Home/ 2012年 October 2012年 October 国際貿易が政治問題化する理由~自由貿易と保護貿易の狭間で~ 2012.10.31 政治問題化しやすい国際貿易 今回は、政策の中でも最も扱いが難しい国際貿易を扱います。 政治家は、国内有権者の特定産業を保護する必要性から、関税や輸入割り当てなどの保護貿易に訴える誘因を持ちます。 例えば、日米間で繊維交渉から自動車、半導体に関する一連の通商交渉では、日本側の輸出攻勢からアメリカ国内産業を守るための様々な保護貿易が行われてきました。 保護貿易論は、19世紀のJ・ミルが提唱して以来、政府の関税や補助金などの貿易政策を正当化するために使われてきました。 下記に見るように、保護貿易は発展途上国の専売特許ではなく、先進国でも農業分野を中心に根付いています。 近年では、日本やドイツなどの貿易黒字国の輸出を意図的に減らすために為替の切り上げ(例:円高ドル安)を強要して貿易赤字国の輸入を促進する政策もとられました。 一方、戦略的貿易政策が悪用されるなど、保護主義には官僚や利害関係を持つ政治家たちを虜にする魔力を持っています。それ故に、政治問題化しやすいと言えましょう。 通商交渉はゲームのルール設定の場 そして、現在の日本ではTPP(環太平洋経済連携協定)が国論を二分するほどの議論が起こっています。 日本では、JAを筆頭とした農業保護が長年行われています。 JA以外には日本医師会が強固な反対論を唱えていますし、保守派の中にもさらなる「開国」は必要ないという意見もありますが、裏にはアメリカによる一極支配に対する恐怖と過度な誤解があるように思えます(実際、アメリカによる不条理な要求があるのは事実だが)。 実際は、必ずしもアメリカの一人勝ちとなっているわけではありません。 例えば、アメリカ政府が日本政府に要求した自動車の輸出自主規制を見てみましょう。 1981年、日米間では貿易摩擦の真っ最中。交渉は難航し、最後は日本政府がアメリカ政府の過度な保護主義を恐れて自動車販売の輸出自主規制をのみました。 輸出台数は当初168万台でしたが、1984年から1985年には法改正されて制限台数は185万台に増加。85年には合意は失効するはずでしたが、日本政府は輸出規制を継続する意思を示し、日本側は高品質の大型高級車の販売を伸ばしました。 その結果、アメリカにおける日本車の価格が上昇。皮肉にも、交渉ではアメリカが勝利しても、輸出自主規制の経済効果はアメリカにマイナス、日本側にプラスとなったのです。 輸出自主規制や輸入自主拡大政策にせよ、貿易政策には各国の官僚や政治家、関連業界の利害が絡む政治ゲームとなっています。 TPPは、そうした中で交わされる貿易と投資に関わるゲームのルールを設定する場です。 ルール設定には、参加各国間の同意が必要とされ、交渉期間は10年程度の猶予期間を設けています。よって、必ずしも一つの国が利益を全部かすめ取る(Winners take all)とはなりません。 通商交渉の真の狙いとは TPPなどの各種通商交渉の真の狙いは、貿易と投資の自由化を通じて参加国の富を増やし、効率的な資源配分を促進するものです。 しかし、現実は政治ゲームです。その裏には貿易に対する誤解や偏見が蔓延しているのも事実です。 例えば、「国際競争力」という概念は広く通商交渉にも登場します。 既存産業が「中国やベトナムなどの低賃金国とはまともに戦えない」というような内容はよく耳にするでしょう。 実際、輸入品と競争している産業にとっては死活問題であるのは事実です。なぜなら、輸入が拡大すれば失業者を出し、場合によっては倒産に追い込まれるからです。 このように、国内においては勝者と敗者が生まれるのは事実ですが、国際貿易の原則は双方が勝つ取引です。いわゆるWin-Winの関係にあります。 輸出だけを重視するという考え方は、経済学の父と呼ばれたアダム・スミスが痛烈に批判した「重商主義」の考え方です。 輸出国は、支払いが輸入国から入り、輸入国は、国内で生産したら割高な製品やサービスを安く購入できるというメリットがあります。 要するに、輸出がプラスで輸入がマイナスではなく、自発的な交換の利益が双方にもたらされるからこそ、貿易は成り立っているのです。 方向性としては正しい 現実の世界は、経済学の教科書通りに自由貿易が最適ではいないかもしれません。 環境汚染などの「市場の失敗」や知財権が絡むと国際的な独占産業が生まれやすくなります。農業のような保護産業は補助金によって成り立っています。 ただし、認識しなければいけない点があります。 それは、保護主義は国民に負担を押し付けるだけではなく、一部の業界が国民の犠牲のもとに既得権益を温存させているということ。よって、TPPが進めている貿易の自由化や投資の促進を進めることで打破することができます。それ故に、方向性は正しいのです。 ノーベル経済学者のM・フリードマンが主張した『資本主義と自由』にも同様の内容が書かれていますが、それは「自由からの繁栄」を目指す幸福実現党の政策理念と一致するものです。 保護主義は形を変えた社会主義です。関税は増税であり、貿易制限は規制そのものだからです。 一方、貿易の自由化は減税や規制緩和と同様の効果をもたらし、経済成長を促進する一つのエンジンにもなるのです。(文責・中野雄太) 誤った政策につける薬なし――消費税増税法案は破棄すべし 2012.10.30 10月26日、政府は消費増税に伴う中小企業向けの価格転嫁(てんか)対策の基本方針を決定しました。 「消費税の価格転嫁」問題とは、消費税が増税された場合、下請けの中小企業は納入先の大企業から値下げ圧力がかかるため、増税分を十分に価格に上乗せできない状況を言います。 すなわち、消費税が増税された場合、中小企業の利益が減少し、経営を圧迫する問題が生じるのです。 