Home/ 2015年 September 2015年 September 最終的な世界平和と正義の実現に向けて 2015.09.03 文/幸福実現党・広島県本部副代表 佐伯知子 ◆戦後70年 8月の広島 8月6日、「広島市原爆死没者慰霊式典・平和祈念式」に参加しました。 今年も会場の外では様々な平和勢力 団体が活動していました。 受け取ったチラシには「アメリカは核も基地も持って帰れ!」の大きな見出し。「国際紛争については武力ではなく話し合いで解決を」、これが彼らのスローガンのようです。 そして、松井一實広島市長の平和宣言でも、2020年までの核兵器廃絶を実現するために、各国為政者に必用なのは「人類愛」と「寛容」の精神で対話を重ねることであると述べています。 そうして得られた互いの信頼を基に、武力への依存を廃した安全保障の仕組み創りを忍耐強く進め、日本国憲法の示す平和主義を世界に広めなければならない、という主旨の話がなされました。 ◆「人類愛」と「寛容」に基づく対話で核兵器は無くなるか 核兵器の無い世界は是非とも実現したい理想です。 しかし、現実に世界には既に1万発以上もの核兵器が存在し、これらがすぐに無くなるわけではありません。数を減らしたところで、どこかに残存する限り、地球の危機が無くなることはありません。 2009年、オバマ大頭領はプラハのスピーチで「核兵器の無い世界」について自身のビジョンを熱く語り、実際に米国の安全保障政策における核兵器の役割を縮小し始めました。 世界のリーダーの核軍縮は平和勢力に大歓迎されましたが、さて、その結果、世界平和は実現に向かったと言えるでしょうか? 中東での紛争やテロは激しさを増し、欧米とロシアはウクライナを巡って対立。アジアでは中国が軍備拡張しながら他国の領土に進出しています。北朝鮮と韓国の間もきな臭くなってきました。 どう見ても、世界は混沌状態です。 世界はアメリカの言うことを聞かなくなっています。そして、そうした国々は皆、核兵器保有国なのです。 重要なのは、そうした国々は何のために核兵器を保有しているのか、ということです。抑止・防衛のためなのか。外交力を強化するためなのか。攻撃のためなのか。覇権のためなのか。 誰が何のために保有するかによって、核の危険性には違いが生じてきます。 誰が(どの国が)持っている核兵器が より危険なのか。人類愛と寛容に基づく対話 以前に、廃絶に向けて何処から刀狩りをすべきなのか、智恵を持って考えなければならないと思います。 ◆「人類愛」「寛容」とは程遠い中国の動き さて、“より危険な核兵器”を保有する中国という国が日本のすぐそばにあります。 中国は、5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議において、「世界の指導者に被爆地の訪問を促す」という日本の提案に対して、旧日本軍による いわゆる南京大虐殺や従軍慰安婦に言及しながら猛反発しました。 そのときの中国の言い分はこうです。 「日本は第二次世界対戦の加害者であるにも関わらず、被害者であるかのように描こうとしとおり同意できない。」 また、8月6日、戦後70年目の「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」には過去最多の100ヵ国もの参加であったにもかかわらず、中国は参加しませんでした。 中国は核兵器の悲惨さを学ぶ気などありません。そればかりか、戦勝国による歴史の捏造である、南京大虐殺や従軍慰安婦といった「日本悪玉論」を持ち出して自らの軍事増強を正当化し、尖閣諸島や東・南シナ海への軍事的圧力を強めています。 要するに、今の中国は覇権実現のため、核兵器を手放す気などないのです。 ◆平和と正義の実現に向けて ここでは言及しませんでしたが、北朝鮮も危険な核兵器を保有しています。また、ロシアも核兵器保有国です。 こうした国々に囲まれている日本は、どうやって自国を守るのか、どうやって世界平和に貢献するのか、真剣に現実的に考えなければなりません。 