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新党の離合集散に政党政治の行く末を考える

文/幸福実現党・岐阜県本部政調会長 加納有輝彦

◆無投票当選の比率が過去最高

4月3日、統一地方選の41道府県議選が告示されました。

今回の選挙は、無投票当選の比率が過去最高となり、「無投票当選5人に1人」と各紙の見出しを飾りました。

3日に告示された41道府県議選は、総定数に占める無投票当選の比率が過去最高の21・9%に上り、香川では全41議席の約3分の2(65・9%)に当たる27議席が決定しました。地方政治の「なり手不足」は深刻な状況を迎えています。(産経ニュース4/3)

41道府県の無投票当選者の501人のうち、自民党が7割の348人を占め、前回より83人多く、告示日の段階で民主党の全候補者を上回る当選が確定しました。

愛知県では、無投票が前回の7選挙区から3倍近い20選挙区に増え、全55選挙区の3分の1以上で有権者が投票できない事態となっています。

前回乱立した減税日本と日本一愛知の会の候補者が激減したほか、民主が1人区の多くで勝負を避け、候補者を絞り込んだことが背景にあると報道されました。(中日4/4)

地方政治のなり手不足とともに、高齢化する地方議員の世代交代を進める意味でも若い人の立候補が望まれるところですが、落選後の補償もなく「若い世代に仕事を辞めてまで立候補してくれとは、言いにくい」と地方の政党幹部の声も聞かれます。

また最近の各種選挙の投票率の低さも際立っており、政治への無関心が、さらに地方政治のなり手不足に拍車をかける悪循環に陥りつつあります。

政治家養成の母体となるべき政党のここ数年の離合集散劇を見るにつけ、政治活動の継続の困難さが理解されます。

◆新党の離合集散劇

幸福実現党は、2009年5月に立党し、本年立党6周年を迎えますが、この6年を振り返っても、政党の離合集散により立党時に存在していた政党の多くは、現在存在していません。

2009年8月に結成された「みんなの党」は、2014年11月に解党されました。

民主党政権時、与党であった「国民新党」も、今は存在しません。

2010年4月に結党された「立ち上がれ日本」は、2012年11月13日に「太陽の党」に党名を変更、同月17日に日本維新の会に合流し解党しました。(太陽の党は昨年、西村眞悟衆院議員らにより復活)

2012年7月小沢一郎氏は「国民の生活が第一」を結党しましたが、同年11月、同党を解党し、「日本未来の党」に合流、同年12月には、日本未来の党は、「生活の党」と改称されました。

その後、2014年12月に施行された総選挙の結果、生活の党は政党要件を失いましたが、12月26日に無所属の参議院議員山本太郎氏が入党し、政党要件を回復させ、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改め世間を驚かせました。

このように、ここ数年の政党の離合集散を見る時、新党に政治家養成の母体となるべき余裕は全くないことがわかります。

同時に、政党助成金を受け取るためのなりふり構わぬ野合に、政治の場が政治の場でなく、生活の場に成り下がっている感が否めません。

こうした事態に、政治信条、政策を共有する者が集まっている政党という概念も揺らいでいます。むしろ選挙の都度、変形していく選挙協力互助団体という色彩が強くなっています。

◆立脚点としての人生観

政党による政策の差が、曖昧となれば、政治家の政策論議も、意味を持ちません。退屈で凡庸なものとなります。

政治家が、政党助成金の獲得のために何らかの政党に所属し、差異も曖昧であるところの政策論議をする事に、有権者は何の意味も魅力も見いだせなくなるでしょう。

むしろ政治家に要請されていることは、己の人生観の開示です。

いかなる人生観、歴史観でもって政治の場に立とうとしているのか。彼の人生観、歴史観こそが、彼の政策を規定するのです。そして彼の所属する政党もその人生観、歴史観を共有します。

その方向に見えるものは、哲人政治家の到来です。徳高き政治家の出現です。

少なくとも、哲人政治家、徳高き政治家を目指している人間、政党の出現が、政治不信をなくす道であり、投票率の回復、活発な政治参加も促す道であると考えます。

幸福実現党は、宗教政党として、霊的人生観を立脚点とし徳高き政治家、哲人政治家を理想とし精進してまいりますと共に、失墜した政治に対する信頼を取り戻してまいります。

加納 有輝彦

執筆者:加納 有輝彦

岐阜県本部政調会長

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