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カオスの都知事選をどう見るか。民主主義か、堕落か。

https://youtu.be/PC9ZEzh9mh4

政務調査会長 里村 英一

◆カオスの都知事選

皆様もご存知のように、今回の東京都知事選には、史上最大56人の立候補者が出ました。

そして、公設掲示板の掲示をめぐって、やれ、「ほぼヌードだ」あるいは、「風営法違反だ」あるいは、掲示板そのものを販売するかのごとき動きがあって、大変な批判が出ております。

さらに政見放送をめぐっても、何を言っているのか意味が分からないと、大変お怒りの方もいらっしゃいます。

私自身も、実際に東京都内各所にある掲示板を見て、正直その無残さに声が出なかった一人です。

これをめぐって、制限をかけるべきだ。取り締まるべきだ・・・と、いろんな声が聞かれます。

しかし、単純にそのように考えていいのかどうか、これが今回の一番のテーマです。

なぜ、こんなことが起きるのかということを考えると、やはり東京都知事選は日本の選挙の中で、有権者が一番多く1100万を超えています。

しかも、政治経済の中心ということで、マスコミの注目も大きく、ネット上の注目も大きい。それゆえに都知事選に参戦することで、稼げる。あるいは、有名になれる。

場合によっては、元議員のように、うまくすれば当選できるかもしれない。いろんな思いがあり、まるでバカ騒ぎのようなことが起きています。

◆民主主義とは何か

では、これをどう見るか3点に分けて述べたいと思います。

まず1点目は、「民主主義とはこんなものである」という冷めた見方です。

民主主義というのは、誰でも選挙に出ることができる仕組みです。自分の運命を決めることができる選挙に参加できる。これ自体が民主主義の良さです。

当然、その「誰でも」の中には、良識をお持ちの方もおられ、良識の欠片もない方もおられます。

立候補される方を事前に、ふるいにかける。ではそのふるいはどういうものか。昔から取り上げられているのは、1つは財産。1つは学歴。1つは偏差値。あるいは性別。場合によっては体力。

このようなふるいにかけるべきだという意見もあります。しかし、ふるいにかけるという考え方が、始まったらこれは基本的に民主主義ではなくなります。

このような制限選挙というものは、人類が長い時間をかけて獲得してきた民主主義の選挙に反する考え方であり、私たちはこのような誘惑に断じて乗ってはならないと思います。

◆政治参加の自由を守るには

2点目は、やはり立候補者は良識、あるいは公序良俗に則った考え、話し方、行動をしなければならないという考えもあります。

そうならず乱暴なことが始まってしまうと、そこに容易に警察権力の介入が始まります。場合によっては、公選法改正のような形で法律の改正も始まります。

そうなったときに最も得をするのは、権力を持っている者、権力に預かっている組織です。

逆の言い方をすれば、それによって新しく出ようとする芽が詰まれてしまい、結果的に、不利益を被るのは有権者であると、このような考え方があります。

ですから制限選挙、例えば供託金を増やす。供託金を増やせば、馬鹿なことはできないだろうと、実際そう考えて約100年前に供託金という制度が始まりました。

しかし、この供託金という制度は世界では極めて少数派です。アメリカ、ドイツ、フランスにはありません。

イギリスは、一応供託金はありますが、日本円にして8万円程度です。このように基本的に選挙参加の自由を最大限に認めようというのが、世界の民主主義国の当たり前の姿です。

そういう意味で日本の高い供託金制度や、あるいは公職選挙法の細かすぎる規制の多さは、すでに日本の政治参加の自由が、失われていると言っても過言ではありません。

そのような政治参加の自由を奪うことになりかねない警察権力、あるいは法律改正など呼び込みかねない、馬鹿騒ぎめいた振る舞いは、厳に進まねばならない。これはぜひとも言っておきたいと思います。

◆民主主義の本質とは

では、どうしたらいいのか。これが第3番目になります。結局、民主主義の本質を考えないと見えてこないと思います。

これについて大川隆法党総裁が『宗教立国の精神』という書籍の第1章「天命を信じよ」の中で民主主義について、このように述べています。

『宗教立国の精神』
https://www.amazon.co.jp/dp/4863950381

(引用)
民主主義政治というものは、一種のフィクションによって成り立っているものです。「本来は、神仏から委ねられた人が、神仏の思いを実現し、現実の政治をなしていく」というのが理想の政治ですが、現実には、神仏の声、神仏の考えが分からないがために、その“代用品”として「投票を通して民の声を聴き、多数を占めたものが、神仏の考えと同じであろう」という擬制を用いているわけです。
(引用終わり)

つまり民が神仏の心を心とするような理想を目指してこそ、初めて民主主義は素晴らしいものになるというのが、大前提です。

しかし、この民の心が楽をしていきたい。楽をして稼ぎたい。このような方向でいくならば、それによって選ばれた代表者は基本的に、神仏ならぬ泥棒になってしまいます。

その泥棒は国民にバラマキを約束します。皆様のご利益を約束します。その一方で増税をして保険料を上げて国民から巻き上げる。こういうことをやっていきます。

日本の国政面においては、この泥棒の政治が実現し、その一端が最近の裏金づくりという問題になって吹き出したのかもしれません。

この国民の声、心こそが大事になるということ。これが間違うとヒトラーを私たちの民主主義は産んでしまいます。

つまり、ドイツ国民の心が、ユダヤ人さえいなくなれば自分たちの生活は良くなると、このように考えたときにヒトラーという人間が選ばれました。

◆神仏の理想を実現する民主主義政治

民主主義は、民の声が神仏の心を目指す限りは、神仏の理想の政治が実現する。ユートピアをつくっていくものになります。

一方でおいて民の心が、悪魔の囁きに負ける方向でいくと、この世に地獄をつくるものになります。

その意味では、民主主義はそれだけで素晴らしいものではなく、民主主義を素晴らしいものに保つ努力があってこそ、素晴らしいものとなるということを忘れてはならないと思います。

例えば、チャーチルは「民主主義は、最悪の政治形態」と言い、あるいは、松下幸之助さんは民主主義について、「国民はその程度に応じた政府しかもちえない」と厳しく戒めています。

要するに、国民自らもまた理想を抱き、その理想実現のための、政治家を選ぶためにも、その政治家の人柄、あるいは政治哲学、さらに政策をよく吟味しなければ民主主義というのは保たれないということです。

正直言って面倒な話ですが、これは民主主義のコストであって、これを避けてはならないと思います。

これを避けたときに、私たちの民主主義は簡単に独裁制へと転換していきます。絶対にこの民主主義を独裁制に転換させてはならないと考えています。

幸福実現党もそのような理想を求め、そのような民主主義の実現を求める皆様の声に耐えることができるような政党になれるように努力をしてまいりたいと思います。

里村英一

執筆者:里村英一

幸福実現党 政務調査会長

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