Home/ 新着一覧 新着一覧 検討すべき社会保障改革とは 2011.12.14 政府の一般会計予算の歳出に占める社会保障関係費は2010年で27.3兆円に上りました。歳出総額が92.3兆円ですので、実に約3割を占める計算になります。 少子高齢化の影響もあり、今後は社会保障関係費が毎年1.3兆円規模で拡大するとの見込みがあり、財源としては消費税を充てるという議論が定着しつつあります。 「税と社会保障の一体改革」の議論では、2010年代半ばまでに消費税を15%に、2020年をめどに20%へ引き上げる提案も出されております。 また、野田首相は、来年の通常国会で消費税増税法案を可決する意気込みを「不退転の決意」で取り組む旨を発表しました。 復興増税の財源確保法案の可決に次いで、社会保障を充実させるための消費税増税が現実化しようとしているわけです。 社会保障と言えば、まるで「聖域」かのように扱われています。確かに、人命にかかわる医療や介護を無視できるものではありません。 現在の日本では公的医療制度が充実しており、私達は少ない負担で医療や介護を受けることができます。 そのため、日本の社会保障制度は「安心・安全」だという評判もありますので、評価できる面も多数あることも事実です。 ただし、日本の社会保障制度が今後も維持可能かどうかは別問題です。 前述の社会保障関係費ですが、国民の皆様が支払った保険料収入は約7兆円弱です。言い換えれば、20兆円以上の公費=税金が投入されていることを意味します。内訳は、基礎年金の5割、医療保険の約4割、介護保険の約6割となります。 本来ならば7兆円で運営するべきものを、3倍の税金で補填していたわけです。その結果、私たちの医療や介護の自己負担は、確かに低く抑えられていました。 ただ、当制度を維持するために「税金の大判振る舞い」が行われていたということを知らなければいけません。 社会保障が専門の学習院大学の鈴木亘教授によれば、経済学的に、これほどの公金が投入される理由は薄いと指摘します。よって、増税の前に社会保障にこれだけの税金が必要かどうかの見直しは不可欠です。 社会保障支出の見直しを、専門的には「選択と集中」と呼んでいます。 中心的な議論は「保険料負担の引き上げ」と「支出の抑制」が論点となります。「負担の引き上げ」とは、保険料負担の引き上げを意味します。「支出の抑制」とは、支給額の引き下げです。 いずれにしても、政治的には困難を極める問題であり、国民に不人気な政策です。 例えば、小泉政権時代に決定された後期高齢者医療制度(実施は福田政権から)においても、高齢者の方からの猛烈な反発があることを見れば、いかに社会保障分野にメスを入れるかが政治的に難しいかを物語っています。 では、消費税増税ならばよいのでしょうか? 実は、消費税を増税しても、本当に福祉のために使われる保証はありません(実際、増税派の財政学者である井堀利宏教授のグループは、福祉目的としての消費税増税に懐疑的。かえって関連業界の非効率性を高めると指摘している)。 むしろ、医療や介護のために支払った保険料は制度上、確実に使用されるわけですので、保険料引き上げの方が増税よりも正当性はあると言えます。 社会保障制度は、主に低所得者を救済するセーフティーネットして機能しています。中所得者や高所得者は、民間保険や自由診療を選択する余裕もあります。 各階層を一律に扱うからこそ、自己負担率が低く、保険料が安くなり、医療や介護の過剰需要をもたらします。その結果、社会保障分野に待機問題を引き起こすわけです。 同時に、公的部門では民間部門に比べてサービスや効率性が低下するという法則があります。いわゆる「X非効率」と呼ばれる問題です。 サービスの提供という観点からは、公的部門の比重が大きくなることは好ましくありません。ただ、社会保障分野に市場原理を全て適用し、「アメリカ型」にせよと言いません。 現在の社会保障制度のままでは参入規制や価格規制が強いため、非効率なサービスの温床を避ける方が望ましいというだけです。 その観点から言えば、TPPへの参加は、国家社会主義的な社会保障分野に競争をもたらすという意味でメリットがあります。 今こそ、社会保障の選択と集中で、支出抑制とサービス向上を目指すべきではないでしょうか。 最後に、社会保障関連で決定的に欠けている論点について述べます。それは、「パイを増やす」という発想です。 社会保障は、基本的に所得再分配政策であるので、国家による統制色が強くなる傾向があります。 しかしながら、適切なマクロ経済政策を実施すれば成長率が高まり、税収も増えます。同時に保険料収入も増えます。 単純に「パイを分け合う」のではなく、「新しいパイを焼く」ことで、少子高齢化による社会保障の財源を確保することもできるわけです。 「税と社会保障」を議論する際は、もっと「経済成長」を考慮するべきです。 幸福実現党が掲げる、最大の社会保障は「豊かな社会」です。自由主義と自助努力に基づいた「生涯現役」社会を推進することで、いたずらに国家に頼らない個人や社会を目指しています。 安易な税金投入や増税ではなく、国家全体が豊かになる方向で社会保障改革を検討するべきだと考えます。(文責・中野雄太) COP17:日本の事実上の離脱―民主党政権は「25%削減目標」撤回も決断せよ! 2011.12.13 南アフリカのダーバンで開催されていた気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)は、会期が2日目間延長されるなど、大紛糾の末、閉幕しました。 この会議は地球温暖化の原因とされてきたCO2を国際的に削減していく事を目的としたもので、1997年の京都議定書以来、国際政治においては主要なテーマとなっていました。 