有効な手立てはなされていません。 ◆実態不明の「人工中絶」 わが国において人工中絶は犯罪です。ただし、母体保護法の14条に医師の認定による人工妊娠中絶として次の二つにあてはまるものは合法としています。 「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」と「暴行若しくは脅迫によって抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」の二つです。 しかしながら、「経済的理由~」が、いいように解釈されて、人工中絶は事実上、無制限に行われています。合法として届出されている件数は、平成23年(2011年)は約20万件ですが、実際の数はこの10倍とも20倍とも言われていています。 しかも、妊娠12週以降は「死産」としての届出となるために、その実態は不明です。中には10代から中絶を繰り返して、本当に愛する人と巡り合い結婚出産となった時に、もう妊娠できない身体になってしまった例もあります。 わが国の年間出生数は約100万人です。もし、中絶数が発表の10倍あるとしてその数が200万人だったら……出生数は300万人になり、日本の少子化はあっという間に解決しています。 ◆結論から言ってしまえば、対処方法は3つ (1)宗教教育での感化 「あの世があり人間は転生輪廻を繰り返している存在で、生まれる前にそれぞれの人生計画に基づき『親子の約束』をしてくる」という宗教的認識から言うと人工中絶はやはり「殺生」であり、快楽のための刹那的な行動は控えるべきです。 (2)妊娠出産に関する相談窓口の充実 人工中絶はやはりいけないことだということは、程度の差はあれ誰でも感ずることでしょう。カトリック教では中絶を禁止していますので混乱が多数あることは事実です。 宗教的な、人間としての在り方を十分に納得したうえで、それでも妊娠した場合には「救済」という観点から充実した相談窓口をつくるなどのケアが必要です。 (3)「養子縁組」「特別養子縁組」制度の活用 「養子制度」を変えた「菊田昇医師の赤ちゃんあっせん事件」――1973年、宮城県の産婦人科医師の菊田昇医師が「赤ちゃんあっせん」で告発されました。 どうしても子供を産むわけにはいかない女性に、中絶ではなく産むことを勧め、生まれた赤ちゃんを、どうしても赤ちゃんが欲しいけど生まれない夫婦に「実子」として渡していたのです。 この行為は「違法」でした。赤ちゃんをもらいうけた夫婦の子供として「出生証明書」を出していたからです。実母の戸籍に入れることなく、子供が「養子」だと気が付かないように配慮した結果の行為でした。 この菊田医師事件は内外に大きな反響を呼びました。菊田医師のところには遠くからも相談に来る人が激増し、医師は結局1991年に亡くなるまで600人もの幼い命を救いました。 法律的には最高裁で敗訴罰金となりましたが、外国からは勲章が届きました。この事件後に議論が起こり、「特別養子縁組制度」が1987年に作られました。 それまでも養子縁組制度はありましたが、「特別養子縁組」は「子供の幸せ」を第一に考えることが基本となっています。詳細は省きますが、菊田医師がやっていたことと同じことを家庭裁判所が判断して行うものです。 これより先に1982年に愛知県の「矢満田篤二児童福祉士」が取り組み始めた養子縁組が画期的な「愛知方式」と呼ばれ、「特別養子縁組」の基礎となりました。 熊本市の慈恵病院が2007年から始めた「赤ちゃんポスト~こうのとりのゆりかご」の取り組みがありました。 「赤ちゃんポスト」自体はヨーロッパでは結構普通の取り組みです。 このやり方は、犯罪がらみの件もあり賛否両論ですが、一つ特徴的なことは、菊田医師の場合と同じくここでも全国からの相談が激増し、相談専門の職員を置かなければならないくらいとなっています。 また、普通養子縁組で多数の子供を養子にして「家族」を作っている感激の事例も数多くあります。 留意しなければいけないのは、「商業ベース」にならないようにすることです。養子縁組をあこぎな商売にしてはいけません。 子供がどうしても欲しい夫婦をだます悪質な事例もあります。人の弱みに付け込む行為は決して許してはならないのです。 ◆「いらない子」なんていない! 人間は転生輪廻を繰り返し、この世を修行の場としていることを考えると、「生みの親」「育ての親」を絶対とするのではなく、これも自分が立案した「人生計画」ととらえ、その与えられた環境の中で精一杯の人生を生きるという考え方が必要です。 