このエントリーをはてなブックマークに追加

誰でもわかる中東問題―アメリカとイラン、エスカレーションは起こるのか?【前編】

本日は、「誰でもわかる中東問題―アメリカとイラン、エスカレーションは起こるのか?【前編】」をお送りいたします。

(広報本部)

誰でもわかる中東問題―アメリカとイラン、エスカレーションは起こるのか?

https://www.youtube.com/watch?v=yLf1dsoGudg&t=9s

幸福実現党外務局長 及川幸久

※下記は要約したものです。詳しくは上記の映像をご覧下さい。

◆現代イランのターニングポイント・「ホメイニ革命」

今回は、日本人にとって極めて分かりにくい「中東問題」について、いま一触即発状態にある米イラン関係を中心に、分かりやすく解説していきたいと思います。

イランは歴史ある中東の大国ですが、現代史におけるターニングポイントを一点に絞ると、1979年のホメイニ革命が挙げられます。

革命以前のイランというのは、親米のパーレビ朝の統治によって、アメリカ的、世俗的な文化が広がった時代ではありましたが、その背後にはイランの石油利権を握ろうとしたアメリカ、欧州の姿がありました。

しかし、イランの保守派がホメイニ革命を起こして、パーレビ国王が追放、シーア派指導者の体制を中心とした、今の「イラン・イスラム共和国」となります。

◆中東における対立構図

いま起こっている中東問題の最も重要な中心的な国がイラン、サウジアラビアとイスラエル、要するにこの3か国の争いと言えます。

シーア派のイランを中心としたグループには、シーア派の多いイラク、シリア、レバノンという国家があり、このバックにはロシア、中国が付いています。

一方、イスラム教スンニ派のサウジラビアと、ユダヤ教のイスラエルを中心としたグループには、UAE、オマーンといった湾岸諸国、その背後にはアメリカや欧州各国がいます。

いま米国とイランが一触即発に近い状況が続いていますが、最悪の場合、第3次世界大戦の火種となるとも言われています。

当の日本はというと、アメリカとは同盟関係、イランとも友好関係にあるため、どちらにも組みせず、唯一仲介に入れる可能性を持っている存在ともいえます。

◆開戦回避の唯一の解決策は米イラン首脳会談

現状において、戦争を回避する解決策は一つしかなく、それは米国・トランプ大統領とイラン・ロウハニ大統領との直接会談です。

昨年前半から当会談セッティングに動いてきましたが、緊迫化してきた現状においては可能性がほぼなくなってしまったと言えるでしょう。

今までの経緯を考えると、トランプ大統領はイラン核合意離脱から1年経過した19年5月、米国は経済制裁で最も厳しいイラン原油輸出停止に踏み切りました。

19年6月、安倍首相がイラン訪問時に日本タンカーへの攻撃があり、イラン犯人説が囁かれます。

そして19年9月、毎年NYで開かれる国連総会の場で米イラン首脳会談を模索する動きがありましたが、その直前にサウジアラビア石油施設を何者かによって攻撃されるという事件が起きます。

ここでも当然イラン犯人説が持ち上がり、結局、米イランの首脳会談はキャンセルになりました。

◆トランプ政権とイランを戦争に突入させたいのは誰か?

大川隆法党総裁は書籍『イランの反論』の中には、イランと対立関係にあるサウジアラビアの都合の悪い真実を隠す米国の姿が述べられています。

また、イスラム圏への侵略意図を持つイスラエルと、キリスト教福音派の票が自身の選挙で必要不可欠なトランプ大統領との取引にも言及があります。

以上を考慮すれば、サウジアラビアの石油施設を攻撃した真犯人は、サウジアラビア、またイスラエルのネタニヤフ首相による自作自演ではないかと疑わしい点もあります。

実際、イスラエルのネタニヤフ首相、サウジアラビアのサルマン皇太子、そしてトランプ大統領の娘婿であり、中東担当のアドバイザーであるユダヤ系米国人ジャレッド・クシュナーの3名は、イランとの戦争をトランプ大統領に決断させたがっていると考えて間違いありません。

◆19年年末からエスカレーションを始めた米イラン関係

また、昨年11月には香港に引き続き、イラン国民が現政権に対する反政府デモを起こしていますが、その理由は、何といっても通貨大暴落によって40%以上のインフレ、GDPがおよそ9.5%ものマイナス成長となっているからです。

このデモの後、12月から年明けにかけて、イラン系民兵組織によるイラク駐留の米軍基地への攻撃、それに対する米軍による報復が繰り返されます。

そして1月3日、最終的に米軍はドローン攻撃によって、革命防衛隊ソレイマニ司令官を暗殺し、世界を震撼させます。

これに対して、イランはソレイマニ司令官殺害に対する報復攻撃に出ますが、米軍には死傷者はゼロでした。その直後、ウクライナ機の誤射撃墜という不幸な事件も起きました。

(つづく)

及川幸久

執筆者:及川幸久

page top