今回は京都議定書で最終年と定めている2012年以降のあり方を決める分岐点となる会議となりました。 幸福実現党はマニフェストにおいても、「CO2温暖化原因説は仮説にすぎないため、温室効果ガスの25%削減は行いません」ということを打ち出して来ました。 しかしながら、2009年の民主党政権発足直後、日本の温室効果ガスの削減目標を「1990年比25%減」と明言し、日本の産業界に大きな危機感をもたらしました。 普天間基地の「県内移設」発言と同じく、格好いいことをぶち上げ、これまで関係者が苦労して積み上げてきたものを全てぶち壊す一方、その実現可能性や実現手法、デメリット等については全く何も考えていないという、非常に愚かで無思慮な言動でした。 温室効果ガスの削減目標は、国民生活や日本経済に極めて深刻な影響を及ぼす大問題です。 「1990年比25%削減」という目標は、2007年の排出量は90年より9%増加しているため、07年比に直せば「31%削減」が必要となり、CO2排出量約3分の1削減の負担が産業界と各家庭に重くのしかかります。 ところが、同年11月「クライメートゲート事件」と呼ばれるメール流出事件があり、そもそも「CO2による地球温暖化説」の前提となっていたデータに改ざん(捏造)が加えられていた可能性が高まっています。 「地球温暖化仮説」における「不都合な真実」を隠していたわけです。実際、今の温暖化は、産業化がずっと緩やかだった1850年頃に始まっており、CO2が大量に増えているはずの1940年から1975年までは温度は下がり続けています。 日本のマスコミはほとんど報道しないのですが、欧米のマスコミを中心として、国際社会では大変な騒ぎが起こっていました。 今回の会議で日本は、2013年以降のCO2削減について「自主目標」を掲げる事を訴え、2012年に切れる京都議定書の延長を行わない事を推進しました。言うまでもなく、鳩山氏の国際公約も白紙に戻すという事です。 しかしながら、その理由としては、今後、原子力発電の割合を低下させるために、どうしてもCO2削減の公約をするわけにはいかない、という事が本音であると思われます。 原発を増やせない分を火力で補った場合、30年の温室効果ガス排出量はエネルギー基本計画での想定に比べて1億6600万トン増えます。25%削減の基準年である1990年と比べると、約13%も上積みされる計算となります。 それでも25%削減を目指すなら、火力ではなく再生可能エネルギーの拡大が不可欠となりますが、太陽光発電などはコストが高く、経済界の負担はあまりにも大きくなります。 そのため、産業界からは「このままでは日本での操業はカントリーリスクになる」(鉄鋼業界幹部)、「3~5年で日本から出ることになるだろう」(別の製造業幹部)などと猛反発する声が続出していました。(6/6産経) COP17では結果として、日本は延長された13年以降の京都議定書体制には参加せず、独自の削減努力を続けることになり、13年からルールに拘束されない空白期間に入ることになります。 結果的に、国益の立場から良い形となりました。産業界も「延長受け入れは生産の大幅な制限を強いられるに等しい。何とか踏みとどまった」と歓迎の声を上げています。(12/10産経) 国際政治のテーマであったCO2削減問題は、幸福実現党が指摘して来たように「科学的な根拠が薄い」ことと「世界的不況」のために、ここに至り、国際政治の表舞台から一旦は退く事になりました。 日本は省エネ技術で既に世界のトップランナーであり、この機会に民主党政権は「25%削減」の公約を撤回すべきです。 そして、この期間に、安全・安心な原子力発電技術を高め、エネルギーの安定供給に務めていくべきです。(文責・政務調査会チーフ 小鮒将人) 復興庁創設は「国家社会主義」への道 2011.12.12 「復興庁設置法」が12月9日の参院本会議で可決、成立しました。野田政権は、これで第三次補正予算、復興特区と共に、政府の被災地支援に向けた体制が整ったとしています。しかし、復興庁の設置は来年2月頃になりそうです。 関東大震災後は4週間で「復興院」が設置されて復興計画を立案。5ヶ月後には廃止され、実施は各省庁に権限が移りました。 「復興庁」の設置は震災後約1年を要しており、民主党政権の対応はあまりにも遅く、今、「復興庁」という新省庁をつくって権限を与えることについては疑問があります。 「国民から増税し、役所を増やし、政府に強大な権限を持たせる」――この方向性は完全に「大きな政府」への道です。 政府は「焼け太り」を目指して、震災を奇禍として、「強大な権限を政府に委任せよ」と言いいたいのでしょうか? 民主党政権が発足してすぐに、郵政民営化がなし崩しにされたことを忘れてはなりません。政府は、東電に一兆円を超す公的資金による資本注入も検討しており、「東電の実質国有化」も動き出しています。 「復興」については、大規模インフラ整備など、基本的なところは政府が担当する必要がありますが、復興事業の主体はあくまでも民間であるべきです。大幅に規制を撤廃、緩和し、自由性を持たせるべきです。 例えば、被災地で、新たに起業したいという企業には、10年間法人税免除や低税率にする等、役所が全部仕切るのではなく、民間の力を使えば、ベンチャー精神あふれる若者なども集まり、新しい開発も進むはずです。 また、改正PFI(民間資金を活用した社会資本整備)法を積極的に活用し、公共事業を民間企業に解放し、民間企業が推進エンジンとなった復興事業を進めていくべきです。 岩手県、宮城県、福島県3県で、10月に失業手当を受給したのは4万9848人。失業手当受給者が昨年より6割も増えており、雇用情勢は依然、厳しい状況です。これ以上、政府だけが仕切っても、復興は厳しいと思われます。 