Home/ 国防・安全保障 国防・安全保障 倒錯した国会論戦の行方 2015.05.17 文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝彦 ◆本格的論戦に入る安全保障法制 政府は14日の臨時閣議で、集団的自衛権の行使容認を含む新たな安全保障法制の関連法案を決定しました。 与党は遅くても26日に審議入りさせ、6月24日までの会期を延長して8月上旬の成立を目指しています。いずれにせよ、今月下旬から与野党の論戦が本格化します。 昨年7月に閣議決定された集団的自衛権の限定的な行使容認の条件である「武力行使の新3要件」については、繰り返し議論がなされてまいりましたが、今後の論戦においても中心論点となる見込みです。 新法制では、他国への攻撃により、日本の存立や国民の権利が根底から覆される明白な危機があるケースを「存立危機事態」とし、このケースでは集団的自衛権を行使できるとされています。 ◆想定されるホルムズ海峡の封鎖 想定されるケースの一つとして、ホルムズ海峡が機雷により封鎖される事態があげられます。 わが国に輸入される原油を載せたタンカーの大部分が通過するペルシャ湾のホルムズ海峡が機雷で封鎖された際の国際的な機雷の掃海活動(機雷除去)への参加について、「日本の船舶も含め外国の商船も多数航行する重要な海峡で機雷が敷設され、各国が協力して機雷掃海を行っているなか、その能力に秀でる日本が掃海をできなくていいのか。」安倍首相がしばしば具体例としてあげてきたものです。 当初、ホルムズ海峡が機雷で封鎖されれば、集団的自衛権を発動して自衛隊が機雷掃海にあたると理解される発言を安倍首相は示していました。 しかし、論戦が進む過程で、与党の発言は変化しました。 ◆看過できない自民党高村副総裁の恐るべき発言 5月3日のNHKテレビ番組で自民党の高村正彦副総裁は、自衛隊が中東・ホルムズ海峡で、集団的自衛権を使って停戦前に機雷掃海をする条件について「ホルムズ海峡から原油が全く来なくなって、国内で灯油もなくなって、寒冷地で凍死者が続出するというのは、国民の権利が根底から覆される(状況)ではないか」と語りました。 高村氏は「単に経済的理由では駄目だ。原油が3割、5割上がる程度では駄目だ。(新3要件は)かなりしっかりした規定だ」とも語りました。 「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」とは原油が3割、5割上がる程度では駄目で、寒冷地で凍死者が続出するケースとしたのです。 ホルムズ海峡が封鎖され、灯油がなくなり、寒冷地で凍死者が続出して初めて「武力行使の新3要件」を満たすというこの高村氏の発言は、驚くべき発言です。 昨日のNHK番組では、自民党稲田朋美政調会長も、「餓死者、凍死者の続出」が想定される国民の生命が脅かされるケースの一つと考えられると高村氏より幾分幅をもたせながらも発言しました。 餓死者、凍死者が続出する事態の前には、失業者の続出が想定されます。 我々納税者が、失業し、餓死し、凍死するまで、集団的自衛権は発動されず、ホルムズ海峡の機雷掃海はなされないとは、笑止千万、そのような政府に税金を払う必要性を感じません。 高村氏、稲田氏の発言は、集団的自衛権の限定的行使が、いかに厳しい基準で行われるか、武力行使の新3要件の要件がいかに厳しいものであるか、野党の追及をかわすための、国民生活の現実からかけはなれた詭弁に過ぎません。 ◆倒錯した論戦でなく、現実的論戦を もともと無理のある憲法解釈の変更の矛盾のつじつま合わせのために、国民生活の現実が犠牲になり、国会論戦が机上の空論に終始するなら、これほど馬鹿げた事はありません。 当面の選挙を凌ぐために、憲法改正を前面に掲げることを回避した自公政権の無作為のツケを、多くの国民が餓死、凍死することをもって払わせられるとしたら、もはや国会議員の存在価値はありません。 反対する野党も、自民党の高村氏、稲田氏から、集団的自衛権の限定的行使が事実上不可能であることの言質を取ったと考えるのなら、国民へのこれほどの背信行為はありません。 与党、野党の国会議員の皆様は、どうか、国民が餓死、凍死してでも憲法9条の精神を護るというような馬鹿げた倒錯した論戦に終始されないよう期待をいたします。 中国の沖縄侵略を手引きする「龍柱」建設計画 2015.05.15 文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩 はじめに5月15日は、「沖縄県祖国復帰の日」、沖縄戦の英霊と祖国復帰に力を尽くされた方々に深く感謝申し上げます! ◆那覇市の「龍柱」建設計画 那覇市には、2014年度に沖縄の海の玄関口にあたる若狭に15メートルの「龍柱」のモニュメントの建設計画がありました。 「龍柱」建設計画は、現在の翁長雄志沖縄県知事が那覇市長時代に「沖縄振興特別推進交付金(一括交付金)」を活用して決めたものです。 ところが、3月末までに完成の見通しが立たなくなり一括交付金の今年度への繰り越しが認められず、建設が中断していました。 事前に「龍柱」建設の説明は地元にされておりません。一括交付金を地元業のために使うならともかく、なぜ日本国民の血税を中国の業者のために使うのかという疑問の声もあります。 中国の沖縄侵略を手引きする「龍柱」建設計画 すでに中国に発注した龍柱本体は分割制作され、沖縄の若狭に運び込まれており組み立てるだけになっています。 ※先月4月に撮った「龍注」の写真 (佐々木「フェイスブック」より) https://www.facebook.com/katsuhiro.sasaki.71 ◆那覇市が事業費単独負担で「龍柱」建設再開へ そこで那覇市議会は5月8日、不足している事業費約1億296万円の補正予算案を賛成多数で可決しました。 そもそも沖縄のシンボルは、「シーサー」であり、「龍」は中国のシンボルです。