非核三原則を謳い、日本が核兵器を持たず作らず持ち込ませないのは結構ですが、現実、今はアメリカの核の傘に守られていることを忘れてはいけません。 したがって、日米同盟の強化に繋がる安保法制の成立は不可欠です。 しかし軍事縮小路線のアメリカにいつまでも守ってもらえる保証はありません。日本は自分の国は自分で守れるように憲法9条を改正すべきです。 そのためには改憲の足かせとなり、また、中国の軍拡の免罪符ともなってしまっている「自虐史観」を払拭しなければなりません。 その上で、中国や北朝鮮の核兵器に対しては愛と寛容の対話ではなく、きちんと削減・廃止を訴え抗議すべきです。 彼らが核兵器をどうしても手放さないのであれば、日本も抑止力としての核保有も検討すべきです。二度と侵略や覇権のために核兵器を使わせないためです。 唯一の被爆国である日本だからこそ、最終的な世界平和の実現に向けて世界秩序を正し、正義を実現するための強い国になる義務と責任があると思います。 真の日米同盟を築くために必要なこと 2015.09.02 文/HS政経塾2期卒塾生 服部まさみ ◆人種差別問題に苦しむ米国 米国では人種差別が原因の銃撃事件が相次いで起こっています。 先月、米バージニア州で黒人差別への報復のために、生中継でインタビューを行っていた記者とカメラマンを銃殺する事件が起こりました。 この事件の引き金になったのが、米サウスカロライナ州のアフリカ系米国人教会で起こった銃乱射事件で、犯人は21歳の白人青年でウェブ上に人種差別的な声明を出していました。 また、米ミズーリ州ファガーソンでは昨年、黒人少年が白人警察官に射殺される事件が発生し、この事件をきっかけに全米で人種差別に抗議するデモが起きました。今年の追悼デモで銃撃戦が起こり、非常事態宣言が出されています。 ◆人種差別の存在を認めないアメリカ 相次いで起こる銃撃事件に対して、オバマ大統領は「銃を持つべきではない人物が銃を手にしない社会をつくるために米国はさらなる努力をするべきだ」と表明しましたが、銃規制だけでなく、人種差別の問題が根底にあります。 米国で人気のコメディアン、ジョン・スチュワート氏は、司会を務める番組で「アメリカは本質を直視していない。人種差別が引き金であることを論じようとしないし、触れないようにしている」と痛烈に批判し問題を投げかけています。 ◆アメリカは「自己矛盾」を直視すべき 実は、米国社会の闇である人種差別問題と「河野・村山談話」の見直しができない背景には、密接な関係があります。 ザ・リバティ編集長綾織次郎氏は著書「『奇跡』の日本近代史」の中で以下のように述べています。 「日本と戦ったアメリカという国の理想は、『神の子である人間はみな平等で、幸福を追求する権利がある』『国民が政治参加し、自分たちの力で素晴らしい国をつくることは自由の創設であり、そこに人間の幸福がある』という考え方にあります。」 「しかし、アメリカは戦前、この理想を有色人種には認めていなかったという『自己矛盾』があるために、日本との戦争を『悪魔の国と戦った』ということにしておくしかありません。」 つまり、肌の色の違いによって差別されることなく、幸福を追求することができ、自分たちの力で素晴らしい国をつくるという理想を掲げながらも現実は、白人優位主義による帝国主義的植民地支配の考え方が続いていたのです。 皮肉にもアメリカ革命で米国が理想とした「自由の創設」を成し遂げたのが大東亜戦争であり、アジアにおける欧米列強の植民地支配からの解放、人種差別撤廃のために戦ったのが日本だったのです。 米国が自己矛盾を認めると、西洋諸国が有色人種に対して行ってきた罪深い歴史の反省を迫られます。それに抵抗するために「南京大虐殺」というプロパガンダをつくり、歴史を修正し、日本を「残虐な犯罪国家」に仕立て上げているのです。 米国の自己矛盾は対外政策にも表れています。「9.11」以降、巨額の予算と人材を投入し、中東のイスラム教国の反米感情を和らげようとしました。 