Home/ 数森圭吾 数森圭吾 執筆者:数森圭吾 幸福実現党 大阪府統括支部長 IR推進法は浪費推進法!?賭博で日本を豊かにできる? 2016.01.01 IR推進法は浪費推進法!?賭博で日本を豊かにできる? 幸福実現党・大阪第5選挙区支部長 数森 圭吾 ◆IR推進法とは 2016年12月15日の衆議院本会議で自民党や日本維新の会などの賛成多数で「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」、いわゆるIR推進法が成立し、カジノ合法化への道が開かれることになりました。 このIRとはIntegrated Resortの略で統合型リゾートを意味しています。 この統合型リゾート施設とは、地方自治体の申請に基づいて、カジノの併設を認める区域を指定されて設置される国際会議場・展示施設やホテル、商業施設、レストラン、劇場・映画館、アミューズメントパーク、スポーツ施設、温浴施設などと一体になった複合観光集客施設をさしています。 この説明ですと、IR推進法が地域にエンターテイメント性や商業性の向上をもたらし、人もお金も集まってくる良いイメージを持つ方もいるのではないかと思います。 このIR推進法の主なメリットとしてあげられているのは、「国内外からの観光客の誘致やMICEの振興」「カジノ税収入など新規財源の創出」「地域での雇用促進や経済波及効果」などです。 つまり政府は「消費促進にともなう経済効果」「新たな財源(税収)」を狙ってカジノを合法化しようとしているといえます。 ◆刑法185条 賭博の禁止 しかし日本では刑法185条によって賭博が禁止されています。 これは、賭博を放置すると国民の勤労意欲が失われ、さらに賭金の獲得や借金の返済のために窃盗や強盗など他の犯罪が誘発されることなどが懸念されるためであり、賭博罪とは、風俗ないしは経済倫理・秩序に対する罪であるとされています。 IR推進法の成立によって、今後日本でカジノの法制化がすすめられるにあたり、この刑法で定められた賭博罪との矛盾を乗り越えることは非常に難しい問題です。 個人で賭博をした場合には犯罪となるにも関わらず、国が関わるカジノは合法となることには疑問が残ります。 ◆「賭博が国を滅ぼす」と考えた歴史の為政者たち 歴史を振り返ると、日本初の賭博禁止令を出したのは689年の持統天皇で、その対象となったのは「すごろく」でした。 また戦国時代には武士たちが陣中などでも賭博に熱中したことから、「賭博」が士気に関わる懸念材料の一つとなっていたそうです。 そのため、徳川家康が天下統一を果たすと、賭博常習者を厳罰に処したとされています。 歴史的にも為政者にとって「賭博は国を滅ぼす」と認識されることが多かったと言えます。しかし反対に、今の政府はこの賭博を合法化しようと考えているのです。 ◆カジノ解禁によるデメリット カジノ解禁によるデメリットとして、「反社会的勢力の活動の活発化」や「ギャンブル依存症問題」などが懸念されています。 カジノ解禁によって暴力団やマフィアが介入する可能性が高まり、反社会的勢力の資金源を増やすことになる。またマネーロンダリングにカジノが利用される可能性もあるといえます。 またカジノが身近にできることによってギャンブル依存症となる人の増加が見込まれるともいわれています。 ◆IR推進法によって促進されるのは、消費?浪費? IR推進法は、消費促進にともなう経済効果と新たな財源を狙ったものです。政府の思いは「なんとしても国民に金を使わせたい」というのが正直なところでしょう。 刑法にある理念や倫理を無視してまで行われる消費推進は、いつのまにか「浪費推進」になっていくのではないでしょうか。これでは国民の堕落を招きかねません。 ここ最近の政府の他の動きをみると、10年以上使われていない預金を政府が回収する「休眠預金法案」や、月末の金曜は15時退社を推進する「プレミアムフライデー」がすすめられています。 財源確保や消費促進のためなら私有財産没収を行い、民間企業の就労スタイルにまで口をつっこむ政府は「国民が消費するためなら手段は選ばない」という次元にまできているのではないでしょうか。 この考え方を極端にしていくと「理想実現の為なら暴力革命も厭わない」という共産主義的発想に通じるような怖さもどこかで感じてしまいます。 政府は自由主義・資本主義の精神に基づいた政治理念について考え直し、減税など、健全な消費を促す政策を実行し、経済発展に伴う税収の確保を第一とすべきではないでしょうか。 堂々と稼げる中小企業を増やそう! 2015.12.22 文/HS政経塾4期生 幸福実現党・大阪本部副代表 数森圭吾 ◆中小企業の事業承継と相続税 日本には中小企業が約390万社あり、これは全企業数の99.7%を占める数です。 また、雇用の約7割を担い、日本企業の売上高の約半分を占めているのも中小企業であり、地方においてはより中小企業の役割が重要となります。 中小企業庁の発表では、中小企業は年間約26万社が廃業しており、この原因として企業相続問題が大きく影響していると言われています。 これを示すかのように日経ビジネス2010年4月5日号の表紙には「相続が7万社を潰す」という見出しまで出されています。 利益を出し、雇用を生み、社会から必要とされている企業が永続的に発展するためには、経営者が交代する際などにスムーズに事業継承が行われる必要がありますが、ここで大きな壁となっているのが相続税なのです。 ◆相続税の課税対象となる中小企業の非上場株 中小企業の社長やオーナーが死亡した場合、 その会社の株は残された家族などの後継者に引き継がれます。この際、この株が相続税の課税対象となります。 中小企業といっても、その場合の株の評価によっては相続税額が数億円に上るケースも珍しくありません。 ところが中小企業の非上場株式は、簡単に売却してお金に変えることができず、廃業を選択する企業もあるのです。 税理士の方への取材によると、家族だけで経営している個人事業主が廃業を選択するのはまだ経営者の判断としては楽なものです。 