大企業が地位を悪用して違法に価格転嫁を拒否した場合(「下請けいじめ」)、公正取引委員会が企業に是正を勧告し、公表することが柱となっています。(10/25 日経「価格転嫁拒否なら公取委が是正勧告 消費増税で政府が対策」) 転嫁対策調査官(転嫁Gメン)を各省に置き、価格転嫁を拒否し下請けいじめをしている企業がないかの情報を集め、電話やメールで中小企業経営者らの相談を受け付ける窓口も内閣府に設置するとしています。 政府は、年末までに価格転嫁対策の詳細を決め、来年の通常国会に関連法案を提出する方針です。 これらの対策は、消費税率を8%に引き上げる2014年4月の半年前にあたる13年10月から16年3月末までの時限措置としています。 また、複数の企業で増税分の製品価格への上乗せを取り決める「転嫁カルテル」や、表示方法を取り決める「表示カルテル」に対しては、公取委に事前に届け出た場合は独禁法の適用除外として認める方針です。(10/26産経「消費税増税時の価格転嫁中小企業の不安払拭へ『調査官』」) 中小企業が消費増税分を価格に転嫁できない問題は、当HRPニュースでも度々取り上げてまいりました。 中小企業庁が2002年に実施した調査によりますと、売り上げ規模が小さくなればなるほど、「価格に消費税を転嫁できない」と答える事業者の比率が高いことが分かります。 売上3000万円以下の事業者の、なんと52%の事業者が「完全な転嫁はできない」と答えています。そして30%の事業者が「ほとんど転嫁できない」と答えています。 この問題一つとっても、消費増税が中小企業にとって大打撃となることは必須で、未だデフレを脱却できていない現時点で消費増税は断じて行ってはならないと考えるのが常識的判断であります。 しかし、民主党政府は、消費増税ありきで、増税するためには、価格転嫁対策を新たに税金を投入してでも行うというのです。 経済評論家の近藤駿介氏は、今回の政府の対策で、大企業が「増税に乗じた下請けいじめ」を止め、下請け企業の正当な価格転嫁を認めるということは、「立場の弱い一般消費者」への販売価格が上昇するということに他ならないと指摘しています。(10/25「<ahref=’http://opinion21c.blog49.fc2.com/blog-entry-501.html’title=’消費増税に伴う中小企業向け価格転嫁対策~誤った政策につける薬はない’target=’_blank’>消費増税に伴う中小企業向け価格転嫁対策~誤った政策につける薬はない」) そして、立場の弱い一般消費者が出来ることは、より安いものを買うか、購入量、購入回数を減らすかしかないとして、政府の「消費増税ありき」の姿勢を批判しています。 さらに、同氏は、企業側の「抜け道」として「税額」ではなく、「製品単価」を下げさせる形で消費増税分を下請けにかぶせることができると指摘しています。 政府は「製品単価」を引下げさせ、満額「税額」を支払う行為も、「増税に乗じた下請けいじめ」と認定するつもりなのでしょうか。 自由主義経済のなかで、大企業が下請け企業に対して、消費増税によっても税込購入単価が変わらないように「製品単価」引下げを要求することを、新たに制定する法律で規制できるのでしょうか。 政府は正義の味方となって中小企業救済を謳っても、一方で消費者負担が強いられ、さらに日本の自由主義経済を統制下におくような「大きな政府」が敷かれ、新たな行政コストに税金が投入されます。消費税増税には、もはやつける薬はないということです。 野田首相は、臨時国会召集日の29日、衆院のみで所信方針演説を行いました。 所信表明演説の中で首相は、日本経済の再生こそが、野田内閣が取り組むべき現下の最大の課題と強調しましたが、これは景気弾力条項をクリアし、晴れて消費税を予定通り増税したいという本音が聞こえてしまうのは私だけではないでしょう。 幸福実現党は、消費増税ありきの考えの間違いを指摘し、あくまで消費税増税法案の破棄を求めてまいります。 最後に、前述近藤氏の言葉で締めくくります。 「誤った政策に効果のある薬を用意するよりも、誤った政策を撤回する方が、社会的コストが安いことは明らかである。誤った政策につける薬はない。」(文責・加納有輝彦) 今こそ、日本の核武装論議を! 2012.10.29 先日、10月27日(土)、早稲田大学において、「米国の新アジア戦略~アーミーテージ&ナイ白熱討論会」が開催されました。学生を中心に約800名が集まり、私も一般聴講者として参加しました。 今年8月、「第3次アーミーテージ・ナイレポート」(詳細は「人間グーグル」黒川政調会長の過去のニュース参照⇒「第3次アーミテージ報告」――今こそ、日米同盟を基軸として、世界の平和と繁栄を築く時!)を発表されたお二人ですが、今回は、オバマ大統領と、ヒラリー国務長官の特命を受けて、他の元高官らと共に日中両国を訪問しました。 まず、アーミーテージ氏らは22日に日本の首相官邸で野田総理と、外務省で玄葉外務大臣らと会談し、「大統領選の結果に関わらず、米国は超党派で日米同盟の重要さを認識している」旨を伝えました。 23日に訪中した一行ですが、そこで両氏は、李克強副首相を始めとする中国指導部に対し、尖閣問題における米国のスタンスについて、「主権に関する問題はタッチしないが、尖閣は日米安保5条の適用範囲であり、尖閣が攻撃された場合、米国は日本を守る」と伝えたことを明かしました。 ただし、アーミーテージ氏は、日本が尖閣を守るという姿勢を示すことが大前提であると釘を刺しました。 当たり前のことですが、主権を有する日本が尖閣防衛の姿勢を明確にしない限り、アメリカが防衛義務を果たすことはありません。 一方の中国側は米国に対して、日米安保の責任をあいまいにするよう求めてきたといいます。中国は日米分断をはっきりと意図しているのです。 