Home/ 2015年 August 2015年 August インテリジェンス機能強化へ――真のリーダー国家としての条件 2015.08.04 文/HS政経塾5期生 水野善丈 ◆米国、日本を盗聴 内部告発サイト「ウィキリークス」は31日、米国家安全保障局(NSA)が2006年から日本政府や企業35か所を対象に盗聴を行っていたことを明らかにしました。 これに対して一部の政府高官は「情報の世界では、首相や閣僚は盗聴されていることが当然だと思って対応するのが普通だ」(産経)と述べていますが、今後、防止策はしっかりと考えなければならないでしょう。 日本では、2014年に「秘密保護法」、今月には産業スパイの防止のため「改正不正競争防止法」が可決され、国内からの情報流出を避ける改革を進めている矢先に発覚しました。 ◆世界の情報機関 2013年にも米政府が独メルケル首相を盗聴していたことで話題となりましたが、国際社会においては外交の前段階として、諜報活動や情報収集は国家をあげて取り組まれています。 またその取り組みは、単に情報を集めるだけでなく、情報機関によって分析や評価の加えられた生きた情報、つまり、「インテリジェンス」を吸い上げ国家戦略に生かされています。 こうした「インテリジェンス」を担った情報機関は世界各国に存在しています。 アメリカでは、国家情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などの15機関があり、イギリスでは、保安局(MI5)、秘密情報部(SIS)などが存在し、フランス、ドイツ、ロシア、イスラエルなど各国もこうした情報機関を持っています。 ◆日本における情報機関の現状 日本には、内閣情報調査室を中心に、警察庁、外務省、防衛省、公安調査庁、海上保安庁など様々情報機関は存在し、内閣情報会議や合同情報会議など取りまとめる委員会もあります。 しかし、そうした情報機関や委員会があるにも関わらず機能しきれていないのが現状です。 例えば、各情報組織において所掌や予算、定員や影響力などをめぐって競合しており、相互の積極的な情報共有はなく、情報を集約し官邸に伝達する体制が非常に弱くなっています。 また、各組織も人的情報(ヒューミント)手段がほとんど無く、対外情報収集に弱いという弱点もあり、情報機関の力が発揮できていません。 ◆情報力の無さが露呈した事件 この日本政府の情報収集力、分析能力に致命的欠陥があることが露呈したのが、2013年発生したアルジェリア人質事件でした。 当時は現地から政府へ情報は全く入らず、イギリスやアルジェリア政府や海外メディアが流す情報でしか判断することができず、外務省をはじめ各省庁には一次情報を収集する手段すらありませんでした。 また、2014年に起きたISISによる日本人拘束事件も同様な状況で、政府は全力で救出のために努力しましたが、独自で現地の情報を得られず現地に繋がりを持たない日本は外務副大臣を急遽送り対応するしかできない状況でした。 こうした中で、安全保障関連法案が可決の見込みが出て、邦人救出への自衛隊の法整備は改善されつつありますが、まだ諸外国における情報収取力、分析能力に欠けた状況では安全保障上も万全とは言えません。 ◆インテリジェンスに強い国家こそ真のリーダー国家となれる 以上のように、めまぐるしく変化する国際情勢の中で、主権国家としてインテリジェンス機能を保持することは必須です。 そして、在外邦人救出を念頭においても情報収集の機能強化を考えなければいけませんし、今後、日本がリーダー国家として主体性を持ち国家戦略を立てていく上でもインテリジェンスを強化する体制は検討されなければなりません。 また、現実に検討される際には、政府の情報機関を国会や世論がいかに監視しコントロールするかということも極めて大切なキーワードとなっていると思われます。 なぜなら、世界の情報機関では、政府とは別の知らないところで活動し諸外国と軋轢を生じさせ、国家戦略に反する事例もあるためです。 