統治能力を問われている安倍首相
文/幸福実現党岐阜県本部政調会長 加納有輝彦
◆有史以来の振興費を投入しても敗北した名護市長選
安倍首相は今後7年間、毎年、沖縄振興費3000億円以上の支給を約束し、仲井真知事をして「有史以来の予算」と言わしめ、名護市長選挙終盤戦においては石破幹事長により名護市基金として500億円の支給も公表しました。
こうした「有史以来」の大盤振る舞いにも関わらず、名護市長選は辺野古移設反対派が勝利しました。これにより、国の工事が本格化すれば、市長権限が関わるものもあり、移設作業が滞る恐れがでてまいりました。
実際、仲井真知事は、選挙後のインタビューで、「埋め立て申請はもう承認したので、私が今からどうこうはできない。移設に反対している稲嶺氏だと、おのずと、それなりに影響を受けると思う」と述べています。
◆反対派の妨害を受けることのないL字案
仮に政府が実力行使に出た場合を想定しますと、 本土の応援部隊も参入して 成田闘争並みの広がりを見せる可能性があるとの指摘もあります。
このような観点から2005年当時、政府は反対派の妨害を受けることのないキャンプ・シュワブ(辺野古沿岸)の滑走路の設計案を検討していました。
それは、L字案と呼ばれ、反対派の妨害を受けることのないキャンプ・シュワブ基地内(立ち入り禁止)に建設する案でした。
当時の小泉首相も防衛庁もL字案しかないとして、2005年10月アメリカが、防衛庁のL字案を受け入れ「普天間移設、防衛庁案で決着」と報道されました。
しかし、当時の稲嶺知事と岸本名護市長が、日米合意L字案を拒否すると表明し、暗礁に乗り上げたのです。
◆なぜか反対派の妨害を受けやすい浅瀬案を提案する沖縄政財界
日米決着のついたL字案に対し、沖縄の政財界のメンバーは、浅瀬案(ライト案)なら沖縄は呑むと説明に動きました。しかし浅瀬案は、反対派の妨害を避けることができない案でした。
そして2006 年4月。当時の島袋名護新市長は、前市長の意向を受け、政府案に反対を表明しました。
結局、その後の折衝で国と名護市で、V字案で最終基本合意がなされ、2006年5月、国と稲嶺県知事とV字案で確認書が取り交わされました。5月末、政府は確認に従い閣議決定したのです。
2006年11月、沖縄県知事選に仲井真氏が当選。仲井真知事は基地の沖縄県内移設を容認しましたが、政府V字案の修正を要求しました。
2007年、仲井真知事と末松名護市助役が合意V字案に関し、滑走路を沖合へ500M移動を希望しましたが、安倍総理は、知事に合意案を尊重してほしいと要望しました。
そして2009年民主党政権になると。鳩山由紀夫氏が、「県外移設」を訴え、全てが水泡に帰したのです。
◆劣悪なリーダーシップ、ビジョンの欠如
これらの経緯を見る限り、沖縄の政財界は、日米合意を尊重する姿勢は残念ながらなかったと言わざるを得ません。
さらに一連の動きが、振興策のお金をもらい続け、軍用地主の利権も守るという巧妙な罠、ずるい戦術であったとことを知らなければならないと守屋元防衛事務次官は自著「『普天間』交渉秘録」で書いています。
沖合へ500m移動させるというような事は、いじわるであり、狡猾な罠であったと言っているのです。
守屋氏は、稲嶺知事に「あなたは7年間、何もしなかったじゃないか」と詰問すると「守屋さん、沖縄では大きな仕事は20年かかるんですよ。石垣空港もそうだったでしょう。あの時だってそれだけ年月がかかっても誰も困らなかった。今回はまだ7年です。たいしたことないじゃないですか」と答えたそうです (p.83)
関係者の狡猾なトラップ(わな)に政府が右往左往 し、翻弄され、結局、18年もの間、日米合意が何も進まなかったのです。
日本政府から「旭日重光章」を叙勲されているシンガポール政府高官が、日本を「図体のでかいデブの負け犬」と批評したといいます。日本の「愚かさ、劣悪なリーダーシップ、ビジョンの欠如」がASEANでの地位後退を招いたと指摘しています。
安倍首相の祖父である岸信介元首相は、先を見据え日本の国防を強化するため、左派の反対の中で「日米安保」を英断されました。
安倍首相におかれましても、日本の国防のため日米合意たる普天間基地・辺野古移設を一日でも早く実現すべく、御祖父より受け継がれた「統治能力」を発揮されますことを祈念いたします。
今年は名護市長選挙に続き、沖縄県知事選挙もあります。弊党におきましても立党当初より主張してきた「日米同盟堅持、米軍県内移設」は国防のカナメであるということを、今後も一貫して沖縄県民の皆様に、そして日本国民に訴えてまいります!