翻って米国の国内情勢をみれば、「財政の崖」に直面しており、今年の末にはブッシュ減税の打ち切りによる「実質的な増税」と、来年の年初からは軍事費を中心に「強制的(自動的)な歳出削減」が始まるとされています。 米国内において軍事費削減圧力は待ったなしの課題であり、「世界の警察」としてのアメリカのプレゼンスは減退していかざるを得ない状況です。 接戦を繰り広げている大統領選ですが、もし、民主党のオバマ大統領が再選されることになれば、次なる4年間はさらに左傾化し、米国のジャパナイゼーション(日本化)が進むでしょう。 こうした米国内における情勢をみるにつけても、やはり日本は独自の防衛体制の構築を急がねばなりません。 また討論会では、学生から「米国の核の傘は本当に機能するのか」との質問や、「日本がNPT体制を離脱して独自に核武装に踏み切ったら日米関係はどうなるか」との質問も飛び出しました。 それらに対する両氏の答えは、「核の傘は機能する」、ゆえに「日本は核武装すべきではない」というものでした。 彼らの主張は「日本が核武装したら、近隣国家に脅威を与え、核が拡散して不安定要素が増すことになるからやめたほうがいい。そして、NPT体制も日本が離脱したら崩壊するだろう。日本が独自で核武装したからといって、必ずしも日米関係が悪化するとは言えないが、関係は変わるだろう」と。 いずれにせよ、両氏の回答を聞くと、「日米同盟のもとに米国の核の傘が機能している限り日本は安心。それよりも、日本も早く法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めよ」というのが基本的なスタンスでした。 確かに、現段階において、米国が公式な見解として日本の核武装を容認するということは難しいかもしれませんが、日本政府としては「最悪の事態を想定して備えを固める」必要がありますし、国益のために、主張すべきことはしていかねばなりません。 憲法九条同様、日本の手足を縛っている「非核三原則」は、ただの政府解釈ですから、これを撤廃するというだけでも抑止力になります。 まずは、核抑止力を含む国防の議論を活発化させることから始めるべきです。(文責・HS政経塾2期生(兼)幸福実現党千葉13区選挙区支部長古川裕三) 沖縄基地問題の背後にある歴史観とは何か。 2012.10.28 先日、私は「沖縄・尖閣は日本の領土です」と中国語で書いた横断幕を広げ、手には日本語で書いたプラカードを持ち、有志と共に沖縄県庁前で座り込みを行いました。 座り込み場所のそばには観光客がお土産をよく買う国際通りがあり、中国人と思われる観光客も多く、私達の訴えがよく届く場所として選定しました。 自衛隊、マスコミ、政治関係者等、様々な方から声を掛けられましたが、その中で私が特に気になったのは、「尖閣諸島は日本の領土ではないよ。沖縄の領土だよ」と諭すように言われた言葉でした。 この言葉の真意を突き止めるべく、沖縄の方々のご意見や文献等を調べてみると「琉球処分」に行き当たります。 「琉球処分」とは、明治政府が廃藩置県、中央集権確立の一環として、琉球王国を沖縄県として組み入れられた出来事を指し、沖縄県民が政府に不信感を抱く歴史的な背景になったとされています。 沖縄の知識人の多くが「『琉球処分』によって、沖縄の独立性が奪われた」と否定的に考えており、「琉球王国のままであれば、琉球の民は幸せであった」と信じています。 しかし実際には、琉球王朝では、わずか0.45%の士族が独裁的に支配し、贅沢な生活を送る一方、農民は非常に貧しい生活を強いられて来ました。 琉球王国は「地割制」という集落単位での課税が行われ、集落には通貨もなく、集団生活で衣服以外は全て共有の原始共産主義社会が営まれていました。 王族一門が奢侈な生活を営む一方、農民はソテツを食べて命をしのぎ、「ソテツ地獄」と言われるほど多くの農民は貧しい生活を強いられていました。 各集落には琉球王府からのスパイが配置され、謀反の恐れのある者を徹底的に監視、弾圧する凄惨を極める生活でした。(惠隆之介著『誰も語れなかった沖縄の真実 ――新・沖縄ノート』WAC刊) 明治政府が琉球王府の支配を解除したことにより、身分制度が廃止され、四民平等になり、農民と武士の人権が等しくなりました。 また、義務教育が実施され、武士階級だけに行われていた教育が、身分に関係なく県民全員が学校教育を受けるようになりました。 そして、貧しい農家出身でも才能があれば出世できるようになったのです。 「琉球処分」を「大和による植民地収奪」のように批判する沖縄知識人の方もいらっしゃいますが、実際には、武力で支配し、人権を抑圧し、搾取していたのは琉球王国でありました。 明治政府が「琉球処分」で処分したのは琉球王府です。廃藩置県で各藩の大名の身分を剥奪したのと同じく、琉球王府の特権階級を解除したことで、身分制社会から四民平等の社会が訪れ、近代化が始まったと言えます。 こうした「琉球処分」等に見られる、沖縄で普及している歴史認識が「地域主権」という名の「琉球独立運動」や、琉球王国が貢ぎ物を献上していた中国への親中感情、反日反米感情へとつながっているように思います。 11月には那覇市長選挙がありますが、「保守系」と言われている候補者の政策を見ると、保守か革新かわからない状況です。自民党沖縄県連も基地全面撤去、辺野古移設反対、オスプレイ配備反対を打ち出しているのが現状です。 私は沖縄県民の皆さまに、沖縄では伝えられていない歴史の事実をお伝えすると共に、中国の侵略意図を伝え、勇気と気概を持って中国の侵略行為を食い止めて参ります。(文責・埼玉県第6区選挙区支部長 院田ひろとし) ふるさと、FUKUSHIMAの本心、ここにあり! 2012.10.27 私は福島県人です。今、福島県では、風評から完全に自由になれないなかで、一日一日を送っておられる方もいれば、洗い流されて荒涼とした大地を復興させようと、一日一日を送られている方もおります。 