親も子も「修行だ」ということを知らなくてなりません。産みっぱなしで子供を愛せない親が社会問題となっています。 自分が幼少時に愛されなかったことを言い訳にせず、これも「親子の縁」の深さを知らなければならないでしょう。 「産んでくれと頼んだ覚えはない」というセリフがありますが、これも、間違いであることをしらなければなりません。「いらない子」はいません。皆、「仏の子」「神の子」です。この事実を示すことができるのは「宗教教育」しかありません。 妊娠出産に関しては、このほかにも「シングルマザー」「精子バンク」「冷凍卵子」「人工授精」「代理母」など解決しなければならない事柄がたくさんあります。 何を基準に整理するか?――それは仏神の意志です。時代がどのように変わろうとも、その基準は不変であり普遍です。 これは「宗教政治家」にしかできません。物事を「本当の善悪」と「絶対の真理」で判断できるのは幸福実現党でしかありません。(文責・幸福実現党富山県本部副代表 吉田かをる) いじめ問題の根本的解決は、「宗教教育の復活]から 2013.11.15 ◆「いじめ防止対策推進法」の施行 6月28日に成立した、「いじめ防止対策推進法」が9月28日に施行されました。10月11日には、具体的な運用を定めた「いじめ防止基本方針の素案」が提示され、各県でも取組が進められています。 福岡市教委では、漫画やイラストを使い、いじめ問題にどう向き合えばよいのか、「いじめ防止対策推進法」とはどんな法律なのかを分かりやすく説明した冊子を全児童生徒に配布する予定にしています。 ◆法律成立の経緯 この法律は、あるいじめ事件が誘因となり成立しました。それは、2011年10月11日、滋賀県大津市の中学2年男子が、いじめを苦にして自殺した事件です。 事件が大きく報道されたことにより、学校や教育委員会などの教育界にはびこる隠蔽体質や「加害者にも人権がある」と言って、善悪をはっきりさせない左翼平等主義体質、さらには、再三の被害届を受理しなかった警察の問題も明るみになりました。 そこで、市長直轄の第三者調査会が設置され、これまで異例とされた警察の強制捜索も行われ、初めて真相が解明されたのです。 ◆本法律の意義 今回、法律の制定により、 (1)加害生徒に対する出席停止などの懲戒処分。 (2)重大ないじめは、警察と連携し対処すること。 (3)重大ないじめの自治体、文科省への報告義務。 (4)各学校でのいじめ対策のための組織常設等 が課せられ、いじめの防止を学校の責務として明確化し、いじめ防止策を法律で義務付けたことには、大きな意義があります。 ◆問題点 しかしこの法律によって、大きな成果が得られるとは考えられません。何故なら、根本的な解決にはなっていないからです。 いじめを解決するべき1番の責任者である教師や学校、教育委員会が隠蔽した場合の懲罰規定がありません。(ちなみに、大津市のいじめ事件で隠蔽していた担任は、数万円の減給が1か月のみという軽い処分でした。) これでは、隠蔽はなくならないでしょう。そして、現在の善悪さえはっきり教えない道徳教育をいくら重ねても、「いじめをすることを恥ずかしい」と思える倫理観や情操は十分には養われないでしょう。 ◆「いじめ問題解決」には、宗教教育の復活が必要 法律で縛るだけでなく、法律の奥にある法哲学のさらにその奥にあるもの。つまり、仏神から観た「正義とは何か」を教えなくてはなりません。 戦後GHQの日本弱体化政策により、宗教教育が廃止されました。唯物主義左翼教育の結果、教師でさえ、善悪の判断が弱くなり、いじめや学級崩壊等の問題が山積みとなっているのです。 お互いの利益、争いを超えて、尊敬できる存在を知り、その仏神の目を常に意識して生きる子ども達に育てる宗教教育。これなくして、いじめ問題の根絶、根本的な解決はできません。 公教育の立て直しは、「教育基本法」の「教育の目標」(第二条)である「真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培う」ことから、つまり確言すれば、「宗教教育の復活」から始まるのです。(文責・幸福実現党福岡県本部副代表 よしとみ和枝) 教育は国家百年の大計――新しき「大学の使命」 2013.11.10 ◆私学の歴史とその使命 明治維新後、身分制度の時代が終わると、学問を究めることで誰もが「立身出世」が出来る新しい時代になりました。 