表面上は「パブリック・ディプロマシー(広報文化外交)」と言って国際交流やメディアを通じた友好的な政策ですが、現実は、相手国の文化や社会的背景よりも米国の国益を第一に考え、自分たちに都合の良い思想を相手国に押し付けるばかりの「プロパガンダ」でしかなく、反対に反米感情を強めてしまいました。 ここにも「自由の創設」という理想とは反対に、白人優位主義による帝国主義的植民地支配の考え方が根底にあるのです。 米国は「歴史を修正するな」、「平和憲法を守れ」、「核兵器を持つな」と圧力をかけますが、自分たちは権力を保持するために歴史を修正し、核兵器を持っています。 その自己矛盾から人種差別や外交問題、銃撃事件など様々な問題で苦しんでいるのです。米国は自己矛盾と真正面から向き合い、真のリーダー国家として世界平和に貢献すべきです。 ◆世界に誇る日本の美しい歴史を蘇らせる 日米が本物の同盟関係を築くことができるように、私たちは日本の歴史について、きちんと説明できるだけの誇りと自信を持たなければなりません。 日本は明治維新、日露戦争より続く「自由の創設」という大義のもとに、「人種差別」「共産主義」という、「個人の自由」を阻害し、隷属を強いる二つの大きな価値観に戦いを挑み続けた美しい歴史の真実を伝え続けることです。 理想実現のために、まずは、日米が歴史の見直しを行い易くする環境づくりが必要です。つまり、「お互いに歴史の見直しが必要ではないだろうか」という「世論」を生み出すことです。 シンクタンクや大学などの非政府機関が中心となり、国際世論の盛り上げや啓蒙を目的とした国際シンポジウムを国内外で繰り返し開催していく必要があります。インターネットを使い、世界に向けて中継することで最大限の効果を狙うこともできます。 また、GHQによって行われた“過去のすり替え”を元に戻すために、官民一体となって公開史料や信頼できる資料から客観的な研究を行い、研究成果を英語で発信することが必要です。 さらに親日国や親日派と共同で学術的な研究を行うことが重要です。外交評論家の故・岡崎久彦氏によると、インドには大東亜戦争での日本の貢献を研究したものがすでに数多く存在すると言います。 米国の中にも史実に基づいて公平な立場で研究している有識者も数多くおり、共同研究を通じて、人脈やネットワークを作っていくことが日本外交の厚みにもなっていきます。 建国の理念として「世界は一つ、人類みな兄弟という八紘一宇」の精神を持つ日本だからこそ、その理想の国づくりを米国に、そして世界の国々に伝えることができるのです。 日本が自国の歴史を愛し、誇りを持つことは、同盟国や世界の国々を救うことに繋がっていくのです。 沖縄集団自決に日本軍の強制はあったのか【前編】 2015.09.01 文/HS政経塾4期生 幸福実現党 大阪本部副代表 数森圭吾 【戦火から沖縄住民を守るために動いた日本軍】 ◆沖縄での集団自決とは何か 1945年の沖縄戦における日本側の死者は約20万人。その内の半数である約10万人が沖縄県の住民だったといわれています。 このような激しい戦場となった沖縄の主に慶良間列島、を中心として一般住民が集団で自殺するという事態が発生します。 これが「集団自決」であり、そこに「日本軍の強制」があったのではないかということが問題となっています。 ◆沖縄における戦況 1943年当時、日本の大本営は沖縄を前線支援のための航空基地として設定していました。しかし1944年7月サイパン島を失ったことで、沖縄は一転して本土防衛の第一線となります。 これに対しアメリカ側も、台湾とフィリピンを目標として、最終的に日本本土攻略を目指していましたが、戦況の変化と日本本土攻略の利便性から、1944年10月に沖縄を目標とすることを正式に決定します。 米軍にとって沖縄は日本本土攻略のための航空基地・兵站基地として、さらには南方との交通を遮断し、日本本土を孤立化させるために必要な重要地点と位置付けます。 このような流れのなかで沖縄は両国にとって重要な戦闘地域となっていきました。 ◆両軍の慶良間列島に対する考え方 ここで多数の集団自決が発生した慶良間列島に対する両軍の考えも見ておきたいと思います。 