Home/ 藤森智博 藤森智博 執筆者:藤森智博 幸福実現党 政務調査会 「国民の安全を守る」はまやかし?地方自治法改正でヒッソリ近づく危険な未来 2024.03.17 幸福実現党政務調査会 藤森智博 当記事は、下記の動画と連動しています。ぜひ、ご覧ください。 https://youtu.be/LRQO2xspgUE ◆地方自治法改正で、県や市町村などへの国の権限が強化され、全体主義に一歩近づく 今、SNS上では、地方自治法が改正され、”プチ緊急事態条項”がつくられるのではないかと話題になっています。地方自治法とは、市町村や県などの組織や運営、国との関係などを定めている法律です。 この地方自治法の改正案が、3月1日に国会に提出され、大きな波紋を呼んでいます。 改正の内容は、いくつかあるのですが、今回、注目したいのは、感染症や災害などが発生したときに、市町村や県などの自治体に国が「指示」を出すことができるという部分です。 つまり、緊急時には、自治体に対して、国が強権を持つことになります。これをもって、「“プチ緊急事態条項”だ」「独裁国家になる」ということが、一部で話題になっているわけです。 ただ、ここで注意しておきたいことは、今回の法改正は、自治体の権利を緊急時に制限するもので、国民の自由や人権を直接的に制限するものではないということです。 自由や人権を制限するためには、それこそ「緊急事態法」のような法律が必要です。その意味では、今回の法改正で、すぐに全体主義国家や独裁国家が完成するわけではありません。 しかし、間違いなくその道筋を描く法改正になると考えられますので、ポイントを3点、お伝えさせていただきます。 ◆「国民の安全を守る」という名目で、国民の自由や人権は侵害されていく まず挙げたいポイントは、今回の地方自治法の改正は、間接的に国民の自由や人権を制限するものに必ずつながるということです。 それは、今回の法改正の経緯を見れば明らかです。2020年に中国発・新型コロナ・ウィルスがまん延し、国は緊急事態宣言を発令いたしました。 しかし、緊急事態宣言で大きな権限を持つのは、都道府県知事です。この知事に対して、国はストレートな命令はできず、必ずしも国の方針に従わない首長が出てきました。 率直に言ってしまえば、コロナなどの緊急時に自治体を国の命令に従わせるために、この法改正は生まれているのです。 そして、こうした命令は、国民の自由や人権を制限するものにつながることが予想されます。 それは、改正案の条文を見れば一目瞭然です。条文では、指示を出すための条件として「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」の「発生」や「発生するおそれ」のある場合としています。 ポイントは「安全」のところです。この「安全」という言葉は「魔法の言葉」で、「国民の安全を守る」という名目で、緊急事態宣言が発出され、行動制限が行われたり、ワクチンの接種が強力に推進されました。 つまり、「安全」という大義名分のもと、国民の自由が制限され、人権が侵害されたわけです。 もし、この条文が「国民の”自由”に重大な影響を及ぼす事態」だったら、一考の価値はあったかもしれません。 緊急事態宣言下では、東京都の小池都知事のように、国と競うような形で、独自の基準で国民に行動制限を強める事態も多々あったからです。 こうした暴走する知事たちを止めるための条項なら、検討の余地はあったでしょう。しかし、「安全」を盾にしている以上、国民の自由や人権を侵害する方向で、運用されると考えるべきです。 ◆拡大解釈されれば、理由をこじつけて、国の“やり放題”となってしまう危険性も 次のポイントは、指示を出すための発動条件が、曖昧過ぎる点です。つまり、国の強権発動が乱用される恐れがあります。 条文では、「大規模な災害」「感染症のまん延」を挙げつつも、その他の「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」であっても、指示などの強権を発動できるようになっています。 この事態を拡大解釈すれば、理由をこじつけて、「やり放題」となる可能性があるわけです。 さらに問題なのは、こうした事態の認定を「閣議決定」のみで可能としている点です。 例えば、有事法制では、「武力攻撃事態」「武力攻撃予測事態」「存立危機事態」「重要影響事態」は、全て国会の事前ないし事後承認を必要としています。 災害については、国会承認を経ずして、自治体に指示を出すことができますが、今回の法案のように発動の条件があいまいではありません。 つまり、今回の改正案は、“お手軽”な条件で、“お手軽”に閣議決定で発動可能であり、ここが大きな問題なのです。 ◆国の権限が強化されても、本当に必要な「安全保障分野」で発揮される期待は薄い 一方で、国と地方自治体の関係の在り方として、安全保障面で大きな課題があることも事実でしょう。 例えば、沖縄県の米軍基地の辺野古移設の問題です。2013年時点では、最短で22年度でしたが、県の強烈な反対に遭い、現在では2030年代半ばに遅れる見通しです。しかし、辺野古移設は国家全体の安全保障の問題であり、「地方自治」のみで振り回してよいものではありません。 この沖縄の問題が、今回の地方自治法の改正で解消されるかと言えば、大いに疑問です。 法律に基づき「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と認定して、県に指示を出したとしても「条文の乱用だ」と反発され、指示には従わず、結局、裁判にもつれ込むのは目に見えています。 裁判になれば、県側の主張が認められる可能性もあります。従って、こうした問題の有効打にはなりえないでしょう。 こうした問題は、裁判の余地がないよう、個別法で、具体的に規定すべきと言えます。 ◆「緊急事態」と称して全体主義が入ってくる ですから同法案の結論としては、本来、国がリーダーシップを発揮すべき問題では効果は出ず、国民の自由や人権が制限されることになるでしょう。 コロナ禍では、多くの自治体は責任問題となることを嫌い、国の指示待ちの姿勢でしたが、今回の法改正で、正式に国の「お願い」が「指示」に格上げされれば、喜んでこれに従い、国民の自由を制限する対策を講じていくことになると考えられます。 大川隆法党総裁は、『コロナ不況にどう立ち向かうか』の第1章「政治について言いたいこと」で次のように述べられています。 「日本人はわりにお上の命令に忠実なので、『はい、はい』と言って従う気はあるのですけれども、『ちょっと気をつけないと、もう一歩で(全体主義に)行ってしまいますよ』というようなことは言っておかなければいけません。(中略)「緊急事態」と称して全体主義が入ってくるので、気をつけなければいけないところがあると思います。」 今回の地方自治法改正は、まさに「安全」を大義名分に「緊急事態」を煽ることで、国民の自由や人権が侵害され、全体主義への道を開く危険性のある法律です。 もちろん、「地方自治」を名目に、本当に必要な「安全保障」の問題が疎かになってはいけませんが、これには、災害対策基本法のように個別法でもって、解決を図っていくべきでしょう。 LINEへの行政指導、アメリカで中国に個人情報の販売・移転禁止… ほぼ同時に報道された2つの事件から見えてくるものとは 2024.03.08 https://youtu.be/Et-1K-LeD1s 幸福実現党政務調査会 藤森智博 ◆日米でほぼ同時に報道された個人情報の重大事件 月間利用者数は9500万人を超え、日本人口の約7割をカバーするLINEアプリ。