日米台の半導体「中国包囲網」へ。日本復活のカギは?【前編】
https://youtu.be/UT3GXmPe9kc
(6月8日収録)
幸福実現党党首 釈量子
◆日本の半導体が敗れた理由
政府は6月2日、今月決める成長戦略の原案を公表し、半導体産業を成長戦略の中核に据えることを明らかにしました。
背景には、「半導体はもはや食料やエネルギーと同じ戦略物資だ」という考え方があります。
現在、日本や米国は、特に「最先端の半導体」については、台湾のTSMCに依存している状況です。
もし台湾が中国による軍事侵攻を受け、半導体供給網が断たれてしまったら、世界経済は大混乱に陥ってしまうという危機感から、世界で国内に製造拠点を確保しようという流れがきています。
◆「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれていた80年代後半、日本の半導体産業は世界シェア1位(1988年:50.3%)でした。
半導体の売上高は年々増え、今後も伸び続けていくことは間違いありませんが、日本企業のシェアは88年の50.3%をピークに下がり続け、2019年には僅か10%にまで低迷しています。
将来的には、シェア0%になる可能性もあるとされます。
また、1992年と2019年の企業別の売上ランキングを比較すると、1992年は10社中6社が日本企業で、2019年は1社のみがランクインしています。
◆半導体産業の凋落の背後にある米国
「なぜ日本の半導体は凋落したのか?」といえば、幾つかの要因が挙げられます。
一つ目は、1986年に結んだ「日米半導体協定」です。
80年代後半、日本の半導体がシェアを伸ばし、米国は脅威を感じて圧力をかけました。
例えば、「ダンピング防止」という理由で「米国が決めた公正価格」を下回ったら、ダンピングと見なされました。
この協定によって、日本企業は価格決定権を奪われてしまったわけです。
また、当時の日本国内の半導体市場は、9割以上が日本製の半導体が占めており、これに対し、米国は「日本は鎖国している」と批判し、「開国」を迫りました。
その結果、91年に締結された「新日米半導体協定」では、日本国内における海外半導体のシェアを20%以上に高めないとダメだという文言が盛り込まれ、相当エネルギーを割かれました。
その後、1996年にこの協定は解消されましたが、こうした日本の扱われ方をみて、「第二の敗戦だった」と言う方もいます。
◆金融政策のミスリードで苦境に陥った半導体産業
二つ目としては、「円高」の影響が挙げられ、1985年の「プラザ合意」以降、日本の円高傾向が続き、半導体の輸出には相当なダメージを与えました。
例えば、99年に日立やNECの事業再編から生まれた「エルピーダメモリ」という会社が2012年に倒産、米国の会社に吸収合併され、当時の社長は「(リーマンショック前と比べ)韓国のウォンと比較して70%も円高になった。企業努力ではカバーしきれない」と悔しそうに記者会見で語っていたのが印象的です。
このように、当時の金融政策が円高を生み、日本企業を守れなかった側面もあるように思います。
他にも、「企業の問題としてマーケティング力が弱く、日本の技術力を活かせなかった」という要因も挙げられるでしょう。
これらの要因が重なって、日本企業の勢いは一気に衰退しますが、それと反比例するかのように、韓国のサムスンや台湾のTSMCなどがシェアを伸ばしてきました。
さらに、最近では、中国が半導体を自前で製造できるように、巨額の投資を行って追い上げています。
◆微細化を巡る熾烈な技術競争
現在行われている半導体戦争のキーワードは「微細化」です。
半導体の性能は1ナノメートル単位の回路幅で表され、幅が狭いほど、処理能力が高くなり、消費電力が低くなります。
現在、最先端の半導体を製造しているのは、TSMCとサムスンで、回路幅は5ナノです。次に、インテルが10ナノで、あのインテルが全力を尽くしても、TSMCの5ナノに追いつくことができません。
TSMCは2022年に3ナノ量産を予定しており、いま圧倒的に独走中なのがわかります。
なお、3ナノというのは「3秒間で伸びる髪の毛の長さ」と同等で、いまの半導体の驚異的な微細レベルがよく分かります。
中国のSMICが14ナノで、TSMCの技術力と比較すると、SMICは4~5年遅れていると言われています。
また、米国の輸出規制により、TSMCがSMICなどに対して、10ナノ以下の「先端半導体」は輸出できないことになっています。
(つづく)