そのように生活を一変させた元凶を自然の営みに求めるだけでは足りず、「原発事故」に帰着させるのはやむを得ないことではあります。 そうして、「原子力発電所」を単なる機械・モノとして見つめ、禍々しい元凶として結論づけるのも無理もないことです。 しかし、3.11の震災発生のその時、その瞬間に、東京電力福島第一原子力発電所に目を転ずれば、過酷な状況の下で、原子炉制御に命をかけていた方々がおりました。 その方々の極限の状況下での御活躍によって、我々の命が今、こうしてあることを忘れてはならないと思います。 3.11に東京電力福島第一原子力発電所で、命がけで原子炉制御に奮迅された方々には、その成否を問わず、彼らのその英雄的行為を讃え、「国民栄誉賞」を与えるべきだと考えます。 彼らの勇気を甲斐のない無駄なモノにしてはなりません。批判と軽蔑と憎悪の視線を向け、「罪人」のように結論づけてはなりません。責められるべきは、彼らではありません。むしろ、彼らは讃えられるべきなのです。 そして、同時に、日本政府は震災を発端として発生した原子力発電所の事故を「成功した失敗(successful failure)」「栄光ある失敗」として国内外に勇気をもって評すべきです。 既に事故が起きたことは事実ですし、その後の処理も続行中ではあります。 しかし、事故分析から、日本の原子力発電の技術力の高さが証明され、海外への輸出がかえって促進されるなど、肯定的検証も数多くあるにもかかわらず、それをハッキリと強く打ち出さないでいるために、福島県民をはじめ、日本国中が、不信と怒りと挫折と絶望、そして停滞から抜け出せないでいます。 さらに、その余波は世界にまで広がっています。 その原因は、いたずらに放射能に対する恐怖心を煽るマスコミにあります。 朝日新聞が7月25日付朝刊の1面トップで「10都県でストロンチウム 福島・宮城以外で初」として、放射能の恐怖を煽る印象操作を行っています。 一方で、この記事には「大気圏内核実験が盛んだった1960年代に国内で観測された最大値の60分の1程度」と書いているように、実は、60年代の日本人は全国的に大量の放射性物質を浴びているのです。 朝日は、あえて国名を伏せていますが、この核実験は中国によるもので、放出された放射線量はチェルノブイリ原発事故の800万倍にものぼり、それが黄砂に乗って日本に降り注ぎました。 中国の核実験によるストロンチウムは福島第一原発事故の1万倍の量にのぼっています。風にのって、黄砂として日本に降り注ぎ、そのときの放射性物質は、今も日本人の体内に蓄積されています。(7/25 Liberty Web「福島事故は中国核実験での日本人被曝の60分の1」) 政府は、今の「脱原発」に勝るとも劣らない勢いで、中国に対して抗議をすべきでしたし、併せて、大気圏内核実験による重篤な健康被害を受けていると思われる中国国民の人権侵害についても同様に抗議すべきです。 この件について、高田純教授(札幌医科大学教授放射線防護学)が『中国の核実験─シルクロードで発生した地表核爆発災害』等、様々な研究発表をしていますが、大手マスコミは、こうした事実を真摯にリサーチし、世に訴えようとしている知識人・活動家・専門家の声を隠ぺいして来ました。 本来、マスコミは「原発事故のストロンチウムは中国核実験時の60分の1で健康影響なし」と報道し、国民の無用な不安を払拭すべきです。 こうした空気や風評を作っているのは、マスコミのみならず、ものを言うべき人が言うべきことを言わないからです。 もの言うべき人。それは、政府であり、日本のトップリーダーが、勇気を持って安全性が確認された原発は再稼働し、国家の根幹であるエネルギーの確保をなすべきです。 こうした国家の危機の時、政治生命を懸けるべき時に、懸けられない政治家は、次期解散を最後に、二度と国会に戻ってこないで頂きたいと思います。 廃炉すべきものは廃炉にし、稼働すべきものは稼働させ、FUKUSHIMAを教訓に、世界でトップクラスの核開発を目指す日本の姿を示すべきです。 FUKUSHIMAは、巣立つ子の背を見つめる親鳥のような心地で、未来の希望に全てを託すのではないでしょうか。 そのような「ふるさと」の気概がFUKUSHIMAにはあると信じます。 ふるさと、FUKUSHIMA本心、ここにあり!(文責・福島県第2選挙区支部長 酒井秀光(さかい・ひでみつ)) 「超・高齢化社会」に備えよ(2)――エイジレス社会への突破口 2012.10.26 日本においても、世界においても、「超高齢化問題」は非常に大きな問題となっています。 民主党や自民党など多くの政党が「高齢化問題」について、「国家が老人の面倒を見る」という発想の下、増税して社会保障費を増やし、国家が税金をバラまくという政策しか持ち合わせていません。しかし、これではやがて破綻することは明白です。 幸福実現党は「自立(支援)」をキーワードに、社会福祉や高齢者雇用の枠組みから都市計画、住宅、交通システム、ICT技術に至るまで、高齢者の方々が日常生活や経済生活において、自立して健康で生きがいを持って幸福に暮らすことができる「生涯現役社会」「エイジレス社会」の実現を目指しております。 今後、急速な高齢化によって生じる問題は、大きくは2つあります。 第一の問題は、生産年齢人口(労働力人口)の急速な減少です。 生産年齢人口(15~64歳)は最新の2010年国勢調査では8,173万人ですが、2013年には8,000万人、2027年には7,000万人、2051年には5,000万人を割り、2060年には4,418万人となると推計されています。(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」) 海外からの移民や労働生産性の飛躍的な上昇がない限り、生産年齢人口の減少は国内総生産(GDP)の減少をもたらし、国家の活力を奪います。 