しかし、これが数十人以上の従業員を抱える中規模企業になると、経営者として雇用などの社会的責任が発生するため、簡単に廃業を選択することさえできないといいます。 そのようななかで経営者は相続財産を一部処分することによって納税資金を確保したり、納税のために銀行から借金をし、その返済に四苦八苦している経営者も多いそうです。 ◆自社株の評価を落とす努力をする経営者 以上のように、事業承継における相続税の課税で企業の後継者にとって最も重い負担となるのが自社株にかかる税金です。 会社の株は企業価値を示す一つの指標であり、本来は株の評価額が高いことは経営者にとって喜ばしいことのはずです。 しかし、この株の評価額が高ければ高いほど事業承継の際に課税される相続税は高くなり、納税資金の確保が困難になります。 ここで多くの中小企業は利益を下げるなどの方法で自社株の評価を下げる努力をしているのが現状なのです。 企業とは本来、社会に対して良いサービスを提供し、利益を上げ、成長し、さらによいサービスを提供していく公的側面をもった存在ではないでしょうか。 しかし、多くの企業が税金対策のために利益を下げ、自社の評価を落とす努力が必要となる今の状況は、本来の企業の存在目的に対して矛盾を生んでしまっていると感じます。 ◆他の主要先進国に遅れをとる日本 このような中小企業の苦しい実態を政府はどのように考えているのでしょうか。残念ながら日本は事業承継税制について主要先進国に大きく後れをとっています。 各国とも雇用や株の保有期間など一定の条件を満たせば、以下のように株の評価減などの負担軽減策が適用されます。 【各国における非上場株式の評価減・控除】 ・アメリカ ⇒ 0.8億~1.3億円控除 ・フランス ⇒ 75%評価減 ・ドイツ ⇒ 85~100%評価減 ・イギリス ⇒ 100%評価減 ・日本 ⇒ なし このように、企業にとって最も負担の大きい株式への課税に関する特例処置は、主要先進国においては100%~80%前後の評価減や控除が適用されます。 これに対し日本における非上場株への課税に対する優遇措置は納税猶予制度(納税を遅らせる制度)しかなく、その適用条件も他国と比較して厳しいものとなっています。 このように、日本の税制面における事業承継支援は非常に限定的なものであり、各国と比較して日本は制度的に未熟であると言わざるを得ない状況です。 ◆中小企業が堂々と稼ぐために 現行制度での中小企業の事業承継には資金に関する大きなリスクが伴います。税理士の方への取材によると、事業承継に関する相続税対策には10年以上の年数をかけて対策をする企業が多く存在するそうです。 そんななか、主要各国と比較しても日本においては非上場株の評価優遇制度がまったく整備されていません。 このため企業経営者は少しでも納税額を減らし、ダメージを和らげるために納税額の算出の基盤となる自社株の評価を下げる努力をしています。 本来の企業のあるべき姿から考えるとこれは「無駄な努力」であり、このような状況を放置している政府には大きな責任があると言わざるを得ません。 世に必要とされている中小企業が堂々と稼ぎ、永続性を確保するためにも、早急な事業承継税制の改革が必要です。 沖縄集団自決に日本軍の強制はあったのか【後編】 2015.09.07 文/HS政経塾4期生 幸福実現党 大阪本部副代表 数森圭吾 前回、沖縄戦をとりまく状況と、日本軍がいかに住民保護に尽力したかについて書かせて頂きました。この日本軍が住民に自決を強制したのかを今回の後編で見ていきたいと思います。 沖縄集団自決に日本軍の強制はあったのか【前編】 http://hrp-newsfile.jp/2015/2381/ 【集団自決の真実】 ◆軍の強制があったとされるポイント 軍による強制があったという意見のなかには、日本軍が行ったとされる悪事が複数指摘されていますが、当時の資料を調べると事実ではないことが非常に多く書かれています。 そのなかでも今回取り上げた、集団自決に関する指摘として、「日本軍が住民や従軍看護婦に手榴弾を配り、集団自決を強制した」というものがあります。 しかし当時、手榴弾は非戦闘員である一般島民には配布されておらず、県民によって組織された「防衛隊」にのみ配布されていました。 証言として残っているのは、この防衛隊隊員が軍の手榴弾を民衆に手渡したというものです。 渡嘉敷郵便局長の徳平秀雄氏によると、当時米軍に追い詰められた戦況に絶望した避難民が防衛隊隊員から手榴弾を受け取り、自決を選ぶ様子が証言されています(「沖縄県史」第10巻)。 軍は自決命令を出すどころか、慶良間列島の座間味島において住民が自決用に弾薬をもらいに行った際、隊長がそれを断っているという証言もあります。 ではなぜ集団自決がおこったのでしょうか。 ◆集団自決が起こった背景 ○沖縄マスコミが植え付けた米軍への恐怖 当時、集団自決が発生したことは事実ですが、その引き金となったのは「米軍への恐怖」だったと考えられます。これは慶良間列島で起こった集団自決はどの島でも米軍上陸当日に起こっていることからもわかります。 沖縄問題に詳しいジャーナリストの恵隆之介氏も「集団自決は恐怖心によるパニックが最大原因だと思われる」と見ており、その恐怖は沖縄マスコミが植え付けたものであると考えられます。 戦前の沖縄の新聞社は「尼港事件」など海外で日本人が虐殺された事件を定期的に報道していました。これによって他国の軍隊に対する恐怖心が沖縄住民に拡がり、結果、沖縄戦で上陸してくる米軍を目の当たりにした住民が絶望して自決を選んだ可能性が高いのです。 1985年7月30日付神戸新聞では「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」という見出しを出し、軍命令はなかったとする島民の証言を掲載しています。 座間味島の集団自決は「米軍上陸後、絶望した島民たちが、追い詰められて集団自決の道を選んだものとわかった」と報道しています。 ○米軍の心理作戦 米軍の沖縄侵攻作戦は「アイスバーグ作戦」と呼ばれていましたが、この作戦においては戦況を有利に進めるための「心理作戦」が実行されました。 