Home/ みなと 侑子 みなと 侑子 執筆者:みなと 侑子 HS政経塾1期卒塾生 オウム事件の教訓――積極的な宗教教育の導入を 2012.06.21 6月3日、逃走を続けていた菊池直子容疑者が、15日には高橋克也容疑者が逮捕されました。オウムによるサリン事件から17年経ち、特別手配されていた全ての容疑者が逮捕されました。 産経新聞でさえ、「戦前、国は新興宗教の多くを弾圧した。その反省が効きすぎて戦後は、宗教団体を甘やかしすぎた」「オウムのような邪教を取り締まり、もうけすぎの団体から適正に税金をとるため体を張る政治家はいないのか」と述べています。(6/16 産経抄⇒http://goo.gl/YrJrv) テレビ・新聞をはじめとしたマスコミはオウム事件一つをもって、「宗教が全て間違っている」といった「宗教性悪説」を垂れ流し、国民の宗教嫌悪感情を煽っています。 オウムの行為は断じて許されるものではなく、彼らは自分たちの罪を十分に償うべきです。しかし、私達はオウム教が広がった原因を考えなければなりません。 オウムは現在、「アレフ」と「ひかりの輪」に分派し、信者数は計約1500人で存続しています。このような教団や信者が存在する理由は、逆説的に聞こえますが、「日本の教育から宗教という背骨を、取り除いてしまったこと」に原因があります。 戦後、日本の公教育からは、宗教が追い出され、宗教について教えられることが無くなりました。 そのため、「宗教とは何か。信仰とはどのようなものか」が分からないまま、オウムに出会った人々は、霊現象を体験したり見ることによって、確信を深めていったのです。 宗教は様々な霊体験は伴うものですが、霊体験だけではなく、「その教義が正しいかどうか」を判断することが必要です。その判断の基準の一つとして「黄金律(ゴールデンルール)」を挙げることができます。 これは、“自分が人からされたくないことは、人にはしないこと。人に自分がしてほしいことを人に対してすること”という宗教普遍の教えです。 聖書、ムハンマドの遺言、論語、ユダヤ教やヒンドゥー教にも、この教えは登場します。ここから、“人を殺してはならない”などの戒が生まれ、慈悲や愛の教えが生まれました。そのため、宗教や信仰者が尊敬されたのです。 「正しい宗教」には、こうした「黄金率」が必ず存在します。宗教教育によって、こうした「黄金率」を学んでいたら、彼らもオウムの間違いを見抜けたのではないでしょうか。 2006年、安倍政権下において、教育における準憲法的な性格を有する「教育基本法」が改正され、従来よりも宗教に重きが置かれました。 教育基本法15条1項は「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」と改正され、安倍首相も「道徳を通じて、生命や宇宙の神秘、人知を超えるものに対する畏敬の念を教えていく」と答弁しています。(2006年12月14日参院特別委) 公教育では「特定宗教のための宗教教育」は禁止されていても、「宗教に関する一般的な教養」を教えることは可能です。しかし、2006年に「新教育基本法」が施行されても、未だに公教育現場における宗教軽視の風潮は変わりません。 東京都のある教員は、研究授業の中で「江戸しぐさとは、相手を仏と思い、相手に敬意を払うしぐさである」と生徒たちに説明したところ、東京都の指導主事に「宗教の話はやめろ」と注意されたと言います。 しかし、世界の潮流は、日本とは逆です。2001年の9.11事件以降、国連や欧州会議などの国際機関は、世界に対して「宗教を学校教育で導入するように」という働きかけを行っています。 実際に、世界には公立学校で「宗教」の時間を正式に設けている国も多く存在します(イギリス、ドイツ、トルコ、タイ、インドネシアなど)。 宗教に関する知識を生徒に教えることで、宗教を理解し、自らの判断で正しい宗教を選ぶことができるのです。それにより、無理解や誤解から生まれる対立や不信を減らすことができます。 また、自国の文化に誇りを持たせ、世界に通用する国際人を養成するためにも不可欠です。大学の9月入学など制度を整えることも必要ではありますが、何よりもまず、「世界常識」である宗教について学ばなければならないはずです。 「宗教的自由の精神や、宗教的な寛容・理解・協力の精神は、社会生活や国民生活にとってたいせつである。このような精神に満ちた宗教は人類を向上させ、世界平和に貢献することができる。」 これは、日本において昭和25年に出版された文部省著作の「宗教と社会生活」(全47頁)という社会科の副読本の一節です。私たち日本人は、本来、宗教を尊いものとして考えて来たのです。 オウムの教祖の麻原は、社会に虐げられた恨みを、大量殺人という方法で晴らそうとしました。 一方、浄土宗を開いた法然は、9歳の時に父を殺されるという不幸を経験している。