沖縄に「龍柱」が建つことは、沖縄は中国の属領であることを認めるようなものです。 翁長氏は、福建省福州市の名誉市民にもなっています。先日の菅官房長官との会談で「米軍の辺野古移設はさせない」と言った直後には「北京詣で」に出かけたように中国と深い関係を持っています。 人民解放軍の複数の将官は、「もともと、琉球(=沖縄)は中国のもの」と主張しています。中国はすでに「琉球共和国憲法」「琉球国旗」までつくり、中国の反日デモでは「琉球返還」というスローガンが掲げられています。 参考:人民日報、琉球の領有権を主張 「独立国家を日本が併合」と批判(夕刊フジ2013.5.9) http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130509/frn1305091148001-n1.htm 中国がチベットを侵略する際に、その手始めに言ったことは、「チベットは中国のもの」ということです。 このように中国は、侵略を正当化する環境づくりをするため、相手国に対して「思想による侵略」から始めます。 「龍注」が沖縄に建つことで沖縄県民を含めた日本国民が、「沖縄は中国だった」という認識を持つようになれば、中国にとって「沖縄属国化」の最初の工作が成功します。 すでに「中国による沖縄侵略は始まっている」のです。 沖縄を中国から守るためには、沖縄県民も日本国民も「沖縄は日本である!」という強い認識を持つことが大切です。 ◆沖縄は昔から日本であったことの根拠 そこで「沖縄は昔から日本であったことの3つの根拠」を述べておきましょう。 (1) 「歴史的」にみても沖縄は日本――古事記の時代から沖縄は日本 古事記の時代は、九州が日本の中心であり沖縄には普天満宮(ふてんまぐう)など、天照大御神を祀った神社が幾つかあります。 また琉球王国が編纂した歴史書には「琉球王国の最初は、源為朝の子が開いた」と書かれてあり、琉球王国のルーツは日本にあることは明白です。ちなみに源為朝は源頼朝のおじさんに当たります。 さらにおもしろいのは「琉球王家」の家紋は「宇佐八幡宮」の「神紋」と同じです。 (2)「人類学的」にもみても沖縄の人々の頭蓋骨は日本と同じグループ 近世の沖縄の方々の頭蓋骨を調べると、渡来系弥生人、あるいは現代日本人、江戸とか鎌倉とか弥生とか、いろいろな日本の歴史時代の頭蓋骨と同じグループに属しています。 また沖縄から出土する土器は日本の縄文文化と同じです。縄文土器は他の国にはない独特の形がありますが、その形を表現するには、「同じ言語」を使っていなければ継承できません。 ですから縄文時代から沖縄は日本です。 (3)「言語学的」にも、沖縄は日本 沖縄の言葉は「日本語の方言の一種」であり、中国がルーツではありません。今の日本と沖縄の言葉を調べてみると、音韻、文法、語彙等がまったく同一言語から発生しています。 日本の母音は「あ・い・う・え・お」ですが、沖縄の母音は「あ・い・う」の3つです。「え」と「お」がありません。 もとものは沖縄にも母音は5つあったのですが、時代を経て「e」は「i」になり、「o」が「u」に変化したのです。 以上、「歴史」「人類学」「言語」の3つの側面から沖縄は、縄文時代の古くから日本であるという証明をしました。 以上を根拠に中国に対しては、「昔から沖縄は日本である!」とはっきり主張することです。それが沖縄を守ることにも繋がります。 参考:「迫りくる!中国の侵略から沖縄を守れ!」幸福実現党出版局 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=751 「新たな冷戦」に向けての国家戦略を考える 2015.05.14 文/静岡県本部副代表 江頭俊満 ◆自衛隊の活動を制限してきた日米協力が転機を迎える 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)は、日米安全保障体制を効果的に運用するため、自衛隊とアメリカ軍の協力の基本的な枠組みや方向性を示すものです。 ガイドラインは、東西冷戦時代の1978年に、旧ソビエト連邦による侵略などの日本有事に備えて、初めて策定されました。 日米両政府は先月27日、このガイドラインを改定しました。 新ガイドラインは、「世界から警戒されている中国の動きによる」安全保障環境の変化を受け、日米がアジア太平洋を越えた地域で連携し、平時から有事まで切れ目なく対処するとしています。 また、海洋進出を活発化させている中国を念頭に島嶼(とうしょ)防衛での協力を明記したほか、安全保障法制の整備内容が反映され、集団的自衛権を行使する際に想定される協力項目が盛り込まれています。 今回の改定で自衛隊の活動を制限してきた日米協力は転機を迎えたと言えます。 ◆日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している 日米同盟は1951年締結の安保条約で始まり、60年の改定でアメリカの日本防衛義務を明記しました。 そして、日米指針は冷戦下の旧ソ連への対処から、北朝鮮の脅威などに対応するものに変わってきました。 冷戦終結後の1990年代半ばになって、北朝鮮の核開発疑惑や台湾海峡危機など東アジアでの緊張が高まったことを背景に、1997年にガイドラインは見直されることになりました。 このときの見直しは、日本に対する武力攻撃に加え、朝鮮半島有事を想定し、周辺有事の際の日米協力が中心となるものでした。 そして、日米両政府は、中国による海洋進出の活発化や北朝鮮の核やミサイル開発など、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているとして、一昨年から、見直しに向けた作業を進めてきました。 ◆何が両国の安全保障上の最大の問題かという視点を常に失わない 先の大戦後、日本の潜在能力を弱体化しようとしていたアメリカが、一転して、日本を同盟国として育成する政策をとった理由は、ソ連の脅威が顕在化して、冷戦が始まったことにあります。 冷戦の終結、つまりソ連がアメリカに屈服した決め手となったのは、レーガンが軍拡を断行したからと言えます。 日本にとって幸いだったのは、冷戦の最後の時期において、日本の安全を守る国家利益と、世界戦略におけるアメリカの国益とが一致していたことです。 日本は、1980年代に防衛力増強を行ったことで、西側(自由主義陣営)の一員として大きな成果を挙げ、冷戦における勝利者側に立つことができました。 今後も、日米両国にとって最も重視すべきことは、何が両国の安全保障上の最大の問題かという視点を常に失わないということなのです。 ◆日米両国が真の運命共同体であるという実績を示す努力が必要 日米同盟を維持するには、共通の認識だけでなく、相互協力と責任負担が必要であり、日米間が共通の価値観で結ばれている事が必要です。 その価値観とは「自由民主主義を実践し、人権を尊重し、経済における自由解放体制を持つと同時に、世界における自由貿易を主導する」ことです。 日米の安全保障関係の協力強化と、TPP交渉の早期妥結を通じて、日米両国が真の運命共同体であるという実績を示すことが、今最も重要なことです。 アメリカは、今後とも東アジアの軍事安定のためにその責任を維持すべきであり、日米同盟と日本における米軍基地は、アジア全体の平和と安定のために必要不可欠なものと言えます。 つまるところ、日本はその国家戦略として、「沖縄の普天間基地を可及的すみやかに辺野古へ移設完了」させ、中国による「新たな冷戦」に備えなくてはなりません。 新しい国づくりへ――「宗教立国」の大義を掲げて 2015.05.08 文/幸福実現党石川県本部副代表 宮元智 ◆「人の命は地球より重い」は本当か 現在日本において、福島の原発をめぐる問題、沖縄の基地問題など、明確な結論が出せずに混迷しているさまざまな難問があります。 反核、反原発、反戦、反米軍基地など、さまざまな反対運動がありますが、これらは必ずしも悪意ではなく、人の命を守りたい、という純粋な動機で運動に参加している人も多いのではないでしょうか。 しかし、日本では普遍的な真理のように思われている「人命最優先」は、本当に普遍的な真理なのでしょうか? 「人の命は地球より重い」とは、ダッカ日航機ハイジャック事件(1977年)の際の福田赳夫首相(当時)の言葉として有名です。人の体重と地球の質量ならば圧倒的に地球のほうが重いのですが(約10の23乗倍?) 、人の命と地球の重さは、同じ尺度では測れません。 「人命とは何にも増して尊いのだ」ということの美しい比喩だと解釈するとしても、くだんの福田元首相は、犯人の要求どおりテロリストを釈放したことによって、日本人人質の命を最優先する代わりに他の国の人々の命は危険にさらしてしまうという顛末になってしまいました。 また、沖縄の普天間基地の移転先として反対運動が起きている辺野古の海では、人の命よりジュゴンの命のほうが大事になってきているような気配さえあります。 このように、「人の命は地球より重い」という感性に訴え、共感を得やすい言葉も、普遍的な真理でもなんでもない言葉だということがお分かりになると思います。 ◆「人命最優先」が“国是”となった日本 しかし、「人命最優先」は日本の国是となっている感があり、わが安倍首相におかれましても、「河野・村山談話」同様、しっかり継承されているようです。 2013年のアルジェリア人質事件、今年に入っての「イスラム国」による日本人人質事件においても、そのように語っておられます(もっともその一方で「テロには断じて屈しない」とも言っておられますが)。 ◆「人命最優先」の奥に潜む唯物論 もとより人命は尊重されるべきですが、これを持ち出されると反対できない空気があります。このあたりが、いわゆる左翼勢力に対して、明確に論駁できないでいる原因の一つなのではないでしょうか。 こうした状況を見ていると、右も左も、戦後の唯物論的思潮にどっぷりと浸ってしまっていると感じます。 ◆宗教政党としての幸福実現党の存在意義 こうした中で、「この世とあの世を貫く幸福」を探究している幸福の科学を母体とする宗教性党・幸福実現党の存在意義は大きいと言えます。 すなわち、この世での生存のみを尊いと考えるのではなく、この世の人生は、永遠の生命の中で、魂を向上させていく魂修行の場として尊いのです(「霊的人生観」)。 こうした霊的人生観の前提に立って、地上をユートピアに近づけていこうという幸福実現党の考えは、この世での生存や幸福のみを考えている現代の政治状況の中で異彩を放っています。 唯物論の行き着くところは、結局のところ、「自分さえよければいい」というエゴイズムとなり、「今さえよければいい」という刹那主義となりましょう。 こうしたことでは、「国家百年の計」を立てるべき政治の使命は果たせないし、数年に一度の選挙に勝つことのみに腐心した結果、政治はますます劣化していくことになります。 こうした流れに一石を投じるだけでなく、流れ自体を大きく変えようとしているのが幸福実現党です。 ◆「宗教立国」を目指して 宗教に対して、まだまだ偏見が強い現代に、敢えて「宗教立国」を掲げることは、「日本を決して唯物論国家にしない。また、唯物論国家の属国にはしない」という強い意志表示でもあります。 神仏や宗教を蔑ろにし、精神的主柱を失った民族は、その誇りも失い、滅びるか、他国の隷属化に置かれるしかありません。 「宗教立国」を掲げることは、わが国に精神的主柱を取り戻し、日本の誇りを取り戻すことに直結します。 ◆新しい国づくりを! 戦後の一貫した歴史認識の中で、先の大東亜戦争は、日本が起こした無謀で残虐な侵略戦争だったとされていますが、真実は、祖国防衛と、アジア解放のための、日本神道系の神々の意思を体した“聖戦”でした。 