この心理作戦はハーバード大学のトッツア教授がまとめた心理作戦計画案に基づいており、日本軍と沖縄県民のあいだに不信感をつのらせ、信頼関係に亀裂を発生させること、沖縄県民を米軍の味方に引き込むという狙いがありました。 米軍は沖縄上陸の際、沖縄住民に日本軍を敵視させるため「米軍はあなたたちの味方」「日本軍が悪い」「日本軍が沖縄の人々を殺している」といった内容が日本語で書かれた大量のビラを撒きました。 集団自決はこの米軍上陸のタイミングで起こっており、アメリカの宣伝効果によって、「軍命による自決」という風評が広がったと考えられるのです。 ○援護法の適用問題 軍人やその遺族に対する戦後補償をするための法律に援護法というものがあるが、1957年本来なら民間人には適用されないはずの援護法が沖縄住民に対しても公布され、対象者に年金・給与金が支給されています。 この援護法の申請書には「軍に積極的に協力して戦死した」という表現では厚生省に受理されなかったが、「軍の命令」というかたちに修正し再申請した際には受理されたという証言が存在します(沖縄県遺族連合会幹部)。 当時の厚生省は「軍命」と明記されていない申請書には「軍命」と書くことを暗に指導するなど、この援護法をできる限り沖縄住民に適用しようとしていました。 さらに、援護法適用のため、住民が軍責任者に「軍命をだしたことにしてほしい」と依頼し、沖縄で大きな犠牲がでたという同情と悔恨の念から、その責任者が「軍命」について認めたということも明らかになってきています。 この「善意の嘘」も合わさり、「軍命」の捏造が多発。結果的に「軍命があった」という風潮が意図せぬ形で流布していったと考えられます。 ◆現代の日本分断作戦に対抗するために 沖縄戦で大きな犠牲が払われたことは事実です。70年後の今を生きる我々は沖縄の英霊の方々への感謝を忘れてはならないでしょう。 また、今回書かせて頂きました「集団自決の軍命説」が発生し、広がっていった背景には「戦中の不幸」や利害が絡んだ「善意の嘘」など色々な要素が複雑に絡んでいます。 しかし、日本軍に対する「嘘の汚名」が現在にまで残り、そこに反日感情が入り込み、日本分断の手段に利用されることだけは日本人として黙って見ていてはいけないと思います。 我々はこの問題を「沖縄での出来事」ととらえることなく、「日本人として国民全員が知るべき歴史問題」として正しく向き合い、真実を語り継ぐと同時に、日本のために戦って下さった当時の沖縄の人々の「気高い心」を現代にも引きついでいかなければならないと思います。 【参考文献】 秦郁彦「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」(PHP研究所) 勝岡寛次「沖縄戦集団自決 虚構の『軍命令』」(明成社) 曽野綾子「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実」(WAC文庫) 沖縄タイムス社 編「沖縄戦記 鉄の暴風」 大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書) 家永三郎「太平洋戦争」(岩波現代文庫) 「WiLL」2007年12月号 「WiLL」2008年1月号 「正論」2008年3月号 沖縄集団自決に日本軍の強制はあったのか【前編】 2015.09.01 文/HS政経塾4期生 幸福実現党 大阪本部副代表 数森圭吾 【戦火から沖縄住民を守るために動いた日本軍】 ◆沖縄での集団自決とは何か 1945年の沖縄戦における日本側の死者は約20万人。その内の半数である約10万人が沖縄県の住民だったといわれています。 このような激しい戦場となった沖縄の主に慶良間列島、を中心として一般住民が集団で自殺するという事態が発生します。 これが「集団自決」であり、そこに「日本軍の強制」があったのではないかということが問題となっています。 ◆沖縄における戦況 1943年当時、日本の大本営は沖縄を前線支援のための航空基地として設定していました。しかし1944年7月サイパン島を失ったことで、沖縄は一転して本土防衛の第一線となります。 これに対しアメリカ側も、台湾とフィリピンを目標として、最終的に日本本土攻略を目指していましたが、戦況の変化と日本本土攻略の利便性から、1944年10月に沖縄を目標とすることを正式に決定します。 米軍にとって沖縄は日本本土攻略のための航空基地・兵站基地として、さらには南方との交通を遮断し、日本本土を孤立化させるために必要な重要地点と位置付けます。 このような流れのなかで沖縄は両国にとって重要な戦闘地域となっていきました。 ◆両軍の慶良間列島に対する考え方 ここで多数の集団自決が発生した慶良間列島に対する両軍の考えも見ておきたいと思います。 慶良間列島には地形的に飛行場に適した土地がなく、慶良間列島へ米軍が攻撃すれば、沖縄本島への攻撃方向を予告するようなものであるため、米軍は直接本島上陸を行うだろうと考えていました。 そのため、本島に向かう米軍船団を襲撃する目的で、約300隻の特攻艇を慶良間に配備したのです。 これに対し米軍は本島への大規模な上陸作戦に先立って、水上機基地、艦隊停泊地として利用するために慶良間列島を攻略することを決定しました。 慶良間列島に囲まれた慶良間海峡は水深が深く、地形的に風を防ぐことができる構造になっていたため、水上機の理着水、艦船への補給、修理が行いやすく、米軍にとって最適の支援基地となりえたのです。 計画通り米軍は日本軍の海上挺進隊の特攻艇を破壊し、慶良間各地を占領して海軍の支援基地としました。この際、渡嘉敷島・座間味島などで大規模な集団自決が発生したのです。 ◆日本軍の沖縄住民避難対応 当時、多くの沖縄県民は、「本土防衛のためには玉砕も辞せず」という考えを持つ方も多く士気は高かったと言います。このことから、「防衛隊」、「鉄血勤皇隊」「ひめゆり部隊」「白梅部隊」などが結成されます。 