さて、TPPで国内が論争していた時期に紛れて、「復興増税案」を通してしまった野田首相のしたたかさには「危険性」を感じます。 菅氏は「左翼の顔をした左翼」であり、「日比谷年越し派遣村」のような風景に親和性があることは誰が見ても明らかでした。 しかし、野田首相も「保守の顔」をしながら、「増税」と「大きな政府」を志向しており、「国家社会主義」を目指していることに国民はいち早く気づくべきです。 12月4日の各全国紙・地方紙に「社会保障と税の一体改革」と題する全面広告を掲載し、野田首相は顔写真入りで「消費税増税」に向けたアピールを大々的に行いました。この全面広告だけで、一体、どれだけの税金を無駄に使ったことでしょうか。 そして翌日5日、朝日新聞は社説「社会保障と税の改革 消費増税は避けられない」と題し、戦時中の提灯記事のような全面広告と全く同主旨の社説を掲載。政府と大マスコミとが癒着して強大な権限で「国家社会主義」への道を歩んでいることが分かります。 また、全面広告での野田首相の発言を見ると、「経済成長」の志は全く無く、野田首相の心象風景は、GDPで日本が二十何番目くらいだったとき、木造の家で、寄り添うように家族が集まり、晩御飯を囲むといった姿であることが分かります。 最近では、五木寛之氏のような人気作家が『下山の思想』を発刊するなど、政治家や官僚、マスコミや学者など、「時代の逆流現象を起こしたい」という勢力は今、大きくなって日本を支配しようとしています。この思想と私達は闘わなくてはなりません。 『下山の思想』では「私たちの時代はすでに下山にさしかかっている。そのことをマイナスと受け取る必要はない。強国、大国をめざす必要もなくなっていく。下山する覚悟の中から新しい展望が開けてくる」などと言っています。 なんと、暗い悲観的な考えでしょうか。ここにあるのは「努力の放棄」であり、「発展へのあきらめ」と「貧しさの平等」です。下っていくだけなら、政府は何もする必要はありません。 今の民主党の中枢には、社会主義への道を望む政治家が多く、経営感覚がありません。よって、これ以上、政府にお金と権限を与えても、日本の復興は果たすことは期待できません。能力の無い者達にお金を渡しても、全てが無駄に使われます。 今、政府がなすべきことは、役所の増設でも、増税して民間の力を弱めさせることでもありません。減税し、規制を廃し、民間に自由を与えることです。民間の力を信じ、日本人の持っている高い力を解き放つことこそ、真の「復興への道」です。 今こそ日本人の底力を発揮し、復興、再建を果たして参りましょう!(文責・竜の口法子) 野田首相の訪中延期と今後の日中関係について 2011.12.11 12月12、13両日に予定されていた野田首相の中国訪問が延期され、日中両政府は訪中日程について、25、26の両日とすることで最終調整に入っていると報道されています(12/9時事通信)。 しかし、年末は予算編成等の内政や外交日程が立て込んでおり、年内の実現は厳しく、訪中は来年になるとの見方も出ています。 いずれにしても、日中政府は「国交正常化40周年」に当たる2012年を前に首相訪中を実現し、「戦略的互恵関係」の進展を確認したい考えです。 これまでHRPニュースファイルでも、12月12、13日に訪中すれば、「南京事件」について謝罪を迫られ、日本は更なる支援を要求される懸念を表明して来ました。 12月13日は旧日本軍が南京に入城した日です。中国では、旧日本軍による南京占領74周年に向けた記念行事が5日から13日まで江蘇省南京市の南京大虐殺記念館で行われています。 この記念行事が行われるのは例年通りですが、「74年目」という、節目でもない年に、例年以上の規模の行事を開催。まさに野田首相を謝罪させるにふさわしい演出がなされる予定でした。 旧日本軍の南京占領向けた記念行事は、その時々の日中関係に応じて政治的なメッセージが込められています。 かつてない規模での記念行事の背景には、中国当局の日本謝罪を謝罪させる目的があったのではないかと推測されます。 しかし、中国側が6日、北京の日本大使館に「内政上の都合」で延期を要請してきました。今回の野田訪中の延期要請は、中国側からの要請であったことは間違いあいません。 ところが中国側は「訪問延期は、日本の首相官邸から申し出があった。国会の日程と関連しているようだ」と発表しています。(12/9レコードチャイナ) 延期要請の理由について日本政府内では「13日が旧日本軍の南京占領から74年にあたるので、インターネット上などで高まっている反日感情に中国側が配慮したため」との見方が出ています。(12/6毎日) また、そうではなく、中国共産党と政府の最高指導部が出席して経済運営方針を話し合う年に1度の「中央経済工作会議」が同時期に開催される方向となっていることが影響したとの見方もあります。 評論家の石平氏は「今回の野田首相の訪中延期は日中関係上の問題のからではなく、むしろ中国の『内政上の事情』によるものであるとはほぼ確実である」と断定しています。(12/7「石平のチャイナウォッチ」) その理由として、中国の経済の減速がかなり危険な方向へと進んでいる中で、現在の「金融引き締め政策」を堅持していくべきかどうかについての大論争があり、それが党内闘争の様相まで呈していると指摘しています。 つまり、中国の指導部にとって、今は外国の首脳を迎えて外交問題を語るところでなくなっているということです。 いずれにしても、元々、中国側の強い要請によって進められて来た日本首脳の訪中が、中国側の「内政問題」という一方的都合で延期されたこと自体、中国が日本をいかに軽視しているかが分かります。米国相手でしたら、こうした失礼な対応はなかったでしょう。 