これを世に認めさせることは、まさしく“クォンタム・リープ”と言っていい大転換です。この歴史認識の大転換をやってのけ、戦後体制の総決算をし、新しい国づくりをやっていこうというのが、幸福実現党の志であり、気概です。 かつて聖徳太子は、十七条憲法の中で、「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり」(第二条)と述べておられます。堂々たる宗教立国、仏教立国の宣言です。 かつての聖徳太子の理想を、現代に新しい形で実現することが、幸福実現党の使命でもあります。 その使命は、限りなく大きいものでありますが、国家百年、人類数千年の未来を拓く気概で精進してまいりたいと思います。 一人でも多くの方々が、「幸福維新の志士」として目覚め、この新しい国造り運動に参画されますことを祈念致します。 「戦争を起こさせない」ために、安保法制改革の実現を! 2015.05.07 文/HS政経塾スタッフ 遠藤明成 本年の憲法記念日には、護憲派と改憲派が集会を開催し、それぞれの主張を訴えました。 今後の安保法制改革の向かうべき方向を見定めるために、今回は、5月3日に出された両者の主張を対比してみます。 ◆支離滅裂な主張が続く護憲派集会 護憲派は、憲法記念日に「平和といのちと人権を! 5・3憲法集会」を横浜市で開催し、「集団的自衛権の行使」や「戦争のための全ての法制度」への反対などを訴えました。 大江健三郎氏は、現政権が成立を目指す安保法制に対して、「安倍は日本の国会で(そのことについて)はっきり述べて、われわれ日本人の賛同を得たことはない」と述べ、憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は、国民を飢えさせないことと、絶対に戦争をしないことが政治の役割だ(※)として、安倍政権を批判しています。(産経ネット版:2015.5.3) ※これは樋口氏の友人である菅原文太氏(俳優)の遺言 しかし、この批判はどちらも的外れです。 自民党は14年の選挙で「安全保障法制を速やかに整備します」と公約し、13年公約ではガイドライン改定、12年公約でも「集団的自衛権の行使」を明記していました。今回の安保法制改革は民意の審判を経ずに出てきたわけではありません。 また、「絶対に戦争をしないこと」を政治の役割とした場合、他国からの侵略に対して政府は何もできません。一切の戦争が禁じられたならば、侵略に対して自衛のために戦うこともできないからです。 集会では、精神科医の香山リカ氏が、「私たちはこの憲法を変えるどころか、まだ使い切ってもいない」と述べていましたが、有事に「使いものにならない」ことが、今の憲法の最大の問題点なのです。 ◆現行憲法の矛盾を批判する改憲派 一方、改憲派に関しては、東京町の砂防会館別館で開かれた公開憲法フォーラム「憲法改正、待ったなし」の内容が報道されています。(産経ネット版:2015.5.3) 基調講演を行った櫻井よしこ氏は、「平和を愛する諸国民の公正と信義」と書かれた憲法前文を問題視しています。 講演では、例えば、「中華人民共和国のような平和を愛する国の公正さと信義の厚さを信頼して、日本国と日本国民の安寧と生存を守っていこうと決意した」と書かれていたら、受け入れられるかどうかを聴衆に問いかけました。 前文は日本の近隣に「平和を愛する諸国民」が満ちていることを前提にしているので、この精神を遵守した場合、反日的な軍拡国家(中国や北朝鮮など)の善意を信頼しなければいけなくなります。この理不尽さを指摘しているわけです。 ◆中国の軍拡や北朝鮮の拉致や核開発から目を背けてはならない 両者を比べると、護憲派と改憲派とでは、平和への「脅威」と見なすものが違うようです。 護憲派は安倍政権を平和への「脅威」と見なしていますが、改憲派は軍拡を続ける中国や北朝鮮などを「脅威」と見なしています。 しかし、戦後史を振り返ると、中国はチベット、東トルキスタン、南モンゴルを武力で奪い、台湾(金門島砲撃など)やベトナム(中越戦争)、インド(中印戦争)などに戦争をしかけました。 そして、北朝鮮は世界最悪の人権弾圧を続けながら核ミサイル開発を進めているのです。 この両国の戦争や非人道的な行為から目を背け、集団的自衛権の行使や安保法制改革で日本が戦争国家になると批判する護憲派の主張は、東アジアの現状を無視した悪質なプロパガンダだと言わざるをえません。 ◆「戦争を起こさせない」ためには、安保法制改革が必要 戦後70年、日本の平和を守ってきたのは、憲法九条ではなく、日米同盟と自衛隊の「抑止力」でした。 今回の安保法制改革は、昨年の集団的自衛権の行使容認、訪米時のガイドライン改定を踏まえ、日米同盟の抑止力を強化することで、近隣の野心ある国に「戦争を起こさせない」ための改革です。 また、万一、戦争をしかけられても、それに対応できる体制をつくるための改革でもあります。 安保法制改革は先延ばしが続いてきましたが、戦後70年の本年にこそ、これを現実にし、さらに九条改正に向けた気運を高めていかなければなりません。 【参照記事】(どちらも産経ネット版:2015.5.3) 【憲法記念日】「すべて安倍のせい」と護憲派が横浜でスパーク 大江健三郎氏「米演説は露骨なウソ」 香山リカ氏「憲法使い切ってない…」 【憲法記念日】櫻井よしこ氏「憲法前文は変な日本語。文法も間違い」「皆さんの命を中国に預けますか?」 憲法フォーラムで基調提言 「戦後70周年、『唯一の被爆国』としてのあるべき姿とは?」 2015.05.05 文/幸福実現党・山形県本部副代表 城取良太 ◆有名無実化する核拡散防止条約 5年に1度行なわれる核拡散防止条約(NPT)を再検討する会議が、先月27日よりニューヨークの国連本部で開会され、約1ヶ月間、核軍縮や不拡散を前進させるための話し合いが行なわれることになっています。 