今や日本人になくてはならない。 そんなLINEアプリですが、個人情報の流出が相次ぎ、2月29日には総務省が行政指導を行う方針であることを日経新聞がスクープし、3月5日に行政指導が行われました。 そして、ほぼ時を同じくして、2月28日にアメリカでは米国人の特定の個人情報を大量に販売・移転するのを禁止する大統領令が発表されました。禁止する対象は、中国などの安全保障上の懸念がある国々あり、個人情報は、個人の健康状態などの機密情報になります。 運命は数奇にして、個人情報関連の大きな事件が、ほぼ同時に日米で起きました。この2つの事件を比較していくことで、日本の個人情報保護の大きな問題点が見えてきます。それぞれについて詳しく見ていきましょう。 ◆繰り返すLINEの個人情報流出に、ついに3回目の行政指導。しかし効果のほどは? まずはLINEです。LINEは21年3月に中国から利用者の個人情報が閲覧可能だったことが発覚し、大問題となりました。 このときLINEは対策として、①中国からのアクセスの完全遮断、②海外に保存してあるLINEデータを同年9月までに国内に完全移転することを発表。 さらに4月には、総務省から行政指導も受けますが、その後も問題は後を絶ちません。 21年10月には、ヤフーなどのZホールディングスと合併し、LINEヤフーとなりましたが、23年8月には、韓国のネイバーに対し、利用者への十分な周知をせずにデータを提供したとして総務省の行政指導を受けました。 ネイバーはLINEの生みの親であり、今もLINEヤフーに対し、事実上ソフトバンクと同等に出資している大株主です。 LINEヤフーは、このネイバーに不十分な周知で、位置情報約410万件を含む約756万件の個人情報を提供したのです。 さらに23年11月には、LINEヤフーは、44万件の個人情報がサイバー攻撃で流出した可能性を発表。その原因の1つは、ネイバーと一部のシステムを共通化していたことでした。 加えて、今年2月には、ネイバーとは別の韓国の業務委託企業から、旧LINEの従業員情報が5.7万件流出した可能性と、44万件としていた個人情報の流出が、実は51万件だった可能性を発表しました。 しかし、同社から具体的な説明や対策の発表はなく、業を煮やしたのか、総務省が再び行政指導を行うことが2月29日に報道され、3月5日に実際に行われました。 ですが、21年から3度目となる行政指導で、問題が解消されるのかと言えば、大いに疑問であると言わざるを得ません。 ◆政治主導で、個人情報の機密データの悪用を防ごうとするアメリカ 次にアメリカを見てみましょう。28日に発表された中国などへの大量の個人情報を販売・移転するのを禁止する大統領令です。 今回規制された個人情報は、遺伝情報、音声やキーボードを打つ動きなどを含む生体認証に関する情報、そして健康情報、位置情報、金融情報、個人を特定可能な情報です。 例えば遺伝情報などは生物兵器にも転用可能であり、こうした情報が安全保障上の懸念国に流出することは、安全保障上の危機に直結しかねません。バイデン政権の幹部も、遺伝情報の悪用を最も強く懸念していると述べています。 さらに、こうした機密情報は、スパイ活動や脅迫、詐欺などに活用できます。 LINEの例で考えてみれば、不倫相手とのメッセージのやり取りが“文春砲”などで、暴かれることが多々ありますが、こうした個人情報を中国などが入手すれば、有名人や政治家を脅迫し、世論誘導やスパイ活動に従事させることも可能です。 また、健康上の悩みも脅迫などに利用できるでしょう。 これを先ほどのLINEの情報流出で考えてみると、21年段階で、韓国のサーバーに保管されていた情報は、オンライン診療サービスで利用する健康保険証の情報も含まれていました。 また、昨年8月の行政指導の内容も、機密情報に分類された「位置情報」の約410万件の流出でした。 昨年11月から続く情報流出では、どのような機密情報が含まれていたかは、現状不明ですが、過去の事例を見る限り、何かしらの機密情報が含まれていたと考えるべきでしょう。 アメリカでは、こうした機密情報の取り締まりが、大統領令によって強化されます。さらに議会では、アメリカ人の遺伝情報を守るために中国のゲノム解析大手BGIなどと政府機関が契約するのを禁止する法律を検討しています。 また、今回の規制対象は外国でしたが、外国だけでなく、アメリカの連邦政府自体が、諜報機関を通じて、国民のそうした機密情報を収集していることが議会で明らかになり、超党派で問題意識が強まっています。 ◆日本も政治主導で、国民の機密情報の悪用を防げ このように、日米で個人の機密情報の問題は、同様に起こっている問題ですが、その“対処”の仕方には大きな違いがあります。 2021年以降、LINEへの行政指導は3回に及びますが、この間に個人情報保護法の法改正はありません。 一方、アメリカでは、法令の制定を行なったり、議会で強い関心を持って、個人情報の問題を扱っています。 また、アメリカでは議会や政府が、中国への情報流出を問題視していますが、日本の政治家は、あまりそうした問題を語りません。 今回の日米の2つの事件を比較すると、日本の政治のこうした問題点が鮮明に見えてきます。 また日本では、マイナンバーのシステムを強化し、中国のような国民総監視社会に近づきつつありますが、一方で、米紙ワシントン・ポストに昨年8月、中国からのサイバー攻撃で政府のコンピューターシステムから機密情報が流出した疑いが報道されるなど、行政の情報管理の在り方には大きな疑念があります。 大川隆法総裁は次のように述べています。 「国民監視を一元管理し始めたら、やられるのは、おそらく、日本国民がやられるのであって、たぶん外国のスパイのほうではなかろうと思います。そちらのほうはトラブルを避けたいから、たぶん“逃げ放題”になるのだろうから、たいへん情けないなと思っています」(『コロナ不況にどう立ち向かうか』/第1章 政治について言いたいこと) 今のままでは、私たち国民の個人情報は、内外からほしいままにされかねません。 そうした事態を防ぐためには、アメリカのように政治の側から声を上げていくことが必要なのです。 国保保険料、上限2万円引き上げの「カラクリ」が本当に恐いワケ。【後編】 2022.11.01 http://hrp-newsfile.jp/2022/4370/ 幸福実現党 政務調査会 藤森智博 ◆政府が根拠不明の自主ルールで上限引き上げを行う危険性 そうした批判を恐れてか、 「フリーハンド「と言っても、政府の運用は慎重です。根拠不明の自主ルールを勝手に作って運用しています。 それは、保険料の上限額に該当する世帯の割合を1.5%に近づけることを目指すというものです。 一度に大幅に引き上げてしまうと、それだけ「保険性」が失われてしまうのと同時に重税感が出て批判が強まるのを恐れているため、そうした自主ルールを設定しているのかもしれません。 ですが、根拠不明のルールに基づいていること自体が非常に危険であると言わざるを得ません。根拠不明というのは、法的根拠と合理的根拠の両方について言えます。 法的根拠としては、政令で定められておらず、不明です。さらに後述の通り合理的根拠も不明なので、為政者の都合で「何でもあり」になりかねないのです。 ◆政府の自主ルールの説明が信用できないワケ(1):他の保険に関する法律を都合よく解釈している 合理的根拠については、厚労省の説明はあります。 会社員向けの「被用者保険」において、最高額の人の割合が「0.5%~1.5%の間となるように法定されている」ので、これとバランスを取って、1.5%に近づけているとされています。 