いずれにしても、これまでの中国外交を見て来ると「戦略的互恵関係」を強調する中国に対して、日本は中国侵略の謝罪の代償として一方的に奉仕させられる可能性が高いことは間違いありません。 中国の「嘘も百回唱えれば本当になる」歴史の歪曲に対して、正しい歴史事実に基づいて反論できる政治家が今必要とされています。 自民党時代より、中国の言うがままに謝罪を繰りかえし、ODAなどの支援を要求され、その都度、日本国民の「血税」が中国に吸い上げられ、結果的に、日本国民は中国の経済発展や軍事強化に奉仕させられて来ました。 こうした中国の外交戦略をしっかり見抜いた上で、日本の国益を守りながら、アジア全体の平和を見据えた日本の外交戦略を持たねばならない時期に来ています。 こうした「危機意識」無き、外交オンチな民主党政権に、いつまでも日本の舵取りを任すことはできません。(文責・佐々木勝浩) 生活保護受給者が戦後過去最多を更新~国家再建の原点に立て~ 2011.12.10 厚生労働省は12月6日、全国で生活保護を受給している人が、本年8月時点(速報値)で205万9871人、世帯数では149万3230世帯となり、いずれも過去最多を更新したことを発表しました。 206万人という数値は終戦直後の1951年の月平均204万人を超えており、終戦直後の状況にまで陥っているとも言え、政府は日本経済再建に向け、国家の総力を結集すべきであります。 生活保護受給者の増加に伴い、近年、予算も膨張しており、生活保護の給付額は11年度で3兆4235億円(当初予算)で、08年度の2兆7006億円からわずか3年間で7000億円以上も増えています。 生活保護受給者は景気と直結しており、1995年度に過去最少の88万2229人となってから増加に転じ、16年間で受給者が2.3倍以上増えています。 これは「長期不況」が、生活保護増大の要因であることが指摘されています。(12/6日経) 現在の増加ペースが続けば、更に生活保護受給者が増加し、予算が膨張していくことは避けられません。 今後、東日本大震災で被災され、失業された方々の失業保険や雇用調整助成金が切れれば、生活保護世帯が急激に増えていくことは避けられません。 政府は来秋までに生活困窮者対策を総合的に進める「生活支援戦略」を策定する方針ということですが、あまりにも対応が悠長すぎます。 増加傾向にある生活保護への対策として、最優先されるべきは、消費増税の議論や社会保障の拡充論議ではなく、雇用を拡大するための景気対策・経済対策に他なりません。 これまで2~3%台を推移していた日本の失業率が、1997年の消費税増税後、4~5%台に跳ね上がったことを考えれば、消費税増税が更に失業者、生活保護受給者を急増させる結果をもたらすことは明らかです。 併せて注目すべき数値としては、働ける年代なのに失業などで受給する人を含む「その他の世帯」の急増で、25万1176世帯となり、2008年のリーマン・ショック前の2倍に増えています。(11/24東京新聞) この理由について、学習院大学経済学部教授(社会保障論、福祉経済学)の鈴木亘氏は、労働政策研究・研修機構の周燕飛氏との共著論文「生活保護率の上昇要因-長期時系列データに基づく考察-」において、下記のように指摘しています。(⇒http://p.tl/aqUC) 「リーマン・ショックによる派遣労働者の失業を救うために、2008 年末に『年越し派遣村』が設営され、連日テレビ等で放映される政治パフォーマンスが展開された。 その中に設置された生活保護申請窓口において、政治的なプレッシャーの下で、失業者やホームレスの人々に対して、実質的に緩和された基準で、素早い生活保護受給が認められたのである。 そして、そのことが前例となったこともあり、2009年3月以降に次々と出された厚生労働省の各通達によって、以前は生活保護申請が難しかった稼働能力層が多く含まれる『その他世帯』の生活保護受給の基準が、大幅に緩和されることとなったのである。」 すなわち、民主党政権誕生の原動力となった「年越し派遣村」などの「格差批判」キャンペーンや「政治的圧力」によって、特に働ける年代への生活保護受給の基準が大幅に緩和されたことが原因であると指摘しています。 その意味で、政府は景気を回復させ、雇用を増やすと共に、働ける世代が自立できるよう、早急な自立支援政策や支給緩和措置の再検討が必要です。 民主党の前原政調会長は10日、「生活保護費にも切り込むべきだ」との考えを示しましたが、セーフティネットを踏まえつつ、国民が自立していく方向に向かうことは不可欠です。 言うまでも無いことですが、「収入があると年金が貰えなくなる」「生活保護が貰えなくなるから仕事をしたくない」「仕事をするより生活保護を貰った方が得」等、生活保護の受給が実人生を矮小化するような考え方は本末転倒です。 また、生活保護に関して、収入や資産を偽って申請する等の「不正受給」や、高齢者・貧困者等の社会的弱者を利用して生活保護をピンハネするような「貧困ビジネス」など、税金を食い物にして、国家に寄生するような卑劣な行為に対する厳格な行政施策が必要です。 戦後の混乱期と同水準の生活保護受給者数となったことで、政府は「国家再建」の原点に立って、経済成長戦略を力強く打ち出し、国民が自立して生活できる豊かな社会を築いていくことが急務です。(文責・小川俊介) TPP:日本は「自由貿易」を推し進め、「世界経済の牽引役」を果たせ! 2011.12.09 幸福実現党の機関紙「幸福実現News」第27号(党員限定版、PDF⇒http://p.tl/UTAp)が発行されました。 1面の特集では「TPP参加で大国の責任を果たせ」と題し、「企業同士の競争では『ゼロサム・ゲーム』のような弱肉強食的競争が起こりますが、国家間の自由貿易は『勝つか、負けるか』ではなく、国際分業によるwin-winの関係をもたらします」と述べられています。 