中国に利用された野中広務氏の「尖閣諸島棚上げ合意」発言の愚
日中間の「尖閣諸島棚上げ」合意?
今、「尖閣諸島棚上げ」論が大きな話題となっています。
1月21日、公明党・山口代表が香港のフェニックステレビで、尖閣諸島の領有権について「容易に解決できないとすれば、将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ」と述べ、「尖閣棚上げ論」を中国側に投げかけました。
そして、中国人民解放軍の戚建国副総参謀長は6月2日、シンガポールで開かれていたアジア安全保障会議で、尖閣諸島について「解決は、我々よりも知恵のある次の世代に委ねるべき」だと述べ、「尖閣棚上げ」論を展開しました。(6/3 J-CAST「中国軍幹部、尖閣問題『棚上げを』」)
この発言に歩調を合わせるように、自公連立の立役者である野中広務元官房長官が北京の人民大会堂で中国要人と会談し、日中国交正常化交渉時、当時の田中角栄首相から尖閣諸島をめぐり、日中首脳が問題を“棚上げ”するとの共同認識に達したとの趣旨の話を聞いたと述べました。
これに対して、岸田文雄外相は記者会見で「わが国の外交記録を見る限り、そういった事実はない」「尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土だ。棚上げすべき領土問題は存在しない」と日本の立場を強調しました。(6/4 産経「野中氏の『尖閣棚上げ』合意指摘、外相と官房長官が全面否定」)
しかし、中国の国営テレビや通信社は、野中氏の「棚上げ合意があった」とする発言は日本政府の立場とは異なり、「中国の主張と同じものである」と報道しています。(6/4 NHKニュース)
野中氏は、帰国してからも発言を否定せず、中国側が野中氏の発言を利用して尖閣諸島には領土問題が存在することを内外に主張するために利用されたと言っても過言ではありません。
なぜ、「尖閣諸島棚上げ」が問題なのか?
そもそも、「尖閣棚上げ論」とは、1978年、当時の中国の最高実力者であるトウ小平氏が訪日した際に、尖閣諸島について「問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう」と話したことに端を発するものです。
日本政府としては、「領土問題が存在していない以上、棚上げの合意もない」として、「尖閣棚上げ論」は「鄧小平の一方的発言」という位置づけとなっています。(※日本側が応じれば「領土問題は存在しない」との従来の主張が崩れます。)
「棚上げ論」は一見、平和的主張に見えますが、ここに中国の巧妙な策略が隠されています。
「棚上げ論」は日本の尖閣諸島の実効支配を一時ストップさせ、その間に、中国がジワジワと実効支配を進めてくることは火を見るより明らかです。
実際、中国は南シナ海でも領有権をめぐって「棚上げ論」を持ち出しつつ、共同開発を進めるなどして、巧妙に南シナ海の実効支配を進めています。
日本が領有権を有する尖閣諸島に対して、「言い争いはやめて、お互い、尖閣諸島に手をつけないようにしましょう」などという言葉は詐欺まがいです。
「尖閣諸島棚上げ」論とは、言葉を変えれば「日本は尖閣諸島の領有権をあきらめよ」と言っているに等しいのです。
尖閣が日本の領土である動かぬ証拠
中国が公然と尖閣諸島の領有を主張し始めたのが、1969年に尖閣近海で豊富な海底資源があると調査の報告がなされた2年後の、1971年からです。
尖閣諸島の帰属については、様々な検証から日本のものであることは明らかになっています。幸福実現党出版<HRPブックレット『尖閣・沖縄が日本の領土である動かぬ証拠』>にその証拠の数々が記載されています。⇒http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=947
(1)1965年に台湾が発行した『世界地図集第1冊 東亜諸島』で国境線の位置を見ると、尖閣諸島は明らかに日本領として表記されている。
(2)1960年に北京市地図出版社が発行した『世界地図集』では、尖閣諸島は、日本の領域に表示され、「尖閣諸島」「魚釣島」という日本表示になっている。1971年以前には中国共産党も、尖閣諸島を日本領と認識していた。
(3)1919年(大正7年)、暴風雨で遭難し、魚釣島に流れ着いた中国福建省の漁民達が救出しました。これに対し、当時、大陸を支配していた中華民国の長崎領事から、石垣島村長や島民らに感謝状が届きました。その文面にははっきりと「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記載されていた。
ブックレットでは、そのほかにも26個に及ぶ『尖閣・沖縄が日本の領土である動かぬ証拠』を挙げています。
私たち幸福実現党は、今後とも「真実の歴史認識」に基づき、「時代変革のリーダー」である参院選候補予定者を先頭に、力強く正論を訴えて参ります。
(文責・小鮒将人)
執筆者:こぶな 将人