自民党の変節で国民の自由が危ない!アフターコロナの経済対策【前編】
幸福実現党党首 釈量子
◆政府の「Go To迷走」
中国発新型コロナウイルスが全国に広がり、非常に厳しい経済状況が見えてきているところです。
政府は「Go Toキャンペーン」で旅行代金の半額を税金で補助する政策を全国一律で7月22日から始める予定でした。
ところが東京などで感染者が再び増えたことなどを受けて、東京都民、そして東京都内への旅行は対象から外しました。またキャンセルについても二転三転して、結局、国が補償することになりました。
◆小さな政府を目指した第一次安倍政権
なぜ、税金でいろいろと補助する政策になったのかについて、安倍政権、自民党として、一つ変節があったのではないかと思われます。
2006年から2007年の第一次安倍政権では、直前の小泉純一郎政権の「新自由主義」を継承し、「小さな政府」を目指していました。
「新自由主義」とは、国家による規制を減らして経済は自由主義に委ね、その自由市場の下で良いものが残り、悪いものは淘汰されていく。その方が経済的には成長するという考え方です。
これは、ハイエクやフリードマンなど、アメリカのシカゴ学派が源流にあると言われています。
政治家では、サッチャーやレーガンで、日本では国鉄を民営化した中曽根元首相、小泉元首相が「新自由主義」を採用しました。
しかし、一億総中流といわれた日本で、格差が拡大しているという認識が広がり、その原因が小泉政権の構造改革にあったと言われるようになりました。
それを背景に野党は、「格差問題」を選挙の争点として、自民党は2007年の参院選、2009年の衆院選で敗北しました。
その後の民主党政権は、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災を経験して、「市場経済に任せておけない」という空気が強くなり、「大きな政府」の方向に向かいました。
◆第ニ次安倍政権は、「大きな政府」に変節
2012年の12月に誕生した第ニ次安倍政権が掲げたアベノミクスは、「異次元の金融緩和」「機動的な財政出動」、それから「民間投資を喚起する成長戦略」の三本の矢です。
1本目と2本目の矢の大胆な金融政策は、デフレから脱却するため財政出動で経済成長を目指すケインズ政策です。3本目の矢については、民間投資を喚起する構造改革・規制緩和で、新自由主義的な政策に近いと言えます。
しかし、2014年に消費税を8%に増税してしまったことにより、安倍政権はデフレ脱却に失敗しました。
この辺りから安倍政権は、格差を減らして福祉を強化する方向に進み、2013年、経済界に賃金の引き上げに取り組むよう要請しました。
その背景には、2014年4月に導入する消費税8%の経済対策として「法人税の減税」を行って、その恩恵を賃上げに回してもらおうという取り決めがあったと言われています。
これが政府介入による官製春闘の始まりです。
さらに2015年には正規労働者と非正規労働者の賃金格差をなくすため、「同一労働、同一賃金」を打ち出しました。
2015年6月には、安倍首相は、「一億総活躍社会」を掲げます。具体的には、「名目 GDP 600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」の新三本の矢です。
しかし、電通社員の自殺もあり、今度は「労働規制の強化」に走りだします。2016年2月には「働き方改革」は安倍内閣の次の3年間の最大のチャレンジだという発言もありました。
さらにコロナウイルスの感染拡大が起きると、危機対応を名目に政府による強力な民間介入が始まったのです。
◆自由を制限する政府の民間介入
まず安倍首相は、特措法成立前の2月下旬、全国の小中高校に臨時休校を要請しました。法的な根拠がない要請でしたが、ほとんどの学校が感染拡大を防ぐために従いました。
結果として子どもたちは憲法が保障する教育を受ける権利を奪われたのです。
特措法が3月中旬に成立すると、安倍首相が緊急事態宣言を出すのを待たずに東京都はじめ多くの都道府県知事が法律に基づかない会社の自粛を要請しました。
首相が4月7日に緊急事態宣言を出すと、その後は救急要請の動きが広がり移動や集会や営業の自粛という形で自由が大きく制限される状況が続きました。
その後、自粛要請は解除されましたが、東京や大阪などを中心に感染者が拡大し、7月6日には、西村経済産業大臣が朝日新聞のインタビューに応じ、休業要請に応じない事業者に対してさらなる規制の評価の動きを示しています。
(つづく)