阪神・淡路大震災20年目の教訓
文/HS政経塾3期生 幸福実現党・新潟県本部副代表 横井もとゆき
◆1月17日、阪神・淡路大震災から20年目をむかえるにあたり
突然の災いにより、この世を去ることとなられた方々の恒久的なる魂の平安と、来世での幸福を心よりお祈り申し上げます。
そして残された方々の、愛する人ともう一度会いたいと願う心中をお察しし、また来世で縁あり再会が叶いますことを心より祈念申し上げ、20年の歳月を越え未来へと希望の灯りをともしてゆきますことをお誓いし、哀悼の意を表します。
◆防災・減災を考える大切さ
前日から兵庫県を訪問されている天皇・皇后両陛下は防災関係者の労をねぎらわれ、17日に県が主催する追悼式典にご臨席されました。
今一度、日本全体が、命の尊さと、人間の力をはるかに超えたものへの畏怖の念を思い起こし、人と人、地域の結びつきを大切にし、防災・減災について再確認するべきだと感じます。
この震災を振り返れば、誰も予想していなかった突如の大地震として語られています。
それゆえ、ときの政府や地方行政の対応の遅さへの批判が、時間とともに薄れかけ、根本的な政治的過ちを黙認する流れにあることに危機感を覚えます。
確かに震災直後の民間の協力や近隣住民の助け合いによる「命のリレー」によって、多くの方が助かったことは事実であり、さらに地方中心の創造力で復興を推し進め、早期に復活されたことは素晴らしいと感じます。
これらは災害史の「光」の部分として、今後、地域主体の住民安全確保の事例として語り継がれるべきです。
しかし「闇」の部分もしっかりと見てゆかなければ、犠牲者は浮かばれません。
◆イデオロギーによって生じた犠牲
地震が発生したのは、午前5時46分。
地震発生後の2時間半後の午前8時半には、陸上自衛隊の姫路駐屯地の部隊はすでに出動準備が整っていたにもかかわらず、被災中心地に到着したのは午後1時10分、発生から7時間後だったといいます。
これは当時、県知事しか災害派遣要請を行うことができなかったのと、政治的に革新勢力が強く、平時から市と自衛隊間で話し合いが持てず、自衛隊の判断による自主派遣ができなかったことが原因とされています。
自衛隊を憲法違反と位置づける主張をしてきた当時の総理の村山富市氏の周辺にも、午前8時過ぎには震災の情報が入り始めましたが、閣議が開かれたのは10時すぎだったとのことです。
当時、首相にも県にも「イデオロギーにより災害派遣要請を遅らせ、住民を犠牲にしたのではないか」という批判が殺到しました。(今は、兵庫県の防災訓練には、自衛隊のみならず在日米軍も参加しています。)
国会で初動の遅れを追求された村山首相は、「なにぶん初めての経験で・・」という答弁を残したのが印象的でした。
◆国民の命を守るのが国家の役目
近年、日本の政治は、共産主義、社会主義を掲げる政治家の台頭によって、「いかに現代国家を解体してゆくか」の方向に舵取りを行ってきました。村山首相もその一人です。
行き着く先は、国籍不問の「市民」による市町村レベルの「自治政府」による主権の行使です。これは国家統治を前提とする地方分権とは似ていて全く異なるものです。
この考えからは、自衛隊の必要性は出てこないので、大規模な災害や武力攻撃から国民の命を守るということは、初めから想定外なのです。
◆家族・友人を愛することは国を愛すること
誰でも自分や自分の家族、友人の命は守りたいと思うはず。
災害や武力攻撃などで有事となれば、皆んなが大変な状態。
その大変な状況下でも、普段から緊急事態を想定して訓練し、有事のとき力強い組織がある。
それが自衛隊であり、普段から消防や警察や市などと協力すれば、国民を守る力は何倍にもなる。
そのためには「国家」「国家主権」という考え方がとても重要なのです。
◆今の日本には自衛隊が必要
現在の日本の周辺、中国や北朝鮮による兆発的な軍事動向を見る限り、特に国境付近には自衛隊の配置が必要です。
この状況下でも、自衛隊を排斥しようとすることは、どんな美辞麗句を並べてもその下には、日本国民の命も、子供たちの未来も守る気がないという政治的メッセージがあると捉えるべきです。
イデオロギーによる国民の犠牲はもう懲り懲りです。
◆危機管理意識を高めよ
ちなみに、阪神・淡路大震災での災害派遣の話ですが、姫路駐屯地から神戸まで普段は1時間で行けるところ、渋滞により3時間かかったそうです。
倒壊した建物等の下敷きになった人の救出は、経過時間72時間を境に生存率が激減するとされているなか、2時間のロスは大変に大きいものです。
自分の街に自衛隊があったなら・・・と思う時にはもう遅いのかもしれません。
危機管理の基本は最悪の事態を想定することから始まるのです。
参考:
『自衛隊員も知らなかった自衛隊』松島悠佐著 ゴマブックス
正論2010年8月
産経新聞2015年1月17日朝刊