重傷を負った父は法然を呼び寄せ、敵討ちによる憎しみの連鎖は永遠に終わりがないこと。そして、敵を恨むことなく、その敵をも抱いて共に救われる宗教の道に入るよう、諭しました。 結果、浄土宗は多くの人々の心を救いました。同じ恨みに対するにしても、天と地ほどの差があります。 公教育に積極的な宗教教育を導入することによって、日本人は本当の意味で、宗教の正邪を見分けることができるようになるのです。(文責・HS政経塾1期生 湊侑子) 中国大使館元1等書記官を書類送検――一刻も早く「スパイ防止法」を制定せよ! 2012.05.31 「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」 これは『孫子』の諜攻篇にある戦略であり、中国人が三千年来心掛けてきた戦い方だと言われています。 「戦わずして勝つ」ことで、自らの損害を出さず、かつ相手の富も損なうことなく、そっくりそのまま手に入れることができます。そのため、中国は世界中での外交交渉・諜報活動に大きな力を入れています。 5月31日、東京の在日中国大使館に勤務していた元1等書記官が4年前、外交官の身分を隠して外国人登録証を不正に入手していたとして、警視庁は外国人登録法違反などの疑いで書類送検しました。(5/31 NHK⇒http://goo.gl/PNpgU) 李春光書記官は、人民解放軍の諜報機関の出身者で、松下政経塾にも海外インターンとして在籍したこともあります。農水省の副大臣室に出入りし、中国の国有企業を日本に紹介するなど、農産物の対中輸出促進事業に深くかかわっていました。 鹿野農相グループの衆院議員の公設秘書(当時)が代表を務める協議会が李書記官と深いつながりを持っており、この代表を通じて農水省の内部資料(3段階で最も機密性の高い「機密性3」も含む)を把握し、諜報活動をしていたようです。(5/30 読売⇒http://goo.gl/KL1J1) このような問題が出て来た際、必ずボトルネックになることがあります。それは、日本には「スパイ防止法」がないということです。 かつて昭和60年に自民党が国会にスパイ防止法案を提出しましたが、廃案になっています。日本に「スパイ防止法」が存在しないことで、どのような問題が発生しているのでしょうか。 (1)国家機密の流出を止めることができない 国家機密を守る基礎として、国家公務員法や自衛隊法などの公務員の守秘義務規定はありますが、そもそも秘密の保護を目的としたものではないため、漏えいした秘密の内容や程度が問われません。 例えば、昭和55年におきた自衛隊スパイ事件で、主犯の元自衛隊幹部宮永は、ソ連に秘密情報を売り渡していたにもかかわらず、万引きやコソ泥と変わらない、たった懲役一年でした。また、国家意識が希薄な民間人がスパイ行為に協力したとしても、罰することができません。 (2)そのため、他の法律で取り締まるしかないが不十分 2007年に中国人技術者に製品の図面データを大量に盗まれながらも、データが競合関係にある組織に渡ったことを立証できなかったために起訴を断念せざるをえなかった「デンソー事件」を契機に、2009年に軍事スパイ行為を抑制する改正外為法、産業スパイを抑制する改正不正競争防止法が成立しました。 しかし、現状は逃げる強盗の車をスピード違反でしか取り締まれないと言われているような状態で、スパイ行為の取締りの限界が指摘されています。 冷戦時代、スパイにとっての世界三大マーケットは「東京、ベルリン、ベイルート」と揶揄され、ソ連軍の情報部将校、スヴォーロフは「日本はスパイ活動に理想的で、仕事が多すぎスパイにとっては地獄だ」と語っていたそうです。 先日、孔子学院(中国語や中国文化を広めることを名目にしているが、スパイ機関である可能性が高いと言われている。日本の大学にも数多く開設されている)に対して、米国務省が中国人教師のビザ更新を認めず、小中学生向けの指導を禁じるなどの内容の通達を発表しました。(5/26 産経⇒http://goo.gl/cAkv0) 結果的には、一週間余りで通達が撤回になりましたが、スパイ組織に対する毅然たる対応は、米に学ぶべき点があります。 一方で、孔子学院がスパイ組織であることを分かっていながらも、経済的関係から信念を貫き通せなくなっているのが、弱体化し、中国に対して弱腰になっている米国の現状でもあります。 だからこそ、日本がスパイに対する防止策を強化し、毅然たる態度を示さなければなければならないのです。 中国政府の靖国神社参拝に関する内政干渉問題や尖閣諸島の「核心的利益」発言、また国内で行われている「脱原発」をはじめとする左翼運動や沖縄での「反米軍基地活動」などは、「戦わずして日本を併合する」ための工作の一環です。 スパイは、多くの人々の知恵と努力の結晶を盗み、それらを軍事転用するなど、自国の利益のみを追求しています。