慶良間列島には地形的に飛行場に適した土地がなく、慶良間列島へ米軍が攻撃すれば、沖縄本島への攻撃方向を予告するようなものであるため、米軍は直接本島上陸を行うだろうと考えていました。 そのため、本島に向かう米軍船団を襲撃する目的で、約300隻の特攻艇を慶良間に配備したのです。 これに対し米軍は本島への大規模な上陸作戦に先立って、水上機基地、艦隊停泊地として利用するために慶良間列島を攻略することを決定しました。 慶良間列島に囲まれた慶良間海峡は水深が深く、地形的に風を防ぐことができる構造になっていたため、水上機の理着水、艦船への補給、修理が行いやすく、米軍にとって最適の支援基地となりえたのです。 計画通り米軍は日本軍の海上挺進隊の特攻艇を破壊し、慶良間各地を占領して海軍の支援基地としました。この際、渡嘉敷島・座間味島などで大規模な集団自決が発生したのです。 ◆日本軍の沖縄住民避難対応 当時、多くの沖縄県民は、「本土防衛のためには玉砕も辞せず」という考えを持つ方も多く士気は高かったと言います。このことから、「防衛隊」、「鉄血勤皇隊」「ひめゆり部隊」「白梅部隊」などが結成されます。 いかに沖縄県民が協力的であったかという点については、海軍司令官の大田実少将が海軍次官にあてた最後の電報や島民手記などの内容からも読み取ることができます。 日本陸軍は1877年の西南戦争以降、国土での戦いを経験したことがなく、国防方針として外征作戦によって国土防衛を行ってきたため、住民を包含して戦う国土戦についての研究を十分に行っていませんでした。 そのため記述の通り、見通しの誤りや、対応の遅れなど不備はあったものの、日本軍はできうる限りの沖縄県民の疎開と避難を行っているのです。 ○県外疎開の実施 サイパンにおいて日本軍が玉砕した1944年7月7日、政府は即日、沖縄県・奄美諸島(第三二軍守備区域)の住民を疎開させることを閣議決定し、結果的に約8万人の疎開を実施しました。 さらには約7千人の学童疎開も行っています。ただ、当時は制空権、制海権を失った状況であったため疎開船への米軍の攻撃によって犠牲も発生しています。 しかし、帝国海軍は同様の犠牲を増やさないため、疎開船の護衛に残存艦艇および航空機の重点配分を行いました。 さらに1945年3月の疎開の最終段階において帝国海軍は、軍規定を破ってまで戦闘艦に婦女子を乗せて九州に高速避難までさせています(沖縄県中城村在住/真喜志文子氏証言)。 ○島内に残った住民の県内疎開実施 さらに、沖縄県の人口分布は本島南部に集中していたため、日本軍は島内に残った住民8万人を北部の山岳地帯に避難させました。 しかし、沖縄本島の南部には疎開勧告に応じない非戦闘員が約30万人存在し、さらにこの後、米軍が本島中部の海岸に上陸し、本島を南北に分断した為、中南部住民の北部への疎開は不可能となり犠牲者が多数発生してしまいました。 このほかにも沖縄本島での非武装地帯の設定を試みるなど、当時の日本軍は沖縄戦において住民保護のために取りうる対応を最大限に行ったということができます。 次回の後半では、沖縄住民を守ろうとした日本軍が果たして集団自決を強制したのかについて見ていきたいと思います。 【参考文献】 秦郁彦「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」(PHP研究所) 勝岡寛次「沖縄戦集団自決 虚構の『軍命令』」(明成社) 曽野綾子「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実」(WAC文庫) 沖縄タイムス社 編「沖縄戦記 鉄の暴風」 大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書) 家永三郎「太平洋戦争」(岩波現代文庫) 「WiLL」2007年12月号 「WiLL」2008年1月号 「正論」2008年3月号 すべてを表示する « 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