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反カルト・新興宗教・宗教二世問題、日本のお粗末な議論に喝!人権の防波堤「信教の自由」を守れ!【前編】

https://youtu.be/JnKXTDOQaeU

幸福実現党党首 釈量子

◆新宗教に対して偏見を煽るマスコミや政治

昨年夏、旧統一教会に恨みを持つ人物によって安倍元首相が襲撃された事件以降、新宗教に対して偏見を煽るようなマスコミ報道や政治的動きが出てきています。

自己責任を負うべき40歳を過ぎた男性の問題を、政治が「宗教全体」の問題であるかのようにすり替え、これまで票集めに宗教団体を利用してきた政治家たちも、掌を返して宗教への規制を強めています。

そこで今回は、「信教の自由」や海外の「カルト対策」について考えたいと思います。

◆「信教の自由」の沿革

まず、「信教の自由」というのは、憲法20条で保障されている基本的人権です。もとは「内心の自由」から来ています。

憲法第19条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という規定がありますが、この思想・良心の自由が「内心の自由」です。

「内心の自由」は、人間である以上、絶対に認められないといけない、根源的な自由です。

なぜなら、心のなかで思うことを禁止されたら、もう人間としての尊厳は認められないのに等しいからです。

その「内心の自由」の代表例として、第20条の「信教の自由」が出てきています。

「信教の自由」は、「〇〇の自由」という自由のカタログのなかで、「最も大切」なものとされます。

「何を信じるか」というのは命懸けで「信教の自由」から「信仰告白の自由」、そして「言論・出版の自由」が出てきたからです。

「信教の自由」がなければ、ほかの自由もなかったわけで、こうした歴史的な沿革から、ほかの権利よりも遙かに重い、尊い自由だと考えられています。

「信教の自由」は人権のなかの人権であり、国民が、心の中で何を思うかについて、政治家が口を挟むことは、「信教の自由」を侵害する憲法違反です。

政治の側が、「あなたの信じている宗教はおかしい」「この団体の神は偽物だ」などと言うことは、宗教弾圧であると共に、信者の人格を否定する人権侵害行為に他なりません。

もちろん、「詐欺」や「傷害」などの違法行為に関しては、現行の刑法でしっかり取り締まるべきだと考えます。

しかし、教義の中身に関しては、政治の立場としては、基本的に「思想の自由市場」に委ねるべきで、政治の使命は「信教の自由」を守ることにあります。

「おかしな宗教に騙される人や被害者が出てからでは遅い」という世論に押され、日本でもフランスの「反セクト(カルト)法」のようなものをつくろうという議論も出てきています。

しかし「カルトかどうか」を政治が判断することは、「信教の自由」の侵害に簡単につながるので、カルトの定義は難しく、主観のレベルで決めていい問題ではありません。

◆海外のカルト対策

●フランス

そのフランスでは、1995年12月に国民議会の調査委員会の報告書で、「法外な金銭の要求」など10の指標を設定して、173団体の名前がカルト教団(セクト)として公表されたことがありました。

2005年に173団体のリストは撤回されましたが、その理由は、「客観的な基準に欠ける」というものです。(フランス内務省2020年報告書)。

その後、2001年に「反セクト法」が成立したのですが、これも、宗教の「教義」を対象にカルト認定して規制するというものではなく、「人権侵害」などの行為を取り締まるものです。

法律違反の有罪判決を複数受ければ、裁判所から宗教団体の解散の宣告ができると定めてはいますが、今日まで、実際に団体が解散させられた例はありません。

●米国

アメリカでは、カルト規制の法律を作るという動きそのものがありません。

理由は、米国憲法修正第1条で「国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と定めているためです。

アメリカでは「信教の自由」は憲法で認められた絶対的な権利の一つとされ、州ごとに日本の「宗教法人法」にあたる法律はあるものの、連邦レベルで宗教団体に制限や制約を設けることはしていません。

●中国

一応、中国の憲法には「公民の宗教信仰の自由」が明記されてはいます。

しかし、これは見せかけで「宗教を利用して社会の秩序を破壊してはならない」「宗教団体は外国勢力の支配を受けない」として警戒し、実際、容赦ない弾圧が繰り返されてきました。

後編では、中国の宗教に対する弾圧の実態から見てまいります。

(つづく)

釈 量子

執筆者:釈 量子

幸福実現党党首

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