もっともらしく聞こえますが、仕組みも所得層もバラバラな「被用者保険」と「国民健康保険」を同じルールにしても、バランスは取れるようで全く取れません。実際、所得が高くなってくると、「国民健康保険の方が保険料は高い」という声はよく聞かれます。 また、厚労省の説明にはかなり嘘が入っています。厚労省の言う通り、「被用者保険」で最高額の割合が「法定」されているのは事実です。 しかし、被用者保険について定める「健康保険法」の第40条の2では、最高額の人の割合が1.5%を超える状態が「継続すると認められるとき」に、引き上げを「行うことができる」と規定されています。 厚労省の書き振りでは、「0.5%~1.5%の間」が義務規定のように受け止める人がいてもおかしくありませんが、実際は全く違います。 ちなみに、健康保険法と同様の規定は「厚生年金保険法」にも見られるのですが、実際の運用で「継続すると認められる」と判断して保険料を引き上げるまで、5年間を要しています。 国民健康保険と相当違いがありますが、これが「法定「されているかどうかの違いとも言えるでしょう。 ◆政府の自主ルールの説明が信用できないワケ(2):いつの間に自主ルールを変更している さらに言えば、この1.5%ルールも「取ってつけたもの」であることは間違いありません。2008年に「介護保険料の在り方等に関する検討会」が開催されたことがありました。 会議では、公的保険制度の最高限度額の考え方を記した資料が配られているのですが、そこでは国保について、1.5%ではなく、「4%」が目安と示されているのです。 この割合が増えるということは、その分上限額に達する世帯が増えても、上限を引き上げできないことを意味するので、それだけ累進課税にしづらくなります。 しかし、懐事情が厳しくなったからなのか、いつの間にか高所得者層から増税しやすいルールに変更されてしまいました。これが法定されていない恐ろしさです。 なお、「被用者保険」において4%が法定だったことはありません。 ◆会社員向けの被用者保険の保険料も「インスタント「な引き上げを政府は狙う 以上は自営業者やフリーランスなどの国保の話ですが、会社員も見過ごすべきではありません。「インスタントに上限を引き上げる」というのは厚労省の長年の夢だからです。それは法律の変遷を見れば明らかです。 会社員の保険料である被用者保険について、「政令」で保険料の上限を引き上げる条件は緩くなってきています。 被用者保険について定める「健康保険法」では、もともと政令で保険料の上限を引き上げる場合、上限額の人の割合が3%以上でなければいけませんでした。しかし、2007年施行の法改正で、今の1.5%となりました。 さらに、2016年施行の法改正で「1.0%~1.5%」だったのが、「0.5%~1.5%」となりました。保険料の上限を引き上げすぎて、最高額を支払う人の割合が「うっかり1%を下回ってもいいようにした」わけです。 つまり、法改正を経ずとも政令で上限の引き上げができる環境を整えてきているのです。 ◆私有財産権という自由の根幹となる権利を守るためにも、政府の姿勢には反対を 今回のように恒例行事とも言える国保保険料の上限引き上げについて、「自分には関係ない」と言って、これを放置すれば、その悪影響は拡大していく可能性が高いと言えます。 それが行き着く先は、政府の権力が肥大化し、私有財産権が軽んじられ、あなたの自由が制限される恐ろしい社会です。 そうした社会が本格化することがないよう、いき過ぎた「新福祉国家主義」に警鐘を鳴らしていくべきでしょう。 国保保険料、上限2万円引き上げの「カラクリ」が本当に恐いワケ。【前編】 2022.10.31 http://hrp-newsfile.jp/2022/4368/ 幸福実現党 政務調査会 藤森智博 ◆国保保険料の上限は、10年で8回、約30万円引き上げられ、2023年104万円へ 10月28日、厚生労働省は、来年度から国民健康保険(国保)の保険料の年間上限額を今より2万円引き上げる方針を固めました。 国保は、自営業者やフリーランスの人などが加入する保険です。保険料は、引き上げにより最大で年104万円となります。引き上げの背景には、高齢化による医療費の急増があります。 実は、この国保の引き上げは毎年の恒例行事のようになっています。 2014年以降23年までの10年間で引き上げが行われなかった年は、わずか2回。引き上げは、総額で27万円になります。 同じ公的保険である会社員中心の被用者保険や厚生年金保険は、同じ時期だとともに一度しか引き上げは行われておりません。国保の引き上げが「いかに、異常なことか」がよく分かるでしょう。 ◆上限引き上げの問題(1):保険料が「累進課税」となる それでは、この上限の引き上げは何が問題なのでしょうか。まず、挙げられることは「国保の累進課税化」です。 当然、保険料と税金には違う面はありますが、国保の場合、多くの自治体は「保険税」としてお金を徴収しています。 さらに、国保の対価である「医療」や「介護」は、事前の支払いが多くても少なくても、受けられるサービスには変わりはありません。 これが一般の私的保険と究極的に異なる部分です。公的保険は「助け合い」の観点から、サービスに見合わない保険料の徴収が正当化されているのですが、これが強調されればされるほど「税」としての性格は強くなっていきます。 そして、高所得者を狙い撃ちする「上限の引き上げ」は、国保の保険料が「累進課税化」することを意味しています。 ◆上限引き上げの問題(2):問題が先送りとなり、公的保険制度の失敗がより深刻化する 次に挙げるべきは、「上限引き上げは、事実上の問題の先送り」となっていることです。今回の上限の引き上げの対象は、厚生労働省の資料によれば、わずか1.51%です。 そうした高所得者層の負担が多くなる分、中間所得層の負担は軽減されると謳われています。 これは確かに魅力的とも見える人もいるでしょう。 しかし、そもそもの問題として、公的保険制度自体が既に限界を迎えつつあることを見過ごしてはいけません。 2019年度の人口一人当たりの国民医療費を見ると、65歳未満が19.2万円であるのに対し、65歳以上では75.4万円、75歳以上は93.1万円となっています。 特に75歳以上の後期高齢者1890万人の医療費18.4兆円(2022年度予算ベース)に対し、患者負担は1.5兆円。 残りの約17兆円は、公費が約5割、若年層からの支援金が約4割、高齢者の保険料約1割で賄われています。 少子高齢化が一層厳しくなるなか、全くもって「持続可能」ではありません。 こうした状況で、高所得者層への累進課税を強めたところで「焼け石に水」にしかなりません。 むしろ、一時的な中間層の負担軽減によって、事態の深刻さが見落とされる危険性さえあります。 医療費の増大が、直接的に保険料として転嫁されれば、実感としてそれを感じることができますが、軽減されればされるほど、そうした感覚は薄れます。 一部の高所得者層にのみ負担を押し付けて解決するのなら、それでもいいのかもしれませんが、実際のところ解決できません。むしろ、問題を先送りにすればするほど、事態はより深刻になるでしょう。 ◆上限引き上げの問題(3):法改正なしに事実上、政府が自由に引き上げを行っている そして3点目の問題は、国保保険料の上限引き上げに「法律改正」が全く必要ないことです。これが、毎年の「恒例行事」とできた「カラクリ」となります。 「国民健康保険法」には、実は保険料の徴収に関する具体的な規定がありません。ですから、政府は、「政令」によって、自由自在に具体的内容を決めることができます。 