イスラエル・イラン対立の真相。新たな中東戦争にエスカレートするのか?
幸福実現党広報本部 城取良太
◆イランによるイスラエル領内への史上初の直接攻撃
ハマス奇襲に端を発するイランとイスラエルの対立が新たな局面を迎えようとしています。
4月14日未明、イランは300発以上にのぼるミサイルやドローンをイラン本国などから発射。ほぼ「99%」がイスラエルや米英などの迎撃により、本土に届く前に撃ち落とされたとされ、イスラエル側の被害は負傷者1名と軽微なのが現状です。
この発端となったのが4月1日、シリア・ダマスカスにあるイラン大使館に対して行われた、イスラエルによるミサイル攻撃でした。
この攻撃によってイラン革命防衛隊の司令官クラスを含む7名が殺害されています。今回はこれに対する報復という形になっています。
しかし、今回のイラン側の攻撃を見ると、イスラエルに大きなダメージを与えるような攻撃とは程遠く、かなり「抑制的」だったと言われています。
実際に、攻撃の前段階には、核協議の再開などをアメリカに持ちかけるような外交を展開していました。
今回の攻撃もイラン国内の宗教保守層に対するパフォーマンスという面も色濃いように思います。
一方のイスラエル・ネタニヤフ首相は、イラン本土からの初めての攻撃に対し「更なる反撃」を行う準備があると明言。
それに対して、アメリカのバイデン大統領はネタニヤフ首相に自重を求め、防衛上の支援はするがイラン反撃への参加はしないと述べています。
その後、ネタニヤフ首相は「報復を見送る」と述べたという報道も一部ありましたが、一夜明け、イスラエルの戦時内閣でイランへの反撃で一致しており、「全面戦争が目的ではない」とするも、「明確かつ強力」に反撃することを述べています。
どちらにしても、昨年10月から約半年経過したハマスとイスラエルの戦争が、いよいよ中東全土を巻き込んだ大規模戦争へと、いつエスカレートしてもおかしくない、かなりきわどい状況にあることは確かだと言えます。
◆以前は良好だったイスラエルとイランの関係
では、そもそもイスラエルとイランはなぜ対立するのでしょうか。
ユダヤ教とイスラム教の宗教対立といってしまえばそれまでですが、個別的に見れば、イスラエルとエジプトなど、宗教を超えた国家間で平和条約が締結されている事例は実際にあります。
ここでイスラエルとイランの対立がどのように深まってきたのかを客観的に整理してみたいと思います。
何より、以前はこの両国は関係良好だったという歴史があります。
1948年イスラエル建国直後に起きた第1次中東戦争から、1973年の第4次中東戦争に至る25年間の戦いは、エジプトを中心としたアラブ諸国とイスラエルの戦いであって、イランは関与していません。
そういう意味で、これからいつ起きてもおかしくはない新たな中東戦争は、過去4回の中東戦争とは意味合いが全く異なると言えます。
当時、王政だったイランは、中東における「アメリカの前線基地」として、実はイスラエルと同じく親米国でした。
実際、イスラエルの諜報機関モサドと当時のサバックというイランの諜報機関は「対アラブ」「対ソ連」で情報協力協定を結んでいるように、同盟関係に準ずるものがあったと言えます。
◆イスラエル・イラン対立の大きな転機①:1979年の「イラン・イスラム革命」
この両国の関係にとって、1つ目の大きな転機が、1978年から1979年にかけて、イスラム指導者のホメイニ師が求心力となって起こった「イラン・イスラム革命」でした。
ホメイニ師は「イスラム法学者による統治論(ヴェラヤテ・ファキーフ)」を発表、当時パフラヴィー王朝の元、急速に西欧化しようとしていたイラン国内の風潮を危険視し、欧米の植民地主義、またシオニズムによって建国されたイスラエルを痛烈に批判しながら、「将来、ユダヤ人に支配されることをおそれる」とその中で述べています。
この1冊がいわば国の指導原理となり、今の「反米」と共に「イスラエル打倒」を掲げるイラン・イスラム共和国が誕生、今に至る45年間の長きに渡る対立の「原点」となります。
また時をほぼ同じくして、4回の中東戦争を繰り広げたエジプトとイスラエルがアメリカの仲介で平和条約が締結。この「1979年」という年がいかに中東情勢を根底から変える非常に大事な年の一つといえるでしょう。
