地方自治体で加速する保育無償化――本当に必要なことは、保育無償化をやめること
http://hrp-newsfile.jp/2024/4487/
HS政経塾12期生 縁田有紀
◆地方自治体でも加速している保育無償化
ここ最近、地方自治体では、独自に保育無償化を加速させる動きが見られています。
全国一律の保育無償化は、3~5歳児が対象ですが、独自で0~2歳児にも対象を広げる地方自治体が増えています。
象徴的だったのは、2023年10月から、東京都が0~2歳の第2子の保育料無償化をはじめました。
直近では、2024年2月4日投開票の京都市長選で、自民・公明・立憲推薦の候補者、松井孝治氏は第2子以降の保育料無償化を公約として掲げ、当選を果たしています。
このように、地方自治体で保育無償化が進められているわけです。
しかし、優しい印象を持つ保育無償化ですが、手放しに喜べません。「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉もありますが、このような一見優しいものほど、大きな落とし穴が隠されているのです。
◆「無償化」という言葉のウソ
この保育「無償化」という言葉は、良い印象を持ってしまい、歓迎しがちです。
しかし、日々の保育にお金がかからなくなったわけではないのです。
例として、東京都の認可保育所の場合、全年齢1人当たりの平均運営費は、月額15万円~20万円程度のコストがかかっています。
特に0歳児1人当たりにかかる保育運営費は、平均で月額30万円~50万円程度もかかっているのです。
このように、保育には大変なコストがかかっているわけですが、問題は「無償化」という言葉のウソによって、そのコストが見えなくなってしまうことです。
そして、このコストを負担しているのは、保育園を利用していない人も含めた国民の税金なのです。
◆無償化で保育の需要は、際限なく広がる
このような無償化の構造は、保育園の利用を過剰に促していくことになります。本来、保育園を利用するかどうかは、自分たちの収入のなかで、家庭で判断することになります。
しかし、「政府からの無償」という過度な支援は、自分たちの経済状況は関係なく、自分たちの責任の範囲を超えたお金で、保育園を利用することになっていきます。
これにより何が起こったかというと、保育園の需要拡大です。
こども家庭庁が発表している「保育所等関連状況取りまとめ」によれば、3~5歳児の保育利用率は、2018年は51.4%でしたが、2019年から国による保育無償化開始以降、右肩上がりで上昇し、2023年には59.5%となりました。
3~5歳児の保育を利用する人数で言えば、約7.8万人増えたのです。
◆過度な福祉で家庭がいらなくなってしまう
こうした保育所全入の流れは、価値観の変容を引き起こしています。
ベネッセコーポレーションが2022年3月に行った「第6回幼児の生活アンケート」によれば、「子どもが3歳くらいまでは母親がいつも一緒にいたほうがいい」と回答した比率は、過去最少の44.9%。2005年の61.7%から20ポイント近く減少しているのです。
もちろん、保育無償化のみがこの原因であると断定はできませんが、大きな影響を与えていると考えられます。
このような考え方の変化は、「子育ては家庭で責任を持つもの」という伝統的な価値観が崩れ、「子育ては社会や政府がするもの」に変化しているとも言えるでしょう。
しかし、政府に面倒を見てもらう、依存しようとすればするほど、家庭がいらなくなってしまいます。
例えば、武田龍夫著『福祉国家の闘い』では、福祉国家を代表するスウェーデンについてまとめていますが、ここに象徴的な記述があります。
大学生がある老人に、一生の中でもっとも重要な変化は何かと問いました。
二度の世界大戦かなどと大学生はいろいろ考えていましたが、老人の返答は「それはね、家族の崩壊だよ」。家庭の中にあった老人たちの介護、子どもの子育ては公的機関に任せるようになったことで、家庭が役割を失っていく様を表しています。
家庭の価値がわからなくなり、家庭をつくる意味も、家庭を大切にする意味もわからなくなってくるのです。
◆気づかぬ間に政府依存に
さらに、そうして高められた福祉が、人々の幸福には直結するかと言えば、実はそうではありません。
衆議院議員を務め、マルクス主義を鋭く批判していた山本勝市氏は『福祉国家亡国論』の中で次のように述べています。
「人間の欲望は、それ自体絶対的水準があるのではなく、欲望自体が肥大してくるのが通例です。その肥大した欲望を満足させるためには自分で努力しなければならないということであれば、たとえその欲望を満たせなくてもあきらめますが、国に要求すれば与えられるということであれば、節度が失われてきます。福祉が経済的に高まれば高まるほど、ますます精神的状態は不満足の度合いが高まることになりがちなのです。」
(引用終わり)
残念ながら、これは保育の分野でも当てはまりつつあります。
2019年に全国一律で幼保無償化が行われましたが、それでは足りないということで、0~2歳児の保育も無償化してほしいという希望、保育園を利用する人だけではずるい、専業主婦にも支援が必要だ、だから、「こども誰でも通園制度」をしようなど、福祉は際限なく拡大しつつあります。
こうして福祉が拡大すればするほど、家族の絆は失われ、家庭は解体されていきます。
その結果、バラバラになった個人は、結局政府なしには生きることができなくなります。まさに、過度な福祉は、隷属への道そのものです。
◆まずは一つでも減量を
大川隆法党総裁は『危機に立つ日本』の中で、「正しい方向で努力しなくても、いくらでも援助を引き出せる世界は、一見、善いように見えますが、これは、自分の体のなかに、麻薬、麻酔を打ち続けているのと同じです。」とおっしゃられ、なんでも政府が面倒を見る社会に警鐘を鳴らされています。
なかなか抜け出しにくい過度な福祉による政府依存から、一歩でも抜け出すことを考えなくてはなりません。まずは、保育無償化を加速させるのではなく、むしろやめることを考えなければならないのです。
そして、現役世代の負担解消は、「税金、社会保険料」の重い負担にこそあります。税金や社会保険料は、「五公五民」とも言われ、総額で収入の半分近くも取られており、バラマキ政策の「減量」に目を向けていくべきでしょう。