では、なぜ、国家間の自由貿易は、企業の競争と違って、互いの国に利益をもたらす「プラスサム・ゲーム」になるのでしょうか? これは、経済学の最初期から論じられてきた重大なテーマです。 「経済学の祖」であるアダム・スミスは「重商主義」を徹底的に批判し、自由貿易によって経済が活性化し、国富が増大することを明らかにしました。 「重商主義(貿易差額主義)」とは、輸出増大を図る一方、「関税」によって輸入を制限することにより、国内産業を保護育成しようとする保護貿易政策です(「輸出-輸入」の差額を最大化させる政策)。 これは輸出を「善(利得)」、輸入を「悪(損失)」と見る考え方で、TPP批判論者の多くがこの間違いに陥っています。 アダム・スミスは、輸出が「得」で、輸入が「損失」と考えるのは「重商主義が『富は貨幣あるいは金銀に存する』という通俗的な見解に立っている」からだと批判しています。(鈴木真実哉教授著「『重商主義』再考」(聖学院大学論叢第18巻第2号2006.3)⇒http://p.tl/xgsh) このアダム・スミスの重商主義批判を理論化したのが、リカードの「比較優位論」です。 これは簡単に言えば、自由貿易が進めば「国際分業」が進み、互いの国が最も得意とする分野(生産性の高い分野)に、資源(労働力、資金等)を集中することで、各国の生産性が高まり、国富が増大し、世界全体の生産性も高まるという理論です。 「比較優位の原則」とは、例えば、会社の社長がその秘書よりもタイピングが上手かったとしても、社長はタイピングを秘書に任せて経営に専念し、秘書は経営ではなくタイピングに専念した方がトータルの生産性が高まることは数学的にも明らかです。 幸福実現党が、TPPによって安い輸入品を入れると共に「日本経済は、もう一段の高付加価値産業へのシフトを成し遂げるべき」と提言しているのは「比較優位論」にも則っています。 では、こうした「自由貿易が経済を活性化させる」という経済学の理論は、現実の経済にあてはまるのでしょうか? 大戦後、発展途上国や社会主義国の多くは、先進国経済に席巻される恐れから「貿易の自由化」を拒み、高関税、非関税障壁などの保護貿易政策を取ってきました。 しかし、保護貿易政策を行った国家で急速な発展を遂げた国は一つも生まれませんでした。 その中で、韓国、台湾、香港、シンガポールといった「アジアの四小龍」が貿易自由化を推し進め、急速な経済成長を遂げました。 有名な事例として、米国から台湾に戻ってきた著名な経済学者が、貿易自由化や資本を誘致することが台湾の経済に大きく貢献するはずだと政策転換を迫り、それが台湾の成功に繋がったと言われています。(伊藤元重著『ゼミナール・現代経済入門』日経新聞社刊) こうした国々の経済成長を見て、中国、タイ、マレーシア、インドネシアなども保護貿易から「開放路線」に政策転換し、急速な成長軌道に入りました。 「自由貿易が、国の経済に活力をもたらす」というアダム・スミスの理論は、歴史的にも実証されています。 TPPは「アジア太平洋自由貿易圏 (FTAAP)」 の構築に向けた一過程であり、TPPを道筋として、将来的にはWTOが目指している世界的な自由貿易圏の構築を目指すべきです。 日本はTPPを通じ、より一層の貿易の自由化を推し進め、もう一段の経済成長を成し遂げると共に、「世界経済の牽引役」を目指すべきです。(文責・黒川白雲) 日本・モンゴルの連携を強化して中国包囲網を! 2011.12.08 モンゴルが「経済侵略」を強める中国に対して、「独立」の姿勢を見せ始めています。 モンゴルは、あのチンギス・ハーンの末裔の国。 元帝国以降、清の支配下にありましたが、清が崩壊して後、南部の内蒙古(南モンゴル)は中国に組み込まれて「内モンゴル自治区」となり、外蒙古はロシアを後ろ盾にして独立して現在の「モンゴル国」となっています。今回は、そのモンゴル国の話です。 モンゴルは1990年に社会主義国から脱却し、複数政党制を導入して民主化しています。 JBPressに掲載された姫田小夏氏(ジャーナリスト/チャイナ・ビズ・フォーラム代表)執筆による「モンゴルでますます高まる嫌中ムード~『やりたい放題』に資源を獲得し、土地の不法占拠も」(http://p.tl/mNwc)によれば、モンゴルの経済は、2000年以降大幅に拡大し、一人当たりGDPは2004年からの3年間で約2倍に急増しました。 経済成長を支えているのは金、銅、石炭、レアアースなどの豊富な地下資源です。その主要な輸出相手国は中国で、全輸出の実に8割以上を占め(ちなみに日本は2010年で第11位)、2009年の銅と石炭の輸出は実に100%が中国に振り向けられたと言われています。 また、モンゴルへの投資累計額(2010年末)でも、中国が断トツの1位で、後続のカナダ、オランダ、韓国を大きく引き離しています。 さらに、モンゴルでの主要国資本の企業数は、2010年が中国が実に5,303社、それに韓国の1,973社、ロシアの769社、日本の451社が続いているという現状です。 これだけ見ても、モンゴルがどれほど中国の経済力に依存していることがわかります。 しかし、こうした現状をモンゴル国民は決して歓迎しているわけではなく、「モンゴルでは空前の反中ムードが高まっている」と同記事は報告しています。 産業法規を無視するような「やりたい放題」の中国資本、後を絶たない不法入国、衛生観念の欠落、地元女性をほしいままにする素行の悪さ、続々となだれ込んでくる中国人に職を奪われるのではないかという不安。こうした脅威にさらされ、最近のモンゴル人の感情は「穏やかではない」ということです。 そうした国民世論を反映するように、モンゴル政府は今年4月、モンゴルを横断してロシア極東の港湾まで結ぶ、大規模な鉄道網整備計画を打ち出しました。 