「政治参加の自由」を奪う公選法は最大の参入障壁
この度の選挙戦においては、炎天下の中、皆様方の多大なるご指導ご支援に心より感謝申し上げます。
私たち幸福実現党は国難突破のため今後も活動を続けてまいります。
今回は、公職選挙法(以下、「公選法」)について考えます。
選挙戦のルールを定めた公選法は複雑で規制が多く、選挙のお手伝いをされた方は、不自由さを感じられたことと思います。
実際、公選法は、憲法によって保障された国民の「政治参加の自由」を奪い、新たに政界に進出しようとする政党や政治家志望者の「参入障壁」となっています。
◆新規参入を阻む「選挙運動期間」
まず問題なのは「決められた期間しか、立候補を表明し、投票依頼ができない」ことです。
現在の公選法では、公示日(補選や地方選の場合は告示日)までは「私は◯◯の選挙に立候補するので、一票お願いします」と言うことができません。
立候補予定者は、自分の名前をしながら街頭演説等をすると「事前運動」とみなされるため、自分だけの写真と政策を書いたビラを配ることはできません。そのため二連ビラや二連ポスターが発明され、そして公選法を知らない一般国民にとっては「本人」とかかれた謎のタスキまで登場しました。
欧米諸国では、「選挙運動期間」という概念がないので、いつでも自分が立候補したい選挙を明言し、投票をお願いできます。当然、事前運動の禁止もありません。
「選挙運動期間」が限られていることは、新しく立候補をしようとする知名度の無い新人には圧倒的に不利です。
日頃からテレビや新聞に登場し、自分の仕事や政策をPRできる現職に比べ、新人は自ら選挙区を回り、支持をお願いする他ないからです。
◆新規参入を阻む「供託金」
他に新規参入を阻むものとして「供託金」制度があります。
日本では、先進国に比べて供託金の金額が高く、国政選挙においては選挙区で300万円、比例では600万円の供託金を納めねばなりません。
さらには、没収ラインも高く、衆院の小選挙区では、有効投票数の1割以上の得票がなければ全額没収されます。
この制度は、現職議員や知名度の高い人でなければ立候補をためらわせる方向に働きます。
アメリカ、ドイツ、イタリアには選挙の供託金制度がありません。フランスでは上院200フラン(約4千円)、下院1,000フラン(約2万円)の供託金すら批判の対象となり、1995年に廃止されました。
このように、志ある政治家志望者が出てきにくい制度となっています。
これは、現職の「既得権益」を守る制度と言われても仕方がないでしょう。
◆「政治活動の自由」を制限する、煩雑な規制の数々
もう一つ指摘すべきは、公選法の細かい規制の数々です。
渡部昇一氏は、『自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す』の中で、「ハイエクは自由主義の法律は“Doではなく、Don’tであるべきだ”と述べています」と指摘しています。
法律で「◯◯してはならない」と定められたこと以外は自由に行ってもいいというのが自由主義国の法律です。これは「法の下の自由」という考え方です。
公選法ほど、この考えから外れた法律はないと言ってよいでしょう。
選挙期間中は、届け出たチラシ、ポスターしか使えず、選挙カーや運動員の数、選挙公報の写真のサイズまで決められています。まさに「箸の上げ下ろし」レベルです。
他の欧米諸国では当然のように認められている戸別訪問も禁止され、標旗がなければ街頭演説すらできません。
すなわち、公選法は「原則禁止だが、これは行ってもいい」という「ポジティブリスト」的な規定になっています。
「◯◯をせよ」と命令しているわけではありませんが、あまりにも複雑で煩雑なため、実質的に「Doの法律」になっているのです。
車の台数やチラシの枚数が細かく定められているのも、「お金や組織を持っていない人に不利に働かないように」という立法趣旨のようですが、実態は逆です。
複雑な規制は、初めて政治にかかわる国民には「何が法律に反するかわからなくて怖い」と感じさせ、慣れたスタッフや運動員がいる現職、もしくはそうした組織を引き継げる世襲議員に有利であると言わざるを得ません。
「自分が作ったチラシを配ってはいけない」「来客に煮出したお茶はよいが、ペットボトル飲料は出してはいけない」「選挙後に投票のお礼を言ってはならない」等、一般常識とかけ離れた規定も、多くの国民を政治参加から遠ざける一因です。
もし、お金がない人が不利にならないようにするなら、選挙資金の上限を決めれば良いのです。
欧米諸国は選挙資金の総量的規制はありますが、選挙運動自体にはほとんど制限がありません。
国民の「政治参加の自由」を保障するなら、「買収をせず、お金を使い過ぎなければ、自由に政治活動や選挙活動を行ってもよい」とだけ決めればよいはずです。
◆公選法を改正し、「政治参加の自由」を保障せよ!
2013年6月号の『WEDGE』には、「公選法は、政治活動の抑制を狙って制定された治安維持法と同じ思想が流れている」という元自治省選挙部長の声が紹介されています。
公選法自体に国民の政治参加を制限する思想が流れているとの指摘は重要です。
しかし、これは現職議員にとっては都合のよい法律だったので、骨組みは戦後も残りました。
戦後も改正を繰り返してきた公選法ですが、選挙活動について定めた129条以降は、ほとんどが議員立法とのことです。
議員定数削減の議論が国会でなかなか進展しないのと同様、自分たちの立場を守る方向で公選法を改正しようという力が働くのは、ある意味やむを得ないでしょう。
そのため、三権分立の観点から司法府によって公選法が検証される必要もあるでしょう。
戸別訪問の禁止については、「表現の自由を定めた憲法21条に違反するのではないか」との訴訟も起こされ、下級審では違憲判決も出されましたが、最高裁で「合憲である」と判断がなされました。
その判決理由には「戸別訪問を禁止するかどうかは、立法政策の問題であり、国会がその裁量の範囲内で決定した政策は尊重されなければならない」とあり、司法権の責務から逃避していると言わざるを得ません。
いずれにせよ、日本が自由と民主主義の国であるならば、参入障壁となっている時代遅れの選挙規制を早急に見直すべきです。(文責・小川佳世子)