ちなみに、この大転換を図ったエジプトに代わって、反イスラエルの急先鋒として「アラブの盟主」に名乗りを挙げたのが、イラクのサダム・フセイン大統領でした。
イラクはイスラム教の2大宗派スンニ派とシーア派が入り混じった地域で、イラクでは約2割しかいない少数派となるスンニ派が国を支配していました。
そのためフセイン大統領は、抑圧された多数派であるシーア派(約6割)が、お隣のシーア派国家イランから「革命の影響」を受けることを止めるべく、1980年から8年に及ぶ「イラン・イラク戦争」を起こします。
イラン革命によって飼い犬から手を嚙まれる形となったアメリカは、この時、イラクのフセイン政権を積極的に支援します。
しかし、その後イラクもアメリカに牙を剥くこととなるのは歴史が示している通りです。
◆イスラエル・イラン対立の大きな転機②:2003年の「イラク戦争」
そしてイランとイスラエルの対立を更にエスカレートさせていくきっかけとなったのが、まさに「イラク戦争」です。
アメリカブッシュ政権は2003年、イラクが所持する大量破壊兵器の脅威から、世界を解放するという大義のもと、「イラク戦争」に踏み切ります。
余談ですが、大量破壊兵器は見つからず、当時の国務長官だったパウエル氏は、CIAの情報を信じ、開戦の大義を語ってしまった自身の国連演説を「人生の汚点」と語っています。
結果的に、イラク戦争によってフセイン政権は崩壊、アメリカ主導によって民主化がなされます。
先ほど申し上げた通り、イラクの宗派バランスから考えると、民主化されたことで多数派のシーア派主体の政党が力を持ち、政権を握っていくことになります。
すると、それまで力を持っていたスンニ派と、抑圧されていたシーア派のパワーバランスが逆転し、スンニ派が押され始めます。
CIA長官まで務めたペトレイアス氏の占領政策によって、一時期は宗派の均衡は見事に維持されていましたが、イラク戦争を「誤った戦争だ」と断罪し、大統領に就任したオバマ元大統領は2010年にイラク駐留軍を大規模に縮小し、宗派間の衝突が激化し、治安が急激に悪化していきます。
このように、良くも悪くもイラクのフセイン大統領、そしてそれに代わる米軍という「重石」がなくなったことで、イスラエル国境に向けて、イラン革命防衛隊など軍事組織が、イラクを超えて、シリアのアサド政権(シーア派系のアラウィー派)、レバノンのシーア派組織ヒズボラなどとの連携を緊密にしながら、直接的に影響力を行使させていくことが出来るようになっていきます。
いわば「シャドウ・ウォー(影の戦争)」が活発化していくわけです。
◆イスラエル・イラン対立の大きな転機③:2011年から始まる「シリア内戦」
そして、この「シーア派の弧」と呼ばれるイラン勢力圏を更に強大化させるきっかけとなったのが「シリア内戦」です。
イランのこうした急速な影響力の拡大にアメリカやイスラエル、サウジアラビアなど周囲の国々は焦ります。
その頃奇しくも2011年に北アフリカで起きた「アラブの春」によって、民主化のウネリがシリアにも直撃し、アサド政権(シーア派系)の独裁に対して、スンニ派系の反政府勢力が立ち上がり、内戦に発展していきます。
当時のオバマ大統領はアサド政権の打倒を名目として、CIA主導で「ティンバーシカモア」という秘密プロジェクトを立ち上げて、巨額の予算を投じてスンニ派の武装組織に武器の支援や戦い方を教えていきます。
そしてこの時に提供された膨大な武器の多くを闇ルートで手にし、巨大化していったのが、かの「イスラム国」です。直接的なつながりを証明するものはありませんが、間接的にアメリカが「イスラム国」を巨大化させたということは紛れもない事実です。
ちなみにこの「イスラム国」の中枢を担ったのが、元フセイン政権の構成メンバーと言われています。
アメリカとしては、シリアのアサド政権、そしてバックにいるロシア、イランの影響を弱めていくために、弱体化していたスンニ派勢力に力を与えることでシリア・イラク地域における宗派間の力の均衡を保ちたかったという思惑があったようには思います。
しかし、結局「イスラム国」が予想以上に強大化、最終的に、アメリカを中心とした有志連合は「イスラム国打倒」のために更なる資金と大量の武器を投じていきます。