輸出の75%以上を占める中国市場への依存度低下と経済開発の推進を図る計画の一環で、完成すれば鉄道を介して日本や韓国向けにレアアース(希土類)など、多くの資源が供給され、中国の世界的なレアアース支配に風穴を開けるとみられています。(4/25サンケイビジネスアイ)。 モンゴルのエルベクドルジ大統領も、この鉄道整備について「私達は資源を多くの国に供給することを希望している。それに、一国だけに依存する状態も望んでいない」と発言しています。(10/27News.mn) 明らかに、モンゴルは「中国一国による経済支配」から脱して、欧米や日本を含めた自由主義国との連携を望んでいるのです。 モンゴルは人口約270万人、2010年のGDPが約4000億円で、日本の鳥取県の4分の一程度の経済規模の国家です。 日本が積極的に投資や技術供与、資源の共同開発などを進めれば、その経済的なインパクトは絶大なものとなるはずです。 幸福実現党はマニフェストに、インドやロシア、韓国、オーストラリア、モンゴルなどとの連携強化を掲げ、覇権主義を強める「対中国包囲網」の戦略的構築を目指しています。 中国への経済依存(支配)から「脱中国」を目指し、「独立自尊」を求めるモンゴルの気概を受け止め、日本は今こそ、モンゴルとの経済・政治の戦略的な提携関係を深めていくべきです。 それが日本の安全保障だけでなく、迫りくる中国の覇権主義からモンゴルの国民をも守る道となるはずです。(文責・矢内筆勝) TPPと医療制度改革 2011.12.07 TPPは貿易だけを対象とせず、政府調達やサービスまで含めた包括的な交渉です。今回は何かと議論が百出している医療問題について触れていきます。 TPP反対派は、「交渉参加することによって外資系製薬会社や保険会社が参入し、医療改革を要求してくる。そのため、日本の公的医療制度が崩壊する可能性がある」と主張します。 では、実際にTPP参加によって日本の医療制度は崩壊するのでしょうか? まず、公的医療制度自体は、外国人にも開かれています。内国民待遇という制度があり、日本人や日本企業と同じように扱う規定がありますが、条件を満たした外国人なら日本人と同じように医療サービスを受けることができます。 よって、日本の公的医療制度が内国民待遇違反としてISD条項訴訟になることはありません。 次に、TPPには具体的な医療を含めた社会保障サービスに関する規定は存在しません。アメリカ政府が、日本の医療自由化を求めているというのは事実であるにせよ、それはTPPとは別に進んでいる問題です。 三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済・社会政策部主任研究員の片岡剛士氏は、公的医療制度が崩壊する可能性を否定します(⇒「TPPを考える」)。 最大の理由は、一国の社会保障制度は、WTO(世界貿易機構)やTPP参加国が過去締結したFTA(自由貿易協定)においても、社会保障にまで踏み込んだ事例がないからです。 福祉国家が多いEUでも、社会保障制度を共通化する試みはなく、各国の専管事項として扱われているのが現実です。 さらに、TPP反対派は、交渉参加によって、混合診療(保険診療と自由診療をあわせたもの)が解禁になり、公的医療制度の安全性低下などが起こる可能性も指摘しています。 ただ、TPPで対象となるのは医療・保険のサービス分野であって制度自体ではありません。 今後、医療制度が対象となる場合には、TPP参加国内での同意のもと、医療章が新たに書き加えられなければなりません。 また、参加国内で医療制度自体の規制に対しても完全自由化を求める意見があっても、参加国内での同意が必要なこと。交渉には数年から十年程度の歳月がかかるので、簡単に一国の制度を変えるのは至難の業です。 よって、TPP参加によって公的医療制度が崩壊すると考えるにはかなり無理があります。 言い換えれば、医療制度自体は国内問題として扱うべきだということです。 先ほど出てきた混合診療の解禁は、日本医師会が強固に反対をしています。最大の理由は、解禁を認めると、これまで保険適用できる分野にまで保険がきかなくなるとのこと。 むしろ、保険がきかない自由診療分野にも保険が適用できるようにすることで安心・安全な医療サービスを提供することが大事だということです。 確かに、保険適用ができる分野を広げること自体は悪いことではありませんし、人間の命に係わる医療なので安心・安全面を強調することは誠に素晴らしい考え方です。ただ、この主張をそのまま無批判に受け入れると、財源の問題に直面せざるを得ません。 革新系の政党が言うように、防衛費や公共事業をカットして医療を充実させるという主張は、意外にも支持を得ていますが、防衛や公共事業によって雇用が生まれることで税収や保険料が増収となってくることには目がいかないようです。 混合診療解禁を全面解禁するのか、それとも部分解禁しながら様子をみて調整していくのかは政治的な問題であるので深入りはしませんが、方向性は解禁を認めていくべきです。 現在、政府一般会計予算歳出の社会保障関係費は3割を占めます。社会保障は聖域として扱われてきましたが、実は当分野における無駄が相当あることが判明しています。学習院大学の鈴木亘教授は、社会保障は社会保険方式で運用することを主張しています。 つまり、保険料収入によって運営するのが原則であって、公費=税金をいたずらに投入する現制度には無駄が相当多いということを批判しているわけです。 同教授は、混合診療解禁に関しても、「政府で行われてきた安全性や平等性といった次元の神学論争の問題ではなく、実際問題として、公費投入額を定額として増やさないためには、自己負担もしくは『消費』部分の領域を拡大せざるを得ない」とし、解禁に賛成の立場をとっています。 