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コロナを人にうつしたら罰金?都民ファーストの会の酷すぎる条例案【後編】

幸福実現党党首 釈量子

◆感染症を名目とした自由の侵害

今年は、感染症対策を理由に、様々な領域で「人間としての基本的な権利」が侵害されてきました。

営業時間の規制によって、「働く自由」「営業の自由」が奪われ、多くの事業者が休業・倒産を余儀なくされています。

また学校や大学も、オンライン授業が主となり、「学問の自由」「教育を受ける権利」も大きく侵害されました。

また、コロナ感染者は、行動履歴や濃厚接触者を行政に報告しなければならず、「誰と交友関係を持っているのか」「誰と会っていたのか」といった個人情報を、自治体に伝えるケースがあるわけです。

役所側のずさんなデータ管理によって、個人情報が流出したというケースも愛知県や兵庫県で報告されています。

本来、「誰が病気になり、どこに入院している」、というのは、極めてセンシティブな個人情報です。

自治体に個人情報が集積され、役所の職員、地方議員、警察や税務署などが、自治体を通じて容易に個人情報を見られる状況というのは、大変恐ろしいことのように思います。

◆感染症全体主義

もちろん感染が判明して、明らかに症状が出ているような状況で外出するのは当然避けるべきです。

しかし、基礎疾患を持っている人や妊娠中の方が外出を控えたり、マスクをして外出するなど、それぞれ対策を取るように、個人の自己責任に任せるべきではないでしょうか。

ただ、罰金付きの規制強化になると、様々なところに問題が生じてくるはずです。

既に、東京都がコロナ対策の強化を発信することで、全国に委縮効果を波及させてしまった経緯もあります。

中小企業のみならず大企業も「クラスターを出したらおしまいだ」と自粛を余儀なくされるうちに、経営的に苦しくなり、GDPの70%を占めるサービス業を中心に、休業や倒産に追い込まれています。

このように感染症対策を名目に、国民や都民の情報を管理して、行動を統制しようという傾向は、イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが「1984」という小説の中で描いた、一元管理の独裁社会に近づいていると言えます。

「コロナ感染拡大阻止」という1つの目的のために、自由が際限なく奪われ、感染者への差別が極端までいくと、ナチス・ドイツ、あるいは中国共産党がネットで国民を完全監視するような「感染症全体主義」に陥ってしまうのではないかと思います。

◆自由を制限しようとする菅政権の危うさ

これは決して大げさなことではありません。

小池都政のみならず、菅政権も、本来民間の経営の問題について、政府がどんどん介入していく傾向が非常に強まっています。

例えば、本来は民間が決定すべき携帯電話の料金値下げについて、政府が強制的に介入して料金を下げさせていいのかどうかは、慎重に考えるべきでしょう。

また、NHKの受信料徴収を確実にするため、TV所有者のNHK受信料の支払いを法律で義務化し、更にTVを設置するための届け出まで義務化するなどの措置が検討されています。

こうして、一つの特定の目的のためとはいえ、どんどん法律を増やし、個人情報を政府が管理し、営業や経営など、経済活動の自由が失われれば、旧ソ連や中国のような国に近づいていくことを意味しています。

◆今求められる「知恵のある自助論」

今必要なのは「政府による統制」ではなく「知恵のある自助論」です。

個人や企業が自分の知恵と工夫で社会を維持しつつ、どう生き抜いていくのかを考えることが、いま非常に大事なのではないでしょうか。

トランプ大統領はコロナウィルスに感染したものの、3日で退院し、「コロナを恐れるな」「コロナにあなたやあなたの人生を支配させてはならない」と発言しましたが、これは若い時からキリスト教の牧師でもあるノーマン・ビンセント・ピール博士の教えを学び、信仰心と心の力がどれほど強いかをよく知っているからだと思います。

私たち幸福実現党は、「この世は、魂を磨く修行の場である」と考えています。

人は何らかの形で必ず死を迎えることにはなります。

いま特定のウイルスを恐れて、全ての活動や経済を止め、自由を放棄したなら、この世に生を受けて、働くことの意味なども捨てることに他ならないのではないでしょうか。

自分や家族や社会を冷静に、宗教心に基づく死生観を持って見つめ直し、自助努力の精神で立ち上がっていくことが、日本を復活させることにも、そして全ての国民の幸福のためにも、最も大事なことではないかと思います。

釈 量子

執筆者:釈 量子

幸福実現党党首

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