宗教的土台なき愛国心は虚像――安倍政権下の愛国心教育にあえて異論
偉人教育、郷土愛教育が復活へ
4月1日の衆院予算委員会で下村文科相は、道徳教材として使われている小中学生向け「心のノート」全面改訂に関して、偉人伝を盛り込む意向を表明しています。(4/1 産経「道徳教材『心のノート』に偉人伝も 下村文科相」)
また、各地方教育委員会では独自に郷土の偉人教育を道徳などの時間で強化する動きも出ています。(2009/3/31 学校ニュース 「『授業で吉田松陰』山口県教委が奨励 愛国心条項に対応」/4/5 河北ニュース「宮城県教委による郷土偉人を掲載した道徳副教材の作成」)
確かに「偉人教育」は規範意識を高め、理想や志の大切さを教え、自助努力の養成になると共に、郷土の偉人を学ぶことで一層の愛国心や郷土愛にもつながるでしょう。
そもそもは第一次安倍内閣で教育基本法が改訂され、第2条第5項にいわゆる「愛国心条項」が明記されたことが前提になっており、これをもとに今年3月、安倍政権は愛国心・郷土愛教育の強化をするための識者会議設置を表明しました。(3/23 朝日「『郷土愛・愛国心育むため』 安倍内閣が識者会議設置へ」)
愛国心の基にある宗教的精神
こうした動きに対し、主に日教組などの左翼的立場からは「戦前に戻る改悪だ」などと、例によって単純な批判が示されていますが、ここで、あえて保守的立場、国際的立場からの異論を提起したいと思います。
それは本来、普遍的宗教精神の土台がなければ、愛国心は虚像であり、国際社会の中では通用しないと考えるからです。
4月8日、マーガレット・サッチャー元英首相が亡くなられ、心より追悼の意を表します。 安倍首相が目指す「教育再生」はサッチャー氏の「教育改革」がモデルであると言われています。
サッチャー氏は「現在の問題の解決が要求する実際的な方法で、社会を再道徳化するのに必要な徳目を、キリスト教以外に何かあるとは想像しがたい」と語り、生涯の課題として取り組んで来た「教育再生」の根本にキリスト教的な宗教精神を置いていました。
サッチャー改革は今なお受け継がれ、2004年には「宗教教育フレームワーク」が導入され、英国における宗教教育は拡充され続けています。
その一方で、日本において、教育に普遍的な宗教精神を導入しないまま、「愛国心」のみを強化した場合、国際社会の中では単なる「国家エゴ」と区別するのは難しいと言えます。
「保守主義の父」として、多くの保守が尊敬してやまないエドマンド・バークは『フランス革命の省察』で以下の通り、述べています。
「民主主義が機能するためには、民衆はエゴイズムを捨てねばならない。宗教の力なくして、これはまったく不可能と言える。
国家は聖なるものであり、権力は神の御心に沿うべく行使されるとき、はじめて正当なものとなる」(新訳『フランス革命の省察』,佐藤健志編訳,PHP,2011)
世界中の圧倒的多数の人々は何らかの信仰を持っており、諸外国は宗教的信仰の上に愛国教育や政治的信条が築かれています。
日本が本当の意味で世界のリーダーになるためには、普遍的宗教精神を土台にした愛国心教育や政治的改革が不可欠です。
日本にも「真の愛国心教育」の復活を!
では、現代における「普遍的宗教精神」とは何でしょうか。
例えば、それは震災で被災地・沿岸部の方々が日々実感している霊の存在やあの世の存在、そしてそれをもとにした善悪の価値観、「絆」に代表される宗教的情操(優しさ)ではないかと私は考えます。
日常的出来事として、東日本大震災で被害が大きかった沿岸部では、あの世や霊の存在を認めざるを得ない状況が起こっています。
毎夜、霊があらわれて新たな交通事故の元になるので通行止めにされる橋。同じく霊が出るために工事に支障が出てなかなか復旧作業ができなかったスーパーなど。
こうした議論を待つこと無く、普遍的宗教ではいずれも霊界の存在を前提として認めており、ここから善悪が生まれ、祖先や親・兄弟を大切にする心、故郷・祖国への愛が導かれています。
偉人教育にしても、なぜ偉人が偉人になり得たのか理解するには、彼らの行動原理・思想的背景を学ぶことが何より大切ではないかと思います。
明確に普遍的宗教精神をベースに置かない愛国心や郷土愛は、虚像であり、場合によっては危険な側面があります。
私たち幸福実現党は、普遍的な宗教精神を土台とした教育改革を提唱しています。
日本が本当の意味で国際社会の中で協調し、リーダーとして役割を果たすためには宗教的精神に基づいた「真の愛国心教育」が必要です。
それこそ「世界が望む日本」の役割を果たすために必要な要素であると考えます。(文責・宮城県本部第四選挙区支部長 村上 善昭)