さすれば、民間保険会社のビジネス成長にも寄与し、医療分野の効率化が促進されるというわけです(専門的には、「社会保障分野の選択と集中」と呼んでいる)。 ※参考文献 鈴木亘著『財政危機と社会保障』講談社現代新書、『社会保障の「不都合な真実」』日本経済新聞出版社 何でも国家が面倒をみるという制度は、一見優しい制度に見えますが、裏には相当の無駄使いがあるということを知らなければなりません。 もし、自由診療分野にも保険適用できるような制度設計をするならば、相応の税収をもたらす経済成長は不可欠です。 経済成長なくして、単に所得再分配としての増税だけで賄うならば、当制度はいずれ破綻せざるを得ません。 その意味で、公的医療制度は、TPPがなくとも崩壊する可能性があるのです。なんでもTPPのせいにするのは間違っています。(文責・中野雄太) 野田首相は普天間基地移設の環境影響評価書年内提出を「決断」せよ! 2011.12.06 一川防衛相の辞任を求める声が拡大する中、5日、野田首相は防衛大臣の更迭を拒否しました。 5日の衆院予算委員会では、野党に加え、与党の国民新党からも防衛相の罷免要求が飛び出したにもかかわらず、野田首相は「批判を受け止めながらも、襟を正して職責を果たしてほしい」と防戦一方でした。 一川防衛相は1995年に沖縄で起きた女児暴行事件について「正確な中身を詳細には知らない」と答弁するなど、防衛相としての資質を疑わせる言動を繰り返しています。 野田首相は「適材適所」内閣を誇示していましたが、そもそも一川防衛相は、野田政権で初入閣したとき「安全保障に関しては素人だ」と自認するなど、国家の安全保障の責任を担う人材としては最初から不適切な人選でした。 党内融和を優先する余り、「参院枠」で一川氏を防衛大臣に任命してしまった野田首相の任命責任は大きいと言えます。 12月は安全保障関連での重要な政策決定が迫られています。 まずは、沖縄県の辺野古周辺を埋めるための環境影響評価の評価書の提出です。これは米軍普天間飛行場の辺野古移設に欠かせない手続です。首相はオバマ大統領に「年内提出」を伝えています。 そして、航空自衛隊が導入する次期戦闘機(FX)の選定。年内に機種を決め、来年度予算に必要経費を盛り込みます。 さらに、南スーダンPKOへの陸上自衛隊施設部隊の派遣の実施計画を20日に閣議決定する予定です。 こうした中、沖縄との関係が冷え込むような不適切発言が噴出し、沖縄では、「辺野古移設反対の声をあげよう」との世論も起こり、民主党内でも「評価書提出を強行することは得策ではない」との声も上がっています。 しかし、評価書の提出と今回の不適切発言、一川防衛相の辞任問題とは切り離し、国家安全保障を大所高所から判断し、断固、年内提出の方針を変えるべきではありません。 重要な防衛関連政策を決定する時期にあわせて、不適切発言が問題になったことは、沖縄のメディアをはじめ、辺野古移設を阻止する左翼運動家の動きが活発になっていることは間違いありません。 『琉球新報』『沖縄タイムス』の二紙だけを読んでいれば、全ての出来事が「本土による沖縄への不当な支配と抑圧」の陰謀のように見えてきます。 沖縄での二紙のシェアは99%近くを占めるなど寡占状態が続き、沖縄では絶対的な存在です。二紙と左翼団体が歩調をあわせれば、大きな世論が形成されていきます。 田中前沖縄防衛局長の更迭の裏には、沖縄県本部副代表の金城タツローが昨日のHRPニュースファイル「沖縄マスコミと田中前防衛局長更迭事件」で指摘しているような実態があります。 本人も慎重さに欠けたとはいえ、まさに足元を掬われてしまった形です。田中前局長は評価書提出に向け、最前線で指揮していた中心人物だけに、評価書提出の遅れが懸念されます。 さて、12月3日の内閣府の「外交に関する世論調査」では、米国に「親しみを感じる」と答えた人は、82.0%で「過去最高」でした。明らかに、東日本大震災で、米軍の「トモダチ作戦」の献身的な支援を受けたことが好印象となって表れています。 日本人の米軍への理解は深まっています。2012年を迎えようとする今、日米同盟を堅持していく方向での「決断」が必要です。 普天間基地の辺野古移設は、国家の問題です。辺野古では既に準備が進められているのですから、国家の最高責任者として、野田首相が評価書の年内提出を決断、実行すべきです。 鳩山元首相が5日、都内で講演し、普天間飛行場の移設先について「辺野古以外のところがないとは思わない。首相官邸で主導して探す努力を続ける必要がある」と発言し、再び問題をぶり返そうとしていますが、そうしたルーピー発言など一蹴すべきです。 それにしても日本の課題、最大の問題は、政権与党である民主党の人材不足であることを痛感します。 国家の安全保障を揺るがすことのないよう、責任を果たして頂きたいと思います。(文責・竜の口法子) 沖縄マスコミと田中前防衛局長更迭事件 2011.12.05 民主党政権は発足当初、「対等な日米関係」を目指すため、核持ち込みをめぐる日米間の「密約」を国民に暴露し、かつ親密な日中関係を築き、「友愛精神」に基づいた「東アジア共同体」構想を掲げ、「日米中の正三角形」等距離外交を展開しようと試みました。 この動きは、米国の「核の傘」から離脱し、かつ中国に対しても核兵器削減を要請することによって、日本主導で「アジア・環太平洋の平和を演出する」という夢想がもたらしたものだったのではないでしょうか。 当然、中国は我が国の要求に応じるはずがありません。12/5の産経は「中国の核弾頭は3000発?学生暴く 推計大きく上回る可能性」という記事を掲載し、中国が従来の推計(400発)を大幅に上回る数の核ミサイルを開発していることを明るみにしています。