当時、福沢諭吉の「学問のすすめ」はベストセラーとなり、「立身出世」を目指して国民はイキイキと輝いていました。 「立身出世」という言葉には、「自らの学問を修め、世の中のために役に立つ人材になる」という意味があります。 そうした明治の学問に対する気概が、日本を猛烈なスピードで世界列強の一つに引き上げたのです。 私学には、明治の草創期から始まり、いま大河ドラマで放映されている新島襄の同志社をはじめ、福沢諭吉の慶応義塾、東京法学社(法政大)、専修学校(専修大)、イギリス法律大学(中央大)、日本法律学校(日大)、東京専門学校(早稲田大)などがあります。 私学の特徴は、自由の気風を持ち、英語・法律などの実学を重んじ日本の近代化や法治国家に向けて社会に貢献する人材を育成しました。 このように私学が先んじて明治草創期に誕生し、その後の明治19年、帝国大学(東京大学)が設立されたのです。 注目すべきは、次代を予見できる識者(福沢諭吉や新島襄)が、自由な気風の大学を創り、新しい時代を担う人材を育成した点です。 ◆戦後の大学の迷走 しかし先の大戦後、日本を弱体化しようとする占領政策の影響で、日本は「国家としての使命」を見失うと、日本の大学も「大学として進むべき方向性」を見失いました。 明治時代の他のために役に立ちたいという「立身出世」の精神は、戦後になると良い会社に就職し、たくさんの給料をもらうための「自己の出世」の精神に変わってしまったのです。 戦後の大学は、良いところに就職し自分の生活を安定させるための登竜門に変わり、親たちは子供に「良いところに就職するため勉強しなさい」と言うようになり、結果、激しい受験を突破した後に「燃え尽き症候群」となる学生がでてきました。 1980年代、大学は「レジャーランド」と呼ばれるようになり、当時の大学生の関心事は、学問は二の次で、「遊び」「アルバイト」「恋愛」「趣味」「ファッション」と報道されたものです。 その後、1992年の「バブルの崩壊」で、企業の倒産が相次ぐと、「良い大学に入って良い企業に就職する夢」が崩壊し、また2002年以降の「ゆとり教育」で、世界と比べても勉強をしない学生が増え学力も低下していきました。 一方、大学の方は2007年頃から少子化の影響で学生数が減り、閉鎖、統合を余儀なくされ、大学への入学希望者総数が入学定員総数を下回る状況、いわゆる「大学全入時代」が到来しています。 こうしてバブル崩壊から「学歴信仰」が崩壊し、この20年、子供たちにとっても、なぜ自分が勉強するのか、その意義を見出せない時期が続きました。 ◆子供たちに芽生えた「利他の心」 しかし2010年の「東日本大震災」が大きなきっかけとなり、子供たちの心に変化が起き始めました。 被災地で、献身的に救済復興に働く自衛隊員の姿や、ボランティアで被災者のために奉仕するお医者さんなどの姿を見て「自分も多くの人々のためになる人間になりたい」という「利他の心」が芽生えてきたのです。 東京の某進学塾の先生にお聞きしてみると、「利他の心」は被災地だけでなく東京の子供たちにも芽生えてきていると言います。「自分のための出世」ではなく「利他のための立身出世」の精神は、こうして甦ろうとしているのです。 大学も「利他の精神」を持った子供たちを受け入れる器を創り、世の中の発展繁栄を築く日本人を育成するために改革する必要があります。 現在、下村博文・文科大臣は、大学の受験のあり方を見直し、人物重視の方向性を打ち出していますが、(11/8朝日「大学入試『人物本位』への試練」)、今一歩、踏み込んで考えるなら、大学自体のあり方を見直し、「新たな大学の理念、使命」を再構築していく必要があります。 ◆新しい大学の理念 弊党・大川隆法総裁は、これから大学に必要なものは、「創造性」と「チャレンジ精神」であり「未来に貢献する心」であると提言しています。 (「新しき大学の理念」大川隆法著 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1036) 現在、「幸福の科学大学」は、2015年開校を目指していますが、その理由は、「教育は国家百年の大計」であり、次代を担う人材を育成するため、「新しい大学の理念」を打ち立てる必要があるからです。 明治初期、福沢諭吉は、「脱亜入欧」から日本の近代化を担う人材の輩出を目指しましたが、これからの時代は「西欧文化にも目を配りながらも、日本のオリジナル文化を世界に発信」できる大学の創造が必要です。 