いかに沖縄県民が協力的であったかという点については、海軍司令官の大田実少将が海軍次官にあてた最後の電報や島民手記などの内容からも読み取ることができます。 日本陸軍は1877年の西南戦争以降、国土での戦いを経験したことがなく、国防方針として外征作戦によって国土防衛を行ってきたため、住民を包含して戦う国土戦についての研究を十分に行っていませんでした。 そのため記述の通り、見通しの誤りや、対応の遅れなど不備はあったものの、日本軍はできうる限りの沖縄県民の疎開と避難を行っているのです。 ○県外疎開の実施 サイパンにおいて日本軍が玉砕した1944年7月7日、政府は即日、沖縄県・奄美諸島(第三二軍守備区域)の住民を疎開させることを閣議決定し、結果的に約8万人の疎開を実施しました。 さらには約7千人の学童疎開も行っています。ただ、当時は制空権、制海権を失った状況であったため疎開船への米軍の攻撃によって犠牲も発生しています。 しかし、帝国海軍は同様の犠牲を増やさないため、疎開船の護衛に残存艦艇および航空機の重点配分を行いました。 さらに1945年3月の疎開の最終段階において帝国海軍は、軍規定を破ってまで戦闘艦に婦女子を乗せて九州に高速避難までさせています(沖縄県中城村在住/真喜志文子氏証言)。 ○島内に残った住民の県内疎開実施 さらに、沖縄県の人口分布は本島南部に集中していたため、日本軍は島内に残った住民8万人を北部の山岳地帯に避難させました。 しかし、沖縄本島の南部には疎開勧告に応じない非戦闘員が約30万人存在し、さらにこの後、米軍が本島中部の海岸に上陸し、本島を南北に分断した為、中南部住民の北部への疎開は不可能となり犠牲者が多数発生してしまいました。 このほかにも沖縄本島での非武装地帯の設定を試みるなど、当時の日本軍は沖縄戦において住民保護のために取りうる対応を最大限に行ったということができます。 次回の後半では、沖縄住民を守ろうとした日本軍が果たして集団自決を強制したのかについて見ていきたいと思います。 【参考文献】 秦郁彦「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」(PHP研究所) 勝岡寛次「沖縄戦集団自決 虚構の『軍命令』」(明成社) 曽野綾子「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実」(WAC文庫) 沖縄タイムス社 編「沖縄戦記 鉄の暴風」 大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書) 家永三郎「太平洋戦争」(岩波現代文庫) 「WiLL」2007年12月号 「WiLL」2008年1月号 「正論」2008年3月号 仁徳天皇に施策の根本を学ぶ 2015.07.07 文/HS政経塾4期生幸福実現党大阪本部副代表数森圭吾 ◆「愛」と「徳」高き仁徳天皇 古事記によると、西暦300年~400年頃に在位された仁徳天皇。その御名の通り、歴代天皇のなかでも徳高き天皇として知られています。 仁徳天皇は日本の第16代天皇で、古事記、日本書紀などにも登場しており、当時の皇居は難波高津宮(なにわのたかつのみや)で、現在の大阪府大阪市中央区周辺にあったとされています。 仁徳天皇の墓である仁徳天皇陵は大阪の百舌鳥古墳群にあり、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられ、墓域面積は世界最大です。 参考:世界三大墳墓の比較(堺市HP) http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/sei/sandaifunbo.html ◆仁徳天皇の「仁」の政治 記紀に記されている「民のかまど」の逸話にも見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られています。 「民のかまど」の逸話 当時の民衆は非常に貧しく、質素な生活を送っていました。 仁徳天皇はこの状況を憂い、まず「宮殿に使える労役をなくせば、民が耕作や機織りに集中でき、豊かになるのではないか」と考え労役を廃止します。 その後三年たち、仁徳天皇が飯時に高台から都を眺めたとき、人家から飯を炊く煙が上がっていないのを見て民の生活は豊かになっていないことを知ります。 民の生活が改善しない理由について、天皇の側近が「近年、日照りや水害が続き、穀物が実らないため」と説明します。 仁徳天皇は民を救うため、宮中に保管された食糧(三年分)を切り崩す前提で、民に対する税と労役を3年間廃止します。 宮中には反対の声もありましたが、仁徳天皇はこの政策を断行します。三年後、仁徳天皇が飯時に高台に上ってみると、炊煙が盛んに立ち上っていました。 仁徳天皇は喜び、こんな歌を詠まれました。 高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり この時、仁徳天皇は皇后との会話の中で以下のように述べたともいわれています。 天皇 「私はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」 皇后 「宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」 天皇 「政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、私も富んだことになるのだ」 実はこの逸話はここで終わりではなく、続きがあります。 仁徳天皇は民がさらに豊かになることを望み、税・労役免除をさらに三年間継続することを決定し、その間、宮中の食糧や修繕は自給自足することとしました。 その後、民は益々ますます豊かになり、自ら納税を訴える者もあらわれ、宮廷を修繕すべく大工道具をもってくる者もいたといいます。 ◆「政は民が本」~君民一体を実現した施策~ 仁徳天皇の業績はこれだけではありません。 日本書紀には関西を中心に各地に大規模土木工事を行ったことが記載されています。