デジタル教科書が子供の思考力を奪う?GIGAスクール構想で教育が危ない【後編】
https://youtu.be/FI22XvltFMM
(4月6日収録)
幸福実現党党首 釈量子
前編では、「教育のデジタル化で危惧される3つ視点」の2つまで述べましたが、後編では3つ目の視点からお送り致します。
(3)デジタル教科書と学力
「教育のデジタル化」で危惧される3つ目の視点は、「デジタル教科書」です。
一人一台タブレットが実現すれば、教科書視力の低下もありますが、学習内容の理解度が下がる可能性が指摘されています。
15歳を対象とした国際機関による調査18年では、読解力テストの平均点について、日本は、本を「紙で読む方が多い」と答えた子供が「デジタルで読む方が多い」を大幅に上回っています。(朝日新聞記事)。
デジタルノートの導入も、プリンストン大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究者のデーターによると、パソコンに打ち込むより手書きでノートを取る学生の方が総じて成績が良いことが判明しています。
「手は第二の脳」と言ったのはカントですが「書く」というプロセスは、筆圧や紙との摩擦など感じ、手を動かすなど記憶する上で重要なのだろうと思います。
もっとも塾に通えない子供にとっては、ユーチューブ番組で理解を深めたり、英語ではネイティブの発音をマスターするのにいいという声もあります。
そういう子は中から上の子供が多く、家に帰って勉強しない子供は、「習熟」の面で、置き去りになる可能性もあります。
デジタル教科書は、紙の教科書のような無償給付の対象とはなっておらず、自治体や学校が費用を負担することになります。
民間の調査によれば2025年度のデジタル教科書市場は800億円と推計されていて、今後公的な支援が見込めると期待する向きもあります。
しかし、そうした皮算用の中で、今回の「GIGAスクール構想」はじめデジタル化が進んでしまえば、子供たちの記憶力や思考力を奪い、ひいては「亡国」の政策になる恐れがあると言わざるをえません。
特に、菅政権はデジタルを成長の起爆剤と考え、その方向で人材づくりを考えています。
さらに昨年12月には政府が、小中学生の学習履歴やテストの成績をマイナンバーに紐付けてオンラインで管理すると言い出して批判されました。
政権自体が、まるでロボットのようで、中国のAI全体主義に近づいているような怖さを感じます。
結局、この原因は、現在の教育行政が「唯物論」に基づいているからではないかと思わずにいられません。
特に、2001年文部省と科学技術庁が一つになって「文部科学省」ができてから、「科学によって証明されないものは学問ではない」と思われ始めている傾向が出てきました。
しかし、教育の本質は、「真理」の探究であり、人間として何が正しいことなのか、世界の仕組みや宇宙の法則などを探究していく、そして学問の一番奥にあるものはなにか。未知の奥にはこの大宇宙を創造した神仏の心があるわけです。
昨今の政治家や官僚を見ても、高学歴で優秀な人材が、嘘をつき、保身のために真実を改ざんし隠蔽するような事件が噴出しています。
いくら教育のデジタル化を進めても、自己中の人間ばかり輩出し、戦後共育そのものの失敗を象徴していると思われます。
ではどうするかということです。
◆一国の興隆は、教育にあり
幸福実現党としては、戦後教育で欠落した「道徳教育・宗教教育」を充実させて、「善悪」の価値観や正義、自助努力の精神、愛や寛容の心などを教えることを重視すべきだと考えています。
仏教の釈尊、イエス・キリスト、孔子やソクラテスといった人類の教師たちの言葉を教え、「人間は等しく神の子である」という真理を学ぶことが、人権の尊厳の根拠を教えることにもなりますし、自己肯定感をはぐくむうえでも重要です。
「二宮尊徳」のような偉人を教えることも、志を立て、自助努力の精神で人生を切り開く力になるはずです。
朝読書や、図書館に司書を置いて充実させたりして、バランスを採る必要もあると思います。
子どもたちの読書時間は、平成18年から少しずつ増えていたのですが、平成28年度は学年が上がるにつれて減少し、今や高校二年生は「ほとんど読まない」と答えています。
一日の携帯スマホの利用時間の長い子供ほど一か月に読む冊数は少なくなる。1日3時間以上使用する子供の5割が「ほとんど読まない」と答えています。
これが何年後かにどういう結果を招くのか、気付いたころには手遅れでしょう。
一国の興隆は、教育の成功に始まり、一国の衰退は、教育の失敗に端を発するものです。