ラファ侵攻は絶対に譲らない?イスラエル・ネタニヤフ政権の暴走が止まらない背景にあるもの
幸福実現党広報本部 城取良太
◆ネタニヤフ首相が戦争犯罪者に?
開戦より半年以上が経過し、ガザでの死者が34,000人を超えてしまったイスラエルとハマスの戦争に対して、ICC(国際刑事裁判所)が動き始めています。
4月下旬、ICCはネタニヤフ首相やハマス指導者など双方の責任者に対して逮捕状の発行を準備、戦争犯罪や人道に対する罪を問う姿勢を見せています。
これに対して、イスラエル、ネタニヤフ首相は猛反発。「イスラエルの行動に影響しない」と断じながらも、「兵士や公人を脅かす危険な前例となる」とICCに警告。実効力はほぼないものの、「反ユダヤ主義」の高まりなど、国際社会における逮捕状が及ぼす影響力は小さくないと危惧し、アメリカ・バイデン大統領にも助け船を求め、発行を阻止する動きを見せています。
この一件について逮捕状発行には反対の姿勢を示すアメリカですが、ガザ地区南部のラファへの本格的侵攻を間近に、イスラエル・ネタニヤフ政権とは意見の食い違いを深めてきました。
ICCの一件をいわばテコにして、アメリカとの事前協議なくラファ侵攻はしないとようやく保証させたという点から見ても、ラファ侵攻を断固止めるつもりのないネタニヤフ政権に振り回され続けるバイデン政権が浮き彫りになってきます。
◆アメリカのユダヤ人リーダーからも見限られつつあるネタニヤフ首相
イスラエルとほぼ同じ600~700万人、世界最大のユダヤ人社会を有し、イスラエル建国から支援を続けてきたアメリカから見て、今のネタニヤフ政権はどう見えているのでしょうか。
3月14日、アメリカ上院議員で民主党の院内総務を務めるチャック・シューマーという方がある演説を行いました。この方は公職にあるユダヤ系アメリカ人の中で最高位にある方と言われていますが、演説の中で、ハマスとの戦争を巡る対応で「道を失った」と断罪。ネタニヤフ首相を猛烈に批判しています。
そして、イスラエルは新たなリーダーを選ぶべきだと述べています。
イスラエル戦争内閣の中心人物の一人であり、ネタニヤフ首相の最大の政敵でもあるベニー・ガンツ氏は4月3日、口裏を合わせるかのように「今年9月には国政選挙をやるべきだ」と発言しています。
この背景にあるのが、戦争を長引かせ、人質を解放させられないネタニヤフ政権に対する国民の根深い不満です。支持基盤である右派層も含め、国民の8割近くがネタニヤフ退陣を支持していると言われています。
このガンツ氏の発言、どうやらアメリカ側の意図もあるように思えます。
なぜならガンツ氏は、3月初旬ネタニヤフ首相の猛反対を押し切って訪米、ハリス副大統領やサリバン大統領補佐官、共和党・民主党の議員とも交流を図っています。
いま選挙を行えば、国民からの人気が最も高いガンツ氏の勝利は間違いないと言われており、ワシントンとしても極右化が止まらないネタニヤフ政権よりも、現実主義的なガンツ氏の方が好ましいと考えているからでしょう。
一方のネタニヤフ首相とすれば、出口戦略を示さずに「現状が長引けば長引くほど、首相にとどまる可能性は高まる」という計算から、今はいったん静けさを取り戻している対イラン勢力との戦い、またハマスとの戦闘で強硬路線を貫いているという裏事情が見えてきます。
◆ネタニヤフ政権が連立を組む「極右政党」の何が危険なのか?