NPTは、1970年3月に発効された多国間協定であり、2010年5月現在で世界の190カ国が加盟しております。 建前としては、核兵器廃絶という理想を掲げ、核兵器の削減、核拡散の抑止を目的としておりますが、現実的には戦勝国史観に立ち、核兵器を限られた国のみで独占するための「参入障壁」といえましょう。 例外的に、イスラエルに関してはアメリカの黙認によって、NPT非加盟であるにもかかわらず、数百発もの核弾頭を保有しており、こうした「二重基準」が不公正感を生み出し、インドやパキスタンは非加盟ながら核保有を実現し、北朝鮮もNPT脱退後、3度の核実験で核保有国であることを世界に認めさせようとしています。 このように、NPTすでに歴史的に限界を露呈し続けており、既に有名無実化しているといって過言ではありません。 ◆拡散するのが核兵器の性質 実際に、NPTの理念とは正反対の「核拡散」が中東地域を中心に席巻する見通しとなっています。 その象徴がイランの核開発問題でしょう。 4月上旬、イランが保有する遠心分離機を3分の1に減らす代わりに、欧米は対イラン制裁を解除するという内容で枠組み合意を受けて、イランが核兵器開発に突き進む最悪の事態は避けられたとされています。 しかしながら、イランの最高指導者、ハメネイ師が4月9日、テレビ演説で対話路線を強調しつつも「これまでの交渉は合意も内容も保証せず、交渉が最終決着するまで続くことも保証しない」と延べ、議論が白紙に戻る可能性も示唆しています。 イランは核開発を継続すると踏んでいる周辺国も躍起になって核保有に動き出しております。 イランとシリア、イエメンで代理戦争を行なうサウジアラビアも、イランが核保有を実現した際には、パキスタンから1ヶ月以内に核兵器を入手すると見られています。 イラン、サウジアラビアが核兵器を保有したと分かれば、エジプト、トルコも必ず核保有に動き出すはずで、自然の摂理としては、中東各地に核は拡散していくことになるのです。 ◆戦後70周年に相応しい「唯一の被爆国」としての立ち位置を! 極東に目を向けてみても、拡散とまではいかずとも、日本にとって危険な国ほど核戦力を拡張している現実があります。 現在行なわれているNPT再検討会議においても、核開発を続ける北朝鮮に対して、全ての核兵器を廃棄するよう強く要求されていますが、北朝鮮がそんな警告を聞かないのは明らかです。 また、中国の確保有数が不明確であることを踏まえて、岸田外相は「核戦力の透明性確保」が重要であると強調していますが、中国がそうした勧告に従うとは思えません。 その一方で、日本においては相変わらず「核アレルギー」という空気感に囚われ、核を保有すべきかどうかという議論を健全に行なう土壌すらない状況にあります。 戦後の日本は、「唯一の被爆国として核兵器等の廃絶など、最大限の努力をすべきである」とリアリズムの世界では全く通用しない主張を繰り返してきました。 戦後70周年を迎えるにあたり、「原爆のような大量破壊兵器によって、二度と自国民の生命や安全を脅かさない万全の国防体制を構築するべく、核保有も視野に入れる」という選択肢も持つべきでありましょう。 まずは「核アレルギー」をなくし、核保有すべきか否かを議論できるニュートラルな空気感が醸成されることこそ、中国や北朝鮮への大きな抑止力になってくるはずです。 武士道国家としての矜持 2015.05.03 文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝彦 ◆60年安保を上回る大転換? この度の、安倍首相の訪米に合わせ、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)が18年ぶりに改定され、日本が集団的自衛権を使うことを盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限をなくしました。 安倍首相が掲げる「積極的平和主義」を反映し、自衛隊の米軍への協力を地球規模に拡大する内容で、自衛隊のあり方が根本から変わるとされています。(朝日デジタル 4/28) この変更は、祖父の岸信介首相が行った安保改定(60年安保)を上回る、自衛隊の本質の大転換がなされるものだという批判も聞かれます。 安倍首相も米連邦議会の上下両院合同会議における演説の中で、今、取り組んでいる安全保障法制の整備は、戦後初めての大改革であるとし、この夏までに成就させると明言しました。 ◆禅問答の如き憲法解釈 安全保障法制の整備は、武力攻撃事態法、周辺事態法等の改正、恒久法国際平和支援法の制定などが想定されますが、大きく「日本の平和と安全」「国際社会の平和と安全」の二つを柱とし、その中心論点は、昨年7月に閣議決定された集団的自衛権の限定的な行使容認です。 政府は、集団的自衛権の限定的行使の容認の根拠として、憲法の番人たる最高裁の砂川判決をしばしば引用しています。 砂川判決とは、1959年12月に出された最高裁判決で、日米安保条約にもとづく駐留米軍が憲法9条2項に違反するとした1審判決(東京地裁1959年3月)を覆すものでした。 判決は、日本は憲法9条2項により戦力は保持しないが、これによって生ずるわが国の防衛力の不足を、憲法前文にいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」ことによって補う事は否定されていないとし、頼るべき対象は、わが国に駐留する米軍でも何ら問題はないとしました。 憲法9条2項が禁止した戦力とは、わが国の戦力をいうのであって、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、憲法にいう戦力には該当しないと解すべきである・・・というような内容であります。 政府は、この判決を元に、最高裁は「主権国家として持つ個別の自衛権」は憲法上否定されていない、わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であるとしています。 