その新しい人材の輩出は、明治時代もそうであったように自由の気風が溢れる私学から始まります。その私学の「新しい大学の理念」が日本の教育に新風を吹き込こみ、世界のリーダーとしての日本の復活を牽引していくことになるのです! 今後も大学の淘汰が進むでしょうが、一方で次代の潮流を見極めることのできる私学を見極め、支援することで国家を担う人材を育成し、世界をリードする価値の発信に寄与すべきです!(文責・政務調査会 佐々木勝浩) なぜ道徳を教科化する必要があるのか 2013.11.09 ◆「道徳教科化」に向けた動きが、再度始まった 文部科学省の有識者会議は、現在は正式教科でない小中学校の「道徳の時間」を「特別な教科」に格上げし、検定教科書の使用を求める素案を固めました。(11/7産経「『道徳』教科に格上げし検定教科書使用 文科省有識者会議案 27年度にも」) 道徳の教科化は、平成19年に第1次安倍晋三政権当時の教育再生会議でも提言されていましたが、見送られました。その大きな理由が、「国が価値観を押し付けるのか」というよく聞かれる批判を恐れたことにあります。 今回もこの動きに反応して、沖縄タイムスは大学教授の発言を取り上げ、子どもたちは「自由に物事を考えたり、発言もできなくなり、戦前の教育勅語体制に戻ってしまう」とし、日本の民主主義への危機を訴えています。(沖縄タイムス 11/7) ◆道徳の現状 まず現在の道徳の現状を見てみたいと思います。 教育学者であり日本教育史を専門とする貝塚茂樹氏のセミナーで、大学で講義を受ける大学生たちに、「小中学校で学んだ道徳教育で記憶に残っていること」を聞くと、約6割の生徒が白紙を提出すると聞いたことがあります。中には、「道徳教育はなかった」と言う生徒もいるそうです。 確かに周りに聞いても、「道徳の時間はNHKの番組を見る時間だった」という声を聞きます。道徳の時間を、他の教科や運動会の準備にあてる学校もあるようです。 道徳の時間が有効に使われていないことに対して、教員にだけ問題があるとも言い切れません。どれだけ熱意ある教員であったとしても、教員になるための必須単位の中で、道徳に関するものは2単位(半年間で15時間)です。 道徳とは何かという根源的なことも教わらず、その奥にある宗教についての理解も浅いという前提で、年間35時間の「道徳の時間」を有意義に組み立てることは、難しいでしょう。道徳の教科化に関しては、大学の教員免許の在り方から見直すべきです。 ◆道徳教科化のための、具体的案 「教科書」について、文科省は当面は「心のノート」を改訂して使うと考えているようですが、民間に任せることがよいと考えられます。 現在すでに、「13歳からの道徳教科書」(道徳教育をすすめる有識者の会著)などが発刊され、道徳の副読本としての採用を求めています。学習指導要領に沿った内容としつつ、戦後歴史から消されてしまった偉大な先人達が数多く掲載され、子供たちにお手本を示すことができる事例を学ぶことができます。 「評価」に関しては、点数制にせず、教師の記述式評価もしくは自己評価と逃げ腰ですが、点数制の導入または併用も考えるべきです。 テストのみならず、日頃の態度や宿題等の提出物の評価、同級生や教師からの評価なども参考にできるのではないでしょうか。少なくとも、評価をしなければならないため、教師は道徳に真剣に向き合わなければならなくなります。 「教員免許」に関しては、取得の段階から道徳に関して見直しを行わなければなりません。道徳に関する授業単位を増やすと共に、道徳の授業の方法論を確立させなければなりません。道徳が教科になることで、学問として大きく発展することになります。 ◆教育とは、先人たちから受け次ぐ正しき価値観 道徳の教科化に対して反対する根底には、戦前が全て間違いで戦後民主主義がすべて正しいとした“常識”の下で、“価値観の押し付け=悪”だという信仰が、教育界に浸透していることにあります。 そのため、判断をすること、教えることを非常に恐れ、「価値観の押し付けや優劣の判断をしてはいけない」という「価値観を押し付けている」のが今の日本の教育です。 しかし、教育とは、ある意味で「正しい価値観の押し付けである」のではないでしょうか。なぜならば、教育とは、永い歴史の中で、善い・正しいとされたものを後の世代に継承していくことであるからです。 数学においては、三角形の面積を求める公式や円周率は変わりません。