アベノミクス――政府が経済をコントロールできるのか?
文/幸福実現党世田谷区代表 HS政経塾第2期卒塾生 曽我周作
◆政府が経済をコントロールできるのか?
11月18日夜、安倍首相は衆議院の解散総選挙を行うことを決定し、発表しました。
首相は、消費増税を一年半延期したうえで、2017年4月に「確実に」消費税を10%に引き上げるとし、その事について国民に信を問うとしました。
安倍政権発足から2年、「アベノミクス」と銘打った経済政策について、消費税の8%への増税も含め、適切であったのかが問われることとなります。
しかし、私がそもそも安倍首相に問いたいと思うのは、「一国の経済を政府がコントロールできるとお考えではないでしょうか?」ということです。
安倍政権は消費税を増税するにあたって、民間企業に対して賃上げを求めましたが、日本は自由主義経済であり、全ての会社の労働者の賃金を一律に引き上げることなどできません。
また、増税分の価格転嫁がなされるように政府が様々に働きかけをしていますが、消費税増税分をそのまま価格に上乗せして、それだけのお金を支払ってでも、そのモノやサービスを手にしようとするかどうかを最終的に判断するのは「消費者」であり、政府が決められるものではありません。
こういった政府の行動の中に「政府が経済をコントロールし、経済成長に導ける」という考えがあるとすると、それは社会主義そのものです。
◆繁栄の未来を創るのは「民間の力」
経済の成長、富の創出は、政府が作り出すものではなく、一人一人の国民や企業の創意工夫、努力からもたらされるものです。そして、そのためには「自由」がなければなりません。
もちろん、国家目標は必要だと思いますし、リーダーシップも必要であり、政治は希望を与えるビジョン、そして経済政策を提示しなければならないと思います。政府は何もするなというわけではありません。
しかし、現実に繁栄の未来を創るのは「民間の力」であり、政府ではありません。
したがって、利権にまみれていたり、しがらみでがんじがらめになっている政治では、これから先の経済発展を創り出すことはできないのではないでしょうか。
なぜなら、利権やしがらみにまみれているならば、「特定の団体」や「既得権益を持つ者」を護るために、新しいことに挑戦しようとする者に対して、それを規制等で縛り、自由を抑圧することになるからです。
そうなると、自由な発想をもとに、創意工夫を積み重ね、繁栄を創り出すはずの「民間の力」を引き出すことができません。
◆自民党政治の限界
利権、しがらみ、そういうものを断ち切るために、まず政治家自身が私心を去らなければならないと思います。自民党政治の限界がここにあると思います。
ですから、私達国民の一人一人も、政府に頼ることはやめなければならないのだと思います。私達自身の手で、輝く未来を創ろうとするならば、政府に頼るよりも、むしろチャンスを増やすための「自由の創設」を求めるべきです。
ほんとうに政府が経済をコントロールして私達一人一人の暮らしを良くすることができるとするならば、それは逆に政府に生殺与奪の権を握られることになります。
消費増税の裏側に潜んでいたのは、結局「政府が経済をコントロールできる」と考える思想であり、「傲慢さ」であったのだと私は考えます。これこそ社会主義的思想であり、その先に待っているのは「統制」であり「自由の抑圧」です。
◆民間の力を生かすには
これからできる政府は、お上意識を捨て「民間の力」や「志」をもっと信じるべきだと思います。そして政府は「政府にしかできないこと」に集中し、無駄な規制を撤廃し、将来の経済成長のためにこそ投資を行うべきです。
国民から選ばれた政府であるからこそ、国民を信じ、そして国民に選ばれた政府であるからこそ、逆に一時的に国民から支持されないことでも、将来の祖国のために絶対に必要であると信じることを推し進める覚悟が必要なのだと思います。
ノーベル賞経済学者であるハイエクは、
「自由とは個人の努力にたいする直接的統制の放棄を意味するからこそ、自由社会はもっとも賢明な支配者の頭脳が包含するよりもはるかに多くの知識を利用することができるのである」
「有益な結果が生じると前もってわかっている場合だけに自由を許すのは自由ではない」
「大事な点は、特定のことを実行する自由の重要性がその実行を望む人びとの数には関係しないことである」
「もし多数者の行使する自由だけが重要であるという想定を推し進めるならば、不自由の性質すべてをもった停滞的社会をつくりだすことは確実である」
と、未知の少数者のため、機会としての自由が必要であることを述べています。
未だ見ぬ、時代を切り拓く者たちのために「自由」を。私達、幸福実現党は、日本を「自由の大国」にしたいと考えているのです。
今、私たちは単に消費税増税の是非を問われているのではなく、神仏の子として自らの力で未来を切り拓く道を選ぶのか、それとも政府に依存しその統制下におかれる道を選ぶのか、非常に大きな決断を迫られており、人間としての尊厳をかけた分岐点にいるのだと思います。
引用部分:参考文献『自由の条件[Ⅰ] 自由の価値』 F.A.ハイエク著