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幸福実現党が幸福実現党であるために

12月4日、第46回衆院選が公示され、12日間の選挙戦が始まりました。

幸福実現党の国防政策、経済政策は今や大政党の中心政策として堂々と採用(盗用?)されるまでになり、ブレない一貫した政策は、特に有識者等の間から絶大な信頼・評価を得るに至っております。

2009年立党よりわずか3年が過ぎた現段階で、とりわけ国防政策、経済政策の分野では、幸福実現党の先見性は他党の追随を許さない実績を示しました。

一方、戦後、日本に一貫して流れる「宗教への偏見」の壁もあり、宗教政党として国民各位に政策を浸透させ票を頂くという点で厳しい環境にあるのも事実です。

厳しい環境にありながらも、多くの心ある国民の皆様から温かいご支援を賜っておりますことを心より感謝申し上げます。

さて、有権者の皆様からしばしば投げかけられる質問に、何ゆえ、これほど厳しい環境の中で戦いを続けるのか?理解に苦しむというものがございます。

さて、「厳しい環境にあるから挑戦をしない」という考えを定点として歴史を振り返って見た時、いかなる風景が見えてくるのでしょうか。

キリストの弟子たちが過酷な迫害を恐れ、勝ち目のない絶大な権力をもった体制と戦うことあきらめていたら、現在、我々はあるいは「信仰」という尊い価値を知らずにいたかもしれません。

吉田松陰が、幕府に対して勝ち目がないと諦め、ペリー艇に向かって櫂をこぐことを止めていたら、あるいは明治維新の革命のエネルギーは生まれず、その後日本は、欧米列強の属国となっていたかもしれません。

このように勝ち目がないから挑戦しないという姿勢は、いかなる局面であっても、人類の進歩の為に戦ってこられた先人たちに対しても不敬極まりないと思うのであります。

これを単なるセンチメンタリズム、ロマンチシズムと一蹴する方もいらっしゃるでしょう。

しかし、幸福実現党の政策をつぶさに検証して頂ければ、ある「逆説」を発見されることと思います。

例えば、普天間基地移設問題に関して、幸福実現党は沖縄県の保守でさえ主張できなかった「普天間基地の移設先は日米合意通り辺野古沿岸にすべき」と堂々と訴え、2010年の沖縄県知事選に候補者を立てて戦いました。

鳩山元首相の「東アジア共同体」「少なくとも県外」これらがいかに非現実、幻想であったかは現在でははっきりとしています。

宗教政党が現実的政策を訴え、既成大政党が、夢見る少女のような「幻想」に惑わされていたのだとしたら、これほどの逆説はないのではないでしょうか。

非現実的な幻想には「憲法九条を守っていたら日本の平和を守れる」「自然エネルギーで原発を代替できる」などのリアリティの無い幻想、夢想、妄想を掲げる新党も次々と誕生しています。

現在の大勢である「脱原発」「卒原発」に対し、幸福実党は、堂々と、日本国家存続の為に原発推進を訴えています。

宗教は総合的人間学でもあります。人間の強さも、弱さも知る立場です。

仏神を否定し、人間の理性に信頼を置いた理性主義(マルクス主義、共産主義等)がいかなる災難を人類にもたらしてきたかは周知の事実です。

宗教政党こそ、これらの人間の傲慢さから来る災難(カタストロフィー)をいち早く察知し、対処できます。

本来、為政者は仏神の代理として、仏神の心を自らの心に映し、政(まつりごと)をしなければならないのです。

現在、人類が享受している尊い概念「自由」「信仰」「民主主義」等は皆、先人たちの命がけの戦いによって得られたものです。

同時に戦いを止めた時、それらの価値も消えます。

尊い価値を守るためには、不断の自由の為の戦いが必要です。

「厳しい結果が予想されるので、挑戦を諦める」という発想は、人類の発展、祖国日本の為に戦ってこられた数多の先人たちの御霊に対して不敬極まりないのであります。

「何もしなければ、何も変わらない!」「変えられるかどうかではなく、変えなければいけないんだ!」といった陽明学的発想を実行する真実一路の馬鹿者こそが歴史を変革して来たのです。

風が風であるためには吹き続けなければなりません。

幸福実現党が幸福実現党であるためには、戦いを続け、逆風に打ち勝たなければならないのです。
(文責・加納有輝彦)

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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