第二の課題は、社会保障費の急激な膨張です。 高齢者数の増大により、現在の年金・医療・介護のサービス水準を維持するだけでも、毎年1兆円以上以上もの社会保障費が増大しています。 更に今後、老年人口割合は2013年には4人に1人を上回り、2035年には3人に1人を上回り、2060年には2.5人に1人が老年人口となります。(同上) その結果、2060年には若者1人が高齢者1人を支えることになりますが、どれだけ増税しても、高齢者の生活を支えるだけの社会保障費を捻出することは不可能です。 この二つの問題を解決するには、「生涯現役社会」を築き、高齢者の方々が生涯にわたって就労し、経済的収入を得つつ(国家経済にも貢献しつつ)、社会を「支える側」に回り、年金・医療・介護を必要とする時期をできる限り先に延ばす戦略が必要です。 しかし、日本の高齢者の就労意識は極めて高いにもかかわらず、現状では雇用機会は十分にはありません。高齢者の就労機会の拡大は低所得高齢者の救済にも大きな意味を持ちます。 そのためには企業のみならず、政府、地方自治法、地域が一体となって高齢者の雇用機会を創出していくことが不可欠です。 例えば、高齢者雇用の事例として世界的にも有名な徳島県の上勝町(かみかつちょう)は、徳島駅から車で1時間のところにある人口約2千人の小さな町で、高齢化率が49.5%に達する高齢化地域です。 上勝町は総面積の85%を山林が占め、耕地面積はわずか2%で棚田や段々畑が多く、機械化が困難で、高齢者にとって農作業は重労働です。 そこで、上勝町は野山の木の葉や草花が、高級料亭の盛りつけなどに使用される「ツマモノ」として多く利用されていることに着目し、全国の料亭に出荷する事業を始めるべく、第三セクターを立ち上げ、年商2億6000万円のビジネスに育て上げました。(日経デジタルコア「山間の町を元気にした葉っぱビジネス」) この事業を支えているのは高齢者の方々です。「葉っぱ」という身近にたくさんあり、軽く、高齢者でも扱いやすい商材であることが成功の一因です。 また、高齢者の方々が扱いやすいようパソコンのソフトやハードを設定し、高齢者の方々が情報を入力したり、日々の売上順位を見たり、販売動向予測から出荷調整するなど、高齢者向けICT(情報通信技術)の活用が進んでいることも成功要因です。(高齢者の就労機会の増大にはICT技術の活用は欠かせません。) 上勝町には月に100万以上を稼いだり、ツマモノの儲けで新居(通称「葉っぱ御殿」)を建てるお年寄りもいて、80歳を過ぎても元気で若々しく働いています。 葉っぱビジネスにより、高齢者の自立や町の経済的活性化がもたらされたのみならず、上勝町は徳島県で最も平均年齢が高いにもかかわらず、一人当たりの老人医療費は62万6922円と県内最低で、県内1位との格差は31万円もあります。 ※[HRPニュースファイル410]「長寿の秘訣は仕事にあり!」で指摘しました通り、高齢者が仕事を続けることは、健康の増進、病気・障害の抑制、長寿をもたらすことが様々な実証研究で明らかになっています。 上勝町の成功事例のように、国連は高齢者を単に「福祉の受益者」としてだけではなく、社会への「積極的な参加者」として見るよう各国に求めています。(10/1 国連人口基金『21世紀の高齢化:祝福すべき成果と直面する課題』) 既に欧米では、従来の社会保障(「消費型・保護型社会保障」「受け身型社会保障」)に対し、「Positive Welfare」(「参加型社会保障」)、「WelfareからWorkfare(自立支援型社会保障)へ」といった社会保障理念の再構築が起き、自立支援によって経済活動を行う人々を増大させる「経済成長に寄与しうる社会保障」への転換が始まっています。 幸福実現党は、高齢者の特性を活かし、ICT技術の活用や柔軟な就労体制(フレックス就労等)等も積極的に取り入れ、高齢者が無理なく楽しく働ける、新たな経済・社会保障モデルの構築を進めて参ります。(文責・黒川白雲) 国民の領土・領海意識向上のために正しい教育を! 2012.10.25 10月23日午後、韓国の国会議員15名が島根県の竹島にヘリで上陸しました。 韓国議員の行動は、実効支配を強調し、竹島の領有権が韓国にあることを強くアピールする狙いがあると思われます。 一方、日本政府は、韓国外交通商省に中止を要請していたものの、結局不法上陸を止められず、いつものように「極めて遺憾であり強く抗議する」と言うのみです。 竹島をめぐる問題における両国のアピールを見ると、明らかに韓国に軍配が上がります。 これは、日本人の領土意識の低さとも無関係ではありません。そこで、今回は領土問題を教育の面から考えてみたいと思います。 2011年に日本青年会議所が、全国の高校生400人を対象に、地図上で北方四島、日本海、東シナ海の3つの場所に境界線を引かせる調査を行ったところ、すべてを正しく答えられたのは、わずか7名(2%以下)に過ぎませんでした。 特に、日本海において、竹島とウルルン島の間に境界線を引く問題の正答率は低く、正解者は全体の37人(9.3%)でした。 本年9月には、同様の調査を東京都内の学生534人を対象に行いましたが、全問正解率は28名(5.2%程度)と相変わらず低い数字でした。 領土や領海についての正しい知識と理解なくして、領土を守ろうという意識が生まれてくるはずはありません。 日本は、自国の領土についてどのように教えているのでしょうか。 文部科学省作成の、中学の社会科の指導要領は「北方領土が我が国の固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題にも着目させるようにする」というあいまいな表現で示されており、竹島については明確に出てきません。 実際、2005年までは、竹島について記述した中学教科書は扶桑社のみでした。 