⇒http://p.tl/oZ5P そして昨年5月、民主党政権は現実に立ち戻らざるを得なくなりました。鳩山元首相は「学ぶにつけ、沖縄に存在する米軍全体の中で海兵隊は抑止力を維持できるという思いに至った。(認識が)甘かったと言われればその通りかもしれない」と自らの誤りを完全に認めました。 その時、米国から我が国につきつけられたのは「あなた方は本当に約束を守る気はあるのか?」ということでありました。 その約束とは2006年の「在日米軍再編合意」であり、その後、民主党政権がまた振り出しに戻した後に、再度合意に戻った2010年5月の「日米共同宣言」にある普天間飛行場の辺野古移設の履行を指します。 法律的には、「日米合意」に基づいて辺野古沿岸部の埋め立てを申請する前提として、年内に環境影響評価書を県知事宛て提出しなければなりません。 さて、県議会の米軍基地関係特別委員会が11月9日に開かれ、翌日の沖縄の新聞は「(県議会は)政府への環境影響評価書提出の断念を求める意見書案を決めた」と報じました。驚くことに、議決されるのは11月14日であるにかかわらず「全会一致で採択される見通し」となっておりました。 とても異様に感じたのは、一面トップを飾った新聞の見出し。大きく「評価書断念県議会要求へ」という文字でした。 11月14日に開かれる臨時県議会に提案される議案の採択がなぜ事前に分かり、しかも全会一致などと報じることができるのでしょうか。大変不思議でなりませんでした。 これが本当に民主主義なのだろうか?私には、今では名護市民の半数以上が「辺野古移設容認」だという肌感覚があります。 それなのに、県議会議員は全員が(民意を代表して)評価書提出に反対するといいます。 私には、この裏には「県議に対するマスコミの脅しがあるのではないか?」という疑念が湧いて仕方ありませんでした。 報道関係者は「報道」を通して「公共の福祉に資する」と言いますが、本当にそれが「公共の福祉」なのでしょうか? 「全会一致とあらかじめ報道したのだから、反対票を投じれば次期選挙で落選するぞ、新聞の読者が監視しているぞ」という脅しなのではないでしょうか。沖縄のマスコミは「民意」よりも上位に立つ「第一権力」と化しています。 そのように思っていた矢先の11月29日、「田中防衛局長更迭」という号外新聞(『琉球新報』)が配布されたのです。東日本大震災が起きた翌日でさえ、号外は発行していないと聞いています。 事の発端は、11月28日夜の田中聡前局長と記者団との懇親会でした。田中前局長は、完全にオフレコという約束で、10社の報道記者と居酒屋で飲んでいました。 酒も進んだ前局長は、記者からの「評価書提出はいつごろでしょうか」という問いに、「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたと報道されています。 しかし、防衛省が公表した内容によりますと、評価書をいつ提出するのか、に関する話題の際、前局長は「私から『やる』前に『やる』とか、いつ頃『やる』とかいうことは言えない」「(略)乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」という趣旨の発言をした記憶があるとしています。 更に、「少なくとも『犯す』というような言葉を使った記憶はない」とのことです。 前局長の発言を擁護する気はありませんが、完全なオフレコの約束であるに関わらず、お互いの会話が聞き取れなくなることもあり得る、にぎやかな居酒屋という場所で、しかも酒に酔ってなされた発言を、号外を配布するほどの大事件として報道しているのです。 その記者はその場では田中局長に抗議をせず、こっそり帰って沖縄紙にとって都合良い形で記事にする。はっきり言って、これは道義にもとる行為であります。 さらに、県議会が全会一致で評価書提出断念を政府に要求したことを「県民の総意」だとして、女性や県民を侮辱した役人が評価書を無理やり提出しようとしていたことを批判し、「民主主義が泣いている」として、自作自演で「民意の代表」たる立場を騙っております。 田中前局長は米軍基地問題に精通し、普天間移設をめぐる環境影響評価(アセスメント)の評価書提出に向け、準備作業を指揮していた中心人物です。同氏の更迭により、辺野古移設が更に遅れる可能性が出て来ました。 今は、沖縄のローカルメディアに振り回されている時ではありません。沖縄の新聞社が「日本やアジアの安全保障」の責任を取れるはずがありません。 米豪両政府は、米海兵隊をオーストラリア北部に駐留させることで合意しました。来年半ばをめどに200~250人の海兵隊員を配置し、将来的には2500人規模まで拡大する予定です。 この件について、クリントン大統領時代に日米同盟の大切さを強調し、アジアの安全保障体制に深く関与したジョセフ・ナイ元国防次官補は、県民が受け入れがたい現行の移設計画ではなく、制約の多い沖縄と比べ訓練や演習が自由にできる豪州に海兵隊が移ることは「賢明なことだ」とエッセーを寄稿しています。 この意見は、「国の安全保障政策は政府の専権事項である」という認識すらない日本政府に対する「あきらめ」とも取れます。 沖縄県という一自治体が、アジアの平和に関することまでを決定する権限を有しないのは当然のことです。 その意味で、辺野古移設の環境影響評価書の提出という政府方針は、国民を守る責務の上で決定されることでなければなりません。 野田首相は「沖縄県民を守るためにこその辺野古移設」という当たり前のことを粛々と推し進めて頂きたいと思います。(文責・沖縄県本部副代表 金城タツロー) すべてを表示する « Previous 1 … 240 241 242 243 244 … 253 Next »