当時、民の生活の豊かさは、食物の確保にかかっていました。 仁徳天皇は民の生活を豊かにするため、土地を開墾し、田畑をつくる大規模土木工事を行ったのです。 これは先ほどの「民のかまど」の逸話と同様、すべては「民」のために行った施策でありました。この日本初の大規模土木工事において発生した大量の土によって百舌鳥古墳群が誕生したと言われています。 仁徳天皇が眠る仁徳天皇陵の建造にどれほどの期間と労力が必要だったかについて、ある建設会社が以下のような試算結果を出しています。 必要年月:15年8ヶ月 必要人員:796万人 学者のなかには仁徳天皇陵は「天皇の権威を示すために民衆を奴隷として使い、建設させた」と主張する方がいます。 しかし当時、日本の人口は全国でも4~500万人程度。これだけの時間と人を強制的に労役につかせた場合、農耕などに人員が割けず、民だけでなく宮中の人間まで飢える可能性があります。 つまり、仁徳天皇は人々とともに大規模な土木工事を行い、民は仁徳天皇への感謝でその土を使った御陵に仁徳天皇を埋葬し、「和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」と書き残したのでしょう。 まさに「君民一体」。一つの理想政治が当時実現していたのではないでしょうか。 過去の世界史のなかには、権力者が民衆を私物のように考え、財産どころが命を奪っても構わないといった行動をとった暴君もおりました。 しかし仁徳天皇には根本に「仁=愛」があった。民への無償の愛があったからこそ「徳」が発生し、人々の「信」がついてきたのではないでしょうか。 ◆現代の政治家に必要な「仁」と「徳」 現代は当時と比較し複雑な社会となっています。 しかし現代において、この仁徳天皇の精神を持って施策を行っている政治家が一体何人存在するでしょうか。 単なる綺麗事ではなく、この民を思う私心なき「仁愛」こそ国民の命を預かる政治家に必要な基本的精神ではないかと思います。 我々幸福実現党が「宗教政治家」の必要性を訴える意味の一つがこの「仁」です。 本来、宗教にはこの「無私の愛」が存在するからこそ「宗教政治家」に存在意義があると考えています。愛と徳ある政治を実現するため、幸福実現党は活動して参ります。 中小企業にとって相続税は致命傷! 2015.05.11 文/HS政経塾4期生 幸福実現党・大阪本部副代表 数森圭吾(かずもり・けいご) ◆中小企業の永続経営を阻む壁 日本には中小企業が約390万社あり、これは全企業数の99.7%を占める数です。また、雇用の約7割を担い、日本企業の売上高の約半分を占めているのも中小企業です。 つまり、中小企業こそが日本経済の屋台骨であるといっても過言ではないでしょう。よって中小企業の成長を支えることは日本経済にとって非常に重要であると考えます。 一口に「中小企業」といっても様々な企業が存在し、多くの経営課題が存在しますが、多くの企業が共通して抱える課題の一つに「企業相続」があります。 「中小企業白書(2006)」によれば、中小企業は年間約27万社が廃業しており、この原因として企業相続問題が大きく影響していると言われています。 企業が永続的に発展するためには、経営者が交代する際などにスムーズに企業相続が行われる必要がありますが、ここで大きな壁となっているのが相続税なのです。 ◆中小企業相続と相続税 中小企業の社長やオーナーが死亡した場合、 その会社の株は残された家族などに引き継がれることになります。この際、この株が相続税の対象となります。 中小企業といっても、 資産評価すると数十億円の価値がある会社もあり、その場合の株に対する相続税は非常に高額となってしまいます。 ところが中小企業の非上場株式は、簡単に売却してお金に変えることができないため、 相続税支払いに必要となる資金繰りが非常に難しいというのが現状なのです。 ◆企業相続シミュレーション 会社の株価総額が20億円だとした場合、その会社の株式を息子に相続すると、息子には約10億円の相続税がかかるといいます。 ある税理士の試算では、会社を引き次ぐ以前に、この息子が30台半ばからその会社の役員となり、年間に役員報酬を毎年2000万円受取ったとした場合、生活費・所得税を支払って貯金できるのは年間700万円程度となります。 そして20年後、息子の年齢が50台半ばになって父親からの事業承継が必要となった場合、息子の預金は1.4億円程度で、株式にかかる相続税10億円には遠く及ばないことになります。 このように企業相続するにも相続税が払えず廃業するという企業が多数発生しているのです。企業相続において相続税は非常に大きな壁となってしまっているのです。 過去には銀座の一等地にある文具店の社長が、莫大な相続税負担を悲観して自殺するという痛ましい事件も起こっているほどです。 ◆相続税に関する要件緩和 このような状況の中で、15年1月から相続税に関する、中小企業の非上場株式を承継する際の税負担を軽減する「納税猶予制度」の要件が一部緩和されました。 緩和内容としては大きく以下の内容が挙げられます。 ・事前確認の廃止 ・親族外承継の対象化 ・雇用8割維持要件の緩和 ・納税猶予打ち切りリスクの緩和 ・役員退任要件の緩和 ・債務控除方式の変更 ※詳細・中小企業庁HP http://www.chubu.meti.go.jp/c71jigyousyoukei/syoukei_tirashi0329.pdf しかし、これらの制度がどれほど機能するかは極めて不透明です。 2008年にも企業相続にかかる相続税の納税猶予制度改善策が導入されましたが、この制度の対象として認定された件数はわずか258件でした。 企業相続の際に発生する相続税は、企業の永続経営に対する影響力の大きさから考えても、要件緩和という手段ではなく、税制の根本的な見直しが必要なのではないでしょうか。 ◆世の中に必要とされる中小企業が残っていくために そもそも企業とは世にサービスを提供し、社会を豊かにするものであり、個人の枠を越えた社会的な存在だといえるでしょう。 