この判決から半世紀が経過し、わが国を取り巻く安全保障の環境の変化に合わせて、この判決の法理は維持しつつ、集団的自衛権の容認の根拠となり得ると説明しています。 これら政府の憲法解釈は複雑ですっきりしません。 昨年7月に衆院予算委員会で安倍首相が集団的自衛権に関する質問に対して答えた、「武力行使の新3要件」も非常に抽象的で分かりづらいものでした。 ◆正々堂々と憲法改正を掲げ、潔く負けよ 安倍首相が掲げる「国際協調主義に基づく、積極的平和主義」を展開するためには、これらの複雑な憲法解釈変更の積み重ねにより煙幕を張るのではなく正々堂々と憲法改正を掲げて国民に説明する明快さが必要であります。 安倍首相は、米議会演説の冒頭で祖父の岸信介首相に言及し、自らを重ね合わせているようであります。 しかし、田中秀征福山大学客員教授は、民法のTV番組において「私は60年安保の時、学生であった。(国会を10万人とも30万人ともいわれる)デモ隊に包囲され、命の危険を感じながらも日米安保改定を断行した岸信介首相に対して、『敵ながらあっぱれ!』という当時の学生たちの言葉を聞いた。安倍首相も、憲法解釈変更でなく堂々と憲法改正を訴えるべきだ。」と発言していました。 また、昨日開催された講演会「新時代を創る力」において、幸福の科学グループ大川隆法総裁も「安倍首相は、禅問答をするのではなく、すっぱりと憲法改正を訴えるべき。堂々と国民に信託を仰ぐべき。そして潔く負けるべきだ。」と説かれました。 昨年7月に出版された「集団的自衛権はなぜ必要なのか」のまえがきでは、大川隆法総裁は、「安倍政権は次の総選挙で必ず憲法9条改正を掲げるべし。その勇気と気概がなければ、『武士道国家』としての恥を知るべきである。」と激を飛ばされました。 己の保身のために、本音を封印し、権謀術数をめぐらす政治家の群れにあって、正々堂々と正論を訴え、潔く負けていく「首相」の出現こそ、日本の誇りを取り戻す「魁」となりましょう。 参考:「集団的自衛権はなぜ必要なのか」大川隆法著/幸福の科学出版 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1213 【この一冊で、「集団的自衛権」がよくわかる!】 東アジアの現実に目を向けよ! 日本よ、いまこそ“半主権国家”から脱却せよ! ▽左翼的な平和勢力の掲げる「平和」とは侵略国家への隷属を意味する ▽護憲にこだわる平和主義者は、中国や北朝鮮にこそ憲法九条をすすめよ ▽他国は軍事拡張してもよいが日本だけはダメというのは偏った見解 ▽国を守るために必要な軍事力を持つことは間違っているのか ▽日本が軍国主義化を進めていると思うのは間違い ▽尖閣で軍事衝突が起こったらアメリカは本当に動くのか? ▽先の大戦における「日本原罪論」の誤りを正す ▽他国も自国民をも弾圧し、基本的人権を踏みにじる中国の暴走を止めよ ▽戦後70年、いざ「占領憲法」から「自主憲法」へ ▽滋賀県知事選における「自公の敗北」をどう見るか ▽安倍政権は次の総選挙で「憲法九条改正」を掲げるべし 「憲法9条」は世界に誇るべきものか? 2015.05.02 文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩 ◆平和憲法? 5月3日は、憲法記念日。朝日新聞の調査では、「9条改正賛成」が29%に対して「9条改正反対」は63%もありました。「憲法を変える必要がないと答えた人」に「特に大切だと思う分野」は、「戦争放棄」で78%でした。(5/2朝日) 今日もどこかで「憲法9条を改正することは、日本を戦争できる国にすることだ」「平和憲法は戦争放棄を謳った素晴らしいもの、世界に輸出すべき」と声高に叫ばれることでしょう。 あるお笑い芸人は「憲法9条を世界遺産に」と言い、昨年は一人の主婦が「憲法9条をノーベル平和賞に」という運動も起こしています。 ◆本当に憲法9条は素晴らしいのか? 「戦争放棄」は、「侵略戦争を含め、国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることを放棄する」というものです。 結論から言うと、憲法9条にある「戦争放棄」(第一項)は、世界で一つしかないというほど特別なものではないのです。 同じ趣旨の規定は、国連憲章にもあります。 「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を…慎まなければならない」(憲章第二条) イタリア、アゼルバイジャン、ハンガリー、フィリピンの憲法にも「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」の規定がありあります。 またフランスは、憲法前文で「征服を目的としたいかなる戦争も企てないし、その武力をいかなる国民に対しても決して使用しないであろう」と規定しています。 他にもこうした「侵略戦争の否認」を規定は、ドイツや韓国の憲法にもあります。 西修駒沢大学名誉教授によれば、世界にある188の憲法典のうち、なんらかの「平和条項」をもっているのは158もあると言われています。 ですから日本の「平和憲法」は、日本の専売特許でもなんでもありません。 ◆では憲法9条の問題点は何か 憲法9条の二項では、「戦力の不保持」を規定しています。この「戦力の不保持」こそが問題で世界に例がないのです。 世界の国々の憲法には「戦争放棄」「侵略戦争の否認」など平和を希求する規定はありますが、ほとんどすべての国が「国の戦力としての軍の保持」を規定しています。 これは矛盾するものではなく、「国の戦力としての軍の保持」は「世界の常識」であり自衛の戦争を認めているのです。 