これらを先人が発見したからこそ、私たちはこの公式を基として、更なる学問の探究を進めて行くことが可能なのです。 どうして算数や数学、化学・物理には真理があり、その下に日進月歩を目指しているのに、道徳や道徳を担保する宗教に真理がない、もしくはその真理を教えてはならないと言えるのでしょうか。 人類は、先人たちが発見した真理を学び、それらを基礎として、新しい原理や真理を発見してきました。道徳、その奥にある宗教の中にある真理を核とした教育の真髄を子孫に伝えていくことでしか、今後の新しい時代を切り開く力は生まれてこないのです。 まずはその一歩を踏み出すための、道徳教科化を推し進めたいと思います。(文責:HS政経塾1期生 湊 侑子) 【参考】「13歳からの道徳教科書」(育鵬社) http://www.ikuhosha.co.jp/public/introduction06552.html 新しい「金融教育」の実現で日本にバンカー精神を根付かせよ! 2013.10.19 ◆「お金に関するしつけ」は世界的なトレンド 日本では来年からNISA(小額投資非課税制度)が始まり、個人投資家にとっての環境が整いつつある中、家庭内においては幼少期から金銭感覚、採算感覚を養う教育が流行しており、「お金に関するしつけ」が日本でも脚光を浴び始めております。 こうした「お金に関するしつけ」は、いわば世界的なトレンドであり、経済協力開発機構(OECD)では、2008年に「金融教育に関する国際ネットワーク(INFE)」を組織し、「金融教育の推進は国家戦略に不可欠である」という承認を国際的に取り付けています。 ここで言う「金融教育」とは、個人の金融リテラシー(知識を駆使できる能力)を高めるための教育という意味で「パーソナル・ファイナンス教育」とも呼ばれています。 更にINFEでは「学校における金融教育のガイドライン」が本年発表され、若年層における金融リテラシーの向上のために、学校における金融教育の必要性が強調されております。 ◆世界的に遅れている日本の「金融教育」 しかし、日本の学校における「金融教育」は、世界的に見ても「先進的である」とは言い難い現状です。 文部科学省の学習指導要領によると、小学校では金融(お金)について全く触れられておりません。 中学校や高校に入ると「金融の仕組みと働き」について扱うようになりますが、その中心は金融制度と金融政策などというマクロ経済的な内容となっており、個人(家計)とお金の関わりについては範囲が極めて限られていると言われています。 実際、Visaが日米の大学生に対して実施した「金融教育に関する日米大学生アンケート」によると、小・中・高等学校のいずれかで金融教育を受けた経験があると回答した大学生は日本が39.7%(124人)なのに対し、アメリカでは72.2%(249人)と約2倍の差があるとの結果が明らかになっています。(ビジネスアイ2013/8/23) また、日本銀行が2008年に日本の成人に対して実施した「金融に関する消費者アンケート調査」において、金融商品について「ほとんど知識がない」と思う人は63.7%だったのに対して、「十分知識がある」と思う人はわずか4.7%で、ほとんどの日本人が未だにお金の運用について、無頓着であるという統計が出ております。 こうした状況を踏まえ、2013年1月に安倍政権が発表した緊急経済対策には7年ぶりに「金融経済教育の推進」が掲げられ、金融庁でも「金融経済教育研究会」などを設置し、最低限身につけるべき金融リテラシーを15項目にまとめています。 しかし、教育現場での最大の問題点は、授業時間数が足りないという点であり、現行の教育課程の中では別の学習項目を減らす必要があり、非常に厳しい状況にあります。 ◆アメリカの伝統である「お金の哲学」 一方、アメリカにおける「金融教育」には長い歴史があります。 実際に、19世紀にアメリカに渡航した福沢諭吉は、「アメリカの母親は、子どもを金銭に敏(さと)い大人になるよう非常に熱心に教育する」と述べ、良くも悪くも日本との違いを実感していました。 現代においても、日本のような学習指導要領がない代わりに、幼稚園から高校までの金融経済教育を推進しているアメリカ経済教育協議会(CEE)が、それぞれの段階で身に付けるべき金融リテラシーを示した「Financial Fitness for Life」という指導書を児童・生徒用、教師用、家庭用など類型別に出版しています。 