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真なる財政再建への道

文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆信を失った政治家

先の解散総選挙の投票率は、小選挙区選、比例選共に、戦後最低を記録しました。(52・66%、52・65%)

今回の総選挙が、大義なき選挙とも言われ、また一強他弱と言われる政局の中で、盛り上がりに欠け関心が高まらなかったと一般論としては言えるかもしれません。

しかし、根本的には根強い政治不信の問題があります。

街頭インタビュー等でしばしば聞かれる言葉が「どうせ誰がやったって同じ。何も変わらない。」と政治家への期待は何も持たないとする立場です。

政治家は、選挙前は有権者にペコペコし、選挙が終わると公約を公然と反故にしても恬として恥じない、ウソつきは政治家の始まりといわれるほど、政治家の信頼は失墜しています。

2009年の政権交代選挙の際、民主党野田佳彦候補の行った街頭演説は、今に至るまで動画サイトで繰り返し閲覧され話題を呼びました。

「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。 書いてないことはやらないんです。それがルールです。 書いてない事を平気でやる。これっておかしいと思いませんか。」

民主党のマニフェストに書いていなかった「消費増税」を平気で3党合意の上決定した野田首相、民主党が信を失った事は当然で、国民の政治不信は深刻なものとなりました。

◆血税の重みを感じない政治家、官僚

さらに時を遡れば、消えた年金問題があります。国民は保険料として収めていたつもりでしたが、受け取る国は税金のように使いたい放題、ずさんな管理をしていました。しかし、歴代の社会保険庁長官等、個人責任をとった者はいません。

また、東日本大震災時の復興増税で調達した復興予算19兆円のうち2兆円を超える額が、沖縄の国道整備など、被災地と無縁の事業に流用されていた事は、被災者を思う国民の善意に対する背信行為として批判を浴びました。

現在、税と社会保障の一体改革として、消費税は全額社会保障に使うと言われても国民は無批判に信じることはできません。一度、税金が国庫に入ってしまえば、その先何に使われるのか保証の限りではありません。

政治家、官僚は、税金とあらば、湯水のように使ってしまうという不信があるのです。加えて、国会の定数削減等、自ら身を切る改革は一向に進んでいません。

政府は、2015年度のプライマリーバランス(PB)赤字半減、2020年度の黒字化という財政健全化の目標を国際公約として掲げています。

財務省は、もっぱら増税により財政健全化を計ろうとしていますが、デフレ経済の克服が道半ばの現状で、極めて険しいと言わざるを得ません。

◆政治家に求められる徳

政治不信の極みにある中、国民は、政治に「高貴さ」「徳」を求めているのではないでしょうか。人が見ていないところでも国民の幸福を願い続ける政治家、人が見ていないところでは、自らの政治生命の延命のため権謀術数をめぐらす政治屋には辟易しているのではないでしょうか。

「徳」に対しては、古来、人は財物の喜捨を厭いません。現代においても、貧富の差なく篤志家は存在し、納税の義務を果たした上で、さらに寄付行為を行っています。

東日本大震災後の復興増税に関して、被災者のためならと国民は増税を受け入れました。

これら国民の絆を見て、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし)という教育勅語の精神が現代にも生きていると評した政治評論家もおられましたが、日本人の公共心が失われていないと勇気づけられました。

このような観点から、財政健全化への真なる道は、政治家自身が、徳を積み、国民の信頼を回復することにあると思います。

同時に徳ある政治家は、仁徳天皇の故事の通り、国民が苦しんでいる時は、減税を実施し、国民の苦しみを和らげるのです。であればこそ、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」の精神で国民は、必要な時には、国のために誇りをもって税金を治めるようになると考えます。

幸福実現党は、宗教政党として、徳ある政治家の理想像を追求して、日本の政界の浄化に貢献してまいりたいと思います。

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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