民主主義の政治体制をアイデンティティとする日本は、世界のインテリジェンスを見ながらも日本独自のインテリジェンスを構築してこそ、世界を正しい方向へ導いていける真のリーダー国家へとなれるのだと思います。 教養主義の伝統の再評価を望む 2015.08.01 文/幸福実現党・岐阜県本部副代表 加納有輝彦 ◆国立大から文系学部が消える? 文部科学省が本年6月、全国の国立大学に対して人文社会系の学部と大学院(文学部や社会学部など)について廃止や社会的要請の高い分野への転換など大規模な組織改編を行うよう求めていることが波紋を広げています。 グローバルな競争が激しくなる中、文系学部は理系学部のように「技術革新」に直結せず、将来に向けた目に見える成果がすぐには期待しにくい、さらに、国の財政難から国立大に投入される税金を、ニーズがある分野に集中させ効率的に使いたいという政府側の狙いがあるとみられています。 人文社会系の卒業生の多くがサラリーマンになるという現実を踏まえ、大学は地元で必要とされている職種を把握し、即戦力となる人材を育てる学部に転換するべきといった考えが根底にあります。 政府の試算では、平成3年に207万人だった18歳人口が今から15年後の平成42年には101万人まで半減するとしています。少子化に伴い大学の定員縮小、再編は必然の流れではあります。 現在、大学進学率は50%を超えており大学の大衆化が進んでいますが、私立大学の半分以上は定員割れの状態で、大学の経営は厳しい競争に晒されています。国立大学も例外でなく成果が求められています。 従来、教員養成系の学部を含め、人文社会系学部には左翼思想の影響が色濃くあり、実践的な知識を身に付けた人材が必要とされる経済界の要請に必ずしも答えていないという批判が根強く存在していたことは事実です。 文科省の通達に関しては、当然反発の声が上がっています。京都大の山極寿一総長は、「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。」(6月16日の会見)と批判しています。 ◆教養主義の伝統 日本には、「教養主義」という伝統があります。教養主義とは、哲学、歴史、文学などの読書を中心にした人格形成を目指す態度をいいます。 特に、教養主義の舞台は、旧制高校であったといわれています。 明治、大正、そして戦後昭和25年まで存続した高等学校で、例えば、現在の東大の教養学部の前身となった旧制一高は、広く知れわたった寮歌「嗚呼玉杯に花受けて」と共に有名です。 旧制高校の学生たちにとって、阿部次郎の「三太郎日記」、西田幾多郎の「善の研究」、倉田百三の「愛と認識の旅立ち」は『三種の神器』と言われました。 22歳まで日本人として育った台湾の李登輝前総統は、旧制高校で教育を受けたお一人ですが、当時、鈴木大拙、夏目漱石、和辻哲郎をはじめとする〝人間の内面を深く省察する〟書物を読んだといいます。 「青春時代の魂の遍歴に、最も大きな影響を与えた本を三冊あげるとすれば、ゲーテの『ファウスト』、倉田百三の『出家とその弟子』、カーライルの『衣装哲学』」と語る李前総統の、泉のように溢れ出す人間的な魅力に接するとき、私は、教養を深め人格を磨くことを基本にした旧制中学、旧制高校の教育のすばらしさを、他の誰からよりもリアルに実感する。」と櫻井よしこ氏もコラムに書いています。(「李登輝氏に見る古き佳き日本」2007/6) ◆教養主義の再評価を さらに時代を遡れば、日露戦争時、二百三高地で従軍記者として取材していたスタンレー・ウォシュバンというアメリカ人新聞記者は、乃木希典将軍の人格に魅了され、乃木将軍をFather Nogiと呼び、「乃木大将と日本人」という著作も残しています。 乃木将軍が受けた教育は、今で言えば、国文学科の国文学・漢文学コースで学ぶような教養が全てだったと言われています。 やや古い事例を挙げましたが、国立大学の人文社会系の学部の再編成にあたっては、日本の教養主義の伝統が、国際的に活躍し、尊敬を集めた人材を多数輩出したことを振り返り、むしろ人文社会系学部の意義を積極的に再評価し、未来の日本に資する教育改革の断行を望むところであります。 すべてを表示する « Previous 1 2 3