政令とは、法律を実施するために政府が制定するルールです。 法律で具体的な内容が決められず、政令に委任されるところが増えるほど、政府が自由に決められる幅は広がります。 国保保険料の引き上げの場合で言えば、累進課税を法改正なしに政府の「フリーハンド」でできてしまうことになります。 ◆政府の自由な保険料の上限引き上げは、憲法上の問題があり、自由の制限に通じる 「フリーハンドで政府が税金を課せる」ということは非常に恐ろしいことです。私有財産権は、自由と民主を担保するものです。 私有財産があるからこそ、経済活動の自由が保障されて、様々な思想・信条に沿った行動を取る自由も保障されるようになるわけです。 税金は、明らかにこうした私有財産の侵害となりますが、「公共の福祉」によって、社会全体の共通の利益のためにそれが許されています。 しかしだからと言って、「何でもあり」になったら困ります。だからこそ、「議会の法律によって条件を決めましょう」というルールがあります。これが憲法第84条の「租税法律主義」です。 「保険料自由自在」となれば、こうした憲法の精神を軽んずることになります。 もちろん、国民健康保険法第81条で、保険料に関して政令等に委任する規定があるため、憲法違反とまでは言えませんが、私有財産権を尊び、個人の自由を保障する憲法の精神の大きな妨げとなり得ます。 (後編につづく) マイナンバーカードが24年秋から実質強制へ。迫りくる監視国家の靴音【後編】 2022.10.16 http://hrp-newsfile.jp/2022/4361/ 幸福実現党 政務調査会 藤森智博 10月13日、いわゆる紙の健康保険証が2024年秋をメドに廃止され、マイナンバーカードに一本化されることを政府が発表しました。 この問題について、前半では、マイナンバーカードの実質義務化にあたっての法律的な視点も踏まえ、自民党の「からめ手作戦」について明らかにしました。 後半では、「なぜ、そこまでして、マイナンバーカードの実質義務化を目指すのか」を考えるために、義務化によって、可能となり得る具体的な政策について見ていきます。 ◆「軽減税率」適用には、マイナンバーカードが不可欠になる可能性も まず、マイナンバーカードの義務化を進めていけば、国民の購買行動を監視できるようになります。そのためには、マイナンバーを提示した場合のみ、消費税の軽減税率を適用するといった方法があります。 「そんな無茶苦茶な」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に消費税が10%に増税され、今の軽減税率が始まる前に、そうした議論はありました。 2015年に麻生太郎財務大臣は記者会見で、軽減税率について「カードを持ちたくないなら持たなくてもよく、その代わり減税はない」と述べたとされます。 もちろんその後、「マイナンバーカードは全員に行き渡るのか」などの批判が噴出し、この話は立ち消えます。 しかし、義務化が実現されれば、満を持しての実施は当然あり得るシナリオです。 ちなみに、この施策は法改正なく行えると考えられます。マイナンバーの利用目的は、法律で大きく制限されていますが、「社会保障制度、税制、災害対策」であれば合法です。軽減税率であれば、税制という目的の枠組みで問題なく制度化できると考えられます。 ◆購買情報の活用で、自分に不利益な政策が実施される恐れも 別に自分の購買行動を監視されても構わないという方もいらっしゃるかもしれませんが、突然の思わぬ事態に見舞われる可能性があることは知っておくべきでしょう。 例えば、マイナンバーで購買行動を補足できれば、購買データと診療情報の組み合わせが可能になります。 もし、ある食品を買っている人とある疾患にかかる人に十分な関連性が認められた場合、その食品に「たばこ税」のようなものを課す大義ができます。 私の場合、「ポテトチップス」が大好物ですが、この商品は人を肥満にする傾向があると「証明」されれば、「ポテトチップス税」を課す根拠となり、私が落胆する一方で、増税できる財務省が大喜びする未来が待っているかもしれません。 これは半分冗談として、マイナンバーの情報を個人が特定できないよう「ビックデータ化」すれば、法律による制限が、遥かに緩やかになることは間違いのない事実です。そこから得られた「知見」が政策に盛んに利用されることでしょう。 ◆国民総マイナンバーカードで、ワクチンパスポートの完全電子化も可能に 次にワクチンパスポートの完全電子化も想定されます。現在は、紙のものと併用されていますが、マイナンバーカードが全員所持の状態となれば、保険証同様に紙は廃止されるでしょう。 これによって何が可能になるかと言えば、政府は国民の行動履歴を監視できるようになります。アナログの紙であれば、追跡は困難ですが、デジタル情報であれば、解析は一瞬で済むでしょう。 ◆政府は民間情報とマイナンバーを突き合せることで、さらに国民監視を強化できる 別の論点として、国民総マイナンバーカードとなることで、政府に限らず民間のマイナンバー利用が増えることも要注意です。 もちろん本人の同意が、追加の情報取得の前提となりますが、政府のインフラのマイナンバーを使えば、企業は「楽」に顧客情報を活用できます。 ここでの落とし穴は、マイナンバーの親元である政府は、企業が持つ情報と政府が持つ情報を併せて、さらに国民監視を強化することができるようになるわけです。 ◆都合が悪い公約は選挙で掲げない体質に国民は騙され続けている こうした様々な問題点を持つ「マイナンバーカードの実質義務化」ですから、本来なら選挙で掲げるべきことです。 しかし、自民党の今年における参議院選挙の公約(参院選公約2022, 総合政策集2022 J-ファイル)を確認しても、「マイナンバーカードの義務化」「保険証の廃止」などの文言はありません。 他の政策にも通じることですが、自民党では、有権者受けが悪い政策は選挙では訴えず、選挙後に大々的に発表するという手法は当たり前になっています。 こうした自民党体質は「うそつき」とまでは言えなくても、国民を「結果として騙している」と言えるのではないでしょうか。もちろん自民党に限らず、既存の政党にもこれは共通するでしょう。 ◆信用のない政治が、実態を知らせることなくマイナンバーを運用している 信用のない政治家たちに「マイナンバー」という巨大な国民監視システムを任せることは非常に危険です。 法令上、マイナンバーカードの運用は制限されていることになっていますが、実際の運用が「どうなっているのか」について、私たち国民はまったく知らされていません。 例えば、マイナンバーのオンラインサービスの「マイナポータル」で、自身の個人情報に「誰が、いつ」アクセスしたのかというような情報は確認できません。 政府はマイナンバーの安全性を強く主張しても、透明性については沈黙しています。 ですから、実際のところ、どれだけ杜撰な運用をしていても、私たちはそれを知ることはできません。 こうした面から言っても、政治家あるいは政府にマイナンバーの運用を任せるだけの信用は無いと言えるでしょう。 ◆徐々に自由を縛られ、日本は全体主義的な監視国家への道を歩む また、今回の保険証の廃止に見る「本音と建て前」で国民の自由を縛るという発想は、コロナ禍以降、非常に強くなっていることも大きな問題点です。 例えばワクチン接種も、努力義務と言いながら、ワクチンパスポートの後押しなどもあり、事実上の強制に近づいた面は相当あったのではないでしょうか。マイナンバーカードの事実上の強制も、これと全く同じ構図と言えるでしょう。 