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ネルソン・マンデラ氏と人類が歩んできた「人種差別撤廃」の歴史

ネルソン・マンデラ氏と人類が歩んできた「人種差別撤廃」の歴史[HRPニュースファイル845]

◆「報復から光は生まれず」

南アフリカの少数派の白人を優遇し、多数派の黒人を差別した「アパルトヘイト(人種隔離)」政策撤廃へ導いたネルソン・マンデラ元同国大統領が95歳の生涯を閉じました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

マンデラ氏は生前、以下のような言葉を残しています。

「私は白人の独占支配とも、黒人の独占支配とも闘ってきた。全ての人が調和と平等な機会の下に暮らすことが私の理念だ。この理念のため、必要があれば一命をささげる覚悟がある」(1964年、終身刑を受ける前に語った言葉)

「(アメリカで人種差別撤廃の活動で暗殺された) キング牧師が、単なる夢想家でなかったことを全力で証明しよう。新しい夜明けを!」(1993年ノーベル平和賞授賞式演説)

「抑圧された側も、圧制者の側も、偏見と不寛容から解放されなければ、本当の自由は達成されない」

「生まれた時から肌の色や生まれや宗教を理由に誰かを憎むものではない。もし憎むことを学べるならば、愛することも学べるはずだ。愛は人の心にとってより自然なものなのだから。」(自伝「自由への長い道」)

国家反逆罪で1962年に逮捕、27年余も投獄されながら、1994年に南アフリカ初の黒人大統領に選出された際には、政権から去ろうとしていた白人達に「力を貸してほしい」と呼びかけ、黒人と白人が共存する国家を目指しました。

「インビクタス」という映画にもなりましたが、マンデラ氏は、白人のスポーツだった南アフリカのラグビー代表チームを全面的に支援し1995年ラグビーW杯で、チームは初優勝。その際には人種に関係なく国民が総立ちで新しい国歌を歌ったのです。

こうして分裂しそうな南アフリカを一つにまとめあげたマンデラ氏は、南アフリカの「国父」と呼ばれるようになりました。

マンデラ氏が残した功績の偉大さは、差別されてきた黒人がその「憎しみ」に対して、「憎しみ」で返さず、過去のわだかまりを解き、白人と黒人が肌の色を超えて共に同じ国の未来を切り開いていこうとしたことです。

このように、マンデラ氏の最大の功績は「人種差別問題」を「憎しみ」ではなく「愛」によって解決し、「人類の次元」を一段階上げたことではないでしょうか。

◆日本から始まった「人種差別撤廃」

人類が「人種差別」を乗り越える歴史は、リンカーンを初めとし、キング牧師や、最近映画化された「42 世界を変えた男」の黒人初の大リーガー・ジャッキーロビンソン等の努力もありました。

しかし、忘れてならないことは、世界に初めて「人種的差別撤廃」を提案した国は「日本」であったことです。

マンデラ氏が生まれた1918年は、第一次世界大戦が終わった年で、その翌年から始まったパリ講和条約において、戦勝国として参加した日本は「国際連盟」の結成と合わせて「人種差別撤廃」を提案しました。

しかし世界に植民地を持つイギリスなどが猛反対し、採決では、11対5で勝ったものの、ウィルソン米国大統領の「全会一致が得られなかったから」との理由で否決されました。

それから数十年、先の大戦を経て1965年、第20回国連総会において「人種差別撤廃条約」が採択され、1969年に発効されました。日本が提案してから、実に50年の年月を費やして、人類はようやく「人種差別撤廃」の第一歩を踏み出したのです。

◆大東亜戦争の意義

その間に日本が西欧の植民地になっていたアジアの開放を掲げて開戦した大東亜戦争は、「人種差別撤廃」の面からも重要な意義を残しました。昨日(12月8日)は、その大東亜戦争開戦から72年目になります。

戦中には、樋口季一郎少将が「ユダヤ人排斥」は日本の「人種平等主義」に反するとして2万人のユダヤ人を救い、また外交官・杉原千畝氏は命がけで日本の通過ビザを発行し6千人のユダヤ人難民を救いました。

※参考「流氷の海」、相良俊輔著『流氷の海―ある軍司令官の決断』光文社NF文庫

日本のおかげで西欧の植民地から独立できたことに対する東南アジア諸国の感謝の言葉については、以前のHRPニュースファイル「日本の戦争に対するアジア諸国の声」でも紹介致しました。⇒http://hrp-newsfile.jp/2013/786/

他には、アラ・ムジャ元インドネシア陸軍大将は下記のような言葉があります。

「(大東亜戦争を)日本にはあと5年がんばってほしかった。そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。中東もアフリカもこんなに苦しまずにすんだはずだ」

◆マンデラ氏の復活

もし第一次大戦直後、日本が提案された「人種差別撤廃提案」が認められていたら、日本が大東亜戦争をあと5年戦うことができていたら、アフリカの人種差別問題はもっと早く解決がついていた可能性もあります。

ここで実は、マンデラ氏の死後、6時間後に大川隆法総裁が同氏を招霊し、「人類へのラスト・メッセージ」が収録されました。

霊言「ネルソン・マンデラの復活―死後6時間『人類へのラスト・メッセージ』―」⇒http://info.happy-science.jp/2013/9034/

この中で、マンデラ氏は、「Japan was a hope for us(日本は、私たちの希望だった)」「Japan is a miracle of the world history(日本は、世界史上の奇跡です)」と、明治維新以降の日本の歴史が、いかに植民地支配からの独立や、有色人種への差別撤廃の原動力になったかを教えてくださいました。

いずれにしてもマンデラ氏は人類の歴史を「人種差別撤廃」から「人種融和策」へと新たな次元に導いたことは確実です。

マンデラ氏の生涯は、人間は肌の色に関係なく神仏から平等に命を与えられた存在であり、「憎しみ」ではなく「愛」によって共に素晴らしい世界を創造して行け、という神からのメッセージそのものです。

そこには、国民の幸福の実現のために、人種問題をも愛の力によって解決しようとした「宗教政治家」としての理想像を見ることができます。

マンデラ氏の人類史における偉業にあらためて感謝し、誇りある日本を先人から受け継いできた私達もまた、自国の繁栄のみならず、世界の問題を解決するリーダー国家となることを誓います。(文責・政務調査会 佐々木勝浩)
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佐々木 勝浩

執筆者:佐々木 勝浩

幸福実現党 広報本部スタッフ

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