そして中小企業の経営者が保持する自社の株というものは、企業が社会に貢献するための経営資産でもあります。 社会から必要とされ、利益を上げている会社が税金によって廃業に追い込まれるという事態には違和感を感じざるを得ません。 相続税が肯定される根拠なかに「相続などで無償所得した財産には課税し、社会に還元すべき」という考え方がありますが、企業相続に関して課税対象となる財産は、「企業の社会性」の観点から考えても、個人財産と同様の扱いをすべきものではないと思われます。 これらの理由から、日本の中小企業がより発展していくためにも、企業相続において発生する相続税には今後「減税・撤廃」が必要であると考えます。 相続税改正から考える私有財産の重要性 2015.03.02 文/HS政経塾4期生 幸福実現党・大阪本部副代表 数森圭吾 ◆2015年 相続税の増税 2015年1月1日、改正相続税がスタートしました。今回の改正における大きな変更点は基礎控除額(非課税枠)の縮小です。 従来の相続税は基礎控除額が大きかったために、「一部の資産家のみに課されるもので、一般庶民には無縁の話」と思われている方も多いのではないでしょうか。 従来の基礎控除額の算出は「5000万円+(1000万円×法定相続人数)」。たとえば、夫婦と子供2人の世帯で世帯主が亡くなって相続が発生すると、法定相続人は、世帯主の配偶者と2人の子供の3人で、基礎控除額は8000万円となり、家・建物、現金、預金、株など遺産の合計が8000万円以下なら相続税はゼロとなります。 しかし、今回の改正において基礎控除額が「3000万円+(600万円×法定相続人)」に引き下げられました。 相続人が配偶者と子供2人の場合、基礎控除額は4800万円。これは土地や家を所有し、退職金を得た一般的な多くの人が課税対象となる額ではないでしょうか。 ◆課税対象者の倍増 財務省の発表によると、今回の改正によって相続税の対象者は1.5倍に拡大すると言われていますが、特に東京や神奈川など地価の高い地域においては深刻な問題となりそうです。 2014年の1年間では、都内で亡くなった方のうち、約9,400人(9%)が相続税の課税対象となっていましたが、改正後は約19,700人(19%)と倍増する見込みです。 ◆相続税の課税根拠 憲法第29条第1項は「財産権はこれを侵してはならない」と規定して、財産権を保障しています。つまり相続税を肯定するには、国家が財産権をどこまで制限することが可能かということが問題となります。 過去の政府税制調査会(内閣総理大臣の諮問に応じて、租税制度に関する基本的事項を調査審議する審議会)が示す相続税の課税根拠を要約すると、大きく以下のようなポイントがあげられます。 (1)富の集中排除(富の再分配) (2)資産引継ぎの社会化 (3)所得税補完・故人生前所得の清算課税 (1)は豊かな人の財産を貧しい人に分け与えることで格差を是正するのが目的です。 (2)は近年は核家族化が進み、社会保障に頼る人が増えているため、資産を社会に戻すべきだという考えが前提となっています。 (3)は故人が生きているときに取れなかった税金を相続のときに取ろうという考えが前提となっています。 (1)、(2)は平等の精神が基盤となっており、(3)は財源確保の狙いが根底にあると考えられます。 しかし、この相続資産は「私有財産」です。 今回の改正によって相続税の最高税率も50%から55%に引き上げられましたが、これは個人が働きながら所得税などの税金を真面目に納め、その結果残った私有財産の半分以上を、さらに税金として納めなければならないケースが出てくるということです。 これは「二重課税」という意味で問題であると同時に、重い相続税を課すこと自体が、私有財産を否定する考え方であると言えます。 ◆私有財産の重要性 20世紀を代表する自由主義の思想家であり、自由主義経済学の大家であるフリードリヒ・ハイエクは以下のように述べています。 「私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを所有しない者にとってもそれに劣らず、最も重要な自由の保障である」 「私有財産を持っている人が自由なおかげで、私有財産を持っていない人まで自由でいられる」 歴史的に、社会主義国などでは私有財産は認められず、国家が強大な権力を持ち、個人の自由や経済活動が制限されていました。 このような恐ろしい権力を国家や官僚に持たせないために、私有財産が必要であるとハイエクは述べています。個人が自由な経済活動、自由な生活を得るためには私有財産の肯定が不可欠なのです。 ◆重税路線からの脱却を 日本の相続税は結果の平等に重きを置き、格差是正のためという建前で、二重課税の問題にふれることなく国民から税金を巻き上げているというのが実態と言えます。 これは日本が実質的に、私有財産を認めない社会主義的な構造に陥っていると言えるのではないでしょうか。近年「格差」の問題が多く取り上げられています。確かに戦後日本は経済成長のなかで格差が広がったのも事実ですが、国民全体の生活水準は明らかに数十年前と比較して向上しています。 日本政府は安易な平等に陥ることなく、重税路線から脱却し、真剣に経済成長を目指すべきだと考えます。「豊かな者はより豊かに、貧しき者も豊かに」というように、国民の財産を増やすことこそが日本再生への道ではないでしょうか。 「沖縄2大紙」の歴史から見る反日思想 2014.11.08 文/HS政経塾 4期生 幸福実現党 大阪本部副代表 数森圭吾 ◆沖縄の2大紙 沖縄では11月16日に沖縄県知事選挙の投開票が行われ現地新聞も選挙関連の記事を多く報道しております。 沖縄には「琉球新報」と「沖縄タイムス」という新聞があり、両紙は「沖縄2大紙」とよばれています。この2紙は反日、反米的主張が多いと言われていますが、その背景を歴史的な視点から検証してみたいと思います。 ◆アメリカ軍と2大紙の創刊 先の大戦において、沖縄本土に上陸した米軍は1945年4月1日「琉球列島米国軍政府」を設置し沖縄占領統治を開始しました。