結論として、今回のマイナンバーカードの実質義務化によって、日本にまた一歩、全体主義的な監視国家が近づいてまいりました。 そして、その靴音は日増しに強くなっているようにも感じられます。 大坂冬の陣後に、気づいたら堀が埋め尽くされた大坂城のように、このままでは、国民の「自由」という城も気づいたら「裸同然となっていた」という悲劇の結末を迎えることになるかもしれません。 そのようなことがないよう、今回の健康保険証の廃止には、強く反対を訴えるべきだと考えます。 マイナンバーカードが24年秋から実質強制へ。迫りくる監視国家の靴音【前編】 2022.10.15 http://hrp-newsfile.jp/2022/4360/ 幸福実現党 政務調査会 藤森智博 ◆2024年秋、既存の健康保険証は廃止へ 10月13日、河野太郎デジタル大臣が、いわゆる紙の健康保険証を2024年秋をメドに廃止し、マイナンバーカードに一本化することを発表しました。 同日、デジタル庁の担当者は「保険証の廃止は『原則』という断りなく実施する」と明言しており、政府の本気度が伺えます。運転免許証については廃止までは踏み込みませんでしたが、免許証の機能をマイナンバーカードに持たせる「マイナ免許証」の導入を前倒すことを検討し始めました。 あらゆる身分証をマイナンバーカードへと集約する流れが加速しつつあります。 ◆事実上の「マイナンバーカードの義務化」に国民は猛反発 これに対して、国民からは反対の声が相次いでいます。既にネット上では、保険証廃止に反対する署名運動が展開されており、オンライン署名プラットフォームchange.orgでは13日23時時点で5万人近くの署名が集まっています。 今回の保険証廃止の問題は、大きな関心を集めていると言えるでしょう。 国民の反対の声が相次いだ最大の理由の一つは、事実上のマイナンバーカードの義務化です。 国民皆保険の我が国において既存の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに一本化することは事実上のマイナンバーカード取得の義務化に他なりません。 マイナンバーカードの9月末時点での交付率は49%と低迷しています。 日経新聞なども一連の措置は「マイナンバーカードを一気に普及させる狙い」と指摘していますが、政府が健康保険証を廃止する真の目的は、国民に強制的にマイナンバーカードを申請させることだと言えます。 ◆強引な事実上の義務化は、「法治国家」としては大問題 さらに「マイナンバーカードの義務化」を達成するための「手段」にも問題がありました。 もし政府が最初から堂々と義務化を発表していれば、望ましくはありませんがある意味で正直でした。しかし現実には、政府は、実質義務化の実現に向け、健康保険証の廃止という「からめ手」を用いたわけです。 「本音と建て前」という日本的な手法とも言えますが、こうした手法に反発を覚えた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。 より踏み込んでこの問題を考えてみると、実は今、「法治主義」が危機的状況であることも指摘できます。少なくとも現時点では、既存の健康保険証の廃止について、「法改正を目指す」という話ではなく、「決定事項」として報道されています。 本来、真っ正面からマイナンバーカードの義務化を進める場合、マイナンバー法を改正し、義務化を明文とすることが筋となります。 しかし、既存の健康保険証を廃止し、仕様を変更するということであれば、法改正は必要ないという話にできます。つまり、「からめ手作戦」によって、本来必要な法改正という民主的手続きをスキップしたと考えられるわけです。 ◆マイナンバー法制定時に明言されていた「カードの任意性」 また、マイナンバー法制定における国会審議を振り返ると、「マイナンバーカードが任意か、強制か」という問題は、間違いなく論点として存在していました。 例えば2013年5月23日の参議院内閣委員会では、以下のようなやり取りがされています。 民主党・新緑風会の藤本祐司議員が「マイナンバーの通知カードがあれば、マイナンバーカードは不要という人もいるでしょうが、それはそれで問題はないのでしょうか」という趣旨の質問に対し、時の内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)であった甘利明議員は「通知カードを番号カード(筆者注:マイナンバーカードのこと)に替えるのは、法律で強制的に全部、全員やりなさいということは言ってないわけですよね」と明言しています。 従って、マイナンバー法にマイナンバーカードの義務化が盛り込まれていれば、法案審議が違ったものになっていた可能性があるわけです。 ◆マイナンバーカードが義務化されずとも、既にマイナンバーによる国民監視の体制となっている点には、要注意 もっとも、マイナンバーカードの義務化そのもので、政府の国民の監視体制に大きな変化は起きないでしょう。 全国民にマイナンバーが割り振られており、適法であれば、既に政府は国民の個人情報を集約することができます。また、マイナ保険証でも紙の保険証でも、診療情報がデジタル化されていれば、ハッキング等で悪用されるリスクは同程度でしょう。 そもそもマイナンバーという制度自体に大きな問題はあるのですが、今回の措置だけを見れば、国民が必ずしも大きな不利益を被るとは言いは難い面はあります。 逆に言えば、これをもって「マイナンバーカードの義務化は問題ないのだ」という意見もあることでしょう。 ◆マイナンバーカードの実質義務化は更なる国民監視の強化を招く しかし、ほとんどの国民がマイナンバーカードを所持するようになると、芋づる式にマイナンバーの活用が拡大しかねません。すると、マイナンバーによる国民監視体制は確実に強化されるでしょう。 現状のように国民の半分程度しかカードを所持していなければ、カードを前提とした政府施策は行えません。 一方で、ほとんどの人がカードを持つのなら、あらゆる政策にカードを利用することができるようになります。この辺りが、政府が「マイナンバーカードの実質義務化」を狙う理由でしょう。 このように、政府は国民監視を強めるために、からめ手まで使ったマイナンバーカードの義務化に乗り出してきていると考えられます。 次に後編では、マイナンバーカードの実質義務化によって、「どのような国民な監視強化に繋がるのか」を具体的に考えてみたいと思います。 (後編につづく) 岸田氏vs高市氏の財政再建論争!必要なのは、緊縮財政でも積極財政でもなく、健全財政 2022.01.09 http://hrp-newsfile.jp/2022/4189/ 幸福実現党 政務調査会 藤森智博 ◆年初から盛り上がりを見せる財政再建論争 1月7日付の毎日新聞の報道が話題となっています。岸田文雄首相が財政再建を重視し、財政赤字に慎重であるのに対し、同じく自民党の高市早苗政調会長が噛みつきました。 高市氏は、積極財政を掲げ、コロナ禍を克服していくためには、政府がお金を出して、経済を回す必要があると考えています。 与党の政調会長と総理の路線対立が大きく表面化したのは珍しいと言えるでしょう。「背景にあるのは、単なる二人の軋轢でもなければ、政策論争でもなく、権力闘争の一環だ」という報道もあります。高市氏の背後に安倍元総理がいることを御存知の方も多いでしょう。 岸田氏は、総理就任後、安倍氏の言うことを聞かなくなったばかりか、盟友の麻生氏を取り込み、安倍氏を孤立させ追い込んでいると見る向きもあります。 