96条改正論を通して考える「民主主義のあり方」
憲法96条改正とは何か
夏の参院選に向け、憲法96条改正について議論が高まっています。
憲法96条とは、日本国憲法の改正手続を規定した条文で、「衆参両議員の3分の2以上の賛成」による発議と「国民投票による過半数の賛成」を憲法改正の要件としています。
現在、議論されているのは、発議要件を「衆参両院議員の2分の1」に下げるというものです。
政権発足時、憲法96条の先行改正を前面に出していた安倍首相ですが、中韓からの圧力や連立を組む公明党からの反対が強く、現在ではトーンダウンして、96条改正を政権公約(マニフェスト)に盛り込まない方針を固めつつあります。
一方、民主党は「96条改正に反対する」ことをマニフェストに明記しようとしています。
安倍首相のねらいは9条の改正にあると思われますので、そこをストレートに議論せず、改正手続きの問題から入ろうとすることは、現時点ではやむを得ないとはいえ、極めて「政治的」な動きだと言えます。
憲法改正は慎重にするべきか
憲法改正について定めた96条を改正することに慎重な議論があることは理解できます。
政権交代のたびに法律が大きく変われば、国防においても経済においても方針が一貫せず、国家の衰退を招くことはイギリスが証明しています。
法律ですらそうなのですから、国家の根幹にもかかわる憲法が大きく変わることへの危惧は当然です。
ただ、96条改正に反対している人たちは、9条のみならず憲法改正そのものに反対する人も多いようですが、日本国憲法は一度も改正されたことがありません。
これは世界でも非常にまれです。憲法改正は、アメリカでは6回、イタリアでは15回、フランスでは27回、ドイツでは58回も行われています。
時代に伴い、憲法も修正していく必要があります。その時々の情勢、時代の変化に合わせて、憲法を改正できる環境を整えることに慎重になり過ぎてはなりません。
現行の96条では、例えば、参議院ではわずか81人の議員が改憲反対に回れば、憲法改正の発議すらできません。極めて特殊な状況でなければ憲法改正できないのが現状です。
96条を改正しても、諸外国と比べて憲法改正要件が極端に緩くなるわけではない
とはいえ、憲法改正にはある程度の厳格さは必要なことは事実です。
現在の96条改正案は、改正案を国民投票にかけるための発議の要件を、各議院の「総議員」の3分の2以上から、2分の1以上に緩和するものです。
通常の法律は、定足数(総数の3分の1)を満たした出席議員の2分の1以上で成立しますので、法律レベルに緩和されるわけではありません。
さらに改正案成立には、国民投票の過半数の賛成を必要とします。諸外国を見ても、「国民投票」まで必要としている国は多くはありません(オーストラリア、オーストリア、フランスなど)。
国会議員の「総数」の2分の1以上で発議しても、国民投票で過半数を取らなくては成立しないというのは、結構なハードルだといえます。
フランスも国会(二院制)の過半数の議決の後、国民投票による過半数の承認を要件としていますが、大統領が国会で改正案を審議すると決めた場合は、国民投票には付されず、国会の5分の3の賛成で成立します。
日本の改正案は、これよりも民意を尊重する方向であるといえます。
最近の世論調査では、憲法改正に賛成する国民は50%を超えています。しかし、改正の第一段階である発議さえされないのは疑問があります。
改正要件を緩めることは、憲法とは何かを国民が真剣に考える機会ともなるでしょう。
憲法改正の前提となる「健全な民主主義」
ただし、時の政治勢力によって国家の基盤たる憲法が左右される危険はゼロとは言えません。
幸福実現党の大川隆法総裁も、5月30日発刊の『憲法改正への異次元発想』(幸福実現党発刊)のあとがきで「憲法九十六条改正から入るのも一つの手ではあるが、政権交代のたびに憲法改正がなされて、左や右に極端にブレるのは望ましくないだろう。」と述べています。
2009年「政権交代」というフレーズのみで何の見識も持たない民主党を大勝させてしまったことは記憶に新しいことです。
また、ナチスの全権委任法は民主主義的な手続きを経て成立したことを忘れてはなりません。民主主義のもとでは、最後は国民一人一人の見識が問われます。
では、国民一人一人の見識を高め、民主主義に正しい方向性を与えるものは何か――それが宗教です。
過去の思想家たちは民主主義には宗教や哲学が必要であると述べてきました。
トクヴィルは『アメリカの民主主義』において、「宗教の必要は君主制以上に共和制においてはるかに大きく、民主的共和制においてもっとも大きい」 「平等は人間を互いに孤立させ、誰もが自分のことしか考えないようにさせる。それはまた人々の心を度外なほど物質的享楽に向かわせる。宗教の最大の利点はこれと正反対の本能を吹き込むところにある」と述べ、民主主義における宗教的価値観の必要性を強調しています。
「国に何をしてもらうか」ばかりを考え、公に奉仕する崇高な理想を心に抱く人がいなければ、「民主主義」は簡単に「衆愚制」に陥ってしまいます。
幸福実現党が発表した「新・日本国憲法試案」は、「憲法改正は総議員の過半数で国民投票にかける」ことを提言していますが、「神仏の心を心とする」宗教的価値観の大切さを同時にうたっています。
私たち幸福実現党は、国家の行くべき方向性を示すと共に、宗教的価値観のもとで「健全な民主主義」が根付くことを願っています。
自らが属する国の方向性を自らで選び取っていくことは、人間にとっての使命であり、大きな幸福でもあるからです。
(文責・政務調査会 部長代理 小川佳世子)