こうした長年の「イスラム国」などとの戦いを通じて、更に力を蓄えていったのが、イランの革命防衛隊を主体とした、前述したシーア派系の武装組織などです。
また、近年では、長年の不倶戴天の敵だったサウジアラビアと中国の仲介によって歴史的な国交正常化に踏み切るなど、イランにとって中東における対立構図というのはイスラエル一国に先鋭化していると言っても過言ではありません。
イスラエルから見ても、イランの強大化というのは、紛れもなく現在の最大の脅威です。
こうした深い懸念こそ、イスラエル政権の極右化が進んでいる主な要因の一つであり、エスカレートが止まらなくなっている訳です。
◆イスラエルとイスラム教国を巡る対立軸にあり続ける「核兵器」
そして、イスラエルを巡る対立軸の中心にあり続けるのが「核兵器」という要素です。
イラクのフセイン大統領は、イスラエルとの戦争を見据えて、大統領就任当初から秘密裏に核保有を目指していました。それに対してイスラエルは「イラク原子炉爆撃事件(1981年)」などに象徴されるように、軍事力を行使し、爆撃によって力づくで排除します。
前述した「イラク戦争」の開戦前には、現首相であるネタニヤフ氏など一部の閣僚が、「フセインがまた核開発を再開している」と脅威を訴え、ブッシュ政権にイラク戦争をけしかけたとも言われています。
そして、21世紀に入って、核開発の疑惑が浮上してきたのがイランです。
モサドによるイラン人の核科学者の暗殺や核施設の爆破などで、イスラエル側はイランの核開発の妨害を幾度となく繰り返してきました。
しかし、科学国際安全保障研究所の2024年3月の報告書によると「あと5カ月で13発の核兵器を保有する能力がある」と言われています。
内情が見えにくいイランの場合、もっと進んでいる可能性は否めず、核保有が寸前まで迫っている現状を考えれば、イスラエルとしてはいよいよ一刻の猶予もありません。
◆新たな中東戦争はエスカレートするのか?
さて今後はどうなっていくのでしょうか。
今回、シリアのイラン大使館攻撃でイスラエルは明らかに挑発的な姿勢を示しています。
決めつけはもちろん禁物ですが、そうした意味から考えると、今回のイランの反撃がたとえ抑制的であったとしても、国際社会でイラン攻撃の口実となる限り、イスラエルとしては「エスカレート」させたい思惑は強いとも言えます。
また一方で、「ハマスによる奇襲」によって、世界中の目がパレスチナに向けられてきたことを考えれば、イランとしての格好の「時間稼ぎ」にもなっている面も見過ごすことは出来ません。
いま核戦争の発火点となりうるのはロシア・ウクライナ方面、そして今回、中東におけるこのエスカレーションで核戦争の危険性はグッと高まったと言えるのではないでしょうか。
幸福実現党の大川隆法党総裁は『信仰の法』の中で、中東における核戦争の可能性について、このように言及されています。
今、心配されているのは、「核兵器をすでに持っているイスラエルと、核兵器をもうすぐ製造し、保有するであろうイランとの間に、核戦争が起きるかどうか」ということでしょうし、また、「イランの核兵器が使用可能になる前に、イスラエルがイランを攻撃するかどうか」ということでしょう。
そして、イランの核保有を認めたら、おそらく、サウジアラビアやエジプトも核武装をするのは確実でしょう。
今の中東は、「イスラエルだけが核武装をしていて、イスラム教国は核兵器を持っていない」という状況にありますが、それが今度、「核武装したイスラム教国にイスラエルが囲まれる」という状況になったとき、それを黙って見過ごすことができるかどうかです。これが、ここ十年ぐらいの間に懸念される大きな事態の一つです。」
日本人の心理の中には「ノーモア・ヒロシマ」が世界の常識だと思い込んでいる節があります。しかし、残念ながら世界の本音の部分とは大いにかけ離れているといえます。
実際に、日本は神を信じない唯物的無神論国家の核保有国に囲まれています。
いいかげん、きれいごとばかりで表面を繕うお花畑思考から抜け出さないと、日本の存続自体が立ちゆかなくなるという危機感を持たなければならないのではないでしょうか。