国連憲章でも先に述べたように「武力による威嚇又は武力の行使を…慎まなければならない」と規定する一方で「国際連合加盟国に対して個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するもではない」(憲章51条)としています。 つまり、「憲法で平和条項を掲げる一方で、戦力もまた保持する」というのが「世界の常識」です。従って改正すべきは、「9条二項」であり、「自衛のための戦力の保持」をはっきり規定すべきです。 9条改正反対派は、「平和憲法を守れ!」「一言一句9条を変えてはならない」「9条を変えたら日本は戦争をする軍国主義の国になってしまう」と言います。 そうだとすると、日本を除く世界の国々は、すでに「軍国主義国家」であることになります。 ◆「戦争になったら逃げる」と答えた9条改正反対派 2007年8月、NHKで「日本のこれから…憲法9条」という9条の改正賛成派と改正反対派が分かれて討論したことがありました。 議論も進んだころ、司会が「もし日本が他国から攻められたら」という質問をしたのですが、9条改正反対派からは、「逃げる」「命は大切だ、命より大切なものがあるのか?」 という声があがりました。 その時、私はテレビにもよく出ているある左派識者が言った言葉を思い出したのです。 「他国から攻められても、自分たちが武器で人を殺めるようなことをするくらいなら抵抗しないことを選びたい。それで日本がなくなるなることがあってもそれもしょうがない。」 かつて戦争で他国に迷惑をかけた日本は滅んでもしかたがない、これが左派が言う「平和主義」です。 しかし侵略者が来た時に自分は逃げ、家族や友人が蹂躙されても黙ってみていることが、はたして本当の「平和主義」と言えるのでしょうか? ◆真の平和主義者とは 日本を侵略したいという国からすれば、多数の日本人が「自衛の戦力も持たず、自分の命は大切だから戦わない。それで国が滅んでもしょうがない」と思っている国民が多ければ、日本を簡単に占領できます。 戦後の日本はマスコミや教育でそんな国民をたくさん増やしてしまいました。 ところが国民に国を守るという覚悟があり、自衛の戦力を持っていたら侵略者は簡単には手を出すことができません。これが「抑止力」です。 自分の国は自分で守ることは当然として、さらにアメリカとの同盟が強固であったならどうでしょうか。 日本に手を出せばアメリカが出てくる、そうなれば簡単に日本を攻めることは出来なくなります。これが「集団的自衛権」です。 このように「日本国憲法」は世界に誇るべき「平和憲法」どころか、実際には日本の国を滅ぼしかねない危険な憲法であるのです。 参考:『憲法「改正反対論」大論破』日本政策研究センター これで満足できますか?――日本総理の9年ぶりアメリカ公式訪問 2015.04.30 文/HS政経塾部長 兼 幸福実現党事務局部長 幸福実現党東京都第9選挙区支部長 吉井としみつ ◆日本の総理として9年ぶりのアメリカ公式訪問 4月26日から5月3日までの日程で、安倍首相はアメリカに公式訪問をしています。 日米関係にとって大きな成果を生む一方、日本が乗り越えるべき課題も浮き彫りにしていると言えそうです。 今回の公式訪問のハイライトは、27日から29日です。 27日:新たな日米防衛協力の指針について合意(新ガイドライン) 28日:日米首脳会談 29日:アメリカ議会・上下両院合同会議 特にアメリカ議会・上下両院合同会議で、安倍首相は、日本の首相として初めて演説しました。 演題「Toward an Alliance of Hope(希望の同盟へ)」の、未来志向の日米同盟というメッセージは、アメリカ議員におおむね好意的に受け止められたようです。 演説の中で、硫黄島の指揮官・栗林中将の孫である新道義孝・前総務相と、硫黄島に上陸したローレンス・スノーデン元海兵隊中将(94)が紹介され、二人は握手をしました。 キャロライン・ケネディ駐日大使は、「まさに『和解』の力を示す実例となると思う」と(4/30読売夕刊)称賛しています。 ◆歴代内閣の立場を引き継いだ歴史認識 確かに、今回のアメリカ公式訪問で、TPP締結への期待、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)への懸念、尖閣諸島の日米安保条約の適用を改めて明言しました。 また、法の支配に基づく自由で開かれたアジア太平洋地域の発展など、日米の経済・安全保障面での協力を深めていく方向性が見られたのは素晴らしいことです。 しかしながら、その一方、歴史認識については次の通りです。 「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません。」 (「希望の未来へ」安倍首相 アメリカ議会両院会議演説より) 保守系有識者の中でも、安全保障と歴史認識については分けて考えるべきという見方が存在します。 歴史認識問題は、ほとぼりが冷めるまで放っておき、安全保障面でやるべきことを着々と進めるという考えで、その視点から見れば、今回のアメリカへの公式訪問は十分な成果を生んでいると評価できるのかもしれません。 さらに、今回の演説では、村山富一首相談話にある「heartfelt apology(心からのお詫び)」という文言を使っていません。 スピーチライターの谷口内閣官房参与が、事前にアメリカ議会関係者や有識者の意向を受けつつ、日本側の主張も盛り込むべくぎりぎりの調整をしたという面では、これも一つの成果なのかもしれません。 ◆日本はルールメーカーとなる覚悟を しかし、だからといって、これで満足していいのでしょうか。「これでよくやっていると思う」こと自体が、日本が乗り越えるべき課題なのではないでしょうか。 日米同盟を「希望の同盟」として「世界をもっとはるかに良い場所に」していくのであるならば、アメリカの外交政策の限界を補うためにも、日本側の哲学を確固としたものとするべきです。 