島根県が「学校教育で竹島問題を積極的に扱ってほしい」と要望したこともあり、2006年からは、中学の公民教科書3社、地理教科書2社が竹島について触れました。 しかし、「竹島、尖閣は日本の領土です」としか書かれておらず、韓国や中国の主張や、日本領土である根拠や歴史的事実については十分に学べる状況にありません。 それは、現在においても大きくは変わりません。 2012年度から実施された新たな指導要領の解説書には、初めて「竹島」という文言が入りましたが、「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ…」と、非常に回りくどい表現を使っています。 なお、この解説書を発表した2008年当時、韓国は駐日大使を一時帰国させたり、民間の交流事業でも中止や延期を行ったりなどの措置を取りました。 そうした韓国の感情に配慮してか、高校の地理歴史科の教育指導要領には、解説書も含めて未だに「竹島」の文言が盛り込まれていません。 一方、韓国の教育方針は、非常に具体的で明確です。中学の国史教科書では「日本は一方的に独島(竹島の韓国名)を、日本の領土に編入した」と記述し、高校では「日本は独島を「竹島」と呼んで、自国領土のように歪曲する」などの主観に満ちた書き方をしています。 更に2011年3月、韓国教育科学技術省は、韓国が竹島の領有権を持っていることを理解させるため、小・中・高校別に体系的な教育指導書を作成しました。 小学校では地名の由来などを通じて「独島(竹島の韓国名)がいかに韓国にとって重要か」を強調し、中学校では、日韓の資料を引用しながら韓国領である根拠を示すと共に、実効支配の現状などを説明するなどの力の入れようです。 教科書だけ見ても、両国の領土に対する意識やスタンスの違いが明らかに現れています。 こうした教育を受けた韓国の大学生は「96.5%が『独島』を韓国領として認識し、そのうち93.5%が就学前、もしくは小学校から認識していた」という調査結果もあるようです。 日本の弱腰外交は、国民が自国の領土について正しい知識を持たず、愛国心が育っていないことにも起因するのではないでしょうか。 竹島も尖閣諸島も、私たちの先人たちがフロンティア精神を持って切り拓いてきた場所です。日本は当時の国際法に則って平和裡に領有を開始し、経済活動を営み、繁栄を築いてきました。 こうした真実を教える教育こそ、国家繁栄の基礎です。日本を導いてくださった方々の努力の跡を教え、先人への感謝と自国への誇りを持てる歴史教育を行っていくことで「竹島、尖閣、北方領土は、日本固有の領土である」と確信を持つ国民が増えていきます。 これが、領土を守る抑止力向上にもつながっていくはずです。(文責:小川佳世子) 日本を変える教育の要点(2)教育に経済リタラシーを導入する意義 2012.10.24 学校教育で経済リタラシーの普及を 税金、社会保障、黒字経営、効率的な資金運用・・・私たちの生活は経済を抜きに語れません。ところが、学校教育ではほとんど必要な知識が教えられていません。 簡単な簿記や資金運用の方法を学べるのは商業高校か大学あるいは専門学校です。 ところが、社会人になれば誰もがお金を扱うようになります。 自営業にせよ、サラリーマンにせよ、最低限の知識は不可欠です。 高校の社会科には、「政治・経済」という科目がありますが、知識の羅列ばかりで、実用的で基本的な経済原理を学ぶのは大学に入ってからになりますが、いずれは社会人になるのですから、どの学部でも最低限の実用的な経済原理を教えるのは必至です。 大学レベルでは、ケインズ経済学から古典派経済派の理論や思想などをバランスよく学ぶことが大事であって、卒業時には最低限必要な分析力をマスターすればいうことはありません。 そして、政治家や官僚、マスコミの方々にはきちんと経済学を学んだうえで政策立案に携わって頂きたいものです。 さもなければ、いつまでたっても財務省主導の増税路線と日銀主導の金融引き締め路線から脱却できず、日本経済の低空飛行が続きます。 経済の基本は、パイを増やすことであって、政府機能が拡大することではありません。 政府よりも市場を重視する経済原理を しかしながら、日本にはどちらかというと政府主導の経済政策がメインです。 しかしながら、世界で有名なTOYOTAやHONDA、SONYは個性的な創業者と技術者がいたからこそ世界で戦える企業になりました。 実は、上記の企業は政府からほとんど相手にされず、銀行からも融資が受けられない時期がありました。 むしろ、戦後の経済運営の主流は官僚主導の産業政策だったからです。 石炭や鉄鋼が代表的で、政府が資源を優先的に配分するものです。 つまり、官僚が日本経済をガイダンスするというものです。 そのため、日本社会の背景には、根強い官僚信仰が生まれます。 難解な国家試験を突破した財務省などの役人には立派な方が多く、戦後の復興に果たした役割は無視できないのは事実ですが、あまりにも美化しすぎるのも問題です。 例えば、城山三郎氏の代表的な著作でテレビドラマにもされた作品に『官僚たちの夏』があります。旧通産省(現在の経済産業省)の役人が「国民車構想」というプロジェクトに奔走して、官僚たちの血のにじむ努力や人間模様が描かれているので多くの方の共感を呼びますし、「日本の官僚は偉いな」という印象を持ちやすいように描かれています。 ただし、実際は、産業政策は失敗しているという経済学の研究成果があることを知らなければなりません。 東京大学の三輪芳朗教授とハーバード大学のJ・マーク・ラムザイヤー教授の一連の研究によれば、「産業政策が有効に機能したという通念は明確な根拠を欠くものである」と結論を出しています(詳細は『産業政策論の誤解』参照。また、一般向けの解説としては、若田部昌澄著『もうダマされないための経済学講座』が有益)。 