これについて、ここでは深く立ち入りませんが、今夏の参院選に向けて、財政政策をめぐる議論が過熱していくことが予想されます。本稿では、あるべき財政政策について検討してみます。 ◆緊縮財政の問題:経済を犠牲にしてでも、とにかく財政再建 岸田氏の「緊縮財政」から見てみましょう。この考えは、財務省の伝統的な考えと共通しています。先般の衆院選前に話題となった財務次官の「矢野論文」は典型的な緊縮財政論でしょう。 しかし、「緊縮財政」はともすれば嫌がられます。なぜ嫌がられるかと言えば、国民の生活よりも政府の財政再建を優先するからです。2010年代の2度の消費増税がその典型例でしょう。 財政再建の美名のもと、国民が貧しくなる増税を行いました。それにもかかわらず、日本の累積債務は減るどころか逆に増えてしまいました。 ここから緊縮財政論に言えることは、「国民あっての国家であって、その逆ではない」ということです。 マクロ経済でもって、「これだけ増税すれば、これだけ税収が増える」と計算しても、国民の生活が疲弊してしまえば、国力が落ち、やがて税収は減っていきます。 結局、税収増を目指すあまり、経済を犠牲にしてはならないのです。 ◆積極財政の問題:ワイズスペンディング(賢い支出)が欠けている 次に高市氏の積極財政です。積極財政では、政府がお金を出して経済を回すことを考えます。特に日本は、長期にわたるデフレに苦しんでいるので、需要の不足を国家が補ってあげようと考えます。 積極財政については、昨年12月13日の衆院予算委員会で高市氏と岸田氏が舌戦を繰り広げました。 高市氏は「まずは、積極財政で皆様が働く場所、事業主体を守り抜き、成長への道筋を示すことによって、雇用と所得を増やし、消費マインドを改善させ、最終的には税収も増える形をつくる」と発言しました。 これは、令和三年度の過去最大となった補正予算についての見解ですが、積極財政の考え方がよく表れていると言えるでしょう。 積極財政は、国民生活のために国家が一肌脱いでくれるわけですから、一見素晴らしく感じます。増税や社会保障費などの歳出削減を言わなくてよくなるので、政治家としても大変ありがたい考え方と言えるでしょう。 しかし、積極財政派に決定的に欠けているのは「ワイズスペンディング」(賢い支出)の観点です。流行りのMMT論もそうですが、支出の中身の部分をなおざりにして、支出額のみに着目する傾向は強いです。 ◆今の政府にワイズスペンディングはできない もちろん、積極財政派の方もワイズスペンディングの大切さは訴えています。 先ほど紹介した高市氏も、同予算委員会で「ワイズスペンディングを前提に効果的な財政出動と成長戦略を大胆に講じていただき、雇用と所得と消費を増やし、結果的に税収増にもつながるお取組みをお願いしたい」と発言しました。ワイズスペンディングと言えば、誰も反対はできないでしょう。 しかし、ここには大きな落とし穴があります。それは「政府の自称『ワイズスペンディング』が本当に賢いのか」という問題です。 民間企業であれば、自由市場において、厳しい競争に晒されます。「売れるか売れないか」あるいは「倒産するかしないか」という結果をつきつけられるので、判断能力は磨かれていきます。 一方、行政の特徴は「無謬性」にあると古くから言われています。これは、「行政は間違った判断をしない」ということです。 つまり、官僚は昔から「ワイズスペンディング」だったことになります。しかし、現実は間違いだらけだったので、日本の借金は積み上がっていったわけです。 結局、民間企業のような競争も無く、間違いを認めたがらない政府にワイズスペンディングなどできるわけがないのです。それは、高市氏がワイズスペンディングを唱えた補正予算を見るだけで分かります。 補正予算では、岸田総理が掲げた「新しい資本主義」を名目にしたものが253項目ありましたが、「ごった煮」状態で、「ワイズ」とは程遠いものです。例えば、「新しい資本主義」を起動するために「良好で緑豊かな都市空間の形成等のための国営公園事業に必要な経費」として39億円近い予算がつけられました。 国営公園の整備は分かりますが、なぜ「新しい資本主義」につながるのかはさっぱり分かりません。これはあくまで一例ですが、このような問題は数多くあるわけです。 ◆やらなくてよい仕事はやめて、国家は「健全財政」を目指せ このように、多額のお金が政府にあっても、有効に使われないことが多すぎるのです。 これを改めるためには、やらなくてよい仕事を無くしていくと同時に、民間の経営の考え方を政府に入れていく必要があります。 ハンコのデジタル化も結構ですが、行政のハンコを押す判断スピードを上げて、許認可行政を改めない限り、生産性の向上は困難でしょう。そうした生産性の向上ができなければ、国家の経済成長も期待できません。 これらを言い換えれば、国家の「健全財政」を目指すということでもあります。 「自助努力により無駄を排し、優れた商品やサービスを提供することで発展していく」という民間では当たり前の考え方を実践することが今の政府に求められる財政政策です。 増税とケチで国民を苦しめる「緊縮財政」と、放漫経営で将来の危機を招く「積極財政」は採るべき道ではないと考えます。 政府は「やるべき仕事」として、国民の安全を守る「治安・国防」を中心に予算を集中すると同時に、規制緩和を通じて、政府の膨大な仕事を減量していくべきでしょう。 新型コロナを「5類」へ 反対論の是非を検討する 2021.12.18 http://hrp-newsfile.jp/2021/4182/ 幸福実現党政務調査会 藤森智博 ◆新型コロナを「5類」とすれば、軽症患者も医療サービスにアクセスできる 今夏のデルタ株の感染拡大に伴い、入院病床がひっ迫しました。この状況に耐えかねて、一部の医療関係者は、新型コロナを季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げるべきと声を上げました。 「5類」とすることで何が変わるのでしょうか。現在、新型コロナは、ペストやエボラ出血熱と同じ1類相当の措置もできる区分です。 この区分だと「保健所」が全ての患者を管理する必要があるため、感染者数が激増するとパンクします。すると、日本は世界一の病床数があるにもかかわらず、いわゆる医療崩壊が発生します。 つまり、5類にすれば、保健所での「目詰まり」が解消され、医療サービスにアクセスしやすくなるわけです。 特に、軽症者に関しては、「自宅療養」と称して事実上放置されていた状況が改善されることが期待されます。 しかし、こうした5類への変更には、根強い慎重論が存在することも事実です。本稿では、そうした慎重論を検討します。 ◆5類変更に反対する理由(1):医療費が自己負担になる → 現状維持は、かえって将来の負担増 第一に挙げられる反対理由が、医療費が自己負担となることです。 現在は、コロナの医療費は全額無償となっていますが、5類であれば無償の根拠が失われます。重症化すると莫大な医療費がかかるので、これを警戒するわけです。 しかし、自己負担と言っても、全額自己負担にはならず、負担は限定的です。健康保険制度があるため、最大でも3割負担にとどまります。 また、高額療養費制度という月の医療費の上限を定めた制度もあります。 例えば、100万円の医療費の場合、自己負担額は本来3割の30万ですが、同制度を利用すると、1割以下の9万円で済むケースもあります。 本制度の是非はここでは論じませんが、少なくとも5類への変更によって、莫大の負担が生じることは現状あり得ません。 さらに言えば、5類への変更で、軽症者が医療サービスにアクセスしやすくなれば、軽症者の「中症化」「重症化」を未然に防ぐことも期待できます。