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新国立競技場問題の本質

文/逗子市政を考える会 彦川太志

◆新国立競技場をめぐる問題の整理

2020年に開幕する東京五輪に向けて、新国立競技場の整備問題が難航しています。問題となった新国立競技場のデザイン案は、2012年にコンペで選ばれたイラク出身のザハ・ハディド氏のプランでした。

日本スポーツ振興センター(JSC)の公式HPによると、収容人数は8万人、開閉式の屋根(後に白紙)、可動式の観客席といった設備を備えるほか、コンサートなど文化事業の開催をも想定したり、附属施設としてジムや商業施設、博物館等が一体となった「日本の文化、経済、科学技術、スポーツを世界中に発信する中枢」(森元首相)としての機能を担うことが期待されていたことがわかります。

しかしながら、当初予算の大幅なオーバーに直面して計画の縮小・変更を重ねるという混乱の中、国と都の予算負担が決裂して下村文科省の責任問題に発展したことが重なり、7月17日、安倍首相から新国立競技場の整備計画を白紙とし、構想をゼロベースで見直すことが発表されました。

その後、7月28日には文科省傘下のスポーツ・青少年局長である久保公人氏が責任を押し付けられる形で事実上の更迭人事が行われ、9月に新整備計画を策定する方針だけが決まっています。

◆総工費倍増の原因はザハ氏のデザインではなく、そもそもの要求基準

様々な報道記事に接してまず目に付くことは、二本のアーチが特徴的なザハ・ハディド氏のデザインに対する批判が多く、「妙な外国人が奇抜なデザインを持ってきたのが原因だ」とでも言わんばかりの空気が広がっていることです。

しかしながら、ザハ氏のデザインは依頼主であるJSCの要望に応えたから採用されたわけで、そもそもの要求基準に触れずに、建築家を悪者に仕立て上げようとする報道には、憤りを感じざるを得ません。

依頼主の要望とは、「8万人の収容人数、開閉式の屋根、可動式の客席」と言った要求のほか、「博物館や商業施設、ジム」まで入っている“高度な総合施設”を、「2019年のプレオリンピックまでに間に合わせる」ということでした。

ザハ氏のデザインは、このような要望をクリアするために「スタンドの建設と並行して屋根の建設を進めることが可能」で、「重要な建設期間を短縮できる」構造として、二本のアーチ構造(工費230億円)をもつプランを提案したのです。ですから、「アーチ構造をもってきたから、予算が膨らんだ」というJSCの指摘は当たらないと言えます。

◆火に油を注いで大火にした文科大臣

それでは、新国立競技場問題の核心はどこにあるのでしょうか。新国立競技場の予算増が本格的に政治問題と化してきたのは、2015年5月に行われた、下村文科大臣と舛添都知事の記者会見からでした。

5月18日、新国立競技場の建設費500億の負担依頼に舛添都知事を訪問したわけですが、
その直後から、新国立競技場の建設をめぐってJSCや文科省に対する舛添都知事の批判がヒートアップしています。

詳しい発言は都知事の定例記者会見(5月26日)をご覧いただければと思いますが、ゼネコンの見積もりを元に安易に費用負担を求める下村大臣に対して、「本当にそれで間に合うのかどうか、単に難しい工法だからと言って値段を吊り上げているだけでないのかどうか」を厳しく問い詰めた様子が伺えます。

コストを抑えつつ品質を確保して工期を間に合わせる。そのような当たり前の経営能力を問われた下村大臣は、なんと「建設費の一部を都に負担させる根拠法を作る」という暴論で応酬し、あっさりと論破されています(6月9日)。

◆国際協約通りザハ氏に再度設計を依頼すべき

結局、この新国立競技場問題の核心とは何だったのでしょうか。

私見ではありますが、舛添都知事に経営能力の無さを露呈され、新国立競技場を政治問題として「炎上」させられてしまった文科大臣が、自分が追求から逃れるためにザハ案を葬ろうとしただけのことではないのでしょうか。

ザハ・ハディド氏は著書の中で、自身の建築プランが実現しない場合は2つしかないと語っていました。

ひとつは「テクノロジーの問題」、二つ目は「政治的問題」です。世界的アーティストが日本にレガシーとなる建築を残すことの意義について、ぜひ多くの方にその価値を知っていただければと思います。

また、安倍首相においては、重要法案の成立と支持率の両睨みを続ける中、野党に攻撃材料は与えたくないものと推察しますが、構想実現のために厳しくある姿勢が、国民の支持を呼ぶこともあると思います。

2020年東京五輪成功に向けて、文科大臣の責任を明確にし、経営センスのあるリーダーを据えていただき、国際協約通りザハ氏に再度新国立競技場を依頼するのが最良の選択肢だと提案させていただきたいと思います。

彦川 だいし

執筆者:彦川 だいし

HS政経塾第1期卒塾生/党政調会・外交部会

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