ここにおいて米軍政府は沖縄と本土の分断し、沖縄統治を円滑にすすめるために反日宣伝工作を行います。 米軍の沖縄統治は本土のように日本政府を通した間接統治ではなく直接統治でした。このため米軍政府のとった検閲政策はプレスコードやラジオコードによる検閲ではなく、直接米軍の方針を反映できる米軍広報機関として現地に新聞社をつくるという直接的なものでした。 そこでつくられたのが占領下初の新聞である「ウルマ新聞」であり、これは現在の「琉球新報」です。創刊は沖縄戦終結直後の1945年7月25日。この新聞は事実上の「米軍広報宣伝紙」とも言えるものでした。 この新聞の記者であったある邦人は、この新聞をつくることになった際に「米国の宣伝をする新聞をつくるとスパイ扱いされるから御免だとは思ったが、断ると銃殺されるかもわからず、否応なかった」(「沖縄の言論」辻村明、大田昌秀)と話しています。 また、琉球新報と並び、沖縄を代表する新聞である「沖縄タイムス」(1948年7月1日創刊)の創刊号では、当時の社長である高嶺朝光氏が次のように語っています。 「吾々はアメリカの暖かい援助のもとに生活している、この現実を正しく認識することはとりも直さずアメリカの軍政に対する誠実なる協力であり、また、これが沖縄を復興する道である」 さらに同紙創刊者の一人は、 「沖縄タイムスの特色は創立スタッフが戦前にも新聞記者を経験していたことです。戦時中、大衆を戦争に駆り立てたという、(中略)この大きな罪を背負いつつ『立ち直って、反戦の立場からもう一度、新聞をつくってみよう』との意気込みがあった。それは一方で、新聞人としての贖罪の意味ともなり『新の平和を目指す新聞を作る』という心があったんです」(沖縄タイムス1993年7月1日) と語っています。 これらの発言から両紙の原点が「戦争への贖罪」と「親米反日」というアメリカの宣伝工作にあったことがわかります。 ◆アメリカによる沖縄復興と左翼思想 戦後、米軍統治によって沖縄ではインフラ整備、医療技術の飛躍的向上が果たされました。また米軍基地周辺では経済が活性化し、戦後急激な復興と発展を遂げています。 このように戦後の沖縄復興に対してアメリカが果たした役割は非常に大きいということができます。戦後、日米の関係は変化し、現在ではアジア諸国の安全保障にとっても両国の友好関係は非常に重要なものになっています。 しかし、1972年の沖縄返還から40年以上たった現在、米軍統治下でつくられた「琉球新報」と「沖縄タイムス」は、ある意味において創刊時と変わらず反日的主張を行い続けているとともに、逆に「反米」も強く打ち出しています。 これは、創刊当時の反日思想を土台としながら、そこに基地問題や補償金などの戦後新たに発生した切り口から左翼思想が入り込んでしまった結果であると考えられます。 知事選を控え様々な情報が飛び交い、各紙がそれぞれの主張を展開しています。「沖縄独立」などといった言葉もよく目にするようになっていますが、私たちはこのような「沖縄2大紙」の歴史を知り、そのスタンスを把握したうえで、正しく情報を読み取る必要があるのです。 アジア最後のフロンティア、ミャンマーへの日本支援 2014.09.15 文/HS政経塾 4期生 数森圭吾 ◆ミャンマーの開国 ミャンマー連邦共和国の民主化が進み始めたのは最近のことです。 同国では1988年から23年間にわたって軍事政権が続き、最近まで鎖国状態でした。軍事政権下では、民主化運動の象徴でもあったアウン・サン・スー・チーさんが合計15年間も自宅軟禁状態にあったように、民主主義への圧迫は非常に強い状況でした。 このため人権状態を問題視したアメリカが経済制裁を実施。これによってミャンマー経済は非常に厳しい状況に立たされました。しかし2011年にテイン・セイン氏が大統領に就任、民主化を推進したためアメリカの経済制裁が緩和され、いま海外からの投資が活発化し始めているのです。 ◆ミャンマーに進出する日本企業 民主化にともないミャンマーへの外資参入が活発化しています。例えば有名なコカ・コーラですが、世界でコカ・コーラが販売されていないかった国は北朝鮮、キューバ、ミャンマーだけでした。 現在ではミャンマーでも販売され人気が出ています。そのような中で、特に日本企業の進出が目立っています。 この3年間で日本企業の進出数は3倍に増え、156社が進出(14年5月時点)しています。JT、三菱商事、大和証券(証券取引所設立支援)、など大手企業だけでなく、総務省も郵便事業支援を行うなど官民あげてのミャンマー進出が始まっているのです。 ◆ミャンマー市場への日本の期待 鎖国状態にあったミャンマー市場は、欧米企業の進出が少ないため、この「手つかずの消費市場」への早期参入は日本企業が欧米に先駆けて市場開拓をするチャンスでもあるのです。 また、ミャンマーの人口は6200万人ですが、若い労働人口も豊富であり、識字率も92%を超えている(ASEAN第3位)ミャンマーは「労働市場」としても大きな期待を寄せられているのです。 日本企業進出の影響もあり、ミャンマーでは日本語学校が人気となっています。現在では旧首都のヤンゴン市内だけでも日本語学校が40か所も存在するという盛況ぶりです。 さらに戦後、日本が食糧難だった際には、ミャンマーから米の援助を受けたという歴史もあり、日本にとってミャンマーは決して「遠い国」ではないのです。 ◆ミャンマーの光と影 市場への期待という光と同時に影も存在しています。 第一はインフラの未整備です。道路網が非常に脆弱であり、また電力供給にも問題が多く毎日停電が起こるような状況にあります。 第二には政治情勢への懸念です。民主化されたとはいえ、ミャンマーの連邦議会の約80%が国軍政党出身であり、テイン・セイン大統領自身も国軍政党出身です。2015年に予定されている総選挙でミャンマーが本当に民主化の道を進むことができるかが試されることになりそうです。 ◆ミャンマーの交通インフラ整備が日本企業を救う ミャンマーの隣国であるタイには日本企業が約7,000社以上進出しています。