産業政策は、国家が「これから発展する産業に資源を優先的に配分する」ということですが、官僚に有望な産業が見分ける力はありません。 現実は、官僚が頑張れば頑張るほど、関連業界の競争を制限して規制が増えます。 また、関連団体の天下り先が増え、税金の無駄遣いが増える可能性が高くなります。 自由からの大国を目指そう やはり、経済成長をしようとすれば、規制を緩和して新規参入や退出を自由にさせること。自由貿易や貿易自由化や投資の有効性を認めて、法人税や証券税制を低く抑えることが国内外資本を呼び込んで市場を活性化させることです。 ノーベル経済学者のハイエクは、社会主義と自由は両立しないと考えていました。 また、ハイエクの師にあたるミーゼスは、「市場経済がもたらす自由以外に、自由は存在しない」とも述べています(もちろん、両者とも政府の意義や機能を認めている)。 それだけ、市場経済は民間の力を最大限に引き出す制度だということです。 幸福実現党が自由からの大国を目指し、小さな政府を目指す理由はここにあります。 さらに言えば、真の自由主義と資本主義の精神の題材は、二宮尊徳や岩崎弥太郎、渋沢栄一も含めれば、国内には多数あります。 最後は思想や歴史面まで含めて、教育から変えていかないと経済政策は変わらないと考えます。 教育には世界を変える力がある以上、教育に経済リタラシー(理解力)を入れる重要性は一層高まることになるでしょう。(文責:中野雄太) 橋下徹狂想曲~メディアの寡占状態が民主主義を破壊する 2012.10.23 現在、日本維新の会橋下徹代表の一挙手一投足がマスコミの関心の的となりテレビ各局が競って報道しています。 昼のワイドショー、夜のゴールデンタイムのニュース、NHKから民法に至るまで毎日報道されない日はありません。 記者会見等での橋下代表の発言がそのまま報道される事は、総選挙を間近に控え一政党の広告宣伝費に換算すれば天文学的数値になります。その広告価値は計り知れません。 橋下代表個人、あるいは彼にすり寄る政治家のゴシップ報道という体裁を取りながらも、「船中八策」等、日本維新の会の主要政策も詳細に報道されています。 幸福実現党を筆頭にほとんど報道されない政党・政治団体から見れば、日本維新の会の橋下代表の報道フィーバーは異常な偏向報道に映ります。 最近では週刊朝日の橋下代表の出自に関する記事の中に被差別部落の特定等、不適切な記述が多数あり、橋下氏は記者会見で批判し、大きく報道されました。 マスコミの大々的な報道を契機とし週刊朝日は、即刻連載中止を決定、子会社ではあるが編集権は別とその関係を否定していた親会社である朝日新聞まで遺憾の意を表明せざるを得ませんでした。 この間、週刊誌の悪意ある報道に対し、橋下代表には十分な弁明の機会が与えられ、しかもゴールデンタイムでも大きく報じられ、全国民が知るところとなり、大マスコミの雄、朝日新聞の敗北という異例の事態となりました。 いまや日本国民の中で、橋下徹氏だけが週刊誌の誹謗中傷記事に対してマスコミを通じて反論・弁明する機会を全面的に与えられている特権者といえましょう。 以前、橋下氏の女性スキャンダル報道に対しても、氏が素直にその事実を認め、若気の至り的程度の扱いで不問に付されました。 これも氏に十分弁明の機会が与えられ、素直に認める照れた表情なども報道され逆に好印象となりました。 なにしろ氏の一挙手一投足がゴールデンタイムに放送され続けているのです。この特権は、次期総理候補の雄である安倍自民党総裁も有していない特権なのです。 例えば、5年前の安倍政権の時、自殺した松岡農水相に果たして弁明の機会が与えられたでしょうか。 あるいは、女性スキャンダル報道で先月自殺した松下金融・郵政民営化担当相などは自ら弁明することすらしませんでした。(現在衆院鹿児島3区補選中) マスコミ報道の犠牲となり、政治生命いや生命そのものを絶たれた政治家も少なくない中、現在の橋下フィーバーは尋常ならざる隠れた意図があるのではないかと勘繰るのもやむを得ないでしょう。 次期総選挙で日本維新の会を大躍進させるというストーリーが、マスコミ権力の奥の院で画策されていることは容易に想像がつきます。 放送法第四条の二で放送事業者は、放送番組の編集に当たっては「政治的公平」でなければならないと規定されています。 報道における「政治的公平」は、現在の橋下フィーバー及び幸福実現党の立党以来3年間の報道無視を振り返ると事実上日本には存在しないと断言できます。 事実上、政治家の首を取ることも、どの政党に次期政権を取らせるかも、マスコミの報道のさじ加減によって決まります。 日本における第一権力は大マスコミであり、日本はマスコミによる専制政治が行われているのです。 しかも、マスコミ権力は民衆からのチェック&バランスが効かないため、独裁、暴走の危険が強くあります。 メディアの寡占は民主主義の危機をもたらします。まさしく、現在は日本の民主主義の危機です。 実際、アメリカでも同様の危機がありましたが、アメリカは1984年、CATV局設置を自由化し、三大ネットの支配力を低下させました。 そして、衛星放送やCATV、光回線の整備により、多チャンネル化を進めました。更には1987年、放送の公平原則(フェアネス・ドクトリン)を撤廃し、政治意見の表明をさらに自由にしたのです。 その基本政策は放送の自由化・多チャンネル化です。日本は未だにチャンネルは寡占状態であり、多チャンネル化は既得権益者によって阻止されています。 寡占状態の放送事業者が国家をミスリードするような愚かな事態は、民主党への政権交代で終わりにしようではありませんか! 放送の自由化を進め、電波を広く民間に解放し、多チャンネル化を進めることこそが、国民の知る権利を増進し、健全な民主主義社会を守るのです。