その中では、「お金を増やすにはどうするのか」や「貯金箱と銀行預金の違いの比較」、「債券や株式、投資信託の仕組み」、「リスクと分散投資の大切さ」などが盛り込まれており、これらを元に学校と家庭における金融教育の実施が可能になっているのです。 と同時に、福沢諭吉は「アメリカ人は艱難辛苦(かんなんしんく)、克苦勉励して貯めた財を時に、惜しげもなく社会に役立てるためにと寄付する」と記しているように、寄付の精神もアメリカの伝統となってきました。 実際に、2002年度における個人寄付金の日米比較を見てみると、日本の2,189憶円に対して、アメリカは約23兆円に上り、なんと100倍以上の開きがあることが分かります。 ◆アメリカに見習いながら、新しい「お金の哲学」を日本が広めよ こうしたアメリカの「お金」に対する哲学が、19世紀から現在に至るまでのアメリカの大いなる繁栄を創り上げてきたという事実を、まず日本は認め、見習う姿勢が必要です。 しかしながら、そのアメリカもサブプライムローンを発端とした2008年の金融恐慌によって行き過ぎたマネー経済の実態が露呈されております。 また、アメリカの金融業界においても、5年先の企業成長を見る「バンカー」が5分先の利益を追いかける「トレーダー」によって駆逐されている現状があり、昨今のアメリカ政府のデフォルト騒動で見る財政均衡志向など、アメリカの強みであった「お金」の領域で限界を見せ始めているのは確かであります。 ◆宗教教育+金融教育のブレンドがカギ これからの金融教育の土台には、道徳を超えた「時代に適合した宗教的精神」が必要である証だと私は考えます。 日本人が宗教的精神、善悪の価値基準に基づいた金融リテラシーを備えることで、現在、日本人の見識不足によって漂流している個人金融資産1500兆円の行き先をしっかりと指し示すことが出来るようになるのです。 このようにバンカー精神が国民に広く共有されることで、私たちの幸福を増進させるような優良企業への投資が進み、日本経済に未曽有の大発展をもたらします。 と同時に未だ飢餓や貧困で苦しむ発展途上国への投資を促進させ、世界の幸福実現に貢献できる新しい「リーダー国家像」を形成することができます。(HS政経塾第1期生 城取良太) 参考文献:週刊エコノミスト(10月15日号) トップが示すべき教育への責任―自虐史観を止め、教育委員会を機能させよ! 2013.10.13 ◆『はだしのゲン』閲覧制限騒動 この夏、ワイドショーや新聞を騒がせた、松江教育委員会による漫画『はだしのゲン』閲覧制限騒動をおぼえていらっしゃる方も多いでしょう。その内容をあらためて読み、驚かれたに違いありません。 「君が代なんか だれが歌うもんか クソクラエじゃ」と叫ぶゲン。 「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」 「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」という天皇に対する冒涜発言。 更には、日本兵の信じられない行動が描写されています。 首をおもしろ半分に切り落としたり、妊婦のお腹を切り裂いて子供を取りだしたり、女性の性器にビンを入れたり。 これは日本兵ではなく「通州事件で中国兵が日本人に行った仕業」だと有識者は指摘しています。 衝撃が大きいだけでなく、事実ではない描写が含まれるようなものを感受性の強い小中学生が見てもよいのでしょうか? 天皇に対する冒涜に関しては、「『天皇に対する理解と敬愛の念を深める』とうたう学習指導要領を逸脱している」と指摘する有識者の声も上がっているのも当然です。 私が小学生の時は、図書館どころではなく、各教室の後ろの本棚に漫画では『はだしのゲン』だけが全巻そろえて置かれてありました。読むことを勧めているかのように。 なぜこの漫画が学校にあるのかご存じでしょうか。 この漫画は元々は、週刊少年ジャンプに掲載されていました(第一部)。 しかし、その後の連載は日本共産党系論壇紙『文化評論』を経て、日教組機関紙『教育評論』に掲載されました。そのため、特に後半部分に問題が多いのです。 まさに子どもたちに自虐史観を植え付けるに格好の教材であると言えるのではないでしょうか。 ◆現場を止められない教育委員会 横浜市は2009年、市教委は10年度から市内8区の中学校で歴史教科書で自由社を採択することを決めました。 しかし、この教科書採択に反対する横浜市教職員組合(浜協組)はこの教科書を使わずに授業を行うために独自の資料集(授業マニュアル)を作成しています。 