確かに、ここ20~30年間、強大化するイランとの「影の戦争」、またパレスチナのハマスの脅威に対抗するため、与党リクードを中心としたイスラエルの「右傾化」は続いていました。
しかし、組閣に苦しみ、選挙を繰り返してきたここ数年のイスラエルにおいて、1年半ぶりに返り咲いたネタニヤフ政権は今まで以上の強硬路線を採っています。この最大の要因こそ、現政権の連立相手となる「極右政党」の存在です。
120議席あるイスラエルの立法府(クネセト)において、7議席を占める「宗教シオニスト党」、6議席の「ユダヤの力」、1議席の「ノアム」の3つが今回話題となっている「極右政党」です。
では、いったい彼らはどんなことを訴えているのでしょうか。
各党によって若干異なるものの、アメリカでもよく議論にあがる中絶への反対や、世界的にも潮流となっている同性婚やLGBTQなどについては、その宗教的信条から断固反対を掲げており、米国共和党をはじめ、保守系の政党が掲げる極めてマトモな政策が並んでいます。しかし、その中で他国の保守政党の政策には絶対に出てこない特殊な政策が出てきます。それが「入植」という考え方です。
◆いまパレスチナで行われている「入植」の実態とは
ここで言う「入植」とは主に、1967年の第三次中東戦争後にイスラエルが占領したヨルダン川西岸地域のことを指しています。先住民として主にアラブ人が住んでいましたが、ここにユダヤ人が入植を始め、現在では地域の60%はイスラエル軍の支配地域にあります。
国際法違反の裁定があるにもかかわらず、160以上の入植地に70万人以上のユダヤ人が住んでいるとされています。そして、この入植活動が今でも続いているわけです。
ネタニヤフ政権は発足直後から「政府や閣僚の決定が非合理であれば無効にできる」という最高裁の権限を奪おうと司法制度改革に臨み、国民からの大反発を受け、大規模デモが続いていましたが、結局、これもヨルダン川西岸などへの入植活動を邪魔する最高裁の口を封じるためというのが主な目的とされています。
更に、ガザでの戦争が始まってからのヨルダン川西岸はカオス化しているようです。
通常は入植者とパレスチナ人の間に入るイスラエル軍が手薄なこともあり、4月12日以降、強硬な入植者たちによって17ものパレスチナ人の村々が攻撃され、家や車が燃やされたり、居住者が銃撃され、死傷者も出ています。
また、本来治安を維持する役割の軍とパレスチナ人たちとの間でもガザ侵攻以来、緊張が高まっており、今までに多くの非武装の民間人を含む430人以上のパレスチナ人が殺害されているようです。
こうしたイスラエルに嫌気がさしているのが、アメリカを始めとした欧米各国です。4月19日にはバイデン政権は暴力的な入植者に経済支援する資産に対し、新たな制裁を課しています。EUも同様の動きを取りつつあります。
こうした過激な入植活動を煽っているのが、ネタニヤフ政権の新パートナーである「極右政党」であることは間違いありません。
実際に、「ユダヤの力」の党首であるイタマル・ベン-グヴィル氏は、1月下旬の集会で行った演説の中で「10月7日を繰り返したくなければ、この土地(ガザ)を支配する必要がある」と述べ、ユダヤ人入植者たちにガザへの「帰還」を呼びかけました。
◆ユダヤ教における原理主義としての「シオニズム」とは何か?
他の国々から見て、どうしても理解しがたいこの「入植」という考え方ですが、この元にあるのが「シオニズム」「シオン主義」といいます。
聖都エルサレムの南西にある「シオンの丘」が直接的な由来ですが、古代イスラエルでは、エルサレム自体がシオンという名称だったと考えられており、要するに「民族の故郷に帰ろう」という運動です。
西暦66年、「マサダの砦」に立てこもり、ローマ帝国に反乱を企てますが、数年間の激闘の末、集団自決。このパレスチナの地におけるユダヤ人は全滅してしまいます。
その後はスペインや東欧などを中心に、欧州・中東圏に離散(ディアスポラ)したユダヤ民族は、それぞれの地域にある程度馴染みながらも、ユダヤ教や独自の文化を守って暮らします。
時代はグッと下って19世紀末。ユダヤ人にとって大きな契機となる出来事が起こります。
それが「ドレフュス事件」です。フランス陸軍参謀の士官だったユダヤ人アルフレド・ドレフュスがドイツのスパイであるとして逮捕されたという事件です。
結局、その後の捜査でこの事件は事実無根の冤罪ということが分かるのですが、この事件の根底にあったものが長年水面下に渦巻いていた「ユダヤ人への反感」でしょう。これがいわば顕在化し、「反ユダヤ主義」となって欧州全土に広がっていきます。
そして、このドレフュス事件を取材したユダヤ人記者テオドール・ヘルツルこそ、この「反ユダヤ主義」の席巻に危機感を感じ、ユダヤ人国家創設が必要だと提唱。これが「シオニズム」の始まりです。
◆シオニズム運動の盛り上がりと、現代におけるシオニズム
その後、イギリスの支援などを得て、「シオニズム運動」は盛り上がりを見せ、欧州と同じく、ポグロムに象徴される弾圧で苦しめられたロシア系ユダヤ人などを中心に、欧州各地やロシアから大量にユダヤ系移民がパレスチナの地に「帰還」するわけです。
