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震災の教訓――海外との「絆」に見る日本の新しい使命

海外174カ国・地域との「絆」

震災から丸2年の節目を機に、あらためて被災地の現状や当時の状況などが盛んに報道されています。

その中で必ず出て来るキーワードが「絆(きずな)」です。

私も被災地・宮城県の人間として、日々こうした報道に関心を持ち、また自分自身も現場でNPO法人の一員として様々な活動を行ってきて、「絆」の大切さを毎日実感しております。

ただ、この「絆」については、マスコミの報道は国内が中心であり、この間、海外から受けた支援とその絆についての報道はあまり多くありません。

しかし、震災から一年間で日本が受けた海外からの支援は175か国に上ります。(3/5 朝日「震災支援、海外から1640億円 174カ国・地域」)

話題にのぼりやすいのは、アメリカによる「トモダチ作戦」や、台湾からの多額の義捐金や支援ですが、その他の数多くの国々との「絆」についても、被災地をはじめとして日本全体であらためて振り返り、感謝し、次の行動へつなげていくべきだと思います。

日本への恩返し

私自身も宮城の沿岸部で救援活動する中で出会った中に、例えばトルコの方々がいらっしゃいました。

トルコは明治時代に船が和歌山近海で座礁した際、日本の村人が船員を救助したことから日本への敬意を表すようになったと言われており、震災後も人的・物的、両面で大きな支援をしてくれました。私が見たのはトルコ政府派遣の救援隊でした。

また、フランスによる支援は宮城県の特に牡蠣養殖の現場においては、今も身近な存在です。

その元は、やはり昔日本が行った支援にあるようで、1970年代にフランスの牡蠣が病気蔓延で危機に陥ったとき、宮城から種牡蠣を提供し、現在のフランス市場に流通する牡蠣の90%は宮城産が元になっているそうです。

そのご縁で、震災直後だけでなく現在までもフランスから漁具の支援や新たな牡蠣養殖の共同開発支援などが行われています。

このように、私たちの先祖や先輩の方々の日本人としての徳高き行動が、今、世界からの「恩返し」という形で、震災支援となって帰ってきているのです。

その意味で、日本人の先達の方々との「絆」も深く実感する次第です。

「最貧国」と呼ばれる国々からの支援

また、こうした海外からの支援は、恵まれた国からだけではありません。「最貧国」と呼ばれる国々(先の朝日新聞の報道によれば35か国)からも頂いています。

例えば東南アジアのミャンマーという国があります。アウンサン・スーチー氏の件や最近開放路線になったことでの成長可能性が話題にのぼる国ですが、実際にはまだまだ貧しい国です。

最近、私も縁あって渡航しましたが、第一都市ヤンゴンの中心部から車で一時間も走ると粗末な家々が並び、貧しい生活環境の地域がたくさんあります。

ミャンマーでは2008年に大規模なサイクロン被害があり、そうした貧しい地域の人を中心に10万人以上が亡くなったと言われます。

その復興自体もまだ進んでいない中で、日本の震災への支援も行ってくれたことは感謝に絶えません。

ミャンマーは先の大戦をきっかけに、当時イギリスから独立する際に日本が支援したこともあり、「親日国」として知られています。

実際、ミャンマーで私が個人レベルでも感じたのは、日本人への信頼であり、日本への期待の大きさです。

日本人よ、強き使命感を持て!

今後、我が国が東北の復興を成し遂げ、日本の再建を行うためには、まず「志」が必要だと思います。

それは自分たちの生活や仕事を再建するためだけでなく、「世界の中で日本が新しい使命を果たす」という志です。

経済だけでなく、思想、文化、政治、科学、教育、あらゆる分野で、日本は優れたものを持っており、優れた先人たちの蓄積があり、世界の友人に伝えるべき内容を持っていると思います。

震災を契機として大切さを実感した「絆」を、国内だけでなく、海外にも広げ、日本が世界にさらに貢献する国家づくりを行うべきです。

最後に、最貧国の一つと言われるミャンマーで現地の友人が語った言葉が忘れられません。

「国は何もしてくれない。自分たちで努力して成功するしかない。」

生活保護もない、社会保障も整備されてない場所で、逞しく自助努力し、明るく元気に、日本を目指して頑張っている海外の友人たちに、少しでも日本として、日本人としてできることをしていきたいと思います。

そして、それを被災地・東北における震災の教訓としていきたいと考えます。
(文責・宮城県本部第四選挙区支部長 村上 善昭)

村上 よしあき

執筆者:村上 よしあき

宮城県本部第4選挙区支部長

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