例えば、クリミアを併合して国際的に非難を受けているロシアに対してアメリカと協調しつつ、どのように日本独自の動きを展開できるのか、中東の混乱についてもどのように日本として仲介していくのか。他国の動向だけを気にしていても答えは出ません。 日本としてどうしたいのか。日本はルールをつくる側としての考え方――、「優位戦思考」を持つことが求められています。 ◆ここで満足しては、日本の誇りは取り戻せない! 果たして、戦後70年の安倍談話がどのような内容となるのか――。4月22日のバンドン会議、29日の演説の内容を見れば、残念ながら現状では、河野談話や村山談話に含まれる文言を、直接は使わなくとも、全体として踏襲する方向に傾きつつあります。 国務省のサキ前報道官の「これまで村山富市元首相と河野洋平元官房長官が示した謝罪が、近隣諸国との関係を改善するための重要な区切りだった」という見解(4/30朝日)に象徴される、世界に蔓延してしまった誤解を解くためにも、国内世論の喚起が必要です。 幸福実現党の、『「河野・村山談話」の無効を宣言し、自虐史観を一掃する「戦後70年談話」を求める署名』活動は、正にその取り組みの一環です。 他国の動向に左右されて、歴史的真実に真摯に向き合わなければ、「未来志向」は単なる言葉となり、憲法改正の実現は遠のくばかりです。もっと真実に対して、日本はハングリーであるべきです。 ■「河野・村山談話」の無効を宣言し、自虐史観を一掃する「戦後70年談話」を求める署名 http://info.hr-party.jp/2015/4162/ 2016年、台湾総統選について考える 2015.04.28 文/幸福実現党・兵庫県本部副代表 みなと 侑子 ◆2016年 台湾総統選に向けての各党の動向 台湾総統選が来年2016年1月16日に実施されます。 昨年11月に行われた統一地方選挙では、新北市以外の主要都市で野党民進党候補が当選。最大都市の台北市においても、民進党が推す無所属候補が当選し、国民党は民進党に惨敗しました。 この責任をとって、馬英九総統は兼任していた国民党主席を辞任しています。 馬英九の後に主席を引き継いだのは、新北市の市長の朱立倫氏です。 低迷する国民党支持率回復の責任を担っていますが、「2016年の総統選には出馬しない」と言っており、主席であっても総統選までの1年未満で党のイメージを回復させ、国民の支持を得ることは難しいと考えているようです。 現在二期目をつとめる馬英九氏は再再任が憲法において規制されているため、他に何人かの名前は上がっているものの最終的には朱氏が総統選候補になると考えられます。 総統選まで1年を切った今でも、候補者が決まっていないことからわかる通り、与党国民党の準備不足とリーダーの不在は深刻な問題です。 一方で、民進党は2012年の総統選で馬英九に負けた蔡英文氏が再度出馬することが決まっており、準備は整っているようです。 昨年の統一地方選での大勝利も祭氏の手腕によるものが大きく、党内での信任も集めています。 このままいけば、来年の1月には与野党がひっくり返り、民進党が8年ぶりに与党になる可能性があります。同時に、台湾における初の女性総統が誕生するかもしれません。 ◆民進党は政権与党に相応しいか しかし、民進党が与党になるためには、乗り越えなければならない問題が何点か存在します。 一つは反原発政策です。 四方を海に囲まれ、九州ほどの面積しかない台湾では、エネルギー安全保障は最重要課題です。 1987年には原発が電力の48%を占めていましたが、現在では18.4%にまで減少しています。 台湾では芸能人がテレビを通じて反原発の意思を表明。反原発デモの先頭に立っています。そして、民進党の蔡氏もその横に立って活動しています。 与党は原発推進ですが、高まる反原発運動に屈した形で、ほぼ完成している龍門一号機の密閉管理と同二号機の建設凍結を発表。と同時に、現在稼働している6基の原発を順次閉鎖していく予定をしています。 エネルギー自給率が1%以下の台湾においては原発こそが、他国の政治情勢に左右されない唯一の安定的な電力供給源であるはずですが、民進党はその選択肢を放棄してしまうのでしょうか。 二つ目は、中国の圧力による他国との関係悪化した場合の対応策についてです。 台湾独立を目指す民進党の陳水扁氏が総統をした8年間、台湾は中国共産党との関係悪化はもちろんのこと、中国からの圧力を受けた国々とも関係が悪化。 結果、外交に時間とお金を取られ、国内経済・政治に支障をきたしました。 現在、蔡氏は対中政策については「両岸(台中)の現状維持が原則だ」とし、独立運動を前面に出すことはありません。 ただ、現在の国民党と中国は「中国は一つ」とし、双方がその主体であると主張しつつも台湾は独立しない、という92年コンセンサスを基礎として交流を行っていますが、民進党はこの考え方を認めていません。 考え方の基礎を明示し、中国圧力に対する解決策を示すことが必要ですが、曖昧なまま与党不人気に乗じて総統選に突入していくでしょう。 ◆台湾にも必要な、新しい道 これら以外にも、所得の再配分や、過剰な人権擁護政策など、“反国民党”かつ寄せ集めた左寄りの政策が散見されます。 与党を目指すにあたり、見直すべき項目が多々あるはずです。 昨年、台湾で起きた立法院占拠と大規模なデモ活動「ひまわり運動」は、政治家や大人を頼らない若者たちによる、第三の道の模索運動でした。 彼らは、中国共産党に台湾が呑み込まれることも否定しつつ、民進党が提示する未来にも満足していませんでした。ここに未来への希望があります。 台湾はアジアの安全保障の第一です。台湾に対して、日本が重要視していることを伝え、連携を強化しなければなりません。 2016年の台湾総統選に注目しつつ、アジアの安全を共に守っていきたいと思います。 すべてを表示する « Previous 1 … 49 50 51 52 53 … 101 Next »