しかし一方、迷惑千万なのはその地域に住んでいた先住民であるアラブ人です。
第一次世界大戦の終戦に乗じて、敗戦国オスマントルコの広範な領土を割譲し、利権を漁りまくった悪名高いイギリスの三枚舌外交(サイクス・ピコ協定、フサイン=マクマホン協定、バルフォア宣言)によって、ユダヤ人国家の創設も国際的に約束されてしまいます。
勝手な約束に当然、現地のアラブ人たちは怒ります。パレスチナの地に徐々に増えてくるユダヤ人に脅威を感じるアラブ人との間で衝突が激化していきます。
当時はイスラムテロというよりは、ユダヤ人によるテロリズムが頻発した時代で、間に入るイギリスは対応に苦慮します。
しかし、1930年代から巻き起こるナチス・ドイツによるユダヤ人迫害によって、ユダヤ擁護の国際世論へと流れは急変。移住希望のユダヤ人の急増と共に、シオニズム運動は一気に急拡大していきます。
そして1948年5月14日にイスラエルが建国、翌日から第1次中東戦争が始まり、ここからイスラエルの長い闘争の歴史が始まるわけです。
このシオニズムという思想が現代に至るなかで、何パターンかに類型化されていきます。要するに穏健なシオニズムもあれば、強硬なシオニズムもあるといった具合です。
このうち、最も右寄りと言われるのが「宗教シオニズム」、いわば古代ユダヤ教の教えと一体化したシオニズムのことです。そして、この「宗教シオニズム」を中核としているのが、政権に入閣している「極右政党」です。
◆過激な入植活動の根底にあるもの
「宗教シオニズム」が主張する過激な入植活動の根底には、旧約聖書の教えに基づいた「宗教的な信条」があります。
要するに、エルサレムはもちろん、ヨルダン川西岸にあるヘブロンなど他の聖地に住むのは当然の権利であり、ひいてはパレスチナ全域を含む「大イスラエル」を手に入れることこそ、シオニストの悲願であると考えます。
なぜなら、神がユダヤ人に約束した土地(エレツ・イスラエル)に入植することでメシア(救世主)の到来が早まると考えるからです。
こうした神との契約を守るために、アラブ系パレスチナ人に対し暴力を使ってでも土地から追い出すということが堂々と正当化されているわけです。
シオニズムという概念自体、古いものではありませんが、3000年以上の時間を超えて、ユダヤ教誕生の時の「神の言葉」を元に、現在おかれたパレスチナの状況を無視して、入植を肯定するという考え方は、極めて原理主義的なものだといえるのではないでしょうか。
このユダヤ人たちのシオニズム運動に関連して、幸福実現党の大川隆法党総裁は『鋼鉄の法』の中で、このように言及されています。
「ユダヤ人たちは、十九世紀の終わりごろからポツポツと祖国の地に帰り始め、戦争(第二次世界大戦)が終わったころには、七十万人ぐらいは入植していたと思います。そして、それを欧米のほうが認めることで、一九四八年に『イスラエル』という国が建ちました。これは結構ですし、よいと思います。
ただ、その後、四回の中東戦争があって、その間にイスラエルは軍事的にどんどん強大になってきました。これについては客観的に見るかぎり、やはり、『フェアではないな』というのが私の感想です。
というのも、ユダヤ人たちは、自分の国ではないのに、あとから入ってきて、パレスチナの土地を分けてもらい、国を建てさせてもらったわけです。あとから来た者は、もう少しおとなしく、行儀よくやってはどうかと思うのです。(中略)
それなのに、イスラエルは、いつの間にか、核兵器で武装して、核ミサイル、核爆弾を何百発と持っています。これは、少し行きすぎではないでしょうか。そのように思います。」(『鋼鉄の法』より)
◆ユダヤ教・イスラム教の「原理主義的な部分」のぶつかり合いが止まらない現代
ちなみに、イスラエルと長い対立関係にあるイランですが、イスラム教を中心とした全体主義的な色彩は色濃く、自由が大きく制限され、イスラエルと比べれば、人々が強く抑圧されていることは確かです。
しかし、イランの現体制はユダヤ教への信仰自体を否定しているわけではありません。
実際イラン国内には、中東最大規模となる2万人のユダヤ教徒が住んでおり、一応ユダヤコミュニティを保護しています。イラン指導部が真っ向から否定しているもの、それがこの「シオニズム」であり、「シオニスト政権」であるわけです。
イスラム教とユダヤ教の宗教対立を加速させるものの正体として、ユダヤ教の中にある「排他的なシオニズム」、それに対してテロリズムをも肯定するイスラム教の「好戦的なジハード主義」といった、元々は決してマジョリティではない「原理主義的な考え」がぶつかり合う中で、争いが止まらず、双方の不信が深まり、徐々に全体が右傾化しているというのが真相ではないでしょうか。
こうした争いを完全に終わらせるには、それぞれが唯一の神と信じる存在が、地球神として同一の存在につながっているのだという宗教的真実の広がりを待つしかありません。
こうした宗教的真理が広がるまで、この一神教同士の争いが破滅の道を辿っていかないように、「可能性の技術」とも言われる政治こそ、使命を果たすことが求められているように思います。