宗教教育はなぜ必要なのか?
◆日本社会から失われた「道徳心」
近年、無差別殺人やストーカー殺人など、あまりにも自分勝手な殺人事件が多く発生しています。
「自分が死ぬ前に他の人も殺してから」とか、「好きな相手が冷たい」とか、「好きな相手の家族が邪魔をしている」とか、ちょっと信じられないような自己中心的な理由によって残虐な事件が起きています。
特徴的なことは、事件を起こした人達は普通に育って来た人が多く、他の人と同じような家庭で育ち、教育を受けて来た人達が、驚くような事件を起こしているのです。
原因はいろいろとあると思いますが、「罪の意識」なく、犯罪を起こしてしまっている背景には、日本社会に「道徳心」が失われるモラルハザード現象が起こっているのではないかと感じます。
◆戦後教育から消えた「善悪の価値観」
子ども達は「国の宝」です。私は参院選に立候補し、鳥取県で「教育再生」を掲げて選挙活動をしている中で、「教育は大事だけん、しっかりがんばんないよ!」と言われることも少なくありません。
鳥取県は、教育に対しての関心は高いですし、尊敬に値する素晴らしい先生方が数多くいらっしゃいます。
しかし、個人の力量によって子どもに与える影響に大きな違いがあることも事実です。
私、吉岡ゆりこは公立学校の教員として12年間(講師を含めると14年間)務め、たくさんの子ども達と関わらせていただきました。
授業では「道徳の時間」が週に一度あったのですが、「価値観の押しつけはいけない」ということで、子ども達の考え方を聞いて、「いろいろな考え方がある」ということが結論になるような時間でした。
私自身、自分の考えに強く確信を持てないままに教壇に立っていたこともあり、子ども達には正しい価値観を教えることもできずにいたと反省するばかりです。
もちろん、「価値の多様性」を認め合うということは大事ですが、それだけで授業が終わると、子供たちは「正しい善悪の基準は無い」と思ってしまう「価値相対主義」「ニヒリズム」に陥ってしまいます。.
例えば、「いじめた方も、いじめられた方も、それぞれ理由や背景があるのだ。お互いに理解し合おう。」ということで授業が終われば、「いじめは悪だ」という善悪の価値基準が育つはずもありません。
これは、戦後、GHQが日本の国力を弱体化させるために、「教育勅語」などを排除し、「特定の価値観を押しつける教育は全体主義社会をもたらす」という教育指針を押し付けたためです。
◆今こそ、道徳教育、宗教教育の復活を!
私自身、改めて自分の受けて来た教育を振り返ると、「自虐史観」「ゆとり」「価値相対主義」教育の影響を受け、いまだに、その後遺症に苦しんでいる部分があります。
そして、そのような私たちの世代が今、親となって子ども達を育てているのです。
戦後、教育から宗教的側面が一切排除されましたが、宗教的信条に基づく「正しい善悪の判断基準」を持っていなければ、教師は「正しい価値観」を自信を持って教えることができないでしょう。
私自身、宗教的信条を学んだことによって、教員退職後に始めた家庭教師の場でも、子ども達に「善悪の価値基準」をしっかり教えらることができるようになりました。
昔は「表面だけのきれいごと」だと思っていた道徳についても、子供たちの心に届く情操教育ができるようになりました。
改正教育基本法第十五条には「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」という条文が新たに付け加えられましたが、実際には、教育現場では何も変わっていません。
私は「道徳教育」「宗教教育」を復活し、子ども達の心が「正義」と「自信」と「誇り」に満ちることを目指して、教育に励み続けることのできる教員養成に力を注いで参りたいと思います。
また、日本という国を愛し、ご先祖さま、日本の先人の方々に「誇り」を持てる正しい歴史教育、偉人教育を公立学校に実現したいと思います。
そして、幸福実現党の掲げる「教育再生」を実現し、「生まれ育った地域や日本のため、世界のためにがんばろう」と思う人材を育てて参りたいと思います。(幸福実現党鳥取県参議院選挙区代表 吉岡ゆりこ)
執筆者:吉岡 ゆりこ