その結果、莫大な入院費用が抑えられ、日本全体の負担は減少することもありえるでしょう。 コロナ医療のための負担は、結局「将来の増税」によって賄われるものなので、長期的に見たら、今の状況を維持することには問題があります。 5類に変更することで、医療資源を無駄なく活用した方が、結果的には私たちの負担は少なく済むでしょう。 ◆5類変更に反対する理由(2):感染者が増える → 現状維持でも、将来的な感染者増は防げない 次によく挙げられるのは、5類にすると感染者が激増するのではないかという疑惑です。5類になると、緊急事態宣言などを発出する根拠を失うので、人との接触が増え、感染が増えるのではないかということです。 しかし、人と人との接触を制限する現在の枠組みには明らかに弱点があります。それは、ロックダウンのような接触制限で感染の封じ込めにたとえ成功しても、一時的にすぎないということです。 新型コロナは感染爆発の中心をぐるぐると変えながら、世界中で流行し続けており、収束の兆しは見えません。こうした状況下では、行動制限は長期化せざるをえず、社会的弱者に大きな負担を強いることになってしまいます。 そればかりではなく、行動制限はある種の「滅菌状態」であるため、いざというときの抵抗力は弱くなります。従って、今後、新型コロナが劇的に強毒化した場合も、より被害が拡大する可能性もあります。 なお、「ワクチンがあるから大丈夫」という考えもありますが、ワクチンが有効であれば、そもそも行動制限を課す必要はありません。 ◆5類変更に反対する理由(3):新しい変異株に対応できない →既存の株と強毒の変異株の対応を変える 最後に検討したい反対理由は、新しい変異株についてです。5類に変更した後に、より強毒な変異株が登場した際に対応できなくなるという懸念があります。 これについては、「新型コロナ」とまとめて考えるのをやめれば解決できます。つまり、既に流行した株と本当に危険な新しい変異株を別種に分類すればよいのです。 例えばインフルエンザでも、季節性か強毒の新型かによって既に別分類となっています。ですから、新型コロナでも毒性が段違いに異なれば、別分類にしても問題ないと言えます。 ですから、既存の変異株も含め、従来株は、5類に引き下げても問題ないでしょう。 既に治療薬が開発されつつあり、またワクチンも有効だと言われています。さらに言えば、致死率を見ても、新型コロナは現在の日本で1%程度です。SARS(約10%)やMERS(約34%)と比べると、けた違いに小さいです。 従って、いつまでも厳しい規制はするべきではありません。 他方、新しい変異株で、劇的に強毒になるものが登場する可能性はあります。新しい変異株を明確に分けることで、検疫等の水際対策を現在の水準に維持できるでしょう。 また、そうした変異株が国内に侵入し、感染拡大の兆候を見せたのなら、迅速に指定感染症とすればよいのです。 ただし、毒性の高まりを十分に考慮し、強毒でない変異株を指定感染症として、1類相当の対応をすべきではありません。 ◆従来の対応に一区切りをつけ、次なる生物兵器対策を 既存の株と劇的に強毒化した変異株を明確に分けることで、必然的に後者に対する対応が検討されていくことになります。 資源は限られているため、漫然と新型コロナの対策をするのではなく、メリハリをつけて対策に当たるべきです。法的な分類からメリハリをつければ、実際の対策もその通りとなるでしょう。 そして、今検討すべきことは、第二次生物化学兵器攻撃対策を立てておくことです。新型コロナが中国発であることは間違いのない事実であり、状況証拠として生物兵器であったことも分かっています。 従来の新型コロナ対策が進む中、意表を突くために「次なる一手」を打つことも十分考えられます。 現在、政策担当者はコロナ対策で頭がいっぱいであり、次なる生物兵器への対応を考える余裕はないでしょう。しかし、こうした5類への変更措置が、新しい事態に目を向ける契機となっていくはずです。 膨れ上がる政府の借金! インフレ・ファーストは時代遅れ 2021.12.12 幸福実現党政務調査会 藤森智博 ◆インフレを期待し、36兆円まで膨れ上がった補正予算 現在、臨時国会にて、令和3年度補正予算が審議されています。その額なんと36兆円。過去最大の補正予算のようです。 ここまで予算が膨らんだ理由を考える際に、鍵を握るのが、GDPギャップです。GDPギャップとは、需要と供給力の差のことです。 お店側が「これだけ売りたい!(売れる能力がある!)」というのに対し、お客さんが「お財布事情も考えて、これだけ買いたい!」という需要と供給の差を日本全国規模で見たものになります。 どうやら、今回の補正予算では、政府は、財政出動によって需要不足を補い、GDPギャップをプラマイゼロにする狙いがあるようです。 11月15日の自民党政務調査会全体会議では「(政府が直接支出する)真水ベースで30兆円規模が必要だ」というような大規模な財政支出を求める意見が噴出したと言われています。 これは、7-9月期のGDP1次速報から試算されたGDPギャップ27兆円とも対応しているでしょう。 さらに、GDPギャップがプラスになれば、インフレに転じる可能性があります。 安倍政権以来、「2%程度のインフレになれば、好循環が生まれる」と考えられているので、インフレを目指して、支出を増やしていった結果、補正予算は36兆円まで膨れ上がったと言えるでしょう。 ちなみに、2%の超過需要を発生させるには、+11兆円で、計38兆円以上が必要になるとも試算されます。 もちろん、政府の財政支出でお金をバラまいても、例えば何も買わず、貯金する人もいたりするので、今回の補正予算がインフレを確実にするわけではありません。 ◆燃料代などが高騰しているため、「円安」路線は命取りになりかねない しかし、ここで、お伝えしたいことは、そもそもインフレありきの経済成長路線を見直さなければいけない時代に突入しつつあるということです。 御存知の方も多いかと思いますが、現在、世界はインフレと景気の停滞が同時に進行する「スタグフレーション」を警戒しています。 アメリカでは、11月の消費者物価指数が前年同月比で6.8%上昇となりました。1年前と比べて、モノの値段が6.8%上昇したということですが、これは約39年ぶりの高水準です。 また、EUのユーロ圏では、11月の統計で、物価が4.9%上昇したと報告されています。アメリカでは、高インフレを警戒し、FRB(アメリカの中央銀行)が、金融緩和を縮小させています。 インフレの原因は景気が回復している以上に、ガソリンやガスなどの燃料代が高騰したり、パンデミックによる渡航制限などのさまざまな規制によって、モノの供給が滞っているからだと言われています。 こうした事情であれば、日本も無関係ではいられません。それは企業物価指数を見れば分かります。 企業物価指数とは、企業が購入する物価の変動を示す指標です。例えば、車などの消費者が買う商品を作る前に、企業は、素材や部品を輸入したり、他の企業から買ったりします。 そうした企業の間で売買する物価を見れば、今後、消費者が買う商品の物価がどうなっていくか、ある程度予測できるわけです。 実は、日本の企業物価指数は、記録的に上昇しており、11月には9.0%台に突入しました。これは、高インフレに苦しんでいるアメリカと大きく変わりません。 アメリカは値上げに踏み切る一方で、日本の場合、景気の動きが弱く、素材の価格上昇を商品に転嫁できません。 給料が上がっていないので、値上がりしたら物が売れなくなってしまいます。