世界を照らす国、日本!
幸福実現党・広報スタッフ 佐々木勝浩
◆世界で一番古い国、日本
世界に現存している国で一番古い国がどこか、皆さんはご存知でしょうか?
実は、私たちの国、日本が世界で一番古い国です。
西暦2017年は、イエス・キリスト生誕を基準としています。
明日2月11日は、「建国記念の日」ですが、日本の国は、それより古く、神武天皇が建国してから、今年で「皇紀2677年」となります。
ちなみに中国は4000年の歴史と言われます。しかし中国大陸では、漢民族、満州民族、モンゴル民族が、それぞれが国を建国した歴史であり、一つの国として連続性を持っているわけではありません。
現在の中国共産党政権の歴史はたったの60数年です。アメリカでさえ約200年の歴史です。
◆日本の歴史は人類の奇跡
国が数千年、連綿と続いていくことは、大変なことです。
過去200年をみると、210カ国あった国家のうち60カ国が消滅し、うち51カ国は他国からの侵略で滅びました。
※参考:Liberty web
http://www.the-liberty.com/fj/notes/520/
アジアでは、清、中華民国、満州国、内モンゴル、東トルキスタンなど。ヨーロッパ系ではオーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン帝国、ソ連、東ドイツなどが消滅しました。
日本は、神武天皇から現在の今上天皇(きんじょうてんのう)まで、2600年以上、一貫して文化伝統が受け継がれてきた、世界に類のない国なのです。
しかし日本の歴史をみると鎌倉時代の元寇、幕末の黒船、明治の日露戦争、昭和の敗戦など、日本滅亡の危機は何度もありました。
しかも敗戦した日本は、再び経済復興を遂げてきたのです。
それは、映画「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった、出光佐三(いでみつ・さぞう)のような、「日本の誇り」を忘れず、日本の再建に貢献した人たちがいたからです。
このように、日本の国が続いてきたのは、私たちの祖先が、この国を守る努力があったからです。
現代においては、自分の立場を守るために奔走するような政治家、文科省の天下りに見るような官僚の姿は先人からみれば、実に恥ずかしいことです。
日本を取り巻く状況をみても北朝鮮の核実験、ミサイル発射や中国の軍拡が続いています。
昨年末には、中国の空母が沖縄を越えて、西太平洋まで航行しました。中国は、日本を含め西太平洋まで、自分のものにしようとしています。
歴史問題においても韓国や中国が、「慰安婦問題」や「南京大虐殺」を世界に宣伝し、「日本は悪い国だった」とウソの歴史を広めています。
しかし日本は、先の大戦で西欧の植民地支配から、アジアの諸国を守るために戦ったことが真実です。
実際に東南アジア諸国が、植民地から独立できたのは、日本のおかげだと今でも感謝しています。
そして先人がこれまで2600年にわたって守り伝えてくれた日本は、まさに現在の私たちの世代に受け継がれています。
この日本をどのような国に発展させ、そして次の時代に渡していくかは、私たちの世代に託されているのです。
そして、「日本の誇り」を取り戻し、先人が守り抜いてきたこの国を、次の時代に、しっかりと伝えて行くことが、私たちの務めではないでしょうか。
◆「日の丸」に込められた日本の使命
国旗は、国のシンボルです。
国旗は、その国の成り立ちを示し、建国の意味が込められています。
例えば、アメリカの星条旗では、州を表しています。
ヨーロッパ諸国の国旗は、キリスト教を表す「十字」があり、中東の国旗には、イスラム教のシンボルである「三日月」があります。
フランスの国旗は三色旗で、自由、平等、博愛を表しています。
日本の国旗「日の丸」は「太陽」を表し、日本には、世界を太陽のように照らす役割があるのです。
神武天皇は、日本建国の際に「八紘一宇」(はっこういちう)の精神を掲げました。「世界を一つの家族のように、平和に建設して行こう」というものです。
「八紘一宇」は、決して軍国主義的な思想ではありません。
その理想を実現すべく、日本を輝く太陽のように繁栄させ、世界を照らす国づくりをして参りましょう!
幸福実現党は、その使命を担うために今後も頑張って参ります。
【※補足】
◆「建国記念日」ではなく、なぜ「建国記念の日」なのか
「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて「紀元節」という祝日でした。紀元節は、『日本書紀』が伝える神武天皇が即位した日に基づき、紀元の始まりを祝う祝日として、1872年(明治5年)に制定されました。
しかし紀元節は、1948年(昭和23年)に、米占領軍によって廃止されました。
その意図は、日本の歴史や神話を否定することによって日本の精神的支柱を骨抜きにするためでした。
1950年代初めになると、国内から紀元節復活の運動が起き、1957年(昭和32年)に、自民党の議員立法として、「建国記念日」制定に関する法案が提出されました。
しかし当時の社会党が、反対したため成立しませんでした。社会党や左翼の反対の理由は、神武天皇の建国が、2月11日だったということに、科学的根拠がないというものでした。
その後9回、法案提出と廃案を繰り返しましたが、第45代衆院副議長の園田直氏が、社会党との間に建国記念「の」日にして、国会ではなく政令で定めるなら反対しないと言う妥協案を創り上げたのです。
日本の国が現在存在している以上は、建国されたタイミングがあるのであるから、「の」を挿入して「建国記念の日」とすることによって、『建国されたということそのものを記念する日』という解釈を加えたのです。
そうした苦労の中で、1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立。左派との論戦の苦労の末に、保守派も団結して日本の神話、歴史を継承することを願い制定まで漕ぎつけたのでした。