タイからミャンマーに物資を運ぶ際は、「空輸」もしくは3週間かけてマラッカ海峡を通る「海洋ルート」しかありませんでした。 しかし、ミャンマーの外国人立ち入り禁止区域の解放に伴って陸路を利用することが可能となったのです。 ミャンマーの陸路が整備されればインド洋に直接アクセスすることができるようになります。インド洋の先には、インド、中東、ヨーロッパという巨大市場が存在するため、ミャンマーの交通インフラ整備は日本企業にとっても非常に重要な意味をもっています。 ◆ミャンマーで進む日本の巨大プロジェクト 日本企業がインフラ整備の一環として進めているのが、ティラワ経済特区における工業団地です。 現在400ヘクタール(東京ドーム80個分)の広大な土地に日本の商社と現地企業が連携して開発が進められており、日本政府もインフラ整備の為にODAで200億円資金援助をおこなっています。 最終的には山手線の内側の約4割の面積にあたる巨大な経済特区を築く計画もあるそうです。 ◆脱中国、中国包囲網の要となるミャンマー 経済制裁が実施されていた際、唯一ミャンマーに手を差し伸べたのが中国でした。 しかし次第に中国がミャンマーへの影響力を拡大し、支配的な政策を取り始めたことに対し、ミャンマー国内からも批判が高まり、いま脱中国が進められようとしています。 日本でも脱中国が叫ばれているが、ミャンマーと日本の連携強化は経済、安全保障の両面から考えて非常に重要であると考えられます。 したがってミャンマーにおいて真の民主化を実現するためにも、日本が官民一体となって支援し、共栄できる関係を築く必要があるのです。 ロボットは人間の可能性を広げる! 2014.07.06 文/HS政経塾 4期生 数森圭吾 ◆ロボットの「定義」と「3D」 国が定める「ロボットの定義」というものが存在するのをご存じでしょうか。経済産業省の定義によると、(1)センサー、(2)知能・制御系、(3)駆動系という3つの要素を持つ機械システムのこととされています。 また「ロボットの3D」という言葉もあります。これはロボットの活躍が期待される分野のことで、3Dとは(1)Dangerous(危険)、(2)Dirty(汚い)、(3)Dull(退屈)という3つの単語の頭文字をとったものです。つまり人間にとって負担の大きい仕事をロボットに担ってもらおうということです。 今後、このロボット市場が急激に拡大していくと予想されています。 ◆ロボット市場の今後と中国の台頭 経済産業省の発表では、日本のロボット産業の市場規模は現在は約1.5兆円だが、2035年には9.7兆円にまで拡大するとしています。 ロボットといえば、自動車の組み立てなどに使用される産業用ロボット市場が世界最大の市場であり、ここにおいて日本は世界トップレベルのシェアを誇っています。 しかし同市場では近年、競争激化が進行しています。2008年から昨年までで日本企業の産業ロボット扱い量は約25%縮小(台数ベース)で、これに対し中国市場は同期間で約4 倍も拡大し、日本に迫る勢いをみせています。 産業用ロボットの中国市場は、年平均 約40%増で成長し、直近10年間では32倍にも拡大しています。技術大国日本はこの厳しい市場競争をリードする存在とならなければなりません。 ロボット産業の市場拡大が進む背景には、将来の労働力不足への懸念があります。少子高齢化が国際的に問題となっているため、各国は人間に代わる労働力を確保するための取り組みを開始しているのです。市場拡大に伴い、ロボット技術も急速な発展を遂げています。 ◆人とともに働く最先端ロボット 近年、ロボット市場は産業用以外にも新たな可能性を見出し始めています。 埼玉医科大学国際医療センターではパナソニック製の「HOSPi」という人型ロボットが活躍しています。このロボットは腹部が開閉式になっており、その中に検査用血液などを入れると、自動的に指定した部屋まで運んでいってくれるのです。 HOSPiは搭載カメラのセンサーで人をよけ、さらには人のいない場所ではスピードを上げて進むなどの機能を備えており、現場で大活躍しています。 またその風貌から、患者さんに「癒し」も提供しているそうです。ロボットを導入した埼玉医科大学国際医療センターの狙いは、単純作業のマンパワーを削減し、その分のサービス向上を目指すというものです。 また、ある歯科病院の実習室では人間とそっくりな「歯科患者ロボット」を導入しています。このロボットは外見だけでなく、治療中の反応、舌の動きも人間そっくりにつくられており、医師免許取得前の実習に使用されています。 歯科医は医師免許取得後に初めて人間への治療を行うため、新人医師による医療事故が多いのですが、この「歯科患者ロボット」によって実際の治療に非常に近い状況で実習を行うことが可能になっています。 さらに最近では、自閉症児教育むけの人型ロボットが登場したという報道もあったように(7/2産経新聞)、ロボットの可能性は様々な広がりを見せようとしています。 ◆人間の仕事がなくなる!? 先で述べた通りロボット市場の拡大は将来の労働力不足への対策が一因となっているが、一方で、「ロボットの進化と普及が人間の仕事が奪う」という意見もある。マイクロソフトのビル・ゲイツ氏の「ロボットによって人は職を奪われる」という趣旨の発言も最近話題となりました。 しかし、人間がより便利な社会を望む限り、ロボットは進化を遂げ、社会に普及し続けるでしょう。「人間の仕事がなくなるから、ロボットの開発は禁止にしましょう」というようなことにはならないでしょう。 ここで重要なのは、「人の仕事が奪われる」ことを心配するのではなく、「ロボットの普及によって得られる労働力と時間をいかに活用するか」ということではないでしょうか。新産業の研究・育成や各分野のサービス向上など、まだまだ人が必要な分野は数多くあります。 ロボットの進化と市場の拡大は、ある意味において人間の新たな可能性を引き出すことに繋がるのではないでしょうか。政府も国家政策としてより積極的にロボット産業振興に取り組む必要があるでしょう。 すべてを表示する « Previous 1 2 3 Next »