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幸福実現党が「宗教政党」を名乗る理由

◆戦後の日本は本当に平和なのか?

日本は戦後、戦争の無い「平和な国」になりました。しかし本当に、日本は「平和」になったと言えるのでしょうか?

学校では「いじめ事件」が続き、今年に入ってからも、奈良、長崎、山口、名古屋等で「いじめ」を苦にした自殺(未遂)が立て続けに起こっています。

戦争の無い日本で、子供達が次々と自ら命を絶つことは異常と言うほかありません。

自殺者については日本全体の推移で見ると 昨年2012年が2万7766人で15年ぶりに3万人を下回ったものの、1998年から14年連続で3万人を超えていました。(3/14 時事)

年間に平均3万人としてそれが14年続いていれば、この間、自殺者の人数だけで複数の地方都市が消滅した計算になります。

こうした日本の現状は、戦争がない「平和な国」とは言いがたい現状です。

◆信じられない事件

もっと遡って戦後を見てみるならば、1980年以降、信じられない事件が起こるようになりました。

例えば、母親がドラム缶で幼児を殺した事件がありましたが、当時の社会党は加害者の母親を「育児の被害者だ」として擁護しました。

また、親を殴り殺した「金属バット事件」等、子が親を殺す事件も起き続けています。

最近では、広島で少女ら数人が少女に暴行を加え殺害、遺体を遺棄した事件が起きました。その後の報道では事件を起こした加害者の少女たちは、被害者の財布まで奪ったことが明らかになっています。

親が子を虐待したり、子が親を殺したり、友人を暴行死させたりする事件が普通に起こっている現代の日本を、本当に「平和」と言うことが出来るのでしょうか?

◆戦後の日本が失ったもの

戦後日本は、何か「大切なもの」を失ってしまったのです。

その淵源は「戦後教育」にあります。

先の大戦で、世界を相手に戦った日本を、再び世界の脅威とならないよう米国占領軍は、日本の精神を骨抜きにしようとしました。

その中の一つが「墨塗り教科書」です。「墨塗り教科書」で「神仏を敬う心」「親孝行」などを「軍国主義」の原因と決め付け、その内容が書いてある部分を墨で塗りつぶし、否定させたのです。

教師は子供たちに教える「価値観」を失い、子供たちは教科書を墨で塗りつぶす度に、大切な精神性が消えていきました。

占領軍は、日本の教育の主導権を、唯物主義を信奉する「日教組」に渡しました。

日教組教育の「人間観」は「偶然にこの世に産み落とされた存在である」ということを根底にしています。

ここからは「自己の生命の尊さ」も、「神仏を敬う心」も、「他者を愛する宗教的情操」も、「祖先から受け継がれてきた歴史に対する尊敬」も生まれては来ません。

その結果、戦後の国民は、拠り所のない「根無し草」のように流れていく存在に成り果てました。

まさに、このような価値観こそが、昨今のいじめ事件や青少年犯罪の淵源にあるのです。

◆自己の尊さと日本の誇り

しかし、人間とは神仏が創った尊い存在であり、永遠の生命を持ちこの世とあの世を転生しながら魂の修行をしている存在です。

その中で、親との深い縁があって生まれてきたのであり、そこから神仏を敬い、親孝行の心も生まれて来たのです。

そして、自分が生を受けたこの日本の歴史を愛し、過去の先人を尊敬するからこそ、誇りを持って先人に恥じない生き方をしようという心が芽生えてくるのです。

大川隆法総裁は『政治革命家 大川隆法』の中で下記のように説かれています。

「『神仏を信じない』ということが、結局、『国としての誇り、国民としての誇り』を失うことにつながっていくのです。要するに『誇りを失った国民、誇りを失った国民は滅亡に至る』というのは歴史の必然だからです。

『誇り』を支えるのが、じつは『信仰心』であり、『自分は神仏の子である』という尊さの自覚なのです。」

◆「宗教政党」の意味

釈量子新党首となり、幸福実現党は「宗教政党」としての打ち出しを強めています。

幸福実現党が「宗教政党」を堂々と名乗る理由は、ここにあります。それは、決して一宗一派の利益のために「宗教政党」を名乗っているわけではありません。

国民が「神仏の子」としての尊厳、「日本の誇り」を取り戻し、日本に生まれた使命を果たすことこそ、「幸福」の基盤となるからです。

古より日本人が当たり前に大切にしてきた「神仏を尊ぶ心」を日本の柱に据える事は、日本を復活させる最も根本的な課題なのです。(文責・政務調査会・佐々木勝浩)

佐々木 勝浩

執筆者:佐々木 勝浩

幸福実現党広報スタッフ 課長代理

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