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【Society5.0】国が進めるムーンショット事業は本当に大丈夫!?

https://youtu.be/52C0H56uKgo

幸福実現党党首 釈量子

◆「Society 5.0」とは

今回は、政府が進める科学技術政策「Society 5.0」について考えます。

「Society 5.0」は、2016年1月に閣議決定された「第5期科学技術基本計画」で、我が国が目指すべき未来社会の姿として、初めて提唱されました。

人類社会は「狩猟社会」(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)と発展を遂げてきました。

そして、5番目の未来社会像として、政府が掲げたのが「Society 5.0」です。

内閣府のホームページでは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」と定義しています。

Society 5.0の一環として国が進める「ムーンショット」事業があります。

ムーンショット事業には9つあり1番目が、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現する」、というものです。

ムーンショット目標1
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html

◆ムーンショット事業の危険性

具体事例として挙げられているのが「アバター」です。「アバター」とは、自分の分身のことで、サンスクリット語のアバターラ「化身」の意味から来ています。

「ムーンショット事業」では、ロボット技術などを使って、リアルな三次元空間で、一人ひとりが好きなアバターを何台も操作できる社会を目指しています。

実際に、脳に直接、プラグや電極を差し込んだり、チップを埋め込んだりして操作する方法が、世界各国で研究されています。

中国では、すでにハトの脳に微小電極をインプラントして動きをコントロールしたり、電極を埋め込まれた実験用ラットが、直接人間の脳から信号を受け複雑な迷路から抜け出る実験に成功したと言われています。

また、イーロン・マスク氏が立ち上げたNeuralink(ニューラリンク)は、2021年4月、サルがコントローラーを使わず思考だけでピンポンゲームをプレイする映像を公開しました。

◆日本の「ムーンショット事業」

では日本では、何を目指すかというと次のような技術です。

(1)自分の精神状態をスマホで把握できるようになる

スマホで見られるということは、ほかの人も見られるということで、プライバシーの問題になりかねません。

(2)自分の過去の記憶からの解放される

VR空間で過去のトラウマの事件をやり直し克服するというものです。

(3)自分の「やる気」のコントロール

脳を直接、電気で刺激し、うつ状態を和らげることを目指しているようですが、これも、人の心を操作できる可能性を否定できません。

今でさえ、サイバー攻撃が大変だと言われているのですから、アバターが不可欠になった社会の被害はもっと深刻になるでしょう。

前述したトラウマ修正プログラムは、社会からの抹殺もボタン一つ、人々の価値観を自在に操ることもできるようになるかもしれません。

そうしたインフラを管理するような企業や国家は、GAFAの比ではない権力が集中することになります。記憶の改ざんや精神の操作もできるなら、「洗脳」は簡単です。

◆絶対に譲れない「人間の尊厳」

しかし、「絶対に譲れない一線」となるのが「人間の尊厳」です。人間の尊厳の根拠は、神が人間を創られたということです。その中心が、人の心であり、心こそが人間の「最後の砦」です。

唯物論に陥ってテクノロジーが暴走するとどうなるか。それが中国共産党政権のAI監視社会のような、この世の地獄です。

唯物論、科学万能主義で、神も仏の否定する先にあるものは、恐ろしい未来です。ですから、科学技術が進歩しても、それに釣り合うだけの霊性、精神性が人間にはどうしても必要です。

日本も「文部省」が「科学技術省」と一緒になった「文科省」以降、唯物的な、いわゆる科学万能主義が強くなってきています。

すでに、学校現場でも「知識教育」が「テクノロジー」と結びついて、若い世代でも「心」が何か分からないという人が増えています。

人工知能が進化してくと、人間の働きを代用するようになるので、人間はいらない社会がくると考える人が出てきています。

◆教育の大事な役割

2017年、坂本龍馬や吉田松陰のような日本の誇りとなる偉人を教科書から削除する提言を発表し、波紋を広げています。

「歴史的な確定できる業績として、何があったかがはっきりしない」という「科学的な思考」が歴史の分野や宗教の分野にまで入り込んできています。

そうした科学的思考では、「AIに対抗する人材を養成する」と言っても、限界があります。

吉田松陰の「万巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人たるを得ん」という言葉が遺っています。

つまり、「万巻の書を読まずして、どうして千秋の人(千年も後に名前が遺るような人)になれようか」ということですが、こうした和歌を見ると、知識的だけで人を育てる方ではなかったことがよく分かります。

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」の句には、自分の生死を超えて、世のため、人のために尽くそうという尊い「心」が現れていると感じられます。

この三十一文字が、当時の維新の志士たちの魂を震わせ、世の中を変えていく人材になっていきました。

このように心はAIが進化しても、千年経っても万年経っても絶対に届かない世界だということが言えるのではないかと思います。

自分がどんな人間になっていくのか。あるいはどんな使命のために自分が生まれてきたのか。そうした事を深く考えさせ、そして意志であるとか、志を持たせていく、そしてその心を練り込んでいくことが大切です。

科学が暴走して人類が不幸に陥らないために、未来産業も「人のぬくもり」の価値を高める方向で研究されるべきだと思います。

そもそも一流の科学者が、すべて神の世界を探究するという命題の下で様々な学問を進めてきたということも決して無視してはいけないことかと思います。

この科学技術が唯物論に立つことがないよう、私たちは声を上げていきたいと思っております。

釈 量子

執筆者:釈 量子

幸福実現党党首

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