政府は防衛と外交に関する国家機密を守ると共に、他国にも悪を侵させないことも考えるべきです。 日本は「スパイ防止法」を一刻も早く制定し、国際的に見てあまりにも非常識な状況から早急に脱すべきです。(文責・HS政経塾1期生 湊侑子) 子どもの学力向上は学校(教員)の責務である~学力テスト実施・結果の公開義務付けを~ 2012.04.19 文部科学省の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が4月17日より、小学6年と中学3年を対象として、2年ぶりに実施されました。 今回は抽出された約3割の小中学校9709校(約73万2000人)の他に、1万6159校(約105万5000人)が自主参加。全小中学校における参加率は前回(10年)から7.7ポイント増の81.2%となっています。 公立校の参加率では100%が21県と前回から8県増えていますが、一方で愛知県(27.8%)と神奈川県(37.6%)のような参加率が著しく低い県も存在しています。(4/17 毎日「全国学力テスト:2年ぶり実施」⇒http://goo.gl/6TrkA) 通知表が相対評価から絶対評価となり、自分の(子供の)学力がどれくらいなのかわからない生徒と保護者にとって、8割以上の学校が参加する全国学力テストは自分の実力を客観的に知ることができる、数少ないチャンスです。 全国一斉学力テストは2007年に再開されました。1度目は1961~64年にかけて実施されましたが、当時最大勢力であった日教組が組織的に反対。 その理由は、今と変わらず「学力に関する学校間の序列化反対」「児童のテスト点数によって過剰な学校間の競争反対」。全国で反対闘争が相次いだことにより、1965年に全員調査は中止され、その後40年以上かけてやっと再開されました。 09年までは原則全校参加でしたが、民主党政権に代わり、日教組の圧力に屈した結果、10年からは3割抽出方式になっています。 2009年の東京新聞のアンケートによれば、学力テスト結果公表について、保護者の7割が「賛成」、教育委員会の9割が「反対」という結果が出ています。 保護者は「学校選択の基本情報」として公開を欲しており、その理由として、「学力向上は学校(教員)の責務だから」と約6割が答えているにも関わらず、一方の教育委員会は、「学校間の序列化や過度な競争につながる」「公表しなくても指導方法の改善に役立てることができる」と主張しています。 民間においては、限られた予算の中で最高のパフォーマンスが求められます。一方で、特に公教育は予算は要求しますが、満足できる結果を生み出していません。 「費用対効果」を指摘されると、公教育に競争はなじまない、市場原理によって効率的で公平な結果をもたらすことはできないという言い訳をします。 しかし、これらは単なる教育委員会と学校・教師の怠惰であり、競争によって順位をつけられたくないという恐れ・嫉妬心に染まった平等主義であります。 日本国憲法第15条2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」、教育基本法第9条には「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と収容に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と定められています。 公務員(教員)は、国民の税金で生活している以上、その成果を国民に示さなければなりません。彼らの成果とは、生徒たちそのものであり、一番わかりやすいものが生徒の成績です。だからこそ、生徒の学力テストの成果の公開は、絶対に行われるべきものなのです。 イギリスでは、1960年から行き過ぎた社会主義思想が大流行し、伝統的価値観を否定する一方で、「児童中心主義教育」が流行。生徒の学力低下、自虐史観の蔓延、社会の腐敗を招きました。 マーガレット・サッチャーは「学校教育に対する最終責任は国がとる」という基本理念の下に、「競争原理導入による学力水準の向上」を柱とする新たな教育政策を打ち出し、約半年間にわたる教師たちのストライキにも負けることなく教育基本法を改正・制定し、イギリス教育を再建しました。 その下にあったのは、「国は子供たちが学ぶ内容をなおざりにするわけにはいかない。彼らは将来の公民なのであり、われわれは彼らに義務を負っている」という強い思いでした。 競争と公開の原理を教育に入れることで、子ども達だけでなく、教員の実力を明らかにし、教員と学校に一層の努力を促すことが、教育改革の第一歩となります。 そのため、学力テストの参加必須はもちろんのこと、市町村単位でのテスト結果の公表の義務化、そして学校ごとや教員(教室)ごとのテスト結果公表を提案します。 これにより、子ども達の学力向上の責任を果たせる学校・教員ほど、評価が上がるようになるでしょう。テスト結果公開は、子どもと保護者の学校選択の大きな材料ともなるのです。 教育において、機会の平等と選択の自由を保障し、彼らの幸福増進に努めなければなりません。日本も、教育改革に真剣に取り組まなければなりません。 未来の日本・世界を創るのは、今教育を受けている子供たちです。教育は「国家100年の計」であり、21世紀の国家ビジョンそのものなのです。(文責・湊侑子(みなと・ゆうこ)) 3.11の大きな教訓~明確な国家ビジョンの下でのインフラ強化を 2012.03.08 3.11の東日本大震災から1年を迎えるに当たり、改めてインフラの重要性を考えてみたいと思います。 3月6日付の朝日新聞は「首都高速道路で2002年度以降見つかった損傷は累計で約26万、うち09年度末時点で9万7千件が補修できずにいた」と報道。中でも損傷が激しいのは築40年以上の部分で、約7万件存在。橋脚の亀裂などで通行止めにつながりかねない重大な損傷も存在していたとのことです。 首都高の内、「都心環状線」や「羽田線」など全体の3割の90キロは築40年以上経っています。また、日本の物流を支える大動脈である名神高速・東名高速も、それぞれ開通して40年以上経過しています。道路も橋も50年で寿命を迎えると言われており、まさに補修しなければならない時期に来ています。 日本は地震大国です。『ザ・リバティ』2012年4月号で、遠田晋次・京都大学防災研究所地震予知研究センター准教授は「東京の下ではいくつものプレートが重なり合っていて、M7.5クラスの首都直下型地震がいつ起きてもおかしくない状況」と指摘しています。 中央防災会議は、東京湾北部地震が発生した場合の経済被害の損失額を、直接被害額66.6兆円(建物・インフラ被害)、間接費用45.2兆円の112兆円としています。東南海・南海地震は57兆円、東海地震は37兆円の損失とし、この3地域だけで計200兆円の損失が予想されています。⇒http://goo.gl/oqis8 高速道路が地震で崩れた場合、建物被害に加えて多くの人命が犠牲になります。また、道路を寸断して緊急車両が通れなくなった場合、二次被害につながります。大惨事につながる前に手を打たなければなりません。 2月23日の朝日新聞は、昨年末の時点で、東日本大震災の復旧費として第一・二次補正予算でつけられた道路や堤防、下水道に関しては、予算の3.8%しか執行されていないと報道(本格復興策を盛り込んだ第三次補正は昨年11月に成立したばかりなので除く)しています。 民主党の「コンクリートから人へ」のスローガンが間違いであったことは、今回の震災を通じて、私たち国民は痛いほどよくわかりました。しかし、民主党からはこの間違いを認め、謝罪をする姿勢は一切見せません。 それどころか、“4年間消費税増税は行わない”と言っていた約束を破り、被災地の方々にものしかかる“社会保障のための増税”を成し遂げようと血眼になっています。 復興を言い訳にして、財源がないから増税すると民主党は言っていますが、ここに嘘があります。 国債整理基金の余剰金の活用、日銀の国債引き受けによる建設国債の発行など、財源確保の方法は存在します。むしろ今足りないのは「国家のあるべき姿」の提示です。 被災地の状況からも復興のビジョンがないために、智慧・人手・資材を集めることができず、復興を進められないのは明らかです。まずは将来への備えとして、適切な首都圏・東南海・東海地震への耐震対策を行うことが必要です。 『公共事業が日本を救う』の藤井聡氏は「被害予想総額の10分の1である20兆円あれば、被害を半減(100兆円)できる」と指摘しています。確かに20兆円は大きな金額です。しかし、将来を考えるならば今、絶対に投資しなければならない金額です。 また、日本にはデフレギャップが20兆円以上存在しています。20兆円分の需要を創り出すことは、不況に苦しんでいる日本経済にとっても、今まさにやらねばならないことなのです。 それを行わず、日本を大地震が襲い200兆円近い損失が出て、国が機能しなくなってしまってからでは、どうすることもできなくなってしまいます。 公共事業でつくられたインフラが将来に残すものは、“不安”でもなければ、“子供たちに対するツケ”でもありません。“日本国民の財産・資産”であり、“世界の国々を支え、繁栄に向けて力強く引っ張っていくための発展の土台”なのです。 日本全国の未来ビジョンを示し、民間に仕事を回すことで、被災地は復興し、日本は必ず景気回復するのです。 3.11を大きな教訓として、明確な国家ビジョンの下にインフラを強化し、本当の意味での「国民の生活が第一」を一日も早く、成し遂げていかなければなりません!(文責・湊侑子(みなと・ゆうこ) すべてを表示する « Previous 1 … 5 6 7