市内の全小中学校の組合員約1万人に配布。浜協組に同調する大学教授らでつくる横浜教科書研究会も同様の解説冊子を作成しています。(WEDGE10月号 「教育はなぜ変わらないのか」) 沖縄県竹富町は現在でも、八重山採択地区協議会で選んだ育鵬社の中学公民教科書を拒み続けています。 教科書無償措置法では同一採択地区内で同じ教科書を使うよう定めていますが、これに反する違法状態は1年以上に及んでいます。 沖縄県竹富町が法に反し、日本固有の領土に関する手厚い記述が入っている育鵬社を拒否し、東京書籍の教科書の採択を強行。2012年4月から町民からの寄贈という形で東京書籍の教科書を生徒に使わせています。 これに対し、文部科学省は地方自治法に基づき、最も重い是正要求の指示を出し、従わない場合は違法確認法訴訟の提起の方針を固めています。(9/30 産経「教科書採択、竹富町の違法状態に文科相、是正要求へ 教育行政で初」) ◆今こそ、教育委員会改革を 現状、教育委員が集まって開かれる教育委員会は、多くの地域で月1回もしくは、2か月に1回の開催であり、名誉職の集まりになっています。 教育委員会が現場となれ合いになったり、現場を強く指導できない背景には、実権を持つ教育委員会事務局の人間が、学校現場と教育委員会を行き来しながら出世コースを歩んでいるためです。 現場は身内のため、現場に対して強い態度に出ることは、結果として自分の首を絞めることになるのです。 教育委員会は、戦後、教育の民主化が要請された際に米国にならって導入されたと言われています。しかし、米国の教育委員の選任方法は公選が主流です。 ◆トップが教育の責任をとる気概を示せ 教育委員会制度の見直しを検討している中教審は10日、中間案をまとめましたが、最終的な意思決定をする権限をどこに与えるかについて意見が一致せず、教育委員会制度改革は方向性が定まらないままです。(10/10 NHK「中教審 教育委員会制度見直しで2案」) 日本の教育の最大の問題は、10兆円以上も公教育に投入しているにもかかわらず、誰も責任を取らなくても良いところにあります。 教育委員会だけでなく、校長、教員、文科省など、どこが生徒の教育に責任を持っているのかが分からないのです。 イギリスは1960年代から行き過ぎた社会主義思想の流行により、教育もがたがたになりました。 しかしサッチャー首相が「国は子供たちが学ぶ内容をなおざりにするわけにはいかない。なんといっても彼らは将来の公民なのであり、われわれは彼らに義務を負っている」という強い決意を示し、さらに教育制度改革を断行し、イギリスを立て直しました。 今こそ、教育改革の気概や基本法の改正と共に、既得権益による抵抗を乗り越え、首相が責任を持って実際の教育制度を立て直すべき時に来ていると言わざるを得ません。(文責・HS政経塾1期生 湊 侑子) 塾に頼らない公立学校を目指して――クラス別のテスト結果の開示と生徒による教師の授業評価制度を導入せよ! 2013.09.14 ◆学力テストの学校別、クラス別の公開を! 8月27日、全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)の結果が公表されました。小学6年生と中学3年生が対象となったもので、全員参加での実施は4年ぶりです。 公表は都道府県別までしかなされていませんが、市町村別、学校別のデータを得ることもできました。 民主党政権時代には、日教組の圧力により全員調査から3割抽出方式に代えられたことを思うと、最悪の時期は乗り越えたように思います。 ただ、学力テストの実施や都道府県別の公開は必要なことではありますが、これで十分とは思えません。 私は学力テストの学校別、更にはクラス別の公開が必要であると考えます。それは、「教師に勉強をさせるため」です。 学校生活において子供に最も影響を与えるのは、小学校でいえば担任の教師、中学校でいえば各教科の教師です。 同じ学校にあっても教師によって、子供たちが受けるサービスは大きく異なります。 現在は「あの先生に持ってもらえたからラッキー」「あの先生にあたったから、今年は我慢するしかない」というお母さん方の噂レベルでしか、先生の実力を判断することができませんが、学力テストをクラス別に公開することで、全員が各教師の実力を知ることができます。 ◆学習する教師を目指せ! 