(文責・加納有輝彦) 被災地からこそ訴える原発推進の根拠 2012.10.22 現在、鹿児島3区では、九州電力川内原発の再稼働を最大の争点とした補欠選挙(28日投開票)が行われており、幸福実現党の松沢力候補(30)のみが原発の即時再稼働、原発の積極的推進を掲げて戦っています。(10/17 読売「衆院鹿児島3区補選 4氏舌戦スタート」) 原発立地県からも再稼働を求める強い声が出ているにもかかわらず、政府は19日、2030年代に原発ゼロの具体化に向けた年内までの工程表を呈示しました。(10/19 日経「原発立地自治体と来月から協議 政府、脱原発巡り工程表」) また、民主党の細野政調会長は最近のテレビ番組においてあらためて「マニフェストに原発ゼロを明記したい」旨の発言をしています。 しかし、もはや「死に体」となった民主党政権が今から20年後の未来を語ったところで、何ら説得力も実行力もないのは明らかであり、これらの動きは所詮、左翼票獲得に向けた「選挙対策としての原発ゼロ政策」以外の何ものでもありません。 実際、原発ゼロを実現した場合、これまで我々幸福実現党が指摘して来た通り、大幅な節電や電気料金の高騰で、国内産業の空洞化、大量の失業者を招き、増税と共に更なる不況の深刻化を生み、自殺者の増大を招きます。 さらに中国により東シナ海・南シナ海の安全な航路が脅かされている状況下では、直近の原子力に代わる代替エネルギーとしての火力発電も、輸入原油への依存度が高くなる点で、シーレーンが日本のウィークポイント(中国の攻撃ポイント)となります。 今年7月の脱原発集会では、作家の大江健三郎氏や芸能人の坂本龍一氏ら売国言論人が集まり、「たかが電気でなぜ命を危険にさらすのか」という趣旨の発言をして話題になりました。 しかし、実際に東日本大震災において、数週間から長い地域で数か月も電気のない不便な生活を強いられた被災地の人にとっては、その無責任極まりない発言は、怒り心頭で受けとられただけでなく、民主党や左翼が好きな言い方になぞらえれば、立派な「人権侵害」にあたると思います。 寒冷地において、節電強要や停電になれば、冬場に凍死者が出ることを分かっていないのでしょう。「停電や節電こそが命を奪う」のです。「たかが電気」というのは寒冷地を知らない人間の勝手な言い分です。 実際、北海道の高橋はるみ知事は、冬の電力不足が暖房、道路の融雪に及ぼす影響を挙げ、「(電力は)まさに命の問題だ」と政府に電力の安定供給を強く求めています。(10/11 産経「冬の電力安定策、高橋道知事が枝野経産相に要望」) 原発ゼロの根拠は、こうした現実を無視した情緒的かつポピュリズム的な議論がありますが、その出発点・根拠となった昨年震災での原発事故について、被災地からこそ、ここで改めて異論を訴えたいと思います。 それは、昨年の東日本大震災で被災した原発は全部で5つあり、福島第一原発以外の4つ(青森の東北電力東通原発、宮城の同女川原発、東京電力福島第二原発、日本原子力発電東海第二原発)は、大きな事故にならなかった事実です。 特に、宮城県の沿岸部・女川(おながわ)町にある東北電力・女川原発は、福島第一原発より震源地に近い120㎞北方に位置し、同程度以上の津波(約13mと言われる)を受けましたが、即座に自動停止、冷温停止を成功、放射線の異常な漏れはありませんでした。 しかも、女川町自体は壊滅的な被害を受け避難場所すら少ない状況下だったため、原発施設そのものに避難者を受け入れ、数百名が避難。その後も3か月程度避難所として開放していました。 福島第一と女川原発のこうした被害程度の違いは、女川原発が当初建設時から津波想定を15mとし、数々の安全対策を怠らずに行ってきたことにあることが分かっています。 つまり、「原発は一律に危険」なのではなく、同じ震災を受けても、「安全対策を強固にしていたら原発は危険ではない」ということです。 これは自動車事故が一件でも起きたら「自動車は危険だ、製造をやめるべき」と唱えることがナンセンスであることと同様に、原発も福島第一の事故があったからもう一律廃止すべきだというのではあまりにも情緒的・非科学的で道理に合いません。 あくまで、安全性を高める努力をし続ければ、不測の事態でも対応できることが証明されたのです。 実際、女川原発の被害の少なさは、震災後に視察に入ったIAEA(国際原子力機関)の調査団も大変驚き、「安全システムもすべて健全に機能した」「女川で得たデータは世界中の原発の安全性向上に役立てたい」と語りました。(8/10 産経「『驚くほど損傷少ない』女川原発のIAEA調査」) まさに日本の原発技術は世界最先端の安全性を実現しうることを示しています。 現在、日本のエネルギー自給率はわずか4%です。原発ゼロの場合の将来的代替候補の自然エネルギーは、コストが高すぎてまだ現実味はありません。 ヨーロッパで脱原発を華々しく掲げたドイツでは、電気代高騰が問題になり、国民の不満がピークに達しています。これは日本でも7月から始まった太陽光発電等の買い取り制度が元凶です。(10/20 時事「電気代高騰が総選挙争点に=脱原発のドイツ-国民に不満、不公平感も」) 化石燃料への依存を少なくし、エネルギー自給率を高め、日本経済の衰退を防ぐために、安全性への不断の技術開発を伴った原発の推進こそ、責任ある政治家が判断すべき重要な選択です。 そして、更なる技術開発を後押しし、「放射線除去」の開発にもっと本腰を入れれば、革新的な除去装置が実用化できる可能性がありますし、今後数十年というスパンで考えれば「放射線そのものの無害化」も課題として研究を進めていくべきです。 政府は、女川原発をはじめとして津波にも耐えた世界最先端の技術を正しく分析し、未来を見据えた今後の原発推進政策を進めるべきです。 それこそ昨年の震災を教訓として生かす道ですし、被災地からこそ本当に訴えたいことです。(文責・宮城第4区支部長 村上 善昭) すべてを表示する 1 2 3 4 Next »