上げして売れなくなるかという「進むも地獄、退くも地獄」という状況と言えます。 ◆インフレを建前に、お金をバラまけば、円安を招き、かえって企業を苦しめる こういう状況だと、「企業が値段を上げても売れるように、政府がお金をばらまけばいい」という発想もあるかもしれません。 しかし、それでは問題は解決されません。アベノミクスを思い出してほしいと思います。 アベノミクスは「第一の矢」で金融緩和をして国債を刷り、「第二の矢」で財政政策という形でお金をばらまきました。 そして、一連の政策の結果、円安が起きました。民主党政権時代の円高が、瞬く間に円安となり、空前の株価上昇となっていきました。 しかし、現在はこの円安が企業を苦しめています。 円安は輸出の際には有利ですが、現在は燃料代や原料など、輸入品の値段が上昇していることが、企業物価指数を押し上げています。円安が深刻になれば、材料の調達が困難になり、さらに企業を苦しめることになります。 お金をバラまき、需要を創出して企業を助けようとしても、それによって円安が進めば、問題は解決しないということが言えます。 ◆日本企業を立て直すために必要なことは、適切な「規制緩和」と「減税」 結局、この逆風を乗り切るには、輸入品そのものを安くするか、企業の生産性そのものを上げて、逆境に強い体質にしていかなくてはいけません。 前者については、脱炭素をやめ、化石燃料に再投資したり、ロックダウンなどの必要以上の規制を撤廃していくことが重要になりますが、世界レベルの問題も含むため、日本一国の取り組みでは限界があります。 一方、後者については、政府の施策の余地は大きいです。政府をスリム化して、不要な仕事を無くせば、行政手続きで企業が浪費していた時間を「創造」できます。 また、必然的に、税金を多くとる必要が無くなるので、減税して人々の暮らしも楽になります。従って、「規制緩和」と「減税」こそが今考えるべきことなのです。 対して、今までの自民党政権のように、インフレを目指して富の創出につながらない財政出動を重ねれば、無駄な仕事をたくさん生み出し、生産性はむしろ下がっていくはずです。 今までの「インフレ・ファースト」の考え方では、もはや時代の変化に対応できないのです。 迫る台湾有事!政府が明日にでも為すべきこと 2021.11.21 http://hrp-newsfile.jp/2021/4174/ 幸福実現党 政務調査会 藤森智博 ◆台湾と運命共同体である日本は、台湾防衛を真剣に考えるべき 台湾海峡をめぐる緊張が高まっています。中国軍機が大挙として台湾の防空識別圏に侵入したニュースを御存知の方は多いのではないでしょうか。 これ以外にも、中国は様々な形で圧力をかけており、偶発的な衝突から戦争に至る可能性もあります。 また、3月には当時の米インド太平洋軍のフィリップ・デービッドソン司令官が「6年以内に中国の台湾侵攻がありえる」と発言しており、計画的な戦争も起こりかねない状況です。 日本にとって、台湾は運命共同体であり、台湾を見捨ててはいけません。台湾が中国に占領されれば、台湾は日本のシーレーンを封鎖することができるようになります。 従って、戦わずして日本が中国の支配下に入ることになります。しかし、中国は、自由や民主主義などの普遍的価値観を軽視する独裁国家です。 チベットやウイグルの例を見れば、日本が中国の属国となることで、国民を不幸に陥れることは間違いないでしょう。 それは台湾にとっても同じことであり、自由や民主主義、基本的人権の尊重を国是とする日本は、中国の台湾侵攻を見過ごしてはなりません。 ◆「日中共同声明」に配慮して、ほとんど何も言えない日本政府 しかし、台湾有事では、中国への配慮から、ほとんど何も言えないのが現在の政府の状況です。 日本は中華人民共和国と国交を結ぶために、台湾と事実上、一方的に断交し、日中共同声明に調印しました。 その結果、日本は「ひとつの中国」を尊重しなくてはならず、中国共産党が「台湾を自国の領土と主張して、侵攻まで企てていること」に対し、ほとんど何も言えなくなってしまいました。 その結果、台湾防衛は日本の生命線であるのにもかかわらず、これの準備が十分にできず、様々な支障をきたしています。 例えば、朝鮮半島有事に関しては、日米共同作戦計画は策定されていますが、台湾有事については策定できていません。また、有事に関する対応も日台政府間で検討できていません。 結局、迫る台湾有事に対して、日本は正面から向き合っていないため、一向に備えが進まない現状が伺えます。 ◆政府は明日にでも、「台湾有事は日本の有事」と宣言せよ 従って、日本が明日にでもやるべきことは、「台湾有事は日本の有事」と認めることです。 専門的に言えば、集団的自衛権行使の条件の一つである「存立危機事態」(※1)となりえると閣議決定すべきです。 これをしない限り、台湾防衛のスタートラインに立つことすら難しいでしょう。 もちろん政府も内々には台湾有事を検討していると願いたいですが、表で台湾防衛の必要性すら議論できないようなら、様々な制約がかかり、十分な対応は期待できないでしょう。 台湾有事への備えを検討することは日中関係の基礎となる日中共同声明に違反するとは言えません。 同声明は、日本が無条件に「一つの中国」を尊重することを求めているわけではありません。 その前提条件として、両岸関係の平和があります。つまり、中国が台湾に武力侵攻するのなら、前提が崩れてしまうわけです。 こうした発想であれば、「一つの中国」を尊重するという既存の政府の立場を崩すことなく、台湾有事に備えることが可能になります。 そもそも、台湾は日本から独立した国家であり、「一つの中国」という考え方は、歴史的に真実ではありません。 しかし、こうした急速な方向転換は困難なことも事実でしょうから、まずは実を取って、一日でも早く台湾有事に備えられるようにすべきでしょう。 (※1)存立危機事態とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と平和安保法制で定義されている。これは、安倍政権下で集団的自衛権を法制化する上で定められた。 ◆これからの台湾は「戦略的曖昧さ」では護れない 先述の通り、日本は、台湾有事の際、台湾防衛に動くのかどうかを明確にしてきませんでした。これはアメリカも同様で、こうした「戦略的曖昧さ」が台湾海峡に平和をもたらすと考えられてきました。 しかし、こうした考え方では、かえって台湾を危険に陥れかねない状況へと変化しつつあります。 中国がアメリカを追い抜く勢いで急速な軍事拡張を進めており、曖昧な態度は、中国の更なる増長及び軍事行動を呼び起こすことになります。 これは、ナチス・ドイツに対し、宥和政策が全く機能しなかった歴史的事実を思い返せば分かる話でしょう。 従って、日本は、アメリカとともに、戦略的曖昧さを改めていくべきです。そうした戦略を見直す第一歩が、「台湾有事は日本の有事」と宣言することになります。 しかし、これは明日にでもできることであり、中長期的には、日本版台湾関係法や台湾への国連加盟を実現していく必要があります。 特に、日中共同声明を基礎として中国と国交を結んだ日本政府にとって、これらの法的根拠をどこに求めるかは悩ましい問題です。 幸福実現党政務調査会では、こうした台湾有事に関する論点を検討し、「News Letter」として、まとめました。興味のある方は、そちらもご覧いただければ幸いです。 「News Letter」 台湾防衛こそが、日本の平和を護る https://info.hr-party.jp/2021/12151/ すべてを表示する 1 2 Next »