学習塾を経営する高嶋哲夫氏は、『塾を学校に』(宝島社新書)の中で、「子どもに勉強の大切さを説くわりに、『先生』と呼ばれている人間は本当に勉強というものをしない」ことを指摘しています。 また、教師の職業の恐い点として「子供に教え続けると確実に自分の中の何かが減っていく」ことを挙げます。 子供に接する教師はだいたい3年ほどで空っぽになってしまうため、それを防ぐただ一つの方法「勉強して、常に学力・知識で自分を満たしておく努力」をしなければなりません。 しかし、「先生」という職業に胡坐(あぐら)をかき、法律で守られている人ほど勉強をしません。 そうであるならば、その結果・評価を多くの人の前に明らかにし、保護者や周りの教師たちの目を感じてもらう。本当に子供が好きで教師を続けたいのであれば、嫌々でも勉強してもらう。学力テスト公開を自己変革・改善・反省のチャンスにしてもらう。 これが子供たちの学力アップのための一番の近道なのであると考えます。 ◆教師の授業評価制度を導入せよ! もう一点、予想される「成績が先生の実力を示しているわけではない。塾に通う子が多いだけかもしれない。」という反論に対しては、併せて生徒による教師の授業評価を公開することを提案したいと思います。 画期的な取組みをしているのが、東京都の狛江市第三中です。 この学校の特徴は、アンケートでありがちな「授業で質問できますか(抽象的)」「きちんと家で宿題はできていますか(生徒自身への質問)」「きちんと朝食を食べていますか(生徒の実態調査)」など、主語を「生徒」にし、生徒自身の責任をただす質問をすりかえず、教師の授業について真正面から質問をしている点にあります。 国語を例にとると、「【国語】××先生の授業について、(1)授業の目標(その時間にやること)がはっきりしていますか?、(2)先生の説明はわかりやすく、授業の内容は理解できますか?」などです。 これに加えて、自由記述回答用紙があり、各教科の授業について、良い点、意見、お願いなどがあれば、わかりやすく具体的に書くことができます。 狛江市第三中の取り組みの画期的な点は、(1)××先生の授業、という風に教師別に行っていること(英語は、数学は、という形で逃げることができる表記をしていない)、(2)授業の評価を誰でも見ることができるHPに公表していることです。 保護者はもちろんのこと、卒業生や新しい入学生、同僚や自分の家族、第三者にも見られるため大変勇気がいりますが、非常に公平で先進的な取り組みです。 この評価制度を取り入れた、当時の校長が着任した当時は、生活指導上の課題を抱えた学校で、市のテストでも1年生の1割が数学で1桁の点しか取れない学校でありました。 危機感を感じた校長は、生徒の実態に沿った授業改善が解決の一つの手立てだと考えて授業アンケートを導入しました。 反発する教師も存在しましたが、校長以下、全教職員が一つの方向を目指す仕組みをつくるために努力を重ね、今の形になったようです。 2年後には、生徒の問題行動は減り、全国学力テストでは、国語・数学とも全国平均を上回るようになりました。(2007/11/27 読売「学校の通信簿(6)生徒が評価変わる授業」) このアンケートの結果、教師側がショックを受けたり、子供に正しい評価できるのかという疑いの目を持つことがあります。 しかし、見逃せない点は、先の校長が「実は、生徒の評価は私の評価と近い」と言っている点です。 実際に、狛江第三中においても、評価の低かった教師たちが、はじめは反発したり生徒を疑いながらも、「今は彼らに『正直な目』を感じる」「旧態依然の自分流にこだわりすぎていた」と反省して態度を改めた結果、半年後のアンケートでは「授業がわかりやすい」と答えた生徒は各学年で9割を超えたそうです。 「教師が変わらなければいけない時がある」と謙虚に答えたこの教師たちに育てられる子供たちは幸せです。 逆説的ですが、学校をオープンにすればするほど、保護者・生徒からのクレームは減り、その結果、教師の本来の仕事である授業に専心できます。 今、日本の教育界に必要なものは、正直さ、謙虚さ、透明度、そして「ゼロから学校を立て直す」という、ある意味での開き直りです。 狛江第三中の例に学び、一人でも多くの聖職者が目覚め、子どもの手本となる教師になること。 そして、これを制度として導入することで、公教育を必ず立て直すことができると確信しています。(文責・HS政経塾1期生湊侑子) すべてを表示する « Previous 1 … 11 12 13 14 15 … 18 Next »