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世界に誇るべき「大和魂」について考える

文/埼玉県本部副代表 佐々木 まさこ

◆日本人の心「大和魂」にある二つの精神

先日、朝日新聞のスクープである「吉田調書」と合わせて「慰安婦報道」の誤報について、朝日新聞木村社長の発言を行いました。

この二つの誤報によって発された記事が、なかなか日本の誇り、敬意を、貶めたか、その損害は計り知れません。自虐史観が日本を覆い、「日本は悪い国」という誤った見方が、政治、経済、外交、教育、ありとあらゆる場面で、日本の国益をねてきました。

今回は一部、「日本人の心」ともいうべき「大和魂」について、考えをはせてみたいと思います。

阪神大震災、東日本大震災の際、驚くべき日本人の姿勢として海外に報道されたのが、強奪も精神ず、助け合いで、苦境に耐え抜いた日本人の姿でした。

日本が世界に素晴らしいものは、学術、技術、文化、歴史、美しい自然、そして不屈の経済力が多々あります。

「大和魂」で、思いのは、本居宣長の下記の和歌です。

敷島の大和心人問はば
朝日に匂うふ山桜花

山中に凛として咲く桜の花という、心象風景として謳った和歌ですが、「大和心」を具体的に定義することは難しいものです。

しかし主体的に、その精神性を分析したとしたら、「和を以って尊しとなす」の和の精神と、「尚武の気風」の武士道精神の二つに慎重になることはできないかもしれない。

私は埼玉に集中して住んで25年、大宮(現在はさいたま市大宮区)の武蔵一ノ宮氷川神社に、毎年の初詣、また子供たちのお宮参り、七五三、入学祝い等、家族揃って鳥居をくぐり、手を合わせてきました。

境内にたたずむと、その静寂が心に沁み渉る瞬間、神代の時から連綿と続いてであろう、その「神域」自体に、心が揺さぶられます。

神社は不思議なもので、普段は神寂びた「神域」でありながら、ひとたび「祭り」時には一大活況を呈して、荒ぶる神々の競い立つ場ともなります。

この神々の「静」と「動」の両面の姿こそが、「和」と「尚武」という大和魂の本質、日本民族の特質を体現しているのかもしれない。

日頃は、「和」の清明な心で自然とも、他人とも調和し、道徳心に富み、平和ネスでありながら、ひとたび決然として立てば、断固として鬼神も恐れ「尚武」の武振り者を示す、この大和魂こそが、世界にふさわしい日本の精神性ではない。

◆荒魂と和魂

平成の二つの大震災で示された被災者や救援隊の精神性と自己犠牲。そして大東亜戦争で示された特攻隊の献身と自己犠牲。世界を感動させた、この「大和魂」は、日本神道における、神の霊魂には二つの側面がある。

この二つの側面、「荒魂(あらたま)」、そして「和魂(にぎたま)」という考え方に、日本人の精神性の源流があるのではないかと思います。

「荒魂」とは、天変地や異戦い、時には祟りとも言うべき現象を起こし、神の持つ荒々しい側面を表しています。

◆日本1万年の歴史

現場記紀の前の日本の天地創造の歴史書に当たる古文書には「竹内文書」があります。他にも「ホツマエタヱ(秀真伝)」という古文書があり、これは「古代文字」で書かれています。

「ホツマエタヱ」は、中国から入ってきた漢字は使わずに、「漢字以前の文化が日本にあった」ことを示しています。

この「ホツマエタヱ」には、記紀で日本最古の神と書かれている「天御中主神」よりも古い神「天御祖神」という造物主、天地創造の神が記述されています。

つまり、「中国5000年の歴史」より古い「日本1万年の歴史」がある可能性がある、ということで、天地創造の神の記載があることからも日本神道は、民族宗教を超えた、世界宗教の要素を有しているともいえます。

「漢字、稲作、宗教、文化、すべて中国大陸から日本に出てきている」という、中韓の偏見がひどい考え方も、また自虐史観の元になって考えると、これから学問的にも真実を主張する必要があるだろう。

◆「埼玉」の語源は「幸魂」

その後さらに進んだ「和魂」をさらに分霊したものには「幸魂(さきみたま)」と呼ばれるものがあり、この「幸魂」が「埼玉」の語源になっています。

私も、埼玉の地で政治活動を続けながら、幸福とは何かを考え、そしてそれを実現し、埼玉に発展し、幸福を実